Last Update 1997/11/24
〜ら〜

●ライブ・フレッシュ●
監督・脚本 ペトロ・アルモドバル
原作 ルース・レンデル(「引き攣る肉」角川文庫)
出演 リベルト・ラバル/ハビエル・ハルデム/フランチェスカ・ネリ/アンヘラ・モリーナ/ホセ・サンチョ/ピラル・パルデム/ペネロペ・クルス

聖書の引用まで使って……これは自分の罪をどれだけ思い悩むかってことに懸けているような、そんな登場人物が勢揃いしている。
しかし、なんといっても、ダビド役のハビエル・ハルデムがいちばんこの中で芸達者ではなかったのかな。冒頭部では、それほどパッとしなかった人物が、いきなり花形で、最後まで引っ張る部分には悪役に徹して主人公を引き立てるという。(1998/09/15)


◆ラスト・ウェディング◆
監督/グレーム・ラディガン
出演/ジャック・トンプソン/ジャクリーン・マッケンジー/エデン・ジレット/ナオミ・ワッツ/フィリップ・ホルダ−/ゾエ・バートラム

ネタばれ多少。


先ごろ、葬式に参列する機会があって、香典を初めて自分の手で贈った。そのとき知ったのは、袋を中央で結んでいる「のし」というやつ。あれは「二度と起こって欲しくないと思われるような出来事は、固く結ぶ」そうである。
結婚式と葬式。めでたいことと、めでたくないことの両極端が、「一生に一度の出来事にすべき」というベクトルで成立しているという奇妙な一致を、面白く思った。
この映画には、結婚式と葬式が両方出てくる。病魔に冒された、妻になろうとする女、そして焦って奔走する、夫になろうとする男。
人生におけるセレモニーを一気に通過してしまったふたりと、その友人たち。

ストーリーとしては上記の流れを押し出して行くだけであり、もっとめりはりの効いた世界を望むべくには不満が残る。まあ私としては、けっこう期の効いた台詞があったりして、おもしろく観ることができました。
そのひとつとして、病魔に冒されていることを皆に告げるシーンで、エマ(ジャクリーン・マッケンジー)興奮状態に陥り涙目になる。そのときガース(フィリップ・ホルダ−)がエマに、
「犬を散歩させてきたら?」
「犬を?」(←犬なんか飼ってない)
「散歩に行けば少しは気分が落ち着く……ヒモだけなんだけど」
とただのヒモを彼女に渡す。彼女もそのヒモを引っ張って犬を連れているように歩いて部屋を出て行く。(1998/10/17)


◆ラブ&ポップ◆
監督/庵野秀明
原作/村上龍
脚本/薩川昭夫
出演/三輪明日美/希良梨/工藤浩乃/仲間由紀恵/平田満/吹越満/モロ師岡/手塚とおる/渡辺いっけい/浅野忠信/森本レオ/岡田奈々 シネバザール/ラブ&ポップ制作機構 1998年/

れいどさんも述べていたけど、確かにここまでやるかと思えるくらいに原作を忠実になぞっていた。台詞まわしやたくさんの固有名詞は、原作そっくりそのままと見ていいだろう。
でも、村上龍を庵野が料理した、とも考えにくい。だからやはり原作読む前に観た方がほんとはいいのだけど……。

そういえば、三輪明日美は登場する4人の女の子の中でいちばん地味だね。この中で知っていたのは仲間由紀恵だけだったし、「主役を張る」という点では彼女かなと勝手に思っていたのだけど……。

「渋谷」まずはこの記号から考えていきましょう。
マスコミやテレビドラマなどの中の渋谷なんてほぼ100%うそっぱちだと断言できる自身があります。なにせ私は映画がらみで渋谷は頻繁に行きますし、(昨日も行ってきたんだよな)別にガキばっかりじゃなくて、大人のバーだってあるのも知っている。(さすがにセンター街じゃないけど)馬鹿ですけど自分の知っている渋谷と映画の渋谷を重ね合わせようとしていまいますよ。(BeRLiN観たときもそうだったな)別に援助交際が嘘であって渋谷で起こっていることが嘘だとも言わない。しかしテーマが「もう実際には減りつつあるような」賞味期限付きのものであったとしたら、その根底にある「若者の寂しさ」を村上龍なり庵野秀明なりが描いたとしても、風化して薄っぺらになる危険性があるな〜。この映画がビデオで出る頃には渋谷は、女子高生はどうなっているのかね。
そんなこと言ったら「エヴァンゲリオン」だって1998年初頭現在、もう風化しつつある存在かもしれない。しかし「作り物」をやるんであればリアルにこだわらずに、思いっきり作り物風にしてもよかったのではないのかね。(そういえば疑問だったけど、あの4人で茶髪のコが誰もいなかったのを、不思議に感じてしまった。いや別に茶髪がリアルとは言わないけどさ)

◆ルイーズとケリー(TWO FRIENDS)◆
監督/ジェーン・カンピオン
出演/エマ・コールズ/クリス・ビデンゴ/クリス・マッカード
オーストラリア/1986年/76分
1997年春ユーロスペース公開

「ピアノレッスン」のジェーンカンピオンのデビュー作……とはいえそんなにあの映画との接点ってないような、普通の青春映画だよ。
映画はどちらかといえば退廃モード。ルイーズのクラスメートの葬儀のシーンから始まる。葬儀の主はケリーだと臭わせるがそうでない。当のケリーは母親の誕生日に家にちらっと帰ったきり。出がけ、ケリーの家に置き手紙をしていく。
そのシーンから5ヶ月前、2ヶ月前、1ヶ月前と時間が遡っていき、ついにはふたりが女子校を受験して合格する時期、ふたりの手紙のやり取りをめぐる「幸福な時代」にまで辿り着いて終わる。
つまり「絶望←→希望」というふたつのベクトルがあって、「今はこんなに溜め息だけど、実は前は幸せだったし、希望に満ちあふれていたじゃないか」という並列を表現している……のだと思う。
ただね、青春ものの常套句として「今は悪くなっているけどかつてはみんな無邪気でいい子だったし、周囲もいい状況だったんだ」ってのはそろそろ使い古されているような気がするよ。じゃあなぜ悪くなったのか、もともと悪かったのか、とか問題追求から離れて「かつての幸福」ばかりに眼を向けるのはやっぱり現実逃避じゃないか、で終わるかもしれない。別に現実逃避が悪いとは言わないんだけど。
うーん難しい……他山の石としよう。

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