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續鳩翁道話

柴田鳩翁 (男 武修 聞書)
(塚本哲三 校訂『心學道話集』〈有朋堂文庫普及版〉 株式會社有朋堂 1945.2.25
※ 第二巻に聾唖瞽者等の語があるが、古典解釈のために原文の儘とした。
※ 原文を目次小見出しに従って適宜段落に区切り、会話・心話には鈎括弧を施した。
※ 漢文は、原文の読み方に従って読み方を付した。

 (正編)  (続編)  (続々編)

 序(源寵天錫父)  序(中山美石)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下

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貳之上


 湯の盤の銘
 本心と埃
 掃除ずきの茶人
 心の掃除せよ
 かん症の旦那と気長の女房
 盲と聾と躄が火事に合ふ話
 心の洗濯が大事
 本心を見附ければ無理をせぬ
 金平糖の壺
 盲の提灯

[目次]

湯の盤の銘

たうの盤の銘にいはく、「まことに日々にあらたにせば、日々にあらたにして、又ひゞに新なり。」これ又『大學』の傳にして、民をあらたにする事を御示しなされたものでござります。先湯の盤の銘とは、昔もろこしに、殷の湯王と申したてまつる聖王かしこききみのおはしまして、其はじめは小國の君なれども、おん徳の盛なるによつて、つひに起つて天子と御なりなされ、殷の世六百年のもとゐをおひらき遊ばされました。かほどの明君なれども、猶つゝしみのために、常に御身をきよめさせ給ふ盥に、自ら警むるの詞を御記しなされたを、の盤の銘と申しまする。「苟に日に新にせば、日々に新にして、又日に新なり。」とは、夜前も申ごとく、人は天よりうけ得たる、固有の本心と申して、明らかな徳がうまれ附いてござりますれど、利欲のためにくらまされまする事がある。たとへば人の身の、はじめ奇麗に、いさぎよきも、よごれ仕事をすれば垢づく。されども行水してあらひみがけば、もとのごとく奇麗になる。これを捨ておけば、また垢づく。かるがゆゑに日々にあらひきよめて、垢をされば、いつも身は奇麗なり。本心もまつその如く(*ちょうどそのように。「真っ其の」は「其の」を強調した語)、一たび利欲にくらみたるも、内に自からかへり見て、けふも愼み、あすもつゝしみ、日々に恐れ愼みて、本心をあらひみがけば、其徳おのづから明らかにて、大きくいへば國・天下をもをさめ、小さくいへば家内をもをさめまする。此道理を御發明なされ、盥におしるしなされて、しかも眞實でなければならぬゆゑ、「苟に日に新たにせば、日々に新にして、又日に新なり。」とおしるし遊ばされたものじや。是則殷の湯王、「天の明命をかへり見」たまふ實事でござります。されば聖人の御身でさへ、かやうに日々にち\/おつゝしみなされるに、銘々ども(*私ども一人一人)は何とも存ぜず、只うか\/と、瓢箪の川ながれ(*落ち着きなくふらふらしているさま)見る樣に、どこへおち附くといふあてもなく、あちらではコツリ、こちらではコツリと、鼻うつても、あたま打つても、恥しいとも思はず、そのくせ家内を叱りまはして、無理むたいに治めうとするは、ナントつまらぬものではござりませぬ歟。まづ人を治めうとおもへば、己が本心を明らかにせいでは、所詮をさまるものではない。たま\/本心を明らかにした樣に覺える事が有つても、又其跡は捨てておく。

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本心と埃

ヨウ考て御らうじませ。埃はらひで、朝障子のさんをはらへば、ほこりはなくなり、その日一日は先づ奇麗な。翌日に成つて見れば、またさんに埃がたまつてある。それを其まゝ捨置いて、今日もあすも拂はずに置いて見たがよい。十日ほど立つと、一(*歩は厚さ・重さの単位。)ほど埃がたまります。人の心もまた是と同じ事で、たま\/一日愼んでも、其跡を捨てておけば眞Kによごれることは、障子埃しやうじのほこりを見て御すゐさつなされませ。よし又毎朝ほこりを拂うても、三町三所みところ(*掃除を雑に済ますこと。広い場所を三ヶ所しか片づけない意。)にやりなぐつて掃除すると、かへつてすみ\〃/にはよけいにたまる。とても(*どうせ)掃除をするなら叮嚀になさりませ。

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掃除ずきの茶人

しかし箇樣に申せばとて、心の掃除をわきにして、障子ばかり拂うてゐると、かへつて大間違が出來まする。是で思ひ出した話がある。先年播州へ下りました節、或人の話に、此近所に茶人があつて、この頃二疊臺目だいめ(*台目は、台子だいすのために四分の一ほどを切り取った畳。)の席が建ちました。尤かき込天井(*未詳。「欠き込み」法による天井の意か。)に、つき上窓(*突上窓。屋根の一分を切り取って明かり取りとした、窓蓋のある窓。)、宗匠のこのみで、至極ざんぐりと(*「ざっくり」〔無造作に〕か。)出來あがつた。ソコデ疊屋が疊をいれ、表具屋がこし張するやら、障子はるやら、手離てばなれ(*手を加える必要が無くなること。)になると、其あとは、下女一人と小もの一人、これは茶事ばかりに仕ふ奉公人、此ものどもにとくと掃除をさせました。
さてさうぢが出來ると、主が見分をせられた。ナニガ奇麗なうへを奇麗にしたれば、申分はなけれども、あるじ中々合點せず、袂から蟲目がねを出して、障子のさんのすみ\〃/をのぞきまはり、
「此樣な掃除の仕やうで、ドウ客が出來るものじや。おれが居間にある掃除道具を取つてこい。ドウデおれがせずば、埓があくまい。」
と、めつたに叱りまはさるゝ。小者は心得、一つの箱を取つてくる。主その中より、掃除道具をとり出さるゝ。見れば、竹を細く削つた、魚串うをぐしを見るやうなものが一本、絹雜巾が一つ、寒竹の小さな火吹竹が一本。ナントめづらしい道具だてじやござりませぬ歟。どうするかと見れば、魚串のさきに絹雜巾をまき、障子の横ざん一本づつ、叮嚀にふき、隅々はかの寒竹の火吹竹でフツ\/とふかれる。さりとては氣のどくな(*困った・うるさい)ものじや。

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心の掃除せよ

さて掃除仕廻しまつて、「是で氣がすんだ。」と、ひかへたばこ盆をとりよせ、席のまん中にすわり、そこらを睨みまはしてゐらるゝに、折から時刻は四つ半すぎ(*午前11時過ぎ)、ひがしうけ(*東向)の席なれば、突きあげ窓から日がさしこむ。なに思はれたか、俄に小ものをよんで、
「横町の桶屋へ往て、さはらの一番盥(*未詳。最上質の盥か。)を取てこい。」
といはるゝ。小者かしこまりて大だらひを重さうに持つてかへると、
「コリヤ\/、そこらにおくな。井戸のはたへ持て往て、切藁で内も外も底まはりも、くつきりとあらうて、ずゐぶんきれいな水を一ぱい汲みこみ、長七と手舁てがきにして、この軒打(*未詳)の上へ、ソツト持てこい。」
といはるゝ。小者心得て、その通りにして持てくると、
「コレさつや、おれが居間にあたらしい朝鮮團扇が有る。取つておじやれ。」
下女がうちはをもつてくると、主やがて諸肌ぬいで、しかつべらしくかの團扇を引つさげ、たらひの水へざんぶり突つこみ、雫のたるのをひつさげながら、かの日のさしこむ所へ、ぬれ團扇をさし出し、上へあげたり下へおろしたり、まねくやうにしてゐらるゝ。「何をするのじや。」とおもへば、突上窓からさしこむ日影に、一面にこまかい埃が見える。これが氣にかゝるゆゑ、そのほこりをとる分別じや。ナントめづらしい掃除ずきじやござりませぬ歟。是みな心の掃除をせず、氣隨氣まゝが増長して、味噌汁がでつぺんへのぼり(*未詳。慢心する意か。)、此樣なかん症やみに成りまする。

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かん症の旦那と気長の女房

この心で家内を治めうとしても、「一つもおのれが思ふやうにならぬ。」「女房が氣が長うてどうもならぬ。」「旦那どのが氣が短うてどうもならぬ。」「手代がのらでどうもならぬ。」「旦那は目をあかいでどうもならぬ。」と、小言八百のたえる隙がない。ヨウ思うて御らうじませ。思ふ樣に成つたら、どのやうな事が出來るぞ。小の月の大晦日うまれ(*未詳)、氣の短い、いらついた亭主は、なんぞいふと、かゝを叱り、
「おのれがやうに面ながな(*悠長な)うまれ附きでは、此からい時節に所帶がもてるもの歟。寐所から尻はせ折り(*「尻端折り」に同じ。)て、ナゼ釜の下たき附けぬぞ。何さしてもグズ\/と、牛糞うしぐそに火の附いたやうで(*未詳)、埓のあく事じやない。」
と、日がな一日小言いふ。
もし此亭主が思ふやうに、女房も氣がみじかく、息子も嫁も短氣もので、手代も丁稚もせはしなく、飯たき女までいらついて、おのれと同じ樣にあつたなら、どんなものでござりませう。夜は夜半よなかから、かどの戸引きあけ、疊たゝくやら、飯焚くやら、家内中がはしり廻つて、氣のせくまゝに、飯はこげつく、茶釜の下はくすぼる、土瓶はうちわる、あぶら壺はひつくりかへす、何の事はない、一年中煤はきぐらし、是でよさそうなものでござりませう歟。
ヨウ思うてごらうじませ。女房は女房で、氣の長いうまれつき。師走でも、正月の三つもあるやうな顔附して、「こちの旦那どのの樣に氣が短うては、命もせも(*命も何もかも)たまるものじやない。是では辛抱がならぬ。」と小言いふ。もし女房の思ふやうに、亭主も子も奉公人も、うち揃うて氣が長かつたら、中々箸持つてめしはくはれぬ。晝まへに丁稚どのが小便がしたさに戸を明くると、お内儀が寐所から、すつぽんのやうに首突出し、
「モウそろ\/、家内を起しませうか。」
といへば、旦那どのが寐言半分に、
「晝にもならぬうちに起きて、どうするものじや。」
といはるゝ。下女ぬからぬかほで、
「一かう(*いっそ)夕めしと一緒に、茶の下をたき附けませう。」
といふ。是ではトントつまらぬものじや。
すべて人の氣質には、色々がある。その色々があるので、ちやうど家がをさまるのじや。譬ば大工どのの家を建てるに、材木の長いばかりでも、また太い計でも家はたゝぬ。人の家内も其通りで、氣のみじかいも長いも、偏屈も理屈者も皆入用いりようじや。
しかし、ひとつ〆括がないと、其色々でかへつて治らぬ。今こゝに娘の子が四五人よつて、三味線さみせんつれ彈きをするのに、同じ調子で同じうたを、同じ手で彈いてゐると、やかましい計で面白うない。半分はカン(*甲=高い調子)でひき、半分はオツ(*乙=低い調子)で彈くと、音がちがうて面白い。それより猶琴がはいり、胡弓がはいり、太鼓・つゞみ・笛・すりがね(*摺鉦)、色々の音がまじるほど、いよ\/囃はおもしろうなる。しかし二上りか三下りか(*共に三味線の調弦法)、調子がひとつきまつてないと、これ又やかましいばかりで、とんとつまらぬ。かるがゆゑに、聖人樂を制して、金石絲竹革木かくぼく匏土はうど(*笙と土笛)の八いんをもつて、をしへ給ふ。有りがたい事ではござりませぬか。大工の家を建つるは、曲尺さしがねといふきまりがあり、琴・三味線のつれ彈は、調子といふきまりがある。人のうちにも親大事といふきまりがあると、跡は何もかも工合ようをさまるものじや。

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盲と聾と躄が火事に合ふ話

むかし漢土からに、目くらとつんぼゐざりと、三人常に交つて、酒を飮んで樂しみ、めくらがうたへばゐざりが拍子どり、つんぼがたつて舞ふ。あるとき例の三人がさかもりの最中に、近所に火事があつて、人多くさわぎ、「火事よ\/」といへば、盲一ばんに聞附け、逃んとするに方角がしれず、ゐざりは火の手を見附けたれど、腰ぬけてたつ事ならず、氣の毒や聾は、火事の方に尻むけてゐれば逃んともせず、既に三人、必死の身となる。
此とき或人かけ附けて、まづ目くらに、腰ぬけをおはせてたゝせ、聾に目くらの手ひきをさす。こし拔けは脊中から、聾に方角を指さして見せる。聾は火事と合點して、めくらの手を引いて走り出す。盲は方角は知らねども、足は達者なれば、ゐざりを負うてつんぼに手をひかれて走りて、危きをのがれたと、或先生の話でござります。
これが甚おもしろい事じや。氣があはいで家内が治まらぬは、三人がたはの、火事にあうたやうなものじや。御用心なされませ。よい事は見習はぬ盲、しう・親のいけんは耳にいらぬ聾、仕事ぎらひのこし拔け(*すべて譬喩としての用例)、わるうすると世間にあるものでござります。夫でもやつぱり、「おれが\/」で家内の者を叱りまはし、是ほどに心をつけても、家内がねから(*まるきり)治まらぬ。をさまらぬ筈じや、主人も家來も女房も子も、親大切といふ調子がさだまらぬによつて面白うゆかぬは知れたことでござります。

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心の洗濯が大事

是全く、本心のくらいによつて、身が修まらぬのじや。身がをさまらぬによつて、家内が治まらぬ。とかく心の洗濯せんだくが大事じや。衣類のせんだくに絶まがあると、盥の中に棒ふり蟲(*ボウフラ〔孑孑〕)がわきまする。又心のせんだくに間斷たえまがあると、家のうちにいろ\/の蟲がわいて、旦那どのも奧さまも丁稚も下女も、ポン\/というてはね廻る。まづ第一に、世かいの人が下愚あはうに見え、我ひとりかしこう覺える。わが氣に入つた人は善人のやうに思ひ、我氣にいらぬ人は惡人の樣に見え、我をほめるものは、輕薄とは思ひながら何とやら心よく、我を毀るものは、道理とは知りながらあたりまなこ(*当り散らす態度で・衝動的に)忌みきらひ、人の能あるをねたみ、人の出世をにくみ、人をこまらせ、おのれを高ぶり、おもてに正直をいひ散して、陰では身勝手をはたらくなど、これみな心の洗濯のたえまからわいた蟲じや。滅多に油斷はなりませぬ。
は性のまゝにして、はこれに反る。」と孟子も仰られて、のやうな聖人は、うまれながらにして知り、安んじて行ひたまふにより、別に愼まいでも、その身其まゝ聖人じや。すでに湯王にいたつては、「日にあらたに、日々にあらたに」して、愼につゝしみをかさね、間斷たえまなうして、終に生れつきの明徳にたち反つて、聖人とおなりなされた。さるによつて、書經にその徳をほめて、「諫に從うてさか(口偏+弗:ふつ:違う・悖る:大漢和3486)はず、人にゆるして備はらん事を求めず、身ををさ(手偏+僉:れん・けん:巡察する:大漢和12779)むるに、及ばざるがごとくす。」とあるを見れば、ひとへに「明命をかへりみ」(*前出)て、「日新ひゞにあらたにする(*前出)の功をおつみなされたに違ひはない。況やめい\/どもが、教にもよらず、愼みもせず、氣隨氣まゝにやり附けたらば、ろくなものにならぬ筈でござります。

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本心を見附ければ無理をせぬ

この樣な難さくものに成るのは、畢竟幼少からのくせつきじや。「障子をやぶらさぬと蟲もちになる。」の、「叱たら蟲が出よう。」のと、氣まゝにさせた癖が附いて、成人ののち、人の異見もきかず、「人が思ふ樣にならぬ。」といふてはかんしやくを起し、我ひとりかしこがつて、此上もないもののやうに心得、つひに本心をたどん玉に仕かへる事は、品玉(*曲芸・奇術)よりも早い。「嚴家げんかの子は、嚴を知らず。」というて、幼少より嚴しい家に育つた子は、嚴しいといふ事はしらぬ。氣儘ものを俄にため直さうとすると、疳うつして(*神経質になり、ふさいで)物蔭へすつこんで(*引っ込んで)泣いてばかりゐる樣になる。是みな「其親愛する所においてへき(*僻す=ひがむ・ひねくれる)。」というて、可愛かあい\/の、とんぼ返りして育てたあやまりじや。
人の子は教へずとも人になると思うてござるのは、大まちがひ。たとへば米麥をまけば米麥が出來るに違ひはなけれども、こやしをいれ、草をとり、さま\〃/に手いれをせねば、實がいらぬ。人の子もこれと同じ事で、うみ離しにして教へもせず、捨てそだち(*ないがしろにして育てることか。)に育て上げて、「人らしい人にならぬ。」と小言いふのは、無理なものではござりませぬ歟。かやうな大病人は本復が仕にくい。俄に手習は出來ず、本よむことはきらひなり。どうして療治をせうぞ。幸に先師石田先生、おひろめなされた心學は、無學文盲でも出來る學文じや。一たび本心を見つけますると、生れ附(*本性)に、無理のない事を知りまする。この無理のない心を手本にして物ごとをいたしますれば、身分相應の働が出來て、人なみ\/の人に成りまする。ドウゾお手よりで(*未詳。一心に、の意か。)御修行をなされて下さりませ。
かく申せばとて、文字もんじはいらぬと申すのではござりませぬ。「行うて餘力あるときは、以て文を學ぶ。」(*論語の文章。)とも見えますれば、御隙のある方は、成るたけ書物をおよみなさるが宜しい。しかし銘々どもは、親につかへ、主につかへ、日用に追ひまはされ、人に損をかけまいと思へば、中々書物をよんでゐる隙がない。さればというて、學ばずにはゐられず、詮方なさに心學でもして、せめて格別の無理をせぬやうにと存じまするゆゑ、我とおなじやうな、隙のないおしうへ、おすゝめ申すことでござります。教は時をしるが第一じや。寒中に種まいても、物ははえぬ。これ時節がちがふによつてじや。人參は結構な藥でも、二階からおちて目のまうたには間に合ぬ。渡世のせはしい町人衆には、よい教でござります。

[目次]

金平糖の壺

去ながら、こまつた事には、一つつかまへてゐるものが有つて、志が立てにくい。これに附いて、おもしろい話がある。眠さましに、お聞なされて下されい。さるお町内に婚禮振廻ぶるまひがござりました。ナニガお年寄(*町政を預かる役人)をはじめ、町役ちやうやく(*町政に携わる役人)家持やもちの人々、一同に座につきますると、さま\〃/の馳走がある。時にかの年よりは酒と聞いては、笹の露にも醉ふ程の下戸じや。座中をめぐるさかづきの間、退屈さうにしてゐられると、亭主方が氣のどくにおもひ、
「お年寄さまは御酒はめし上らず、御退屈にござりませう。チトお菓子なりとも御取り下されい。」
と、南京の古染附の壺に、たいりんの金平糖をいれて、とし寄の前へ持つてくる。座中も、
「これはよいおこゝろ附き。ひらに(*どうぞ)お菓子を召上がられい。」
と、すゝめられて、年寄もわるうはなし、
「しからば頂戴をいたしませう。」
と、壺を膝へ引上げ、手首を突込つきこみしな(*時)に、少しきしむやうにおぼえたが、無理に手をさし入れて、つまみ出さうとするに、手首がつまつてぬけませぬ。どうぞして拔ける歟と、いろ\/にこじ廻して見ても、引つぱつて見ても拔けず、まご\/して居らるゝと、かたはらから見つけて、
「どうなされましたぞ。」
「イヤ手がすこしつまりまして、思ふやうにぬけませぬ。」
と、眞がほに成つていはるる。
「夫は氣のどく。私が壺を持つて居ませう。無理むたいに(*無理無体=無理矢理に)、手をおひきなされ。」
と、一人がむかうまはつて壺をつかまへ、あとへ引くと、年よりは手を前へひく。互に「ゑいや。」と、引あふありさま、景清箕尾谷みをのやがしころ曳をする樣なと、座中が一にどつと笑へど、年寄は中々笑はず、泣きがほに成つて、
「どうも、いたんでぬけませぬ。」
といふ。
サア是から大騷ぎになり、
「醫者どのをよんでこい。難波骨つぎ(*未詳)ではゆくまいか。」
と、酒宴の興もさめ果てました。時に五人組が一にんすゝみ出て、
「いづれもお騷なされな。我等うけたまはつた事がある。むかし司馬温公(*司馬光。北宋の文人政治家。)といふ人いとけなきとき、大勢の小兒とともに、大きなる壺のほとりに遊びましたが、一人の小兒、あやまつて彼つぼの中へはまりました。大ぜいの子供はこれを見てにげ歸つたが、司馬温公一人は歸らず、側なる手ごろの石をとつて、かの壺へ投げつけましたれば、壺はわれて、はまつた小兒は不思議に命を助りましたと、或人の話じや。今お年寄の御難澁は、この話にヨウ似てある。いざや我等が、司馬温公となりて、たとへばその古染附の壺が、失禮ながら何ほど高金かうきんの品でも、お年よりのかひなにはかへられぬ。」
と、しかつべらしく、きせるを引つさげ、向へまはれば、年寄は氣のどくさうに、つぼをかぶつた手をつき出すと、只一と打ちにうち碎た。ナニガ坐中は金平糖がちらかつて、雪をふらした樣になると、
「ヤレお年より、お助りなされたか。」
と、其手を見れば、ぬけぬこそ道理なれ、金平糖を一ぱいつかんでゐられた、と申すことじや。
ナントをかしい話ではござりませぬ歟。つかんだものをはなしさへすれば、自由自在に手はぬけるものを、一度つかんだら、首がちぎれても離すまいと、かた意地なうまれ附、それで自由自在の大安樂が出來ぬのじや。かく申せば、錢かねの事のやうなれど、つかむものは是ばかりではない。器量のよいのを抓み、かしこいをつかみ、まけをしみをつかみ、家がらをつかみ、身代のよいのを抓んで、離すまいとかつぎあるくに依つて、教をきく事もならず、樂をする事もならず、愼も出來ず、詮方なきに癪氣しゃくきおさへたり、顔しかめたり、酒のんでまぎらしたり、さりとては氣の毒なものでござります。壺わつて仕廻うてからは、何いうても詮ない事じや。身代(*自分の持ち前・資質というほどの意か。)の壺をわらぬさきに、御用心が第一でござります。

[目次]

盲の提灯

夫でも「わが本心は、あきらかな明徳は曇つてはない。洗濯するにはおよばぬ。」と思ふ人があるものじや。是をたとへて申しまするに、わたくしのやうな目くらが、一人旅をして、心易い旅籠屋にとまり、
「あすの朝は七立なゝつだち(*午前四時頃出発すること。)をさして下され。」
と頼む。亭主も心得、朝早うたゝせまするとき、目くらは旅の支度をとゝのへ、杖を持つて出ようとすると、亭主がいふには、
「まだ夜深よぶかいに、提灯をおもちなされ。おかし申しませう。」
「何をいはつしやるやら、盲が提灯をもつて、何にするもので。」
「イエ\/おまへには入りますまいけれど、くらがりをとぼ\/御出なさるゝと(*ママ)、往來の人が行きあたりまする。夫で提灯をお持ちなされと申すことじや。」
「成ほどさうじや。私は行當らねども、得て目あきがつきあたる。さやうならおかし下されい。」
と、提灯をさげて、道五六町出ました處が、向から來る人が、目くらに、はたとゆきあたりました。ソコデ大きに腹をたてて、
「おれに突きあたるやつは目くら歟。」
向の人も疳癪にさはり、
「おれは盲ではない。さういふおおれがどう目くら(*「どう」は「ど」に同じ。)じや。」
「イヤ\/おれは盲じやけれども、人には突きあたらぬ。おのれが目くらにきはまつた。」
向の人もいよ\/腹たて、
「おれを盲といふ證據は、何ぞ覺が有ていふの歟。」
「オヽ覺がある。おのれを盲といふ證據は、この持つてゐる提灯が、おのれが目にはかゝらぬじやない歟。」
と、ズツトさし出す提灯の火は、宿屋を出た門口で、とうにきえて仕舞しまうてある。
ナント氣のどくな盲ではござりませぬか。火もともさぬ眞くろな提灯をさげて、是でもあきらかなとおもうてゐるは、本心見うしなうて、身勝手な心を「本心じや\/」と思ひ、洗濯せうとも、愼まうとも思はぬ人に、ヨウ似たものでござります。どうぞお互に、「火は消てはない歟。」と、日々にち\/に吟味がいたしたいものでござります。 休息。


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貳之下


 關所の話
 心は大切な關所
 銅盥を盜んだ青物屋の話
 黐で猿を取る話
 眼球を洗濯する話

[目次]

關所の話

何事ものりをこえゆく世の人に心にかたき關もりもがな
いにしへは、國々に關をすゑて、まもりの人をつけ、往來ゆきゝの人をあらため、其子細なきものはこれを通し、子細のあるものは是をとゞめて都に告ぐる。いはゆる美濃の國には不破の關、攝津の國には須磨の關、あるひは逢坂、または木幡(*奈良街道の関所)など是なり。今此歌のこゝろは、「人つねに、おそれつゝしむの心を存して、私欲をふせぐ事は、猶關をまもりて、旅人を留むるがごとく、其よしあしを知らまほし。」と也。「もがな」とは、ねがひのことばなり。「然らざれば、私欲常に本心をくらまして、人の道に遠ざかること多からん。」と、うち歎きたるさまなり。關守のたとへ、甚だ有難いことじや。これ即「明徳をあきらかにする」の手段、「日新につしん」の工夫でござります。されば銘々どもが人の道を失ひまするは、只「おれが\/」の身贔屓・身勝手よりおこるのでござります。

[目次]

心は大切な關所

しかもこの身は、父母の縁によつて生ずるとは申しながら、畢竟天地水火あめつちすゐくわの塊じや。佛家ぶつけでは、地水火風のかたまりじやと申して、是を四大といふ。この四大むすんで形をなせば、六根を具足いたします。六根とは、眼と耳と鼻と口と身とおもはくと、この六つじや。これをまた六識ともいふ。此上第七を心識といひ、第八を阿頼耶識あらやしきとも又含藏識がんざうしきともいふ。此第七の心識が一切の善惡邪正じやしやうを辨別し、第八識は一切の理を含んで、しかもする事なく、たゞ何ともなき物なり。已上これを八識といふ。識とは、しるといふ事じや。さて六識に對するものは、色と聲とにほひあぢはひふれると法と、これを六塵といふ。およそ世界にあるとあらゆるもの、此六つの外にもれるものはござりませぬ。尤此事を委しう申すと、生藥きぐすりやの店おろしするやうで、すべてチンプンカンプンに成つて分らぬ。委しい事は、識者ものしりにおたづねなされませ。此方このはうに入用はない。只さしあたる處は、『孟子』に所謂、「耳目の官は、思はずして物におほはる。」と仰られて、目はみるが役、耳はきくが役、しかも、見れども何の色と知らず、たゞ見るのみ、聞けども何の音と知らず只きくのみ、是を分別するものは意識なり。しかれども、得てわるい方へかたむきやすきおもはくなれば、第七の心に、しつかりつゝしみ畏るゝ所があれば、人の道がつとまります。さすれば心は大切な關所じや。こゝで油斷を致してうか\/すると、どのやうな惡事をおもひ附かうやら、甚怖いものじや。
おそれ入つたたとへなれども、已に東海道には今切いまぎれ(*浜名湖の湖口)・箱根、木曾かい道には福島(*木曽福島)横川よこがは、すべて諸國のおん關所で、明六つ(*午前6時頃)おん太鼓がなると、御門がひらく。此ときおん役人さまがたは、一同に御列座あそばされてござる。これが明六つの太鼓をきいて、お上下をめすのではござりませぬ。夜半よなかでも八つ(*午前二時頃)でも、何時でも嚴重に番をあそばさるゝによつて、夜中何時、御用物ごようもつが通つても、ちよつともおさしつかへがござりませぬ。人の心もまつ其ごとく、ねても覺めても、立つにも居るにも、畏れつゝしむの心が番してゐれば、燈籠鬢や三味せん・太鼓、鍋やきすつぽん・どじやう汁をめつたにうか\/通しはせぬ。誰しも用心する樣なれども、いつでも通つてしまうた跡での後悔、これがちやうど明六つの太鼓を聞いて門をひらくと、旅人は通りかゝる。「ヤレ待つてくれ。上下を著ねばならぬ。」というてゐる其ひまに、よいものもわるいものも通り拔けて仕廻ふ樣なものじや。是じやに依つて、心の番がきよろつくと、どんな大變が起らうやら知れませぬ。かるがゆゑに、「明命をかへりみる。」とも申してある。

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銅盥を盜んだ青物屋の話

是について、おそろしいはなしがござります。所は江戸の神田邊と聞いたが、名は何とやら申して、いたつて貧乏なくらし方、夫婦に子供三人、亭主といふは三十四五、女房は二十八九、家は九尺二間のうらだな、鼠の巣を見るやうな住居すまひ、商賣はなにと取りさだめた事もなう、只明てもくれても、一合酒と女夫めをと喧嘩、小博奕が商賣同前、あさは朝寐し、夜は夜ふかし、針を藏に積んでもたまらぬ(*長年せっせと小金を積んでも少しも貯まらない)身持ゆゑ、とう\〃/貧乏の底になつて、せう事なしに青物賣と出かけ、四五百文の錢で親子五人がその日ぐらし。あさ五百文で土物つちものだなで大根を買うて、其日一日、江戸中を「大根々々。」と泣きあるいて、暮がたに七百文ばかりにし、内へ戻ると、「米買へ。」「酒買へ。」「醤油かへ。」「油かへ。」「薪かへ。」子どもの鼻ぐすり迄、二百文の錢で、あす一日の軍用金、のこつた五百文は即あすの商賣のもと手、一日やすむと、一日くはずにゐねばならぬ小ぜわしない身代。其中から無理無體に、「雨がふる。」というては、半日やすんで博奕うち、「頭痛がする。」というては、晝からかへつて女夫げんくわ、親子五人がくはずにゐる事も折々あるときゝました。こんな咄は、お子たちもよう聞いてお置きなさるが宜しい。是はこれちひさいときに、とゝさまやかゝさまのおつしやる事を聞かなんだ報で、成人して、此やうに罰があたつて、難儀な暮をせねばならぬ。隨分御兩親のおつしやることをヨウ聞かねばなりませぬ。
さてかの大根うりが、例の通、一の大根を荷ひ、朝早うから賣りあるいた處が、どうした事やら、其日は一の大根もうれぬ。日ざしをみれば、はや晝すぎ、腹の時計は八つさがり(*午後二時過ぎ)、財布の中にはまだ一文の錢もたまらず、「これはつまらぬ。此大根が暮がたまでに七百文の錢に化けぬと、忽あすは釜の中に蜘蛛の巣がはる。どうしたらよからう。」と、工夫しながら、いつのまにやら兩國橋をわたり、本庄の屋敷町を「大根々々。」とうりあるいた。或おやしきの表長屋(*表通りにある長屋)のまど内から、
「コレ大根や。」
とよぶ。「ヤレうれしや。まづ知行(*俸禄・飯の食い扶持)にあり附いた。」と、よぶ所を見れば、表御門から右へ三つ目のむしこ窓(*虫籠窓。細かい網目の窓。)のうちから呼だのじや。ソコデ大根やが表御門から荷をになひこんで御長屋へまはつて見ると、門から三軒めの高塀のうち、門口には何某なにがしと標札がうつてある。荷をもち込んでみれば、縁さきの障子をあけ、旦那どのが今月代をそられたとみえて、鏡たてに向うて、自分(*自分で)髪をゆひながら、
「その大根はいくらじや。」
といふ。
「百に三でござります。」
といへば、
「ソレハ高い。廿四文づつにしておけ。」
といはるゝ。賣りたさはうりたけれども、現在損のたつ事なれば、
「ドウゾ三把にお買ひなされて下されい。今朝から江戸中を泣きあるいて、まだ一把も賣りませぬ。どうでも賣つて歸らねばならぬ大根、かけ直(*売値より高くつけた値段。)は一せつ申しませぬ。」
といふ。かのお侍がかぶりふり、
「夫でもたかい。まからずば先よしにせう。邪魔ながら(*ご面倒ながらの意か。)持つて歸れ。」
と云捨て、縁先の障子をはたとしめられた。大根屋もいろ\/というてみても、かのお侍があひてにならぬ。ソコデ仕樣ももやうもなく(*なすべき方法もなく)、「ハテつまらぬ。モウ日の入には間もなし、何でも四五百の錢をもつて歸らぬと、親子五人があすの命がつながれぬ。なんとしたものであらう。」と、手を組んで思案をしながら、縁前えんさき銅盥かなだらひに、フツト目が附た。
こゝが大事の聞所じや。心の關所がゆだんなく番してゐたら、銅盥に目はつかぬ筈じや。子のたまはく、「君子まことに窮す。小人窮すれば、こゝにらんす。」と。これは『論語』「衞の靈公の篇」に、孔子陳蔡のあひだにかこまれ、口中食を斷て、門人こと\〃/くやみつかれて、起つことあたはず。子路といふ人、甚これをいきどほつて孔子に此事を問うていはく、「君子もまた窮する事ありや。」と。此こころは、「我師天にしたがうて、道をおこなふ。何のゆゑに、かくのごとく困窮するぞ。」と問はれた。そのとき、孔子の御返答には、「君子まことに窮す。」とは、凡人の貧富窮達きうだつ、これみな天命じや。君子といへ共困窮すべきときいたらば、其困窮をまもるが天命にしたがふといふものじや。こんきうのときにあたつて「困窮せまじ。」とさわぎ廻るは、天命にさかうて誠といふものにはあらず。されば困きうするときにあたつて困窮するは、もとより知れた事なり。しかるを、小人は困窮のときにのぞんで、無理に「困窮せまじ。」ともがく故、終に惡心がおこつて、フトかなだらひに目がつくやうになる。こゝを指して、「小人窮すれば、斯に濫す。」と、孔子は仰せられたのじや。

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黐で猿を取る話

これは大根賣の事ばかりではない。われ\/どもの身のうへにもこれに似た事があるものじや。親類の無心・よんどころない掛ぞん(*掛け金が回収できない損失。掛け倒れ)、或は病難、あるひは貧乏、その時がまはつて來たら、どう思うても遁れられる物ではない。かるがゆゑに『中庸』には、「君子そのくらゐにしておこなふ。」と。有りがたい天命の貧乏、ありがたい親類の無心、ありがたい掛ぞん、有りがたい病難と思うて、大切に天命を守つてゐると、物にはすべてきたるときと去るときとあるもので、貧乏し通しにするものでもない。おのづから遁れるみちが出來るものじや。
是によい譬がござります。天竺で獵人かりうどが猿をとるには、とりもちをまるめて猿のまへに投出しまする。猿ははらたて、かのとりもちを隻手かたてづかみにつかむと、指がついて離れぬ。驚いて左の手で、かのとりもちを取のけうとすると、左の手もまたつく。ます\/あわてて、右の足をかけてとらんとすれば、また右の足もつく。いよ\/うろたへ左の足でとらうとすれば、是も附く。只一トまるめの黐のために、四つの手あし、こと\〃/くついてはなれず、さながら括り猿(*縫い物細工の形)のやうになると、獵人が手足の間へ棒を通して、荷うてかへるときゝました。
是はこれ身を遁れんとするによつて、括り猿になるのでござります。はじめ右の手でつかんだとき、騷がずと、じつと辛抱してゐると、おのづから手のあたゝまりで黐はたれて、自然とあやふきを遁れるに、其辛抱が出來ぬによつて、うろたへ騷いで、いのちをうしなふ。ナント氣のどくなくゝり猿じやござりませぬ歟。
とかく辛抱が大事じや。うろたへまいぞ。うろたへると、かなだらひがほしうなります。ソコデかの大根うりが、縁さきで障子は〆めてある、あたりに見る人はなし、かの銅だらひを、水の入つたまゝで、大根貳三把の下へソツトかくす。怖いものじや、今までひろかつた世界が、立ちどころに狹うなつて、五尺のからだをしばらくもおく事がならぬ。ソコデ荷をかつぎ出して、門口を出ようとすると、障子のうちから、
「コレ大根屋。」
と呼びかけられる。ぬからぬ顔で、
「まかりませぬ。」
といふと、
「イヤ\/直はねぎるまい。その大根買はう。」
といひさま、障子をさらりと明けられた。大根屋もびつくりしたが、どうぞして逃げていのうとおもひ、
「何把ほど入りまする。はした賣は出來ませぬ。」
といふ。
「イヤ\/はしたでは買はぬ。その大根みな買はふ。此縁さきへならべてくれ。」
といはれる。サア大根屋も一生懸命。障子のしまつてあるうちなら、かなだらひの出しやうもあらうに、今さら銅盥が出されもせず、というて賣るまいともいはれず、逃げてゆかうにも荷を捨てて歸つてはならず、千百萬の後悔も今に成つては間に合はず、うろうろとしてゐると、かのお侍が、大根屋のかほをきつと見て、
「われはきつとうろたへて居るぞよ。まづ銅盥から出して、大根の數をかぞへて見よ。」
といはるゝ。大根屋は總身そうしんに冷汗を流して、モウ切られる歟、ぶたれる歟と、ワナ\/ふるひながら、かのかな盥を恥かしさうにソツト出して、土に手をつき、
「旦那さま、眞平(*どうか・ただもう)御免なされて下されませ。何をかくしませう、先刻も申しまするとほり、今朝からまだ壹文の商もいたしませず、このまゝ歸りますると、あす親子五人が給べまする事が成りませぬ。かなしい貧のぬすみ根性、めんぼく次第もござりませぬ。七つをかしらに子どもが三人、どうぞ親子五人が命をお助けなされて下さりませ。」
と、色青ざめて、土にあたまをすり附けて、詫言する。かのお侍、おもひの外、氣だてのよい人で、さらに立腹のけしきもみえず、
「イヤ\/其詫言には及ばぬ。まづ大根の數をよんで見よ。」
といはるゝ。恐々こは\〃/ながら大根を縁へつみ上げたところが、貳十三把。かの御侍、やがて七百六拾四文の錢をとり出し、かの大根うりをよんで、
「サア其方がいふ通に、貳十三把、七百六拾四文、序にかなだらひをそへて遣す。貧のぬすみとはいひながら、われが根性は餘ほどよごれてあると見える。此銅だらひは、顔や手あしをあらふ道具なれど、たゞ顔・手足をあらふ許では有るまい。心のあらひやうもありさうなものじや。無禮は咎めぬ。この銅盥を遣はす。持て歸つてとつくりと思案をし、心の垢をあらひおとせ。」
と云捨て障子をしめて、うちへはいる。大根屋は夢見たやうに、有りがたいやら、恥かしいやら、禮もいはれず、詮方なさに銅盥と錢を荷の中へ入れて、早々にかのやしきをにげて出て、はじめて生きたやうに覺えたが、恥かしいと思ふ心が、腹のうちに横たはつて、ウツ\/と家に歸る。是から經文に説てある、觀音くわんおんの御利生、「刀刃斷々壞だん\〃/ゑ」の功徳(*法華経普門品の偈。説明は後出。)の段じや。常ならば小歌うたひながら門口を這入ると、荷籠を投げすてて、錢財布をひつさげ、庭に立つてゐながら、まづ翌日あすの手くばりじや。「百が米かへ。廿四文が薪をかへ。十六文があぶらかへ。」と、子どものはなぐすりから、今夜の寐酒のさかなまで、のこる所もなう、でかしがほ(*したり顔)で、さはいする(*差配=指図すること)處なれど、けふはなんと思うてやら、いつにない門口をそつとはいり、しを\/と上り口にこしをかけて、わらぢのひもをとかうともせず、物をもいはずさし俯てゐる。女房はくしまきあたま(*紐で結わず、櫛に巻き付けた手軽な結い方の髪)に、乳呑子をふところへねぢこみ、埃はらひ持せたら三寶荒神(*荒神様)ともいふべきいきほひ、一調子いつてうしはり上げて、
「うり上の錢を見せず、あやまつたきつねどののやうに俯いてばかり。居ねむつてゐるのか、たゞし(*それとも)くらひうて戻つたの歟。見たくもない倒博奕こけばくち。」
と、御託宣を上げて見ても、一言も返答せぬ。ソコデ女ばうが合點がゆかず、荷の中をみれば賣上の錢もそのまゝ、外に見なれぬ銅盥があるゆゑ、
「これはこなたどこぞわけが有りさうな。」
と、たくしかけて(*まくしたてて)問ひつめる。こゝで亭主も面目なげに、けふの始末をいちぶ始終はなし、
「さて\/、其方が手まへも面目ない。」
と、はじめて夢がさめてきた。
これが是ありがたいものじや。かの御侍が「心を洗へ。」と御異見の一言、大根うりの腹に横たはつたは、孟子のいはゆる「羞惡の心は義のはしなり。」と仰せられたもこれじや。此「はづかしい。」と思ふは、本心の發見。恥をさへわすれねば、人は身はたつもの。わるうすると恥をかいても、恥かしいともおもはぬ人は、こゝろがよごれきつて、たとへば鏡のくもつて影のうつらぬやうなものじや。幸に此大根うりは、よいお侍に出あうて、有りがたい御異見に預かつたので、本心に立戻られた。これを觀音の御利生といふ。もし此ときに、銅盥をぬすみおほせたら、段々盜みにおもしろみが附いて、はじめに恐しいとおもうたのが、後には心ようおぼえる樣になる。古歌に、
鳴子をばおのが羽かぜにおどろきて心とさわぐ村すゞめかな
これはこれ、ぬす人もはじめにはおのが足音におどろけども、後には石で戸をたゝき割つて這入るやうになるは、鳴子におどろく村すゞめの、後には鳴子に馴れてとまるやうになると同じ事じや。これを「ならひせいに成る。」というて、よい加減に目をさまさぬと、一生すたりもの(*役立たず・人間の屑)に成りまする。この大根うりも、後には大盜人にもなり、首の座に直るやうに成るのじやけれど、かのお侍の御異見の聲が耳に入つて、たちもどりが出來て見れば、首きられる氣づかひはない。これで見れば、御侍は觀音さまじや。則「刀刃斷々壞」のくどくでござります。洛東清水寺せいすゐじの御寶前にかけたる繪馬を見ますれば、罪人がしばられて首の座に直つて、首をさしのべてゐると、其後に太刀取が太刀をふり上げてゐる。其上の方に、觀音さまのおすがたがあらはれて、光明をはなつてござると、太刀とりの太刀が段々にをれてある所が書いてある。どなたも御ぞんじでござりませうが、これが「刀刃斷々壞」の功徳を書きあらはしたもので、みな心の事じや。こゝろさへ正しければ、刃向ふつるぎはないものじや。かるがゆゑに、「仁者に敵なし。」とも申してある。されば此大根うりも、これから女夫こゝろを合せ、本心に成つて、夜晝はたらき、終に三年目には相應の八百屋になつて、はじめてかの銅盥を御侍の方へもどし、厚う御禮を申して、この御やしきの御出入になりました。これが舊染きうせんけがれ(*古くからの悪慣習)をせんたくしたと申すものでござります。

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眼球を洗濯する話

是について話がある。さる片田舍に、俄に目くらが出來て、大にくるしみ、諸方の醫者殿に見てもらうた處が、内傷眼そこひでなほらぬといはるゝ。「いかゞはせん。」と、あんじ煩ひましたが、幸ひ近國に華陀流(*華陀のような外科的治療の意か。)の療治をする人が有つて、「腦體をひらいて、頭痛の蟲をとる。」の、「目の玉をくりぬいて洗濯する。」のと、とり\〃/の評判。かの病人、さつそく尋ねてゆき、療治をたのみました。醫者どの心易くうけあひ、
「これは目の玉をくり出して洗濯すると、忽に見える樣になる。」
と、やがて療治にかゝり、難なく目の玉をぬき出して、燒酎であらひ、つるし柿をほすやうに、二の眼の玉を竿にかけて干しておかれた。時に氣のどくな事ができました。屋根にゐる烏が見附けて、目の玉を一つくはへて逃げました。その羽おとにおどろき、醫者どのが見附けて肝を潰し、「これはこまつた事ができた。目のたま(*ママ)紛失ふんじつしては、病人へいひわけがない。どうしたらよからう。」と工夫(*思案)してゐられたが、工夫もあればあるものじや。かたはらにねてゐる狗の子を見附けて、「これは屈竟な(*好都合な)ものがある。此狗の目の玉を借用して、病人を本腹ほんぶく(*ママ)さそう。」と、忽ち狗をまたにはさんで、苦もなく狗の目をぬき出した。狗こそ迷惑、きやん\/いうて舞ひあるけど、醫者どのはをさめた(*落ち着いた)顔つきで、是も燒酎であらひ、よく乾かして、烏の殘した人の目と一對にして、やがて病人の目の穴へはめますると、奇妙に目が見え出した。病人は大きによろこび、狗の目が交つてあるとも知らず、きよろ\/としてうれしがると、醫者どのも、をかしさをかくして、
「どうじや。見えはかはつた事はないか。」
「イエ\/何にも替りました事はござりませぬ。」
といふ。醫者どの押しつけて(*念を押して)
「何ぞ替つた事が有りさうなものじや。ヨウ氣を附けて見さつしやれ。」
といはれて、
「成ほどソウおつしやると、少しかはつた事がござります。」
「さうであらう\/。どう替りました。」
「ハイ只今雪隱せついんへ參りまして、下をのぞいたとき、右の目ではきたなう見え、左の目では何とやらこのもしう思ひます。」
といはれました。
好もしい筈じや。ひだりの目は狗の目じや。これが是、銘々どもにヨウ似たはなしじや。忠孝はよい事と思へど、又どうやらするといやになる。とくとお考へなされて御らうじませ。うろたへると人も半分けだものの仲間入をしてゐる事があるものじや。盜むの殺すのといふ樣な大よごれはあるまいけれども、また少しづつの垢づきがあるまいともいはれぬ。目の玉のせんだくより、心のせんだくが肝心でござります。ある人の歌に、
ふりにけるならのみやこの習はしもあらたまりゆく君がまことに
猶後は明晩おはなし申しませう。 下座。

(*続編貳巻了。)

 序(源寵天錫父)  序(中山美石)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下

 (正編)  (続編)  (続々編)

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