〜さ〜

●S.F.(サムライ・フィクション)●
うーむ、書くことが出てこないぞ。緒川たまきはかわいい。そんだけ……で終わるなよお。
しかし、こことかここに、もう言い当てられてしまって他に出てこない……なんとかもっともらしいことを言いたいんだけどね。
でも出てこないや……うーん、続編あるみたいなので、そっちに期待?(それにしてもYUKIさんの「デッドマン」は鋭い。あのサントラのCD欲しくなっちゃった)


●四月物語●
監督・脚本 岩井俊二
出演 松たかこ 田辺誠一 加藤和彦 藤井かほり 松本幸四郎一家 石井竜也 伊武雅刀 江口洋介
ロックウェルアイズ 70分

パンフレット 2100円也……買わなかった。

オープニグからいきなり松本幸四郎一家登場。どうやら北海道から、一人で東京に発つ娘を家族全員で見送っている図らしい。またこれで親ばかなんて言われるのだろうな。単純に面白いとは思いましたが。
松たかこ、美人の顔、という基準からは外れていると思うし、ただぱっと見できれいだのかわいいだのという人は溢れかえっているけど、そこから一つ飛びぬけて自分の基準を作っている人は単純に偉いと思う。
田辺誠一……老けたなあ。別の映画に出ていた時はまだ髪が短くて、幼い感じがしたが。やはり伸ばすと極端に老ける人っているんだな。ちなみに私は「伸ばしている方が若く見える」と言われてしまった。……俺のことなんかどうでもいいか。

岩井俊二……いろいろな側面があって語ろうとしたら大変なのだけど、この「LoveLetter」から脈々とつながる青春もの路線の魅力と言ったら何か。……それは気恥ずかしさ、というか、健気で健全で、というところでもない。
「愛想のいい人と、悪い人、の位置」という観点で考えてみましょう。
舞台は東京武蔵野……とはいえ武蔵野だっていい人もいれば悪い人もいる。そして人が「いい人」「悪い人」と位置づけられるのは、第一印象においてであることが多い。しかし都会に限らず、あまりにも個人主義を大事にしすぎて、その結果他者とかかわりを持つことに極端に不得手になってしまった人が一部、いる。
岩井俊二は性善説を唱えているのだろうことはこの映画からもうかがえる。しかし、真っ向から性善説を唱えるのは恥ずかしい。こういう時代なんだし、誰も彼も僕も君も、性善説や他者とのかかわりに照れがある。その照れを「照れていたってしょうがないだろう」と背中を後押してくれるような力強さを感じる。
ついでに、この映画は中編という形になっているけど、もっとこれからのこのふたりの発展を見たかったぞ。長編にしないか。続編作ってもいいぞ。「四月物語・完全版」とかいって。(1998/03/22)


●ジャンクメール●
監督 ポール・シュレットアウネ
脚本 ポール・シュレットアウネ/アンダージュ・ベルググレーン
出演 ロバート・シャーシュタ/アンドリーネ・セーテル/ペール・エーギル・アスケ/エーリ・アンネ・リンネスタ
(それにしてもこの名前書くのは大変だ……英名でも仏名でもないんだから……)

7時に着くと、一階の受け付けで数人ほど並んでいたので、これは混んでいるのか?と思いきや、「フル・モンティ」「ピースメーカー」のお客とバッティングしていたらしい。2階にまで上がって席を見ると普通、というか空いているぐらいだった。……ここまではその客席で書いている(笑)
そして、ここからTheRoyalで書いている。
ノルウェー映画と言うわりに、オープニングはハリウッド調のような気がしたけど、……そうでもないか。
郵便局員というのは職業柄、実直な人が多いらしく、そういう人がふと日常を離れたところで理性を外すと、とんでもないことをやらかすらしい。(そういうところは教師の最近のあの事件なんかもそうですね)
しかしこの主人公のロイという奴、小心なんだか大胆なんだかわからんな……。平気で他人の手紙を捨てたり封を開けたりして……。
同僚の郵便局員や女性事務員に上司に局長に、皆個性的な人物像ばかりで、ただ主人公の退屈な日常の立役者だけしか演じているわけではないことにも注目。ある日偶然差し込まれた鍵を持ち出して合鍵を作り、その持ち主の女性の部屋に平然と入り、彼女が偶然事件に巻き込まれていると知る……。
そうえいば、ロイが部屋に入っている間に彼女が帰ってきて、あわててロイがベッドの下に潜り込んで隠れる。彼女はどっかりと腰を下ろして、靴を脱ぐ……そうなのだ。日本に住んでいると普段忘れているけど、外国ってのは靴を脱ぐんだよな。
このストーリー。どういう切り抜けかたをするかと思ったら……あああ、こういうやり方だったか。偶然に偶然が重なっていくのだが、全体的にコミカルな雰囲気が背中合わせで続いていくので不自然さを感じさせない。……と言っても不自然だと思えばやっぱり不自然だけど。
出口のところに(シャンテシネは毎回やるが)「この新聞・雑誌に紹介されています」の一覧が貼られていたが……みんな女性誌……「彼と一緒に行く映画」って……みんな観たいですか?これ。男の哀愁路線だよ……。少なくとも男が観た方がいいような気がするが。(1998/02/28)

●すべての些細な事柄●
監督 ニコラ・フィリベール
出演 ジャン・ウィリー/マリ=アンジュ・マルシャン/M・レディエ

精神病棟に棲む人々の、演劇の催しを出すまでのドキュメンタリー……って最近の俺はいつも端的になるな。
監督を初めとして、映画を制作しているすべての人員には、「病気である」人への哀れみも偏見もない。ただ、一般の大人と「ちょっと違っている」という事実。それだけなのだ。
絵を書いている女性がいる。彼女の絵に対するスタンスは、どちらかというと、クレヨンを手にしてききわけないことを口走る子供に近い。だからと言って「精神を病んだ人は子供の感性に近い」などと安易に結論を出してはいかんのだ。髭が長すぎるので切ってやろうと言われる男性、彼は最後の最後まで髭が切られる嫌さを語る。少なくとも、彼にとって髭を切られる→嫌だ、という情動はこの世でたったひとつリアルなものなのだ。
そのリアルに対する決意表明は、ラストに出てくる男性の言葉によって語られている。

「まず、あんた達が僕を病気にした。社会……はっきり言って社会全般のおかげだ。今は大分よくなった。これも社会のおかげだ。そうそう、あんた達に忠告してあげたい。医者に体の具合を相談しないこと!医者の奴隷にされる。僕は奴隷じゃない。進んで協力してる。もし僕の兄だったら精神科医に行くより地下室にこもるだろうな。これが僕の忠告だ」(1998/07/04)


青春シンドローム
監督/セドリック・クラビッシュ
脚本/セドリック・クラビッシュ/サンチアゴ・アミゴレナ/アレクシス・ガルモ/ダニエル・シュー出演/ロマン・デュリス/ヴァンサン・エルバス/ニコラ・コレツキー/ジュリアン・ランブロシニ/ジョアキム・ロンバール/リザ・フォークナー/エロディー・ブーシェ
フランス映画社バウシリーズ作品/1994年/1時間46分
1997年初冬日比谷シャンテ公開

「百貨店大百科」に続いて二作目の作品、第1作については監督も仲間からいろいろ批判を受けたようで、この作品は彼の仲間達と一緒に脚本を起こしている。
とはいえ回想録に固まっていないし、毛沢東死去の頃という、本来の学生運動の時代からは少し離れた時代をことを語ってはいるものの、ストーリーの流れがその時代の出来事を忠実に映し出そうと躍起になっていないところが、この手の映画(に限らす何でもそうだけど)にしては湿っぽくならず、爽快感と、90年代の若者と呼ばれる人間にも共感を誘えるだけの許容量を持ち得ていると思う。(逆に言うと、60、70年代のことを描いた作品というのは、どうも回顧のみに終始し、現代の若者世代を上から見上げて馬鹿にしたり、お高く止まったものが多すぎる。まるで飲み屋で愚痴っている親爺みたい)
かつてのクラスメートたちが、産婦人科の待合室で再会する。母親はかつ少年だった彼らの共通のクラスメート、そして父親もやはり彼らにとってかけがえのない友人だったが、すでに麻薬で死んでいた。父親の顔をしることない新生児がこの世に生まれようとする直前まで、彼らはかつてのことを思い出す……、もちろん彼らにまつわる出来事は華々しいことばかりではなかった。でもそのことをいじけもせず、すでに死んだ人間のことを責めもしていない。でも大人と呼べるにはまだまだで……。人間というのは完成されない限り悔やみはついてまわる。いくらか冗長で退屈さを誘う面もあるが、やりきれなさと華々しさの振り子をうまく揺り動かしていると思う。
(1997/11/30)

●世界の始まりへの旅●
監督・脚本・脚色・台詞 マノエル・デ・オリヴィエラ
出演 マルチェロ・マストロヤンニ ジャン・イヴ・ゴーチエ レオノール・シルヴィエラ ディオゴ・ドリア
1997年 ポルトガル・フランス合作ポルトガル映画 1時間35分

マルチェロ・マストロヤンニ遺作。にして「階段通りの人々みたいな暗雲たれこめたままで終わったりせずにひとつの奇跡を描いている。
「現代は病人」「戦火のないサラエボ」「重い病気」「腐敗して悪臭を放っている」「治療する温泉もない」「温泉もその時間もない。見ればわかることだ」
アフォソという実在のフランス俳優の実話をもとに描かれた紀行は、上記の嘆きとも呟きともとれる会話を根幹にしのばせている。絶望は確かに横たわっている。だけどそこで自分たちに何ができるか、だ。(1998/03/29)

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