東井義雄 著 『拝まない者もおがまれている』pp122-127より引用
その頃、八代市には、ほんとに偉い先生がいらっしゃいました。徳永康起先生
という先生でした。年令は、私とおなじ明治四十五年生まれの方ですが、私な
ど、とてもとてもお足許にも寄れぬ程の方でした。三十何歳かで抜擢されて校長
の職につかれながら、御自ら志願して降格され、子どもたちのために心血を捧げ
られていた先生でした。年中、午前三時にはご起床、お勉強という方でした。
八代で、その徳永先生といっしょに泊めていただきました。午前三時、私も目
は覚めておりましたが、寝床の中でモゾモゾやっていると、パッととびおき、合
掌正座されていました。私は、もうはずかしくなって、いよいよモゾモゾしてい
ました。
先生は、私が目を覚ましていることを知っておられて、私の足もとにお坐りに
なりました。
「東井先生、目を覚ましておいでになるようですが、うつ伏せにたってくださ
い」
「何事でしょうか」
「まあ、うつ伏せになってください」
とおっしゃるものですからうつ伏せになりました。
「これからあなたの足の裏をもませてもらいます」
「もったいない、こらえてください。先生のような尊い方に足の裏なんかもん
でいただいては、バチがあたって、足がはれて帰れなくなってしまいます」
と、お断りをするのですが、聞き入れていただけません。
「東井先生は、奥さんの足の裏をもんであげられたことがありますか」
「ありません」
「それではゆるしてあげるわけにはいきません。明日、お家にお帰りになった
ら、私がもんだのとおなじように、一度、奥さんの足の裏をもんであげてくださ
い」
とおっしゃるのです。
私は、妻の足の裏なんか一度ももんだことないものですから、仰せに従うより
仕方ありません。うつ伏せになると、
「ひとの足の裏をもませてもらうときには、まず合掌して足の裏を拝ませても
らうのです」
そういわれてていねいに合掌されるものですから、私はたまりません。思わずお
き上がって、
「やめてください。バチがあたります」
と、おしとどめようとするのですが、聞き入れてはもらえません。もう、言われ
るままにするしかありません。
またうつ伏せになったのをていねいに拝み、親指の指の先から順番に、指の根
もとまでもみおろされます。どの指もどの指も、ほんとにていねいにもみおろさ
れます。指と指との問が終わると、だんだん、足の裏の中心部に移っていかれま
す。いよいよ中心部に移られると、
「東井先生、ここをグーッとおすと、腹の方までひびいてくるでしょう。腹の
はたらきがよくなるんです。ここは『足心』というところなんです」
などといいながら、ずいぶん時間をかけて、踵のあたりから、足首の方までもん
でくださるのです。なんだか、もったいなすぎてやりきれない思いでした。
翌口、私の家へ帰り着いたときには、夜半一時を過ぎていましたが、妻はまだ
眠らずに私を待っていてくれました。
私は、座敷へ上がるなり、
「おまえ、すまんけどうつ伏せになってくれよ」
と頼みました。
「何をなさるんですか?」
「まあ何でもいいからうつぶせになってくれよ」
というものですから、妻はけげんな顔をしながらうつ伏せになりました。
「これからおまえの足の裏をもませてもらう」
「足の裏なんかもんでもらわんでも結構です。こんなに遅いのに、そんな冗談
いっていないで早くやすんでください」
「いや、どうしても、おまえの足の裏をもまねばならないことになってしまっ
ておるんだ」
と申しまして、無理やりにうつ伏せにさせました。
徳永先生が、まずはじめに拝むんだとおっしゃったことを思い出しました。こ
んな足、拝むねうちもないと思いましたが、仕方ありません。拝む格構だけし
て、いやがる妻の脚をおさえたがら足袋を脱がせてやりましたらギョッとしまし
た。妻をもらって三十八年、妻の足の裏を見たのははしめてでした。もう少しか
わいらしい足の裏を期待していたのですが、まあなんというがめつい足の裏でし
ょうか。私はとっさに、
「熊の足の裏というのはこういうのではないかなあ」
と思いました。
町の寺の娘に生まれて、大事に大事に育てられた妻でした。私のところに来て
くれたときには、もう少しはかわいらしい足の裏をしていたにちがいありませ
ん。それが、私のところのような山の中の貧乏寺に嫁いできて、毎日々々、けわ
しい山道を薪を背負いに通い、山道いっぱいに広がっている岩を、滑らないよう
に、指の先に力を入れて、踏みしめ踏みしめ、何十年もしているうちに、こんな
足の裏になってしまったのかと思い、畠のことなんか見ようともしないで、出歩
いてばかりいる私に代わって、畠を耕やし、こやしを運びしているうちに、こん
な足の裏になってしまったのだろうかと思い、ひょっとしたら、この女は、私の
ために生まれてきてくれた女であったのではなかろうかと思ったりしながらふと
気がついてみると、いつの間にか、本気になって、妻の足の裏を拝んでいまし
た。そして、ほんとうの妻に、はじめてであったような感動を覚えました。
それから、徳永先生に教わったとおり、妻の足の裏をもんでやりながら、ちょ
うどその時から三年前、亡くなっていった義母のことを考えさせられていまし
た。
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