mazda323とWRC
1982〜1985 WRC
 
−パワーウオーズとその終焉−
このころはGr.Bと呼ばれるモンスターマシンがラリー
フィールドを駆け回っていた。                            
Lancia Rally037 ・ Delta S4
Audi Quattro
Renault 5 Turbo
FORD RS200
TOYOTA Celica Twin Turbo
などが有名だが これに混じってマツダがRX−7(SA22)
、mazda323(BD1051)で参戦していたことは あまり 
知られていない。(記録と写真は残っているが・・・・)
 
これがその当時のRX−7
ロータリーはコンパクトなため50:50の理想的な
ウエイトバランスを取ることが出来る。
(軽量・コンパクトの思想は後にも受け継がれていく)
 
 
各メーカーが競ってパワーウオーズをしている中、悲劇が・・
1986.5月のTOUR DE CORSE 
ランチアの若き天才ドライバー H.トイボネンの死である。
彼とコ・ドライバーはコースオフ後、炎上。返らぬ人となった。
この、悲劇によりFIAは規定を変更、Gr.Bは終焉を迎えた
 
1986〜現在
 −Gr.A 外見は市販車。中身は別物              
〜時代は流れ World Rally Carへ−
そして、1986.RAC Rally・・・mazda323 4WDは
   軽量・コンパクトを武器にラリーフィールドに現れたのである
 
そして、翌年1987 モンテカルロ 4位
 次の スエデイッシュでは優勝してしまったのである。
もう、こんなシーンは見れないのだろうか?
ファンとしては悲しい限りである。
 
しかし、この年は初期トラブルに泣き メークス6位
 
1988 徐々に熟成を重ね メークス4位
1989 はランチャ、トヨタに続きメークス3位
排気量400ccの差を跳ね除け快進撃である。
 
しかし、1990 快進撃にかげりが現れる・・・・
ギャランVR−4をひっさげた三菱の参戦である。
やはり400cc差は埋められなかった・・メークス4位
1991 再び栄光を・・・・・・・・
との思いから 得意のスエデイッシュでmazda323GT−X
(BG8Z)を投入した。結果は 4、6、7位
ライバル達との差は200cc・・・・何とか頑張った。
が、メークスは5位。                                  
 
このころからmazda323GT−R(BG8Z)の開発が始まる
 
しかし
1992 突然のWRC撤退・開発打ち切り
この頃からマツダにバブル景気のツケが廻ってくるのである。
「WRC無期限撤退」
この発表を聞いたときは「大ショック」でした。
この年、エボリューションモデルが発売となる
mazda323GT−R
バブルが生んだ悲劇の名車である
 
そして現在・・・・・・
WRCよりランチアは去り、スバル、三菱、フォード、トヨタの
4強がWRCを戦っている。                                   
Gr.Bよりスピードは抑えるはずだったGr.Aはその思惑
を、外れスピード・パワーは上がっていき、メーカーは多額の
資金を投入。金さえ掛ければ勝てる・・図式が出来上がった。
多額の資金が投入出来ないメーカーは消えるのみである
 
 時代は流れワールド・ラリーカーへ
金が無くては戦が出来ぬ・・・の図式を打ち砕くべく FIAは
ワールド・ラリーカーを提唱、日本車バッシングを開始した。
が、その思惑は見事に外れ スバルの3連覇!!
 
さて1998はどこが勝つのか・・・・・・
 
 
mazda323GT−Rとは
TOPページに戻る