落ちこぼれ医者
大きい病院は本当によい病院か?
昔から、凝りもせず、病院と言うのは、脱税だ、保険の不正請求だ、収賄だ、と、世の中を賑わせていますが、そんなに病院てもうかるのでしょうか?そういえば、大体世の中を騒がしているのは、個人のちょっと大きな病院ですよね。結構近所では、あそこは大きいからなんて、みんな行っていたりするわけです。でも、私は個人の大きい病院と言うのは何かからくりがあるのではないかと疑ってしまうのですがね。まぁ、どこまでが大きい病院でどこからが小さいのかと言うのは判然としませんが。しかし、現行の保険制度をまともに守っていたら、病院をどんどん増改築するなんてとても無理ですよ。そう言う風にできているんですから…。
じゃ、どうなってるの?
ちょっとだけ自己弁護
あ〜あ、こんな事書いちゃったら回りの先生たちから怒られちゃうよ。でも、私も一応医者なんて事やってますので、少し弁護しておくと、そんないんちきまでして儲けようと言うのには、訳があるのです。現行の保険制度では技術料が不当に低いのです。
うまい先生が処置をすれば、処置の時間は短いし、治りも早いし、不必要な薬を使わなくてもすむ。でも、下手糞で時間がかかって、しかも、普通なら使わなくても良いような薬まで使わなくてはならない羽目になる先生の方が、薬代も検査料も処置料も再来費も沢山とれて、儲かる仕組みなのです。処置をしないにしても、診断がうまく行かない先生の方が、検査費も薬代も診療日数も、うまく診断をしてすぐ治してしまう先生より、多くなることになっているのです。
ひどいでしょう。なら、うまい先生だって、一生懸命やってるんだから少しは見かえりがほしいと思うじゃないですか。そう言うところ、日本の保険制度はやぶ医者がはびこるようにできているのです。医者の技術は明らかに不当評価されています。
だって、本当に、はやっている医者と言うのは、卒業後数年で開業してしまっただとか、大学で、まじめに仕事しないので、追い出されるようにして開業したとか、そんな医者多いんですよ。マジで。本当に良い先生も沢山いらっしゃいますけど、派手にやっているような医者と言うのは、所詮は口八丁手八丁で患者をだましているというのが多いのです。
保険の不正請求について
世の中、保険の不正請求だとかなんとかいって、よく医者がつかまってます。医者ともあろうものが、なに考えてるんだ。と皆さん思っていると思うのです。
ところが、現行の保険請求と言うのはとてもへんてこなことになっていて、常に不正請求と紙一重のところでやっているのです。私も医者になり立てのころ、レセプトと言う保険請求用の用紙に保険病名を書き入れる仕事を手伝わされました。これが、実に全くへんてこりんなものなのです。
まず、実際の病名と保険請求用の病名が違うと言うことです。明らかにこれは医学的に必要な検査であると思われても、保険病名はまったく別の病名を書かなくてはならない。
例えば、長く使っていると肝臓が悪くなる可能性がある薬を使っているとします。薬の添付文書(注意書き)にも、学会のレポートにも、治療指針の本にも、必ず使用中は数ヶ月に一度肝機能検査を行うこと。と、書いてあるわけです。で、肝機能検査をやってそのままにしておくと、検査費は払ってもらえない。かならず肝機能障害の病名を入れなくてはいけない。ばかばかしいでしょう。だって、肝機能に異常なんか無いのに、薬を使っているためにその病名を書かなくてはいけないのです。しかも、その薬を使っている事は保険組合にはわかっているのにもかかわらずです。
これが、不妊症だとか、ガンだとか、治療が長期にわたり、検査も沢山必要となると病名も山のように増えてしまいます。本当は、不妊症でかかっているだけなのに、やれ、高プロラクチン血症だ卵巣のう腫の疑いだ、卵管閉塞だ、子宮膣部糜爛だと検査の分だけ病名をつけなくてはならない。ガンのときは、たとえ、初期のガンであっても検査によっては全身転移とか骨転移とかの病名になってしまうのです。
しかも、その検査が、特殊な検査ならいざ知らず、通常必要とされている検査のためにですよ。病院によっては、この病気の時にはこの検査をするからといって、ずらずらと病名を並べたハンコを作っているくらいです。
それに、月が変わると保険の請求も翌月にまわるので、例え同じ検査をしていても問題無くなることもあります。例えば、八月一日に検査して、同じ検査を八月三十一日にすると、保険を通らないものが、八月三十一日にして、九月一日にしても問題無く保険を通るのです。変ですよねぇ。
カルテの開示ということが叫ばれていますが、知らない人が、自分の保険病名を見たら、ぶっ飛んでしまうでしょうね。「俺の病気はこんなに悪かったのかぁ!!!」
いや、ただそれだけなら、別に我々がちょっと苦労して保険病名(あくまでも実際の病名ではない)を書き込めばよいだけです。しかし、いつもいつもこんないんちきな病名を書いていると、だんだんいんちきを書くのになれてきてしまうのです。これがこわい。どうせ、いつもありもしない病名を書くのなら、やってない検査を書いたってわかりゃしないだろう。そう思ってしまうのが人間というものでしょう。
そうでなくても、常識的にそんな必要は無いのに、保険で認められるからといって平気で検査をする場合があります。うっかりすると三回に一回くらいしかその検査はしてないけれど、一応毎回検査しても保険で通るからといって、毎回検査している事にしている。なんていうのも、少なくないのです。具体的には何だとはいいませんけどね。まだ、私も、そんなことで飯食ってるんだから。
でも、素直な気持ちでみてみるとなんだかおかしいよなぁ。って思うんです。そんなこと暗黙の了解みたいにするならば、きちんと医者にランクをつけて、それに応じた技術料を払うべきなんです。そうすれば、誰も無駄な検査や、無駄な投薬を行う人はいなくなる。(そんなことされたら、私は最低ランクになるだろうな。墓穴を掘ってしまったぞ。コマッタ!!)
そんなわけで、だんだん医者は、不正請求の悪の道へずるずるとのめりこんでいくのですね。いわせてもらっちゃうけど、保険審査基準のエエかげんさが、結局は悪の温床を作っていると思うのですがねぇ。
医者はボランティアか?
もし、医者がすべてボランティアで無ければならないとすれば、少なくとも病院を建てるには、寄付金を集めるか、スポンサーがつかなくてはならない。じゃ無ければ、誰かが、ボランティアで建ててくれるかね。でも、そんな病院はめったに無いですよね。結局、個人病院は、個人が銀行をだまくらかしてお金をかりて建てなきゃならない。そのお金は、天から降ってくるわけでも、金のなる木になっているわけでもない。一人一人来た患者さんを診察して、必要な検査をして、薬を出して、そこから出た儲けで借金を払って、生活費をまかなっていくのです。
ああ、考えただけでもたいへんなこった。しかも、病院を建てるのは普通の建物より高い。病院には病院の基準があるので、普通より、高い材料を使ったり、専用の部品を使ったりで、けっこう思ったよりお金はかかる。しかも、医療機器と言うのが馬鹿にならないほど高い。
よく、個人病院で、そのへんで買ってきた籠やら、棚やら、洗面器やらを使っているのをみた事あるでしょう。それに比べて、公立の病院は必ずすべての機器を医療機器で固めていますよね。ムチャムチャ値段が違うんです。たとえば、ステンレスの洗面器でも、厨房用品は四千円から五千円で買えるものが、医療用品になると、いきなり二万円とか、三万円とかするわけです。それは、医療用の棚や、ロッカーなんかにしても同じ事。似たような事務機器で済ませれば、半分以下の値段ですむことも多いのです。
でも、ほかで代用できないものの方が多い。で、そんなものそろえると医療機器だけで、すぐ一千万〜二千万してしまいます。しかも、これの方が安全性が高くて絶対良いよな〜、と思うものは必ず高いのです。
そんなこんだしていると、病院を建てると最低でも数億。うっかりすれば十数億となるわけで、それを返すとなると先生たちはもう必死です。なんせ、最初は銀行をだまくらかしてお金を借りたけれど、開業してしまうと、あとは銀行に追いかけられて搾り取られるばかりですからね。
と、いうことで、病院を建てたばかりはなりふりかまわずです。新しくてきれいな病院なんてそんなものですよ。医者は、ボランティアや、聖職者ではないんですからね。結局は、病気を診察してナンボ、治療をしてナンボ、薬出してナンボのものですからね。医は算術であって、決して仁術ではないんです。そうしなかったら、病院はつぶれるのですから。
医者が聖職者だったのは、かつて、偉い人のお抱えで生活できていたからであって、今の時代、医者だってやはり資本主義を構成している要素の一つにすぎないわけですから。(もちろん、ボランティアをしている方々もいますが、完全にしているわけではないでしょう。どこかでは、稼がなくては生活ができない。)
なにも、医者を弁護しようなどという気はさらさらありません。ただ、医者というと、なんだか聖職者だと思って、奉ったり、それが故にこきおろしたりということが、まだまだ多いと思うのです。どちらかと言えば、医者というのは、ただ、人間の体のことを知っていて、病気になったときにその治し方を知っている職人だと思っていたほうが良いのではないでしょうか。その技術や、知識を提供して稼いでいるだけなのです。そういうなかに、本当に人間性の高い立派な方々またまいるというだけで、医者だから偉いのではないということです。その人が医者であろうが、商社マンであろうが、商人であろうが、例えホームレスであっても、偉い人は偉いのであって、その職業にあるから、偉いということは、ひとつも無いのだ。ということは、少し考えのある人ならわかることでしょう。
と、いうように、新しくて大きな病院に行ったら、必ずや、それを支えるために、いくらかの余分なお金を払っていると思ったほうが良いでしょう。私の気持ちとしては、きれいで新しい病院に行った分、少し余計に払ってもいいから、余計な検査や投薬は、勘弁してほしいと思うのですが、世の中の人というのはなかなかそうは行かなくて、お金払った分何かしてもらおうと考えてしまうのです。しかし、それが現代医療の落とし穴。その隙を狙って検査漬け、薬漬け医療がはびこっているのです。あなたが、払ったお金の分を取り返そうとした分だけ、今度はあなたの健康を奪い取られることになるのですよ。あな、おそろしや。
そういえば…
そんなことを書いていて、思い出しました。昔、近くにあった医院で、CT(コンピュータ断層装置)があると評判のところがありました。CTを入れるには、本体の値段もさながら、放射線を防ぐ施設を作らなければなりませんから、かなりお金がかかります。きっと数千万から、数億円くらいかかっているのではないでしょうか。大して規模の大きくない医院(正直言って小さい)なのに、すごいなぁ。CTが必要なことあるのかねぇ。などと不思議に思ったものです。(脳外科や、救急医療や、ガンを扱ったりする大病院では必要ですが、普通の個人病院ではそれほど出番は無い。)
ところが、そこに勤めていた人に聞いてみるとその実態が知れました。その人の言うことには、普通の保険診療分では、とても元は取れないので、とにかく来る患者くる患者にCTが必要だと言って、自費で撮ってしまったり、適当な保険病名をつけて撮ってしまったりしているらしいのです。そこは、けっこう老人の多いところだったので、きっと、よくわからない老人がなんだかわからないうちにとられてしまったんだろうなぁ。と、まことに遺憾に思ってしまったのでした。
しかし、その医院はいまだ健在で、おそらく、CTの元を返す努力を続けているのでしょう。そんな医院を平気で放っておく、医師会やら、厚生省やらと言うのはどういうつもりなんでしょうかね。もっとも、その医院を処罰したら、日本中の同じような病院を総て罰しなくてはならなくなって、取り止めのないことになってしまうのかもしれません。
お帰りはこちらです。 お手紙はこちらへ。