--- すべてのカナコファンに捧ぐ ---
▽ 世界の中心で自由を叫んだケモノ:(2005/10/17)
※このテキストは 8 月末ぐらいに書いてたりします。
-----
あれは 2004 年の 4 月だったか。カナコが今の職場を辞めて、なんとかという空間デザインなんかを教える専門学校に通いたいと突然言い出した。以前から興味を持っていて、いつかはそういうことをしたいとずっと思っていたと言うのだ。
今にして思うのだが、僕はこの話を彼女の口から聞かされたときにすぐ、どうせ続かないんだからやめた方が良い、と忠告すべきだった。いや、というよりどうせ口だけで本気でそんなことしないだろうとタカをくくっていたのだ。
ところが彼女は、6 月末にほんとに仕事を辞めてしまった。僕がほんとに彼女が仕事を辞めると聞かされたのは、その直前で、その頃にはもうなんというか新しい生活に果てしない希望を抱いているまっただ中で、恋に恋する女子中学生のような危ない目をしていた。まったく世の中の仕組みを正しく理解していない中年ほど危険な存在はない。なにしろカナコは、その専門学校にさえ通えば、当たり前のように空間プロデュースをしてくれというオファーが次から次へと舞い込んでくる売れっ子デザイナーになれると思っていて、そういう成功者たちの経験談を雑誌かなにかで読んだそのまま僕にうれしそうに語ってくれるのだった。
確かに夢は大きいほどすてきだとは思う。けれどもそういう夢というのは、地味な毎日を一歩一歩進んでいってようやく手に出来るというのが普通であって、カナコのありえない夢想のように、思ったとおりに事が運ぶというケースはものすごくレアなことじゃなかろうか。
けれども僕は彼女にそれを伝えることが、いかに無意味で結果に結びつかないことか知っていたし、結局は徒労に終わるだろうこともわかっていたから、口をつぐんだ。
6 月のある晴れた金曜日。僕は久しぶりにカナコのいる部署へ足を運んだ。そしてそこで彼女の口から唐突に仕事を辞めることを聞かされた。長年つとめたこの職場を去り、ついに専門学校へ通うことに決めたのだった。
正直、このときの僕の感情を言葉にするのは非常に難しい。いろんな想いが複雑に絡み合っていたからだ。長年付き合ってきた職場のひととの別れは、やはりそれなりに寂しい。が、同時にありえない束縛からの解放を得ることができる。両極の感情が互いに互いを牽制しつつ、どちらが圧倒的に強いわけでもなくほとんど同じぐらいの力で、僕の感情を揺れ動かしていた。
だが、待てよ。冷静に考えるんだ。僕はこのひとから本当に離れられるんだろうか、いやむしろこのひとは本当に自立できるんだろうか。というか、そもそも僕はこのひとがいなくても別に寂しくないような気がする。僕は単にしかたなく命令に従っているというだけで、命令をされる喜びを感じていたわけでもないし、命令するひとがいなくなったところで、僕にとっての損失はなにもない。とすると手放しで喜んでいいんじゃなかろうか。だいいち、彼女が僕にしてくれたことなど何一つない。そうだ、僕は自由だ。アイウォンツフリーダムと叫び続けた言葉がとうとう僕を救う時が来たのだ。ようやく僕はこの背中の翼を自由にはばたかせることができるのだ!
歓喜。ラオウの圧政から逃れた一般市民のように、僕は心の中でその喜びに打ち震えた。だが、ここでその反応をそのまま表現するわけにはいかない。そう、カナコにはむしろ悲しみの表情を浮かべて、お世話になりました、と神妙に伝えねばなるまい。そうしなければすべてが水泡と化す可能性すらある。僕は初デートのときのようなドキドキワクワクを無理矢理感情の底へ押し込め、どうしてもニヤニヤしてしまう口元をキュッと引き締めながら言った。
「お、お、お世話、お世話になり……。」
うーん…。
……。
お世話…。
なった?僕?マジ?
うーん…。
なってねぇな。なってないよ!
世話してたの僕じゃないですか、ねぇカナコさん。
▽ Library. ▽ Top. ▽ Back. ▽ Next.