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「http://www2s.biglobe.ne.jp/~NITE_DAY/200203nikki_3.htm#2002/03/XX」
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3月21日(祝)
▼強風。あれだけ風吹けば桜の花びらなって散ってしまうだろう、と手前勝手に思っていたが、晩に外へ出てみたら、そんなこともなかった。強いのね。

3月22日(金)
▼引っ越し作業。明日も出勤が決まってうんざりして銀座へ。(26)

3月23日(土)
▼引っ越し作業の一日。

3月24日(日)
▼餃子を買いました。スーパーなんかで「手作りです」などと叫んだ調理人のおっさんが、餃子を作る現場を実演し、その脇でプラスチックのパック詰めの餃子が、生のものと焼いたものを仕分けして積み上がっている。そんな現場で「12時まで20%引きだよ。それ以降値引きしないよ」と宣うおっさんの口寄せ。同じ「12時まで」とはいえシンデレラとはえらい違いなのだが、ちょっとたまに買ってみるかと焼き餃子を買ってみた。つうか原価の値段見てなかった(千円)ので、「あいよ、860円」と言われてびびった(これが酒関係で金を使っても何とも思わないくせに)が、やっぱりやめた、つうのも何だからビールと一緒に買った。
 さて、結果……うーん、脂っこさの固まりを食わされたような感じ。これなら近所のラーメン屋で餃子定食を頼む方がまだ安いし食べやすい。あの手の売場で餃子を売っているおっさんの濃さそのものって味でしたよ。
 今日は誰とも会う用事がなかったからよかったようなものの、胃から時折逆噴射される空気が、自分でも臭うのがわかって、そんな違和感を抱えたままの一日でした。

3月25日(月)
▼給料が振り込まれてくれば、仕事終わりのベルに囚われの心と体取り返す夕暮れどき(終業のベルなんかありませんが)、真っ先に飲みへと向かうのですが、今日の終わりは服を買いに行きました。ユニクロだけど。
 つうかいまどきユニクロで初めて金を使った人間って天然記念物でしょうか。
▼天然記念物その2。池袋レコファンで、小沢健二『eclectic』未開封品買いました。小沢健二作品を買ったのはこれが初めてです。フリッパーズ時代をナマで体験できる世代にあったはずなんですが、ずーっっと敬遠してました。ソロになってからも。
 んで、こないだ『eclectic』を試聴して、ブギーバックのカバーがとてもよかったので、購入に至ったわけで。

3月26日(火)
▼ネット界を見渡して、週刊プレイボーイに関する話題をあちこちで拾い集められるのに比べて、月刊プレイボーイの話題ってのはさっぱり見かけませんな。
 週刊プレイボーイがSPA!みたいに「若者雑誌」の一端を担っている。つまりは十代男子や女性の読者(後者は少ないながらもいるらしい。定期購読者ではなく記事によりけりで)が存在する。月刊の方ははっきりと社会人以上の男性を念頭としているからなんでしょうが。加えてプレイメイト嬢のピンナップにアメリカ版プレイボーイの翻訳記事。迷走するアメリカに何かを託し、何かに憧れる層というのがどれくらいいるか。
 前置きが長くなりましたが、今月の月刊プレイボーイにティファニーのヌードが掲載されているのを知って「ほへー」でした。つうかティファニーって名前を知っている人は80年代に「ベストヒットUSA」を見ていた世代でしょう。今で言うならブリトニー・スピアーズみたいな位置にいた人か。つまりはアイドルシンガー。ベリンダ・カーライルが脱いだって時も驚いたが、ってこれまた誰も知らなそうな名前出して。
 日本だったら、「少女を卒業した大人の色香」「熟女の魅惑」などとキャプションつけられるんでしょうか。

3月27日(水)
▼昨日の続き。
 月刊プレイボーイをコンビニで見かけることが少なくなった。一冊八百円で読む世代が限定されている雑誌を店側で置いておくことはできないだろうし。フロアも限られているし。
 雑誌の次号予告などで「書店・コンビニでお求めください」と強調しているのは、書店に入る習慣のない人でもコンビニに入るという人は多い。つうかよっぽど何か特殊な理由でもない限りコンビニを利用しない人というのは稀だろう。食べ物と一緒に、つい週刊誌を買ってしまう。この辺の数はでかい。
▼「たいして読んでいるわけじゃないけど惰性で買っている」などという言い方は、雑誌にされることが多い。その言いようを聞いて「この発言者はつまんない雑誌を読んでるんだな」と思うのは性急な考え方で。本人にとっても「この雑誌はつまらないのかおもしろいのかわからないけど、まあかつてはおもしろかったし、またおもしろくなるときが来るだろう」というなんとなくの期待か、あるいは「おもしろいのかつまらないのかわからないけど、とりあえず今の自分の余暇を満たしている」という感覚なのかあるいは……。
 なんとなく、恋愛に似ていないかと。
「恋が燃え上がった時もあるけど……今じゃあんまり」「でも彼氏/彼女いないってのもつらいし体面もあるし、この状態とりあえず続けていってもいいんじゃないのー」ってな具合。
 そんな相手の発火点を見つける瞬間になるのかも。「惰性」なんて単語が口に出るとするならば。
▼テアトル池袋を通り過ぎたら、「水曜日一律1000円/8時20分より」という文字がポスター前面にコラージュされていたので、8時20分を待って中に入った。
『アメリ』観る。感想はこちら。

3月28日(木)
▼モバイルギアの蓋を空けようとして、つい力任せに引っ張ったら、「みしっ」と音がして、左側の接合部分がちぎれてしまいました。以前からヒビが入ってたのは気づいてたんですが……。その場で「うひー」と叫んで、もう一度電源を入れてみたら、……液晶画面が表示されました。片方だけでもなんとか持ちこたえるようです。
 てなわけで、今日の日記はそんなモバイルギアで書いてます。片方しか接合してないので、通常ならロッキングチェアの背もたれのごとく、蓋の部分が斜め向きに起き上がっているのですが、今では蓋が寝そべっているので、片手で蓋を持ってやらないと画面が見にくいです。
▼今日はレコファンで鬼束ちひろ『This Armor』未開封盤買いました。ストレス溜まってるせいかCD買いまくりです。
 その後銀座へ。(26)
『ニューヨーク育ち ―わが心の60年代―』アラム・サロイヤン(中上哲夫訳/晶文社)
 実際に読み始めるまでウィリアム・サロイヤンの本だと思ってました。
 息子アラムも、著名人を親に持った人の常で、頻繁に父との比較をされたことが記述されています。
 1960年代、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の音源が街中に流れる頃(ってこのアルバムの音が流れているだけで「サイケだ」という感触がありますが)、ニューヨークにて大学をドロップアウトしたアラムは文学雑誌の運営を通じて、ジャック・ケルアックなど当時の芸術家たちと交流を深め、結婚・出産を迎えて一歩ずつ大人になっていく。それは離婚した両親を持つというひとつの傷から離れる作業でもあったが、やがて父親の死を迎える――。
「六十年代がすでにして郷愁を持って語られ始めているが、六十年代をノスタルジーの対象にしてはならないと思う。それは六十年代に成人に達した人間たちの責任でもある」と訳者はあとがきで述べている。郷愁にしてさらに商売に結びつける人間に対して眉をひそめていた僕にとっては心強い言葉だ。アラムも、あくまで個人の心の声を書き留めているにとどまっている。

3月29日(金)
▼昨日の訂正。モバイルギアの電線は蓋と本体を繋ぐ中央部分でした。よって左側のネジ部分がちぎれたって表示に影響はしないようです。そりゃそうだな。昨日は何を書いてるんだ俺。
 構造はゲーム&ウォッチマルチスクリーンに酷似していたのだな。(って言ってわかる人います? たぶん二十代後半から三十代以上の人だろうけど)
▼私用で午後から門前仲町へ。雨が降る降る。夕方は新宿へ。(3) その後銀座へ。(26)

3月30日(土)
突っ込みどころが一杯の記事ですが。
 やっぱり「看護婦ロボット」の写真がやらしい雑誌に掲載される「オランダ妻」のごとき様相なのが目を引きます。そして記事の最後も、「ロボット顔の女優」と言いたいのか……とうがった見方をしてします。
▼夕方から新宿へ。(4)

3月31日(日)
▼大切なことは矢野顕子に教わった! ってなわけでこないだ図書館で入手した『HOSONO HOUSE』を聴いていたら『終わりの季節』という曲があって、僕がかつて矢野顕子『オーエス オーエス』というアルバムで耳にした曲のオリジナルがこんなところにあったなんて、新たな発見でした。矢野顕子はこういった隠れた名曲を自分のものにしてますね。山下達郎『スプリンクラー』も『SUPER FOLK SONG』から知ったし。
▼今月のアルバムタイトルは、細野晴臣『HOSONO HOUSE』と同じベルウッドレーベルから出たはちみつぱい『塀の上で』から。はちみつぱいはムーンライダーズの前身バンドです。この曲もまた、『SUPER FOLK SONG』で矢野顕子がカバーしてます。

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