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鳩翁道話

柴田鳩翁 (男 武修 聞書)
(塚本哲三 校訂『心學道話集』〈有朋堂文庫普及版〉 株式會社有朋堂 1945.2.25
※ 原文を目次小見出しに従って適宜段落に区切り、会話・心話には鈎括弧を施した。
※ 漢文は、原文の読み方に従って読み方を付した。

 (正編)  (続編)  (続々編)

 序(手島毅庵)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下  跋(前川常営)

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鳩翁道話序

天保甲午(*天保5年[1834])夏六月朔、近夕獨2坐於齋中1柴田氏、偶來訪云、「請餘暇閲2此書1、且附2一言1。」即取而覽之、乃其所32録乃翁之話1、而命曰2鳩翁道話1者也。因審2其文1、言則似戲而悉是孝弟之實説、則若俚尚不2聖賢之旨1。語曰、「道在爾、而求2諸遠1、事在易、而求2諸難1。」今如者、可能從2其邇且易1、教2諭世俗1實有勤矣。覽者捨2其言辭之俚近1、而取2意味之深長者1、以爲2修身齊家之一助1。便是之本意矣云爾。手島毅庵2於五樂舍之南窓1


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壹之上


 仁人心也、義人之路也
 くわくらんとはくらん
 無理のない心即本心
 義者宜なり
 人の道
 心學執心の人の話
 遊所近くで育つた娘
 京の蛙と大阪の蛙
 己が\/の向見ず
 一の谷の戰
 榮螺の話
 學問道求其放心而已

[目次]

仁人心也、義人之路也

孟子の曰く、「仁人心也。義人之路也。舍2其路1而弗由。放2其心1而不求。哀哉。」(*孟子の曰く、「仁は人の心なり。義は人の路なり。その路を舍てて由らず。その心を放つて求むることを知らず。哀しいかな。」)是は『孟子告子上かうしのじやうに見えまする本文ほんもんでござります。扨此仁と申すは、諸先生いろ\/に註をなされたれども、むつかしう申しては、女中方や、小供しゆの耳へいりにくい。それをたとへをもつて御話し申しませう。

[目次]

くわくらんとはくらん

昔京に今大路何某なにがしといふ名醫がござつて、名高い御人じや。或時鞍馬口といふ所の人、霍亂の藥を製して賣弘めまするにつき、看板を今大路先生に御願ひ申して、書いてもらはれました。其看板に、はくらんの藥と假名で御書きなされた。そこで頼だ人がとがめました。
「先生是は霍亂の藥ではござりませぬか。何故はくらんとはなされましたぞ。」
先生笑うて、
「鞍馬口は京へ出入の在口ざいぐち、往來は木こり・山賤やまがつ・百姓ばかり、くわくらんと書いては分らぬ。はくらんと書いてこそ通用はするなれ。眞實の事でも、分らぬ時は役に立たぬ。假令はくらんと書いても、藥さへ功能があれば能いではない歟。」
と仰せられました。
いかさま是は面白い事でござります。聖人の道もチンプンカンでは、女中や子供衆の耳に通ぜぬ。心學道話は、識者のために設けました事ではござりませぬ。たゞ家業に追はれて隙のない、御百姓や町人衆へ、聖人の道ある事を御知らせ申したいと、先師の志でござりまする故、隨分詞を平うして、譬を取り、或は落し話をいたして、理に近い事は神道しんだうでも佛道でも、何でもかでも取込んで、御話し申します。かならず「輕口話の樣な。」と、御笑ひ下されな。これは本意ではござらねども、たゞ通じ安い樣に申すのでござります。

[目次]

無理のない心即本心

時に仁と申す事は、畢竟トント無理のないと申す事でござります。此無理のないのが、則ち人の心じやと、孟子は仰られました。此無理のない心を以て、親に仕へますると孝行になり、しゆに仕へますると忠になり、夫婦・兄弟・朋友の間も又々此通りで、五倫の道は安らかに調ひます。其無理のない仕樣は、親は親のあるべき樣、子は子のあるべきやう、夫は夫のあるべきやう、女房は女房のあるべきやう、此有べき樣が無理のない處で、則ち仁なり、又人の心でござります。
喩へて申さば、此扇は誰が見ても扇じや。扇と知つて、これで鼻汁はなかむ人も尻拭ふ人もない。これは是扇の有るべきやう、禮儀におん用ゐなされるか、開いて風を求める歟、この外に仕樣はない。此見臺もその通で、棚のかはりにもならず、又枕の代にもなりませぬ。矢張見臺は見臺のあるべき樣に御つかひなさる。然れば親御樣を親御樣と御覽ごらうじたらば、御孝行になされるが、子たるものの有るべき樣、是が仁なり、人の心でござります。箇樣に申してゐると、餘所の話の樣なれども、則ち銘々樣のおん心が、トント無理のない仁の丸無垢、今あなた方の心の、店おろしを致して居まするのじや。餘所事の樣に聞きなされては迷惑にぞんじます。若しあなた方が親御へ口ごたへをなされたり、また親を泣せたり、主人に心配させたり、難儀をかけたり、夫に腹を立てさせたり、女房に心遣こゝろづかひをかけたり、弟を惡んだり、兄を侮つたり、世間へ難儀を懸け散らすは、皆扇でおいどを拭ひ、見臺を枕にしてござるといふものじや。御當所には左樣の人柄はござるまいけれども、天竺の横町よこまちには、此連中がたんとある。御用心なさりませ。つく\〃/思うて見れば、意地の惡るい生附でも、いたし方がござりませぬに、幸に御互に無理のない心を持つて生れましたは、千萬金にも替へられぬ有難い事ではござりませぬ歟。この無理のない心を我方で本心と申します。
尤仁と本心と、となへ所によつて少しの差別しやべつはあれども、そんな事の吟味すると長うなる、唯本心は無理の無いものと思召して、間違はござりませぬ。今日各々樣に御一人々々御目に懸らいでも、各々樣方のお心に、少しも無理はござりませぬと知れまする。其證據は言ふまじき事を言ふ歟、爲まじき事をすると、忽ち腹の中が何とやら心わるう覺える。これ無理のない心をもつて無理を爲る故、心が捩れて心わるいのでござります。是は是千人萬人みな同じ事でござります。古歌に、
鳴瀧の夜の嵐に碎かれて散る球毎に宿る月影
是月は一つなれども、散る玉ごとに各そのかげをやどす天理の妙用、仁は一つの仁なれども、萬人みな是を分けて持つて居まする。ソコデ世界中の人の心に、無理のないと言ふ事が、チヤント勘定が出來まする。
さるに依て、此無理のない心に從うて物事をすれば、皆有るべき樣に成つて、孝行忠義もおのづから出來まする。ナント早い學問ではござりませぬか。タツタ一つ合點すると、百年學問した人と、行において何も變つた事はござりませぬ。ドウゾ本心に御從ひなされ、是を先生として、稽古をなさるが宜しうござります。我本心を師匠にすれば、御祝儀もいらず、暑寒の見廻みまひにも及ばず、心安う忠孝はつとまる、有りがたい教でござります。併し餘り安いと、得て御疑の起るものじや。決して安物でも御買ひかぶりの氣遣のあるのではござりませぬ。押切つて本心にお從ひなされるが、宜しうござります。『中庸』には「率性之謂道。」(*性にしたがふ、これを道と謂ふ。)と、急度きつと御證文の請合がござります。御氣遣なしに御勤めなされませ。

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義者宜なり

扨「義人路也。」(*義は人の路なり。)とは、義と言ふは無理をせぬ事なり、無理をせねば人交ひとまじはりは申すに及ばず、萬物と交つて宜し。かるがゆゑに古人「義者宜也。」(*義は宜なり。)と仰られました。家來としては奉公に精を出すは宜しい、嫁としては舅姑に孝行にし、夫を大切にするが宜しいじやござりませぬ歟。其外何事でも宜しいのが義でござりまする。

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人の道

其宜しいのが人の道じや。道とは古人の曰く、「道猶2大路たいろ1也。」(*道はなほ大路のごとし。)と。江戸へ行くも長崎へ行くも、表へ出るも裏へ出るも、隣へ行くも雪隱せついんへはいるも、皆夫々に道が有る。若し道を行かぬと、屋根ごしをしたり溝へはまつたり、野越のごし山越とつけもない(*途方もない、とんでもない)所へ狼狽うろたへまする。是と同じ事で、人の上でも宜しうない事をすると、道ではござりませぬ。子は親に孝、妻は夫に貞、朋友は互に信、一々言はいでも知れてある。其通りさへすると、道じやによつて、互に宜しけれど、親を泣かせたり、夫に腹立てさせたり、人を恨んだり恨まれたり、是みな宜しうない事じや。是が道でない故に、川へはまつたり、荊の中へかけ込だり、どぶへ飛こんだりすると同じ事で、扨も難儀千萬なものでござります。

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心學執心(*原文「報心」)の人の話

尤道はどこらにあるやら、とくと考へねば成りませぬ。幸ひ中澤道二だうに先生の御話を承り傳へました事がござります。序に御話申しませう。中澤先生、ひととせ攝洲池田へ道話に參られました。ある豪家がうかに逗留いたした處が、其家の主人あるじもとより心學執心ゆゑ、先生をもてなしのあまり、十四五になる娘を呼出し、道二先生を饗應させられました。此娘の御容儀きりやうもすぐれ行儀もよく、花をいけ茶をたて琴を彈き、また先生をなぐさめ、歌などをよまれました。ソコデ先生その親たちへ挨拶に、
「是ほどにおそだてなされるは、なみ\/の事ではござるまい。」
と申されたれば、親達が圖にのり、
「嫁入して先方で恥をかきませぬやうにと、只今いたした外に、松明・花むすび・畫も少しは習はせました。」
と段々と娘自慢。ソコデ先生が、
「それは中々大ていの事ではござりますまい。夫なればさだめて、肩こしを揉む、按摩の稽古も御仕こみなされたであらう。」
といはれた。主人しゆじんむつとしたる顔つきで、
「貧乏はいたしてゐれども、娘に按摩のけいこはまだ習はせませぬ。」
といはれた。道二先生笑ひながら、
「それは近ごろ御心得ちがひでござりませう。貧乏・金持によらず、女は夫の家にかしづけば、先方の親たちを我親としてつかへるが道じや。其大切な舅姑御が御病氣のときに、ゑかき・花むすび、茶や花では御かいはうが出來ませぬ。出入の按摩やをなご衆の手をからず、嫁御が眞實に親たちの、肩こしをなでさすりして御介抱をなさるゝが、嫁御の道でござります。其道の修行に『按摩の御稽古はまだ歟。』と申したのでござります。とかく役にたつ御稽古が肝要じや。」
といはれました。流石の主人も、大きに我を折り、赤面して御詑を申されたと承はりました。

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遊所近くで育つた娘

なる程琴・三味線さみせんもよろしいが、撫さすりの介抱を心がけるが、子たるものの道じや。是で道はどこにあるやら、とくと御考へなされませ。遊所いうしよぢかいところでは、得ては娘の子に琴・三味せんを稽古させて、藝者の風俗を見習はす。じやに依て娘らしう育つが少うござりまして、親の目をぬすんで、逃げたり走つたりが多うござります。これは娘御の惡いのじやない、親御の育てのわるいのじや。尤琴・三味線・端うた・淨瑠璃、やくにたゝぬと申すのではござりませぬ。心をつけて見ますれば、端歌一つでも皆善をすゝめ惡をこらすの教でござります。アノ『四つの袖』と申す端歌に、
うき中のならひと知らばかくばかり花のゆふべの契りとなるも
此唱歌で御考へなされて御らうじませ。是はこれ若い男と女と、親のゆるさぬ縁むすび、面白からうと思ひのほか、おもふやうにならぬ、ういつらい世の中じやとしつたら、かうはせまいものと、後悔した文句でござります。こんな事は、世間にはまゝあること、嫁を貰うたら面白からうの、世帶を持たらうれしからうのと、鍋尻こがさぬ畑水練のムチヤクチヤじあん、思の外に所帶持て見ると、面白うもなんともない、唯今日こんにちに追廻され、髪もかたちもかまはばこそ、すき髪に前垂帶、ふところへ子をねぢこんで、みそこしさげて歩行あるいて見たがよい。どのやうなものであらうぞ。是みな親の教訓をきかず、時節到來をまたずして、はやまつて俄所帶、これは誰が知つた事じや。皆おのれ\/がいたづらから。それを何の分別もなう、三味線さへひくと、面白い事に思ひ、五つや六つの勘辨(*思慮分別)のない、をなごの子に、大きな三味線をだかへさせ、仕かたがない故、つぎ棹にのぼりついて、キイナ聲いだして唱うてゐるを、よろこんでござる親達は、御氣の毒千萬なものでござります。御油斷をなされまするな。うろたへると琴・三味線で育つた子は、親をすてて走つたり、缺落したりする事があるものじや。すべてうはきらしい、花やかな事には、必ずひよんな(*妙な、とんだ)事が出來まする。この『四つの袖』も、作者のこゝろは、いたづらを誡むる教の道じや。芝居・淨瑠璃・流行歌、とかく目のつけやうが違ひますると、大間違になるものでござります。琴・三味線を教へて、嫁入先で間に合さうと思うたが、思の外に間に合いで、嫁入せぬさきに忍び男をこしらへて走るのは、皆目の附やうのちがふに依てじや。

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京の蛙と大阪の蛙

これで面白い話がござります。むかし京にすむかひるが、兼て大阪を見物せんと望で居りましたが、此春おもひ立て、難波名所見物と出かけ、のさ\/と這ひまはり、西の岡向うの明神から、西街道を山崎へ出、天王山てんわうざんへ登りかゝりました。又大阪にも都見物せんと思立つた蛙が有つて、是も西街道瀬川・あくた川・高槻・山崎と出かけ、天王山へ登りかゝり、山のいたゞきで兩方が出合ひました。ナニガ互に仲間同志なれば、めん\/の志をはなし、扨兩方がいふ樣は、
「此やうに苦しい目をしてやう\/とまだ中程じや。是から互に京・大阪へゆきなば、足も腰もたまるまい。爰が名に負ふ天王山の巓、京も大阪も一面に見わたす所じや。ナント互に足つまだて、脊のびして見物したら、足のいたさを助からう。」
と、相互あひたがひに相談きはめて、兩方がたちあがり、足つま立てて向うをきつと見わたして、京の蛙が申しまするは、
「音に聞えた難波名所も、見れば京にかはりはない。術ない目をしてゆかうより、是からすぐに歸らう。」
といふ。大阪の蛙も目をぱち\/して、嘲笑あざわらうていふやう、
「花の都と音には聞けど、大阪に少しもちがはぬ。さらば我等も歸るべし。」
と、双方互に色代しきだい(*会釈)して、又のさ\/と這うて歸りました。
これが是、面白いたとへでござりますれど、つひは御合點がまゐりにくからう。蛙はむかうを見わたした心なれど、目の玉が背中についてあるゆゑ、ヤツパリもとの古さとを見たのじや。何んぼほどにらんで居ても、目の附所の違うてあるには氣が附かぬ。うろたへた蛙の話し、よう聞いて下さりませ。

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己が\/の向見ず

或人の發句に、
手はつけど目は上につくかはづかな
おもしろい發句でござります。「ハイ\/畏りました。左樣々々御尤でござります。」と、口にはいへども目は上につく蛙かなで、おれが\/の向う見ず、是を「放2其心1而不求。」(*その心を放つて求むることを知らず。)と申します。なんぼ「おれが\/。」で物をやりつけうとしても、中々「おれが」の細工では出來ませぬ。箇樣に申せば、「おれがからだでおれが働き、おれが錢をまうけて、おれが口におれが物をくふのじや。人さまの御世話にはなるまいし、おれがでなうて、どうして世間がわたれるものじや。」と、滅多に「おれが」をいふ人があるものじや。是はきつい了簡ちがひ、御上樣おかみさまの御政道がなかつたら、一日も「おれが」ではゐられぬ。
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一の谷の戰

昔一谷のいくさのとき、源義經公が、丹波の三草みくさから、攝津國つのくにへおしよせらるゝとき、山中に日を暮して、案内あんないは知らず、武藏坊辨慶を召して、
「例の大松明をともせ。」
と御意なされた。辨慶畏つて、諸軍勢に下知げぢをつたへ、走りちつて、谷々にある家々に火をかけますれば、一面に燃上る、此火のひかりを便たよりとして、一谷へ出られたと承ります。
爰を能う考へて御らうじませ。「是はおれが藏じや」の、「是はおれが家じや」の、「これはおれが田地でんぢじや」の、「是はおれが娘じや」の、「是はおれが女房じや」のと、どの樣に「おれが\/」をかつぎ歩いても、天下の亂てあるときは、スツポンの間にも合ひませぬ(*鼈の間にも合はぬ=まったく間に合わない、まるきり食い違う)。有がたい事には四海太平にをさまり、御仁政の至らぬ隈も無く、それ\〃/の御役人樣が、夜のまもり晝のまもりと、御まもりなされてござればこそ、屋根の下に寐てはゐらるれ、どうして「おれが細工」で、手足のばして、寐て居らるゝものではない。「雨戸をしめた歟。」「表の戸を締たか。」と吟味しまはつて、「まづこれで用心よし。」と落附いて御やすみなさる。その用心はどんな用心じや。四分板一枚、しかも裏表からけづりて、二分板一枚、何程の用心じやぞ。大きなおならしても、響われる位じや。それを盜賊がこはがつて這入るまいか。チト思案して御らうじませ。皆これ御上樣の御仁徳、けつこうな御代に生れ合した、冥加の程と思はずに、「おれが\/」と氣隨氣まゝを言ひつのつて、「こちの身代は千貫目。仰向あふむけに寐てゐても、五百年や七百年は、遊んで食うてゐられる。藏が五とまへ、家屋敷が二十五ヶ所、かしつけの證文が三百貫目。これほどあると、土佐をどりして奢ても、五十年や百年は、貧乏する氣づかひはない。」と、脊中に目のある蛙了簡、むかう見ずの胸算用むなさんよう、大丈夫な御要害(*御用心)じや。何んにも頼みにはなりませぬ。寐てゐるうちに彼の大松明にならうやら、大地震おほぢしんがおこらうやら、知れぬが浮世の有樣でござります。

[目次]

榮螺の話

此頼まれぬといふについて、今一つ話がある。ねむりさましに能う聞いて下さりませ。アノ榮螺さゞえと申す貝は、手丈夫な手厚い貝で、しかも丈夫な蓋がある。ソコデあの榮螺が何ぞといふと、うちから蓋をびつしやり締て、「丈夫な事じや。」と思うて居まする。鯛や鱸がうらやましがり、
「コレさゞえや。おまへの要害は大丈夫なものじや。うちから蓋をしめたが最後、外からは手がさせぬ。さりとては(*何とも)結構な身の上じや。」
といへば、榮螺が髭をなでて、
「おまへ方が其樣にいうてくれるけれど、あまり丈夫な事もない。しかしながらマア斯うしてゐれば、まんざら難儀な事もない。」
と、卑下自慢をしてゐるとき、ざつぷりと音がする。榮螺がうちから急に蓋をしめて、じつと考へてゐながら、
「今のは何であつた知らぬ。網であらう歟。釣針であらう歟。是じやによつて要害が常にしてないと、どうもならぬ。鯛やすゞきは取られたか知らぬ。さても心もとない事ではある。シタガまづおれは助かつた。」
と、兎角するうち時刻もうつり、「モウよからう。」とそつと蓋をあげ、あたまをぬつとさし出して、そこらを見まはせば、何となう勝手が違ふやうな。よく\/見れば魚屋町の肴屋の店に、「此榮螺十六文。」と、正札附に成てゐました。ナント面白い話でござりませうが。「おれが\/」をひつさらへて、家も藏も、智惠も分別も、臺も後光も、丸で取られてしまうた事はしらず、氣のどくな榮螺、この樣な連中が、からや天竺には得てあるものでござります。

[目次]

學問の道求2其放心1而已

とかく「おれが\/」は頼みにはなりませぬ。ある人の道歌に、
はし無うて雲のそらへは昇るともおれが\/は頼まれはせず
是を「放2其心1而不求。」(*読み方は前出。)と仰せられたのでござります。何事もわが身へ立かへつて、手まへの吟味には氣もつかず、たゞむかうへ\/と目のつくが放心でござります。放心じやというて、心が飛でしまふのではござりませぬ。身に立ちかへる事の出來ぬのじや。すべて是まで申すところは、金銀財寶の事ばかりではない。器量をたのみ、奉公をたのみ、知惠をたのみ、分別をたのみ、力をたのみ、格式をたのみ、「これさへあれば大丈夫じや。」と思うてござる人は、みな榮螺の御連中れんぢうじや。とかく何事も身にたちかへつて、御吟味が御肝要でござります。 休息。


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壹之下


 鷄犬を求むるを知りて心を求むるを知らず
 放蕩者の改心

[目次]

鷄犬を求むるを知りて心を求むるを知らず

「人有2鷄犬放1之。有2放心1而不求。學問之道無他。求2其放心1而已矣。」(*人、鷄犬の放たるゝこと有らば、これを求むることを知る。放心有れども求むることを知らず。學問の道は他無し。その放心を求むるのみ。)是は孟子たとへを以て御示しなされたのであります。鷄犬とは犬・にはとり、すべて飼猫あるひは鷄など、いつも家へ歸る時分にかへらぬと、其飼主がうろ\/と尋ねまする。「犬にとられはせなんだ歟。」「蛇にとられはせぬ歟。」「もしや人が盜んだか。」と、向三軒兩隣迷子まよひごたづねるやうに、
「モシこちの三毛はこなたには居ませぬか。鷄はまゐりませぬか。」
と、尋ねあるくは人情でござります。こゝが入用いりようのところじや。犬・鷄は紛失しても格別害には成りませぬ。「心は身のあるじ」と申して、一身の旦那樣じや。その心が物のために奪はれると、親の意見も耳へ入らず、主人の教訓も空ふく風、蛙のつらに水かけた樣に、目ばかりぱち\/して、口にはハイ\/と言うてゐれど、心こゝに在らざれば見れども見えず、聞けども聞えぬ、うまれもつかぬ片輪ものの仲間入。これはこれ、みな心の紛失ふんじつしてあるに依てじや。この心を尋ねやうとも探さうともおもはず、「親がわるい。」「しゆがわるい。」「夫がわるい。」「兄がわるい。」「八兵衞はわるい奴じや。」「おまつはいけぬをなごじや。」と、むかうへばかり目を附けて、我身(*原文「或身」)に立ちかへつて心を尋ぬる事はせぬ。ナントむごい事じやござりませぬか。犬・鷄は尋ねても、肝心の心は尋ねぬ。よくうろたへたものでござります。是じやに依て聖人はこれをおん歎きなされて、人の道ある事をおん示しなされて下さる。この御示おしめしを承るを學問といふ。其學問の趣意は、此心を尋ねさがすものでござります。かるがゆゑに「學問之道無他。求2其放心1而已矣。」(*前出)と、仰せられました。而已とは盡き\/て餘りなきのことば。「心に求むるの外、別に學問らしいものはない。」と、急度御うけ合ひなされた御證文でござります。強ち唐やまとの古事來歴を知り、文字もんじの穿鑿ばかりするを學問とは申しませぬ。兎角心のことじや。八千餘卷の經論も、諸史百家(*ママ)の書物も、皆心のゆくへをしるした所書ところがきでござります。此心を求むるとは、前以て申す我身に立ちかへる事でござります。立ちかへる事をしらぬと、恐ろしいものじや。どこまで往うやら知れませぬ。又立かへると有がたいものじや。孝子にも忠臣にも立どころに成られまする。「善惡二つは、身に立ちかへるとかへらぬとの二つの境、道二つ仁と不仁。」と仰せられたも御尤でござります。

[目次]

放蕩者の改心

是についておそろしい又有がたい話がござります。御眠からうが聞いておくれなされませ。去る田舍に相應にくらす百姓がござりましたが、夫婦の中に男の子一人、ナニガ可愛さのあまりに、牛が子をねぶる樣に、愛だてなう(*盲目的に)そだて上げられました。ソコデその子が次第に横著ものに成り、馬の尾を拔たり、牛の鼻をくすべたり、近所の子たちを假初にも(*ふとしたことで)たゝいたり泣せたり、わやく(*枉惑=不正・横着)の中に成人して、とう\〃/手にあまる不孝者、小力はある、大酒はのむ、小博奕こばくちはうち覺える、いつしか神事じんじ相撲を取覺え、かりそめにも喧嘩口論・女郎買やらてかけぐるひやら、たま\/親達が異見すると、大聲をあげてはりこみをくはせ(*脅しをかけ)、「こなた衆が放蕩者だうらくものじやの不孝ものじやのと、其不孝ものは誰が頼んで生んだのじや。おれは生んでもらうて迷惑してゐる。夫程放蕩ものがきらひなら、元の所へをさめて貰はう。そうするとおれもたすかる。」などと、滅法な口ごたへ、親たちも詮方なう、其身はめい\/年は寄る、息子は次第にいきりをる、可愛いと、仕樣がないとで、勘當も得せず、氣隨氣儘をさせておくと、いよ\/圖に乘り、かしこでは投たの、こゝではかひなをねぢ折たのと、あら\/しい大喧嘩、其度毎に親達はいふに及ばず、親類縁者の胸板に、釘うつ樣な恐ろしい、惡黨ものがござりました。是はこれ、腹のうちから此やうな、わんぱく者ではなけれども、「おれが\/」が増長して、心を取失うたばかりで、此やうな難作なんさくもの(*難作物=手のつけられない困り者、仕方ないもの)。ナント放心は恐ろしい事じやござりませぬ歟。勿論親類縁者から、親達へ「勘當せい。」と、たび\/催促はするけれども、何分一人子の事なり、けふは勘當あすは義絶と、口ではいへども勘當もせず、徒に年月が立つて、かの横著ものが二十六歳に成りました。次第に惡行はつのる、後々は親類縁者へどのやうな難儀をかけやうやら、怖氣こはけが立たもの故、一同に評定して、親たちへ言うてやるには、
「急に勘當をさつしやれぬと(*なさらぬなら)、親類中各々方と義絶をいたさねば成りませぬ。アノ息子をあのまゝにしておかれると、親類は申すに及ばず、村中へも、どんな難儀がかゝらうやらしれぬ。御夫婦には恨はなけれども、面々家が大事でござるによつて、義絶を願ひませう歟、勘當をさつしやるか、有無の返事が聞たい。」
というてよこした。ソコデ親達もせんかたつき、
「子ゆゑに親類義絶になつては、先祖へもすまぬ事。さらば今夜みな寄合をして下され。相談の上願書をしたゝめませう。勿論親類中いづれ御連印下されねばならぬ。御苦勞ながら印形いんぎやう御持參にて、暮早々より御より下されい。」
と返答しられた。古語に、「老牛とくをねぶり、牝虎ひんこ子をふくむ。」と。畜類でも鳥類でも、身にかへて子を可愛がる。ましてや人のうへで其子を勘當せにやならぬ樣になつたら、さぞ悲しい事でござりませう。これみな其子の放心から起る事じや。身に立ちかへりさへすれば、波風もなうをさまるのに、さり迚は身に立かへる人がない。親は勘當しとむなうて(*したうもなうて、か。)成らぬけれども、子の方から勘當してくれと突附つきつけるには困つたものじや。近世徳本上人の歌に、
これほどによれつもつれつする彌陀をあへて頼まぬ人ぞはかなき
是はこれ佛の大慈大悲をいふのじや。我方わがはうでは、本心が「それはわるい。」「これがようない。」と、明てもくれても御世話をなさるれど、身贔屓、身勝手の私心私欲が、「さうはまゐるまい。」と、兎角本心にそむきをる。親の子をおもふも、不孝ものの親を思はぬも、能う似たものじや。「敢てたのまぬ人ぞはかなき。」銘々本心に立かへつて御助かりなされませ。
さてかの野良息子は、この日近村で博奕をうつてをりました。折から村の友達が來て、
「今夜貴樣を勘當すると親類が參會よりあひするげな。何んぼ貴樣のやうなものでも、勘當しられたら定めて難儀をするであらう。」
と、半分聞かずに大聲擧て、
「何じや、今夜おれがうちで勘當の評定歟。こいつ面白いことが出來てきた。全體親父や母者はゝじやのほえづらが、この年ごろ見とむなうて氣色きしよくがわるうて、こたへられたものじやない。勘當受たら一本だち、からへ飛ばうが天竺へ宿がへせうが、が點のうち(*非難する者)がない。このやうなありがたい事はないぞ。さらば今夜評定の席へ乘こんで、『何でおれを勘當するのじや。』と、一番團十郎をふんでゆすりかけたら、五十兩や七十兩の退代のきしろは巾着へ入れたやうなものじや。其金持て京か大阪へ出て、見せつき(*見世付屋=見世付女郎を置いた下級の女郎屋)はじめたら面白い事であらう。ドウゾ今夜首尾よう山のあたるやうに、前いはひに一盃せう。」
と、同じ仲間の惡鬼あくきたちと、茶わん酒の大酒もり、日の暮前に泥のやうにゑうたところで、「さらば此勢に内へいんで、一勝負はつてう。」と、大脇指をぼつこみ、我が居村ゐむらへ歸つた時分は、丁度初夜(*初更=戌刻)まへ、「大かた今時分は、親類どもがより集り、ない知惠の底ふるうて、評定をして居るであらう。その所へをどり込んで、大だゝけにだゝけたらば(*駄々ける=駄々をこねる、無理をいう)、百兩ぐらゐはつかめるであらう。」と、既に我が家に歸らうとしたが、きつと思案し、「親類よつてゐる中へ、おれが顔を見せたらば、皆うつぶいて居をる(*ママ)であらう。其中で大聲あげるも何とやら拍子がない。おれが事をあしざまにいうて居る其圖にのり、踊りこまぬと座つきがわるい。コイツハ一ばん思案を仕かへて、裏の藪から座敷の縁先へまはり、一のやつらが評定を立聞したら、さだめておれがあくそもくそ(*あくたもくた=欠点・悪口)を店おろしする(*こきおろす)であらう。其拍子に戸障子蹴破大がみなりと出かけたら、拍子があつて面白いと、獨思案し、雪踏せつたをぬいで腰に挾み、尻引からげて裏の藪から、切戸を越え縁さきへ廻つて見れば、果して内にはひそ\/と、評定の最中、雨戸のすきから覗て見れば、親類縁者が車座に直り、めん\/願書に判を押してゐる。その願書が兩親ふたおやの前へくると、かの息子がこれを見て、「サアこゝが勝負じや。親父が判を仕やるを相圖に、この戸を蹴破つて飛込う。」と、居合腰に成て息をつめてのぞいてゐる。ナント人もおそろしい心になれば成るものではござりませぬか。孟子の、「人の性は善なり。」と仰られたるに、微塵も違ひござりませねども、其習性となるときは、此やうなおそろしい惡黨ものが出來まする。此時孔子孟子が千日道を御ときなされたとて、立かへりさうな勢じやない。斯うかたまつた惡人は、無限地獄の釜こげといふものじや。たとへ釋迦如來が元服して、土佐をどりをめされても、中々性根のつきさうな事ではないが、不思議に此野良息子が、惡心をひるがへして、大孝行の人になるといふ、是からが成佛の段でござります。
人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に迷ひぬるかな(*藤原兼輔〈後撰集〉の歌。結句「惑ひぬるかな」)
かの親たち夫婦の前に勘當の願書がまはつてくると、母親は大聲を擧げて泣いだす。爺親てゝおやは齒もなきはぐきをくひしばつて、さし俯いてゐらるゝ。やがてくもつた聲で、
「おばゝ、印形を取つてござれ。」
母親は返事も出でかね、泣く\/箪笥のひき出から、革財布に入つた印形を、爺親のまへに置くと、かののら息子は、雨戸のそとから息をつめて伺うてゐる。其のうちにごて\/と財布の紐をとき、印形をとり出し、肉をつけて、既に判を押うとするとき、母親がその手にすがつて、
「先ツ待て下され。」
といふ。てゝ親は、
「此期におよんで親類中が見てゐらるゝ、未練な事をいはしやるな。」
と、いへども聞かず。
「マアわしがいふことを聞いて下され。尤あの不孝ものに此家を讓たら、三年たゝぬうちに草をはやすでござらう。それが悲しいというて、天にも地にもタツタ一人の子を勘當したら、跡へかはりを貰はねばならぬ。其貰うた養子が實體じつていで、こちら夫婦に孝行をし、家も相續してくれゝばよけれども、どうもたしかに養子は孝行なと定まつた事もござるまい。モシその養子が不心得で、家を野原にせうやら、此方等こちらのやうな肩のわるい(*運の悪い)夫婦なれば、そのほども知れぬではござらぬ歟。同じ子ゆゑにつぶす身代なら、せがれの爲に家を失ひ、なじんだ村をたち退いて、夫婦袖乞になるとも、我子の尻からついて歩行あるいたら、わしは本望に思ひます。五十年このかた、一生に一度の願ひ、ドウゾ聞入れて勘當をやめて下され。子ゆゑに乞食をすると思へば、恨にも思ひませぬ。」
と、聲をあげて泣々いはるゝ。親類もこれを聞て、一同に顔を見合せ、「親父が何といはるゝぞ。」と、まもりつめて見てゐれば、爺親は何おもうた歟、印形を財布へいれ、手ばやに財布のひもをしめて、かの願書を親類の前にさしもどし、
「さて\/一中へ對して、面目めんぼくない事でござれども、いまばゝがいふところ、尤に思ひまするゆゑ、向後きやうこう忰は勘當は致しますまい。かういへば「其甘い心でそだてた物ゆゑ、あの樣な不孝ものが出來た。」と、定めて御まへがたが、笑はつしやらうが、笑はれてもくるしうござらぬ。勿論アノ忰を勘當せねば、この家がつぶれる事は、物三年まちはすまい。わが子故に、先祖代々の家を野原にするのは、先祖へ對してすまぬといふ事も、能う合點して居りまする。又勘當せねば、おまへがたと不附合になり、親類義絶も合點でござる。必定「こちらが村を立のくとき、無心合力がふりきでもいはうか。」と、その用心の義絶であらうが、必ず案じて下さるな。世間の義理も先祖への不孝も親類の義絶も顧ぬのは、子が可愛かあいいばかり。その子の尻から乞食して、附てあるく事なれば、此方等夫婦が本望といふもの。決して御まへがたへ無心合力がふりよくはいひませぬ。ハテ何で死ぬるも一生じや。可愛い子のために、大道にのたれ死、並木のこやしになるのも、好んですれば恨とは存ぜぬほどに、早々おまへがたも内へ引取て下され。翌日あすから物もいひませぬぞ。子ゆゑなら何といはれてもかまひはござらぬ。」
と、同じく大聲をあげて男なきに泣るゝと、母親も勘當せぬと聞いて、これも嬉泣に泣く。親類縁者はあまりの事にあきれ果てて、返答もせず、たゞ夫婦の顔をうちながめて居るばかり。ナント親の子に迷ふあはれな心を御推察なさりませ。猫が子をくはへあるくやうに、蔭になり日向になり、人のそしりも先祖への義理も、わが身のつまらぬ行末もかまはゞこそ。子の可愛いにとられ切て、迷ひに迷うた親の心、實にあはれに氣のどくなものでござります。是がこれ、此親たちばかりじやない、世間に子を持た親のこゝろは、みなこの通り。先師石田先生のうたに、
子にまよふ親の心を見るにつけ我かぞいろもかくやありなん
人の親の子にまよふを見て、我父母もかくぞおぼしめさんと思ひやりて御詠およみなされた歌じや。實に此通りに違ひはござりませぬ。
此親の大慈大悲の光明が、かの不孝ものの腸へしみわたると、有がたいものじや。さしもおそろしい鬼のやうな横著ものも、五體を〆木でしめらるゝやうに覺え、何といふ事は知らねども、むなさきへ涙が突かけ、聲をあげてなかれはせず、かます袖(*叺袖=叺形の袖。布子の袖の袖口を縫わずに、大きく長方形に開けたもの)を口にくはへて、大地だいぢに倒れてしめ泣きに泣いてゐる。圓位上人(*西行)の歌に、
何事のおはしますかは知らね共かたじけなさに涙こぼるゝ
能うよんだ歌でござります。此時、かののら息子が、親をかたじけないと思うたでもなく、又有がたいと思うたのでもない。何かは知らず、親の慈悲心がはらわたへこたへると、能うしたものじや、立ても居てもゐられぬ。これが是、人々固有の本心というて、明かな徳を生れ附てはゐれども、おのれが氣隨氣儘の身勝手で、しばらくその光をかくしてゐたのじや。されども親の大慈大悲の光明で、はらわたを貫かれ、自然と息子のもちまへの光明がさそはれて、輝き出すと、氣隨氣儘のむら雲はいづくへやら消失て、眞實そこから親の慈悲が有難う成て來る。
とくさ刈るそのはら山の木の間よりみがかれ出る月のさやけさ
格別の惡黨ものが本心にたちかへると、一際すぐれてみがかれ出る月のさやけさ。ナントありがたいものではござりませぬ歟。さて彼息子は、すぐさま座敷へかけこみ、親たちへ詫言せんとは思うたが、「まてしばし。此まゝ駈込たらば、親類縁者も驚き、『いかなる事を仕出すぞ。』と、親達も御心づかひであらう。何知らぬ顔にて表口から座敷へ出、親類について詫言せん。」と一決して、忍び足に裏より表へ廻り、わざと雪踏の音高く、咳ばらひと共に座敷へ通れば、親類は大に驚き、親達は、にくい我子の顔を見て夫婦とも泣いてござると、かの息子もなんにもいはずにさしうつぶいて泣いてゐる。やゝありて親類中へ、
「さて是までは勘當々々と、度々聞きましたれども、さのみつらいとも存ぜなんだが、今夜の寄合とうけたまはり、どうした事やらしきりに心細う覺えまする。何分これまでは重々ぢう\/の不調法、此上は急度改まするによつて、今夜の勘當しばらく御用捨を下されい。永うとは申しますまい。わづか三十日の日のべ、其うちに性根が改らずば、其時勘當しられても、一言も申分はござらぬ。ドウゾ御まへがたの御取なしで、親達が三十日日延を致してくれらるゝやう、御詫をなされて下されい。」
と、いつにないかしらを疊へすりつけて頼む。
此とき親類中は親達が手強てづよい返答に、その座しらけて立つにも立れず、拍子のない折から、此息子が一ごんにこれ幸と一同に口を揃へ、
「今夜の所は待てやつて下され。」
と詫言する。親たちは本心に立かへらいでさへ勘當はせぬ心、まして今の一言を聞いて、唯嬉し泣に泣いてゐらるゝ。親類もこれをしほに、
「隨分孝行にさつしやれ。」
と、云捨てて其夜の評定はやみました。
これから彼息子どのが、手の裏を返す樣に孝行な人になり、二親に仕る有樣、實に小兒の父母を慕ふが如く、これまでの惡行はあとかたもなく消失せました。此事世間に取沙汰が高うなり、半年はんねんたゝぬうちに、地頭樣の御耳に入り、遂に御目がねを以て、大庄屋役をかの息子に仰附られました。是でかの息子の孝行のしわざ、御推察なされませ。
さて其のち三年ばかり立て、母親が大病末期にかの息子どのを呼んでいはるゝには、
「いつぞや勘當の評定の節より、何と思うたか志が改り、此上もなう孝行にしてくれる。モシ其時に、そなたの心が改らず、其うちにおれが死だらば、地獄へ行うより外はない。今は其方そちが孝行にしてくれる。何もおもふことがない故、今死だら、極樂へゆくにちがひはない。スリヤおれを佛にしてくれるは、皆其方が孝行のゆゑじや。」
と、手を合せて拜みながら臨終をしられたと申すことじや。
なるほど當來の果を以て未來を知ると、この世で心苦しければ、未來もまた心苦しい。今日の手おくれは明日へ附て廻る。心の苦しいは地獄、心のらくなは極樂、親の苦樂は子たるものの所作にある。子善なれば親は佛、子惡なれば親は鬼になりまするぞえ。一旦若氣わかげのあやまりで、何の分別もなう、親に心づかひ懸たり、親をなかせたりの不孝も、この道理をわきまへて、今日たゞ今、志を立て直し、我身に立かへつて孝行すれば、親御樣は今日から極樂ぐらし、又立かへることがならいで、是までの不行状がやみませぬと、親御は其まゝ地獄ぐらし。地獄・極樂は、たゞ身にたちかへると反らぬとでござります。このたち反るを放心をもとむるといふ。是すなはち學問の事じや。猶またあとは明晩御はなし申しませう。 下座。

(*壱巻了)

 序(手島毅庵)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下  跋(前川常営)

 (正編)  (続編)  (続々編)

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