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鳩翁道話

柴田鳩翁 (男 武修 聞書)
(塚本哲三 校訂『心學道話集』〈有朋堂文庫普及版〉 株式會社有朋堂 1945.2.25
※ 原文を目次小見出しに従って適宜段落に区切り、会話・心話には鈎括弧を施した。
※ 漢文は、原文の読み方に従って読み方を付した。

 (正編)  (続編)  (続々編)

 序(手島毅庵)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下  跋(前川常営)

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貳之上


 無名の指
 指の曲り、心の曲り
 長吉と下女
 軍太兵衞の肩衣
 人の心は隱されぬ
 心學の功徳
 兩替屋の話
 鹿の音を聞きに行く話
 本心を會得せよ

[目次]

無名の指

孟子の曰く、「今有2無名之指1屈而不信。非2疾痛害1事也。如有2能信之者1則不2晉楚之路12指之不1人也。指不人則知之。心不人則不惡。此之謂類也。」(*今、無名の指有り(て)、かゞんでびず。疾痛事に害あるにあらず。もしよくこれを信ぶる者有らば、すなはち晉楚の路を遠しとせず。指の人にしかざるがためなり。指の人にしかざるときは、これを惡むを知る。心人にしかざるときは、惡むを知らず。これをたぐひを知らずといふ。)さてこれは前晩辯じました、「仁人心也。」(*壹之上の章を指す。)の次の章でござります。則ち「學問之道無他、求2其放心1而已矣。」(*前出。)といふことによつて、孟子また、たとへを引いて、人の心の大切なる事を御示しなされたのでござります。今とは「今こゝに」と申す事じや。無名の指とは小指の隣の指でござります。其外の指は親指を大指だいしといひ、人さし指を頭指とうしといひ、高々指たか\〃/ゆび中指ちうしといひ、小指を小指せうしと申します。ただ小指の隣のゆびに名が無い。尤紅さし指とは申しますれど、是は御婦人がた計の事で、天下通用ではござりませぬ。ソコデ名のないが名と成まして、無名指むめいしと申します。何故また名がないぞといふに、トント用のない指じや。物を握るは親指・小指の力、つむりをかくは人さし指、酒のかんを試るは小指の役、皆それ\〃/に用があれども、無名指ばかりは無用のゆび、あつて邪魔にならず、なくて事はかけませぬ。一身の中にて、尤輕いものじや。其指がかゞんで延ぬ。勿論いたみもかゆみもない。かるがゆゑに「疾痛しつつう事に害あらず。」と申してある。畢竟なくても苦しからぬ指なれば、まがつて有ても、いたみさへなくば捨てておいて能い筈なれども、もしこれをよく延してくれる醫者殿があると聞いたら、道の遠いもいとはず、さだめて療治をうけに行くであらう。それは何故、指が世間の人と少し違うてあるゆゑ、恥かしう覺えて療治をうけまするのじや。「晉楚の路」とは、晉の國と楚の國とは道のりが千里、これは「遠いところを厭はず。」といふたとへじや。是其指の人なみにないをいやがるから參ります。ソコデ「指の人にしかざるが爲なり。」と申してござります。

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指の曲り、心の曲り

成程能う人は恥を知つたものじや。其筈でござります。「羞惡之心義之端。」(*羞惡しうをの心は義のはし(なり)。)と申して、恥を知るが人の生れつき。然しながら其恥を知るに二樣ふたやうござりまして、姿の恥を知つて、心の恥をしらぬ人がござります。是はきつい御了簡ちがひじや。心程大切なものはござりませぬ。「心は身のあるじ。」と申して、一軒の内では旦那どのと同じ事じや。其旦那殿の心が、煩ひくるしんでゐるをすてて置いて、家來のからだばかり可愛がり、「膝がしらすりむいた。」「ほくち(*火口か。火花を移しとるもの。焼酎等を含む。)を附けい。」「灸がいぼうた(*いぼう・いぼる=灸の跡が爛れる)。」「膏藥はれ。」「風ひいた。」「葛根湯根ぶ(*「舐る」か、「昆布」か。)か、雜炊・生姜ざけ。」と、かりそめにも身體の御世話はなされますれど、心の事は一切御かまひなしじや。人に生れて人の樣な心も持たず、鬼の樣な心を持つたり、狐の樣な心を持つたり、蛇の樣な心を持つたり、烏の樣な心を持つて、恥かしいとも思はず、からだばかり吟味してござるは、どういふ所から間違うてきたやら、此間違はふるうある事と見えて、「指不人知之。心不人則不惡。此之謂類。」(*前出。)と、孟子も仰せられた。是は重いと輕いと分らぬのじや。「大を捨てて小を取る。」と申すものでござります。人情は一般(*一様・普遍)、小はきらひ大はすき、輕いはきらひ重いはすきじや。ソコデ親類縁者へ招かれて、御馳走にあづかるとき、本膳が出るあとから燒物を引いてまはると、はや目の玉がきよろつき出し、向三軒兩隣をにらみまはし、わが燒ものと見くらべて、「隣のやき物が五六ほど大きい。」と、肝癪がむねにつゝぱり、「これの亭主は何と心得てゐるぞ。太郎兵衞も御客、おれもお客じや。なんでおれには小さい燒ものをつけたのじや。何ぞこれには意趣遺恨でもある事歟。」と、腹の中がねぢれ出す。能う思うて御らうじませ。燒ものに何の遺恨があるもの。是程の僅な事でも、小をきらひ大をとる。夫に何ぞや、指の曲たのを恥かしう覺て、心のまがりは苦に成らぬといふは、「大を捨て小を取る。」と申すものじや。さるによつて、孟子も「此之謂類。」と御しかりなされた。ナント人は能ううろたへた者じやござりませぬ歟。古歌に、
かたちこそ深山がくれの朽木なれ心は花になさばなりなん
指や足にかゝはつた事じやござりませぬ。皆心のことじや。心がまがつて有ては、色は白からが(*白からうが)、鼻すぢは通つてあらうが、はえ際が美しからうが、夫は見せかけばかりで、何のやくにたたぬ事、蒔繪の重箱に馬の糞入れたやうなものじや。これをほんの見かけ倒しと申します。

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長吉と下女

飯たきのおさんどのが、ながしもとで鍋の尻を洗うてゐる。丁稚の長吉が側へ來て、
「おさんどん、御まへの鼻の先に墨がついてある、見とむない。」
と教へてくれる。おさんどんは嬉しがつて、
「さうかえ、どこについてある。」
と、指のさきに手拭を卷いて、額口(*額際の意だが、ここは未詳。眉根を寄せ口を尖らせた顔つきを指すか。)でおのれが鼻の先をながめ、後藤が目貫をほるやうに(*後藤祐乗〔四郎兵衛〕。「目貫後藤」の称を持つ彫金師。)、そこら中ひねくりまはして、
「長吉どん、モウとれたかえ。」
「イヤ\/、ほうべたの方が餘計になつた。」
「ドレドレどこに。」
と、水鏡に顔をうつして掃除してござる。おさんどんの心には、「アノ長吉どんは可愛らしい子ども衆じや。晩の御菜おかずを杓子あたりで御禮申さにやなるまい。」と、滅多に嬉しがつて、禮をいふ。
若し此長吉どのが、
「コレ\/おさんどん、御まへの根性はしぶとい根性じや。チツトふくれづらやめなされ。」
というたら、お三どんが何といふであらうぞ。チト考へて御覽ごらうじませ。
「あた(*いまいましい・不愉快な)なめくさつた小丁稚づら(*=づれ:奴)、わしが心がゆがんであらうが、三角に成てあらうが、おのれが世話となるもの歟。おのれ覺えてけつかれ(*「けっかる」は上の動作を卑しめる語)。小便たれても、ふとんの洗濯せんだくはしてやりはせぬ。」
と、角のはえぬ鬼の樣に成りまする。

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軍太兵衞の肩衣

これはおさんどんの事ばかりじやない。
「イヤナニ軍太兵衞ぐんたべゑどの、上下の御紋が、すこしかたよつて見えまする。」
軍太兵衞しかべつらしう(*=しかつめらしく:もっともらしく・真面目くさって・勿体ぶって)肩衣を正して、
「コレハ\/御氣を附けられ千萬忝うぞんずる。何なりとも相應の御用もござらば、承るでござらう。」
と、嬉しさうな顔して挨拶せらるゝ。こいつが間違うて、
「時に軍太兵衞どの、足下そくかの御心術甚以て其意得ませぬ。チト心を正直に御持ちなされ。心のゆがみが見えて甚見苦しうござる。」
というたら、どうするであらうぞ。刀にそり打つて、鍔うちならし、忽ち刃傷におよぶであらう。ナント人は、からだのこと世話してやると滅多にうれしがつて直す、心の世話をする人があると眞Kになつて腹をたて、その心を直さうとせぬは、どういふ拍子の間ちがひで、是ほどまで迷うたものでござりませうぞ。是はよその事ではない。御互に大歟小歟、色かへ品かへこんな間ちがひは、得てありたがる物でござります。よう御吟味をなさりませ。是がこれ「形は人の目にかゝれども、心は人の目にかゝらぬゆゑ、ゆがんで有てもまがつて有てもくるしうない。」と、此無分別からおこる事じや。是じやによつて、少しも油斷はなりませぬ。

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人の心は隱されぬ

ある所の旦那殿が、臺所に居眠てゐる長吉を呼起して、
「コレ長吉、御客樣がもう御歸りなされた。奧にある酒や肴を、臺所へはこんだがよい。」
長吉目をこすり\/、ふしよう\〃/に返事しながら、奧へてそこらを見れば、硯蓋やら小鉢やら、うまいものの勢揃へ。こはいものじや、誰も催促もせぬに目の玉がきよろつき出し、
「なんじや、こいつはうまさうなものがたんとある。硯ぶたは鷄卵たまごの卷燒、タツタ一切ほかのこつてない。よう喰ふ客じや。こいつは何じや。ハヽア蒲ぼこじやさうな。」
と、ひと切つまんで口へほゝばり、かたはらをみれば、飯蛸が七つ八つ、南京のどんぶりの中に車座に座禪してゐる。「こいつはえらい(*すごい)。」とつまむところへ旦那の足音、「これではならぬ。」と袂へおしこみ、銚子・盃を俯伏うつぶいてとる拍子に、飯蛸がたもとから、ころ\/と。旦那目早く、
「それは何じや。」
長吉ぬからぬ顔で疊をたゝいて、
一昨日をとつひ來い\/。」
と申しました。何んぼ蜘蛛あしらひにしても、飯蛸は蜘蛛には見えぬ。「隱れたるより顯はるゝはなし。」じや。

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心學の功徳

これじやによつて人の心は隱されませぬ。心に怒があると額に青筋がたちまする。心に悲があると目に涙が浮み、心に嬉しみがあるとほうべたに靨が入り、心にをかしみがあると笑ひ顔に成りまする。是皆心よりして顔へ出まする。目に涙が出て、心が悲しうなるのではござりませぬ。額に筋が立て、あとから腹の立つのではござりませぬ。何事も心がさきじや。その心に思ふ處は、皆かたちへ現はれまする。これを「誠2於中12於外1。」(*うちに誠あればほかに形はる。:原文ルビ「形はるゝ」)と申します。ナント是でも、心のゆがみがかくされるものでござりませう歟。口答も心の煩ひ、鼻うたも心のわづらひ、早う養生をいたしませぬと、立煩ひ(*未詳。ふとした病の意か。)は本腹(*本復)がむづかしい。もし大病に成りましては、耆婆・扁鵲が配劑でも、どうもいたし方はござりませぬ。さるによつて、其大病にならぬうち、心學を御勸申まする。一度本心をえとくなされますると、奇妙なものじや、ちよつとした身贔屓・身勝手でも、ぢきに胸へこたへまする。

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兩替屋の話

之について、ある人前かた(*以前)物がたりのついでに、「さる兩替屋の主人の得意の話なり。」とて申されたるは、
「兩替渡世は、金銀のよしあしを見分るが肝要じや。其見わけ樣を小者に教ふるに、其家々にて違あれども、この兩替屋の主人の教へかたは、始より少しも惡銀を見せず、たゞ宜しきかね日々にち\/に見せ置き、しかとよき銀を見覺えたるころ、ソト惡銀を見すれば、忽にあしき銀と知る事、鏡を照して物を見るが如し。これ一目下に惡銀と見きはむる事は、最上の銀を見覺えたる故なり。斯の如く教ふる時は、この小者生涯惡銀を見損ずる事なし。」
と申されたるよし、承りました。
此話の眞僞は存じませねども、道理においては成ほど尤な教へかた、實にあぶな氣のない稽古でござります。しかしながら「最上の銀を見覺えても、半季一年ほか商賣をして、金銀を取りあつかはぬと、又もとの素人方同樣になりて、善惡よしあしを見分る事が出來ませぬ。」と申されました。
是でよう御合點をなされませ。一たび本心を見覺えますると、其あとから、少し計の身贔屓・身勝手が出來ても直に知れる。なぜなれば、本心のあきらかなる、無理の無い事を見覺た故、ちよつとでも無理らしい事は、中々うけつける物ではござりませぬ。しかし又本心に遠ざかり、本心を見わすれると、以前の通り眞Kに成て、惡銀が見えにくうなりまする。御用心をなされませ。わるうすると、本心じややら惡心じややら、我とわが手に合點がゆかず、そのくらい心から、思附ほどの事が思ふやうにゆかぬと、ハアスウハアスウと肩で息をせにやならぬ。難儀なものじや。せめてだまつてなどゐれば能けれど、かり初にも「苦しい。せつない。」と、腹の中のゆがみを、人にあうては白状を致しまする。さり迚は困つたものじや。是じやに依て、何とぞ一度本心の正銀を見覺え、人欲の惡銀を見損ぜぬやう、どうぞ御互に一生道にはなれぬ樣にいたしたうござります。

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鹿の音を聞きに行く話

これに附て面白い咄がある。序に聞いて下さりませ。秋も夜寒になりました頃、相應に暮す町人衆が、五六人云合せて、鹿の音を聞きに行かうと、何が辨當・小竹筒さゝえを用意をし、ある山寺に心やすい和尚がある、これを心あてに尋ねゆき、客殿をかりうけ、泊りがけの遊山。鹿の音を待侘びて歌を詠む人もあり、あちらでは詩を作り、こちらでは發句、さいつ押へつ(*差しつ差されつ=盛んに献酬して)、入相の頃になつても、トント鹿が鳴きませぬ。初夜になつても四つになつても、鹿の音は一切聞えず。「これはどうじや。モウ鹿が鳴きさうなものじや。」と、まてども鳴かず。そろ\/眠氣ねぶけはさいて來る。詩も歌もいやになり、あくびにうき世咄もとぎれ、みな默然としてゐる中に、五十ばかりの男、盃を前にひかへて、
「さて今晩はいづれもさまの御かげで、宵からゆるりと御物がたりをいたして、能いたのしみを致しました。しかしながら私は斯樣に樂んで居ますれど、『さだめて家内のものが、心づかひをいたして居ませう。』と、不圖ぞんじ出しましたれば、どうやら酒が理に入る(*理屈っぽくなる意か。)やうに覺えます。」
といふ。座中の人が
「夫はどういたした譯でござりますぞ。」
「サア御聞下さりませ。御存の通り一人の忰、當年二十二歳に成りまするが、去とては困た奴で、わたくしが宿に居ますれば、しぶらこぶら(*しぶしぶ・不承不承)と店の用を手傳ひますれど、私のかげが見えぬと、尻に帆かけて(*さっさと〔元来、逃げ出す意。〕)遊所通ひ、勿論親類縁者どもも、いろ\/と教訓をいたしてくれますれど、一向馬の耳に風同樣、アノやうなやつに身代をまかさにやならぬかと存じますれば、心細いものでござります。おかげで何一つ不足のない私の身分なれども、子ゆゑに毎日毎夜血の涙、さりとては困つたものじや。」
と、吐息をついて咄されると、そばから四十五六な男が、
「イヤイヤあなたのは御難儀とは申すものゝ、畢竟御子息に金つかはるゝといふ迄の事で、強て御心配にもござりますまい。私などは、中々左樣な事ではござりませぬ。兎角近年店のものどもが、假初にも引負ひきおひ(*使い込み・負債)をいたして、『五十兩はまゝよ。』『七十兩はまゝよ。』と、年々の帳面の明き。能うおぼしめして御らうじませ。鼻たれの時分から世話をいたして、どうやら、かうやら、少しばかり店の用にたつ時分、引負をこしらへてくれては、主人は何に成りまするものじや。それから見れば、あなたのは我子に金をつかはれるばかりの事。」
といへば、又かたはらから、
「イヤ\/店の衆に金をつかはれるはまだしもじや。此方こちどもは近頃都合がわるうござつて、得意先が、かたはしから倒れまする。あちらでは三貫目、こちらでは五貫目、實に氣の減る(*気疲れする・はらはらする)やうにござります。」
と、いふ下からむかうの席にすわつてゐる老人が、扇ぱち\/ならしながら、「何れもの御愁歎御尤でござれども、又親類縁者どもから、金の無心をいはれたり、印形押てくれといはれたり、家内づれのかゝりうど(*居候)、これもまた困たものでござりまする。」
と、半分いはさず、隣の人が、
「イエ\/いづれも樣のは皆榮耀ええうじや。私のつらい事を御聞なされて下さりませ。どうした事やら、家内のものと、母との中がわるうござつて、日がな一日牛の角づき合ひ、内中がくすぼります(*燻る=気が腐る・陰気になる)ゆゑ、「イツソ里へ歸しませう。」と思へば、幼少のものは二人も有り、挨拶すれば女房の贔屓をすると、母親の機嫌がそこねまする。女房を叱れば、『他人じゃと思うて、ひとりむごう、つらうさつしやる。』と恨み、イヤモウ中にたつた柱で、つらいの苦しいのと申すやうな事ではござりませぬ。」
と、拍子にかゝつて、身のうへの難儀咄。其内に一人氣が附いて、
「ほんにモウ鹿が鳴きさうなものじや。あまり咄にしこりが來て(*痼が来る=熱中する・凝り固まる)、鹿の音を聞きはづした歟知らぬ。」
と、縁の障子を引あけて見れば、大きな鹿が庭さきに、默然としてゐる。
「是はどうじや。そこにゐるなら、なぜさつきにから鳴ぬぞ。」
といへば、鹿がぬからぬ顔で、
「イエ\/わしはおまへ方のなくのを聞きに來たのでござる。」
というた。ナント面白い咄でござりませうが。老たるも、若きも、男も女も、金の有も金のないも、おしならして、晝夜愁歎のこゑはやみませぬ。これが皆心の煩じや。

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本心を會得せよ

畢竟すこしばかりの身びいき・身勝手のために、ならぬ事を無理やりにやり附けうとする無分別から、さま\〃/の苦をうけるのでござります。一たび本心を會得すれば、ならぬ事はならぬと知り、難儀な事は難儀と合點して、強て身を遁れうとはいたしませぬ。是を『中庸』には「富貴・貧賤・夷狄・患難、君子いるとして自得せずといふ事なし。」と、いうてござりまする。此味が知れませぬと、苦樂は體にあるやうに覺えて、心はわきへ捨て置いて、ひたすらに形の樂をもとむるところから、奢にうつり吝嗇になり、却てこゝろに苦を受けて、泣てばかりゐる樣に成りまする。兎角何事も心の事じや。ドウゾ皆さま、御なきなされぬ樣の御用心を御たのみ申しまする。 休息。


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貳之下


 心を眞直にせよ
 曲つた大K柱
 武士の次男のさんげ咄
 一字千金
 我身が可愛
 うろたへ八兵衞

[目次]

心を眞直にせよ

心からよこしまにふる雨はあらじ風こそよるの窓はうつらめ
此の歌は高祖日蓮上人、身延山御隱居の節の御詠歌でござります。「人の心は眞直なが生れつき、其心のゆがむのは、是皆見たり聞いたりするに取らるゝによつてじや。譬へば雨は眞直に降るもの、なぜなれば、空より下へおちるもの故、ゆがんで落る筈はないのじや。夫に窓へ横しぶきにあたるは、畢竟風の爲にゆがむのじや。」と、御よみなされた歌でござります。『論語』に「子曰、『人之生也直、罔之生也幸而免。』」(*子のたまはく、「人の生けるや直し、ひて生けるは幸ひにして免る。)と申して、なるほど、人は正直にないと、天地の間にはたつてゐられぬ筈の事なれども、こゝろをゆがめて、まご\/と、生きてゐるのは、ほんの是が僥倖こぼれざいはひといふものじや。生きてゐるとはいふものゝ、世間で人のやうには申しませぬ。その筈でござります。人の心がないによつて、生きながら鳥類・畜類の仲間入をせにやなりませぬ。わが神國の教も、「正直を本とす。」とあれば、何分にも人はすぐでなければならぬ。

[目次]

曲つた大K柱

旅をして見ますれば、重い兩掛を竹杖壹本で輕々と肩やすめする(*休息する。ここは、支える意か)。能う考へて御らうじませ。あの細い竹杖で貳じつ貫目の重荷が、杖の先にかゝつてあらう筈はない。これ全く竹杖を眞すぐにたてて置によつて、貳十貫目の重荷がかゝつても折ぬのじや。ある人の道歌に
すぐなれば重荷かけてもをれぬなり世わたるわざの息杖(*駕籠舁きの持つ棒)ぞかし
三間間口でも八間間口でも、息杖は大K柱壹本、五人暮しも十人暮しも、旦那殿の心ひとつで家内中の重荷が持てあるのじや。もし旦那の心がゆがむと、家内の重荷がひつくりかへり、大K柱に蟲がいると、八けん間口がへたばつて仕まふ。兎にも角にも眞すぐな力は有がたいものでござります。大K柱に蟲が入たのを、大工どのに見せると、「建なほさうより仕樣がない。」といふ。旦那殿の心に蟲が入ると、これも同じことで、燒直さうより仕かたがない。どうぞ蟲の入らぬ間に、ゆがみを直すことが肝要でござります。

[目次]

武士の次男のさんげ咄

箇樣には申すものゝ、誰じやというても、我心をゆがめうと思ふ人はなけれども、難儀なことは、見るにとられ、聞くに取られて、思の外にゆがみます。このゆがむについて、おそろしい咄がござります。ある御國に三百石どりの次男、としごろは廿はたちばかりの人、色情の事について若氣のあやまりより、俄に出奔する事あり。其節夏の頃にて、ことさら夜分なれば、浴衣に大小のみ、袴もきず、懷中物もなく、城下へしのびて遊びに出たる儘にて、其場よりの欠落なれば、もとより何の用意もなく、無貳の朋友ともだち一人に、此事をあかし、「いかゞはせん。」と相談をいたされました。其朋友も無分別な若人わかきひとなれば、何の思慮もなく、手紙一通認め、
「其處より七八里ばかり隔てたる、さる山寺の和尚に知人しるひとのあれば、此寺へ行き此書状を出しなば、かくまひくれるであらう。國元の樣子はあとより追々しらすべき間、まづかの山寺に、かげを隱されよ。」
とをしへました。こなたも無分別な若ざかり、何の用心もなく「心得たり。」と、かの書面を懷中して、ゆかたのまゝにて城下をたちのきました。さりとては若い衆は無分別なものでござります。諺に「若いはよいがしどがない。」(*だらしがない)と、親の案じる事も、ゆくさきのつまらぬ事も、道で難儀する事も、わきまへのないは、夢のやうなものでござります。或人の道歌に、
わるいとはしりつゝわたるまゝの川流れて淵に身をしづめけり
「まんざら若い衆じやとて、氣のつかぬのではなけれども、一度思附くと、能うてもわるうても、一足あとへたちもどる事が出來ぬ。ソコデ忽ち行あたり、鼻打てから後悔して、『鈍なことをした。是はつまらぬ。』といふ内に、又つまらぬ事を思ひついて、我と我手に淵に身を沈めけり。」じや。
此咄の事ばかりじやござりませぬ。兎角わかい御衆おしゆは平生の、より所が大事じや。猫はなまぐさきを好めど、寺にかはれるとよんどころなう精進する。蛇はのらくらとゆがむが持合せ(*ここは持ち前の意か。)なれど、竹の筒に入れらるゝと、據なう眞直に成てゐる。とかく身をよする處が大事じや。わかい衆は此話を聞いて、能う腹の中へ、たち反つて吟味して御らうじませ。どんな所へ入込いりこんで遊んでゐるぞ。中宿(*出合茶屋・引手茶屋)か料理や歟、女藝者のふるびた所へ這入りこんでゐやせぬ歟。能う御せんさくをなされませ。
扨かの御侍は、つひに生れてから、親の懷を一日もはなれた事のないのに、心からとて夜通しに、知らぬ道を彼山寺へ尋ねてゆく。是ほどのはたらきを、主人歟親の爲にしたら、大きな顔をなさるであらうに、どうやらかうやら、尋ねあたつてゆきついた所が、山中の古寺。親のまへでさへかゞめぬ腰を、滅多に御じぎし、彼手紙を出されると、和尚がうけとり、開いて見て、
「此手紙の樣子では、まづ此方こつちにしばらくござらずばなるまい。然しながら小僧とてもなし、下男もつかはぬ貧僧でござれば、どうで水も汲んで貰はにやならぬ。其外ふきさうぢやら、又寺役じやくのあるときは、穴も堀(*掘)て貰はにやならぬ。マアさう心得て、そこらで足を洗うて上つて、茶粥でもくはつしやれ。」
と、目見めみえにきた門番へいひつけるやうに、舌長に(*冗舌に・横風に)いはるゝ。かなしい事は三百石取でも、國を立退きてみれば、つぶ(*小銭)三文まうけるてだては知らず、路用とても壹文もなし。さし詰め居さふらふのあたりまへなれば、口惜くちをしながらハイ\/というて、庭のすみで足を洗ひ、和尚のくひ殘された、水くさい茶粥を一ぱいすゝつて、夜通しのつかれもやすまる事歟、猿つかふやうに追ひまはされ、仕なれもつけぬはき掃除、ナント氣の毒なものじやござりませぬ歟。此とき親の慈悲を思出し、百まんだら(*百万陀羅=幾度も)後悔しても、あとへはかへらぬ。是じやによつて、足もとのあかいうちに、用心をせにや成りませぬ。
かう成てからは、黐桶とりもちをけへ足を踏込だやうなもので、國へもいなれず、寺にも居られず、外に仕覺た事はなし、「是はつまらぬ\/。」と思ふうちに、秋もはや夜寒に成て來る。ある日和尚が朝から托鉢に出られた。あとはそこらはき仕まひ、夫からはしよざいはなし。時は八月の中旬、國から著て來たゆかた一枚、汗づいたのとよごれたので、どろ\/としてあるを、曠著はれぎにも常著つねぎにもタツタ一枚。ソロ\/さむさには向うて來る。せんかたなさに客殿の縁にねころんで、猫のやうに丸う成て、日向ぼこりしてゐながら、つく\〃/と思へば思ふほど、「とんとつまらぬ。國からは便もなし、和尚の顔つきも、此ごろは、めつきりわるし、寒空には向うてくる。どうしたら能からう。イツソ腹切う歟。首縊らう歟。」と、腹の中はかき亂したやうに成つて、見るとも見ぬともなしに、麓のかたを見やれば、庄屋殿のうちが、目の下に見える。此寺は山の尾さき(*山の傾斜の突端部)たつた寺で、客殿の縁から見れば、一むらは目の下。庄屋殿は寺の縁から、人の見てゐるとも知らず、村方の集め銀を數をあらため包み直して、金戸棚の引出へ入れらるゝを、かの息子は屹と見とめると、ぞつとする程ほしう成た。こゝが人の一大事の所じや。室鳩巣先生の歌に、
朝夕に保つ我身はから衣たちゐにうつせ道の姿を
心が心の有所にないと、何時無分別がおこらうやら、こはいものでござります。
是じやによつて金銀の取扱は、みだりに人に見せる物ではない。金銀は人の身にいたつて大切なものなれども、能く又人の身を害する媒となるものじや。何の心もない人でも、是を見ると何となう、心が出來る。心なければ何ともない筈でござります。兎角おそろしいものは金銀、人に罪をつくらすのも金銀。されどもなければならず、あれば煩し。さて思ふやうにならぬは、浮世の有樣でござります。何分程ようせねばならぬ事じや。
時にかの息子どのが、庄屋の金を一目見るより、身にしみ\〃/と欲しう成て、「どうしたら能からう。」と、縁ばなにねころびながら胸算用むなさんよう、つくづくと足場を見るに、忍びこむには屈竟のだち、家内はわづかに五人ばかり、「もし見とがむる者が有たら、夫こそ百ねんめ、蹴ちらかしてあの金をこしにつけ、幸ひ八月十五日、月は有あけ、立のくには至極の勝手じや。首尾よういたらば、人知らず盜取て、京か江戸か大阪か三箇さんがの津(*京・大阪・江戸の三都)の間へ出て、どう成りとも身のかたづきは出來るであらう。所詮この山寺に、いつまでゐたとて國へ歸られるわけでもなし、和尚のつらくせ(*顔つき)わるし、身のまはりはうすし、イツソ今夜たち退くが上分別じや。」と、無分別のてつぺい(*天辺=極み)を考へ出した。
ナント恐しいは人のこゝろでござります。心は身のため計を思ふもの歟と思へば、又身をそこなふ事をおもひつく。尤本心は善ばかりなれども、かやうなときに、動く心は意識というて、得て惡を思ひ附くやつじや。禪家ぜんけの語に「莫2爾之心1。心爾身之仇也。」(*なんぢの心を信ずるなかれ。心は爾が身の仇なり。)と、いうてござります。成程油斷のならぬ心じや。ある人の道歌に、
こゝろこそ心まよはすこゝろなれこゝろに心こゝろゆるすな(*心というものが心を迷わせる本体なのだ。わが心よ、この心に心を許してはならぬ。)
又『大學』の傳には、「小人間居爲2不善1。無至。」(*小人間居して不善を為す。至らざるところ無し。)と、兎角からだを隙におくは大きな毒じや。どうで(*どうせ・所詮)のら\/と(*のらくらと・怠惰に)してゐると、ろくな事は思ひつかぬ。此息子殿も、目くら歟、イツソいそがしうて走りあるいたら、こんな無分別は起りはせぬ。大それた人のかねを盜んで、また(*原文「まだ」)人をころして立退かうといふ分別が、どういふ所から出ましたぞ。チト考へて御らうじませ。むかしから家業に精出したものが、盜をしたためしはない。盜をするものは皆家業がきらひじや。御互に身の上に立ちかへつて、商賣がすきかきらひか、折々せんさくして見ぬと、腹の中から、何時石川五右衞門や、熊坂長範が出まいものではござりませぬ。心にこゝろをゆるすな。折角(*十分留意・努力して)吟味が肝要でござります。
ソコデかの息子が、いよ\/今夜と一決して、足場をとくと考へおき、「首尾がようてもわるうても、今夜のうちに十里の道は走らにやならぬ。今のうちにとつくりと寢ておいて、晩につかれぬ用心せう。」と、目をふさいで見ても、胸がもやつき寐入られぬ。「どうぞ一寐入ねたいものじや。」と、今度は客殿の方へむかうて、ころりと寐返をして、内をうそ\/(*きょろきょろ・ぼんやり)見廻せば、座敷のすみに六枚屏風がたててある。色紙がたの小倉百首、見るとはなしに見てゐるうち、ふと目にかゝつたは、
あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
何とおもうた歟、かの息子が此うたを二三返吟じて居るうち、俄にこゝろがかはつて來て、今夜の仕業をやめにする氣に成たら、脇の下から冷汗がひつたり(*=びったり)と出たと申す事じや。

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一字千金

これは何で俄に善心に成たのでござりませうぞ。此歌は中納言敦忠のうたじや。歌の心は、「思ふ人に一度逢ひましてからに、逢はぬさきの心とくらべて見ますれば、逢はぬ先は物思がなかつたのに、逢うてからのちは物思が絶えぬ。」と、よんだ歌でござります。今この息子どのも、此歌で心のたて直しが出來たのは、なぜなれば、「今此寺に居れば、國からはたよりはなし、和尚の墨つき(*機嫌・待遇。前には「面くせ」とあり。)はわるし、寒空にはむかふ、小遣錢はなし、仕覺えた商賣はなし、仕附けぬはき掃除はくるしし、是はつまらぬ。と思うてゐるが、是をつまらさう(*「つまらぬ」からの造語的表現か。)として、今夜庄屋のうちへ忍びこんで、金を取る歟、もし見咎られたら切殺すか。よし金を盜みおふせたところが、天の網はのがれぬ。たとへ京・大阪へ出て立身出世をした處が、盜人の名はのがれぬ。今日は現れる歟、あすは召捕にくる歟と、人のさゝやく聲も肝にこたへて、廣い天地の間に、五尺のからだの置處おきどこがない樣に成たときの、つまらぬのと、今かうやつてゐる、つまらぬのとをくらべて見たら、盜をせぬさきのつまらぬ方が遙にましじや。盜んでからつまらぬときは、『昔は物を思はざりけり』と、其時後悔やくにたゝぬ。夫より此まゝじつと辛抱してゐたら、其内には國から便もあらう。滅多にうろたへる所でない。」と氣が附いて、立ちもどりの出來ましたのは、ナントありがたい、歌の徳ではござりませぬか。
「一日に一字まなべば三百六十字。一字千金に當る。」と、(*学問は)高いもののやうなれども、今この場所で見ますると、中々高うはござりませぬ。若此男が無筆であつたら、此立ちかへりは出來ませぬ。三十一字が讀めたおかげで、首が胴についてある。一字が千兩なら、三十一字で三萬千兩じや。ナントあなたがた、「三萬千兩の金を進上するが、首をおくれなされ。」と申したら、「たとへ千萬兩の金にても、替へる命はない。」とおつしやらう。して見れば一字千金高いものではござりませぬ。どうぞお小い時から手習・よみものを精を御出しなされませ。此やうな利益がござります。
是から彼息子殿が年月をじつと辛抱してゐらるゝうち、國方から親類が來て、寺へも厚く禮をいひ、始て山寺の苦患くげんを逃れました。しかしながら一旦出奔したものなれば、國元へは歸られず、そのまゝ町人に成て家業を精出された。ところが運よう、商賣も繁昌し、れきれきの商人あきんどに成て、能いかげんな親仁に成た時分、わかい人を見ると、昔のさんげ咄に、かならず此話が出て、「若い時にはどのやうな不了簡が出ようも知れぬ。もし『あひみて』の歌がなかつたくらゐなら、どのやうな事にならうやら、今話すも恐しい。と、毎度さんげばなしを、懇意の人が承りましたを、又私へはなされました。あまり有がたい事ゆゑ、今ばん御はなし申します。

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我身が可愛

此息子どのは、能う立ちかへりが出來たものでござります。百人に五十人はこの立ちかへりが出來にくい。我身が可愛かあゆい々々と思ふより、いつしか心を押しゆがめて、たはいもない(*ママ)ものに成りまする。目が可愛によつて、掛香かけかう(*携帯の香料袋)松金油まつがねあぶら(*未詳。「松根油しょうこんゆ」か。)の匂がかぎたし、舌が可愛によつて、うなぎ・すつぽん・茶碗むしがくひたし、からだ中が可愛によつて、商賣が仕ともない。ソコデ次第に貧乏して、三疊敷に凉爐ちんからり(コンロ)(*琉球産の焜炉)、百文が米をかひかねるとき、「こんな苦しい所帶をせうより、たとへ死ぬとも一奢り奢て死んだら、一生の思出。誰が百年いきるもの歟。明日あした死ぬるも來年死ぬるも、思へば同じ短い命じや。疊の上で往生するも河原でのたれ死ぬるも、死ぬる味にかはりはない。さらば今夜どこでなりと盜にはいりて、金貳參百兩懷へねぢこみ、おもふ存分奢散かし、首とられて仕廻しまふ方が埓あきが早うて樂じや。こんな貧乏を長うするは、埓があかいで氣色が惡い。」と、無分別な石川五右衞門、熊坂の長範が得てあるものでござります。首尾よう盜みおほせる事歟。はした金を盜まうとして、思のほかに引くゝられ、獄屋のうちへ打ちこまれて、握飯に香のものかぢるとき氣がついて、「どんな事をした。やはり元の三疊敷。凉爐に百が米。貧乏でもわが所帶じや。斯うやつてゐれば日の目を拜む事はならず、近所あるきもする事ならず、我からだを我ながら、自由にする事のならぬとは、何の因果じや。」どう見てもうちの貧乏が有がたう戀しうなる。
逢見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり(*前出。)
扨御役人の前へ引出され、水責・火責のくるしみを受くるときは、はじめの獄屋の中が戀しうなり、「早う責苦を助かつて、獄屋へかへりて、休みたい。」と、「むかしはものを思はざりけり、」やはりあとが戀しうなる。其罪人が罪きはまつて首の座へ直るとき、どこが戀しいぞ。たとへ水責・火責はおろか、骨をひしがれ、肉をさかれても、いのちさへある事なら、ヤハリもとの責苦が戀しい。「昔はものを思はざりけり、」せんぐり\/(*先繰=順繰りに)跡へん(*過ぎてしまったこと)が戀しうなる。ある人の發句に、
手にとるなたゞ野におけよげんげ花(*「手に取るなやはり野におけ蓮華草」か。)
兎角今日の有りがたい事を忘れて、外を願ふ所から、思の外に心がゆがむ。

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うろたへ八兵衞

さらば人は苦みに生れたもの歟といへば、安樂は人のうまれつき、先師のいろは歌に、
らくがしたくば心を知りやれ樂はこゝろのうまれつき
此樂な心をもちながら、くるしんでうろたへるを、たとへの咄がござります。ある獨者が、よう寐てゐるとき、隣が火事じや。近所は「やれ、それ」と騷ぎたつ。朋友ともだち馬燈灯ばぢやうちんさげて見廻みまひに來た所が、門の戸がしまつてゐる。「南無三、八兵衞。飮過して寐てゐると見える。燒殺してはならぬ。」と、戸を蹴破て内へはいる。その物音に八兵衞、ふつと目をさまし、うろたへて赤裸で寐所からとんで出る。友達が持た燈灯鼻の先へつきつけ、
「隣が火事じや。見廻に來た。」
八兵衞喜び、
「夫は能う來てくれた。其燈灯かしてくれ。」
と、友達の燈灯をかりて手にさげ、赤裸で庭へ下りたり、うらへ出たり、又表へかけ出したり、しきりにうろたへ騷いでゐる。友達が合點がゆかず、
「八兵衞、なにを捜すのじや。」
八兵衞ぬからぬ顔で、
行燈あんどうがきえてあるゆゑ、火打箱さがしてゐる。」
といはれた。
これが銘々共によう似たはなしじや。結構な燈灯のあかりをおのが手にもちながら、火打箱をさがしてゐるは、やはりくらがりの心もちじや。明らかな本心を御互に持て生れて、樂はどの樣にも出來るものを、苦しんで一生くらすは、此八兵衞の御連中じや。このくらゐ心から物の大小輕重けいぢうがわからぬ樣になり、大切の心のゆがみはすてておいて、指のかゞんだを苦にやんで療治する。ソコデ孟子も御しかりなされて、「此之謂類。」(*前出。ここでのルビ「これこれを・・・」)と仰られました。猶明ばん御はなし申しませう。 下座。

(*弐巻了)

 序(手島毅庵)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下  跋(前川常営)

 (正編)  (続編)  (続々編)

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