良寛と蕩兒 その他 -3- 山つと
相馬昌治(御風)
(實業之日本社 1931.4.25、再版 1931.5.1)
※ 月ごとに見出しをつけた。原文のインデントは区々だが、ここでは統一した。
※ 原文では和歌を上下に分けて改行しているが、上下を続け、句毎に分けた。(*入力者注記)
緒言
目次
(中綴書簡)
【創作】
越後に歸る良寛
良寛と蕩兒
五合庵の秋
【研究・随筆】
良寛和尚を生んだ家
良寛さまと小判
良寛雜考
五合庵の開基僧萬元とその歌
【附録】
山つと
八重菊日記
(*注記〔相馬御風〕)
こゝに收めた「山つと」「八重菊日記」の二卷は、良寛和尚の實弟で、和尚出家後出雲崎橘屋山本家を相續した無花果苑由之の文政十三年三月から翌天保二年八月に至る日記である。即ち良寛和尚が示寂し、由之の長子眺島齋泰樹(馬之助)が又その後を追うて歿したのは、丁度その間のことである。隨て此の日記は筆者にとりては一生涯中の最も悲痛な經驗の記録であつたと同時に、良寛和尚の生涯を研究する上にも、亦橘屋一家の當時に於ける有樣を知る上にも、最も貴重な文献の一つである。筆者由之はその頃は孤獨な漂泊生活を與板町の假寓で營んでゐたのである。
なほ此の日記の原本は新潟郡(*県)西蒲原郡國上村大字牧ヶ花の解良家を(*に)秘藏されて來たもので、同家の當主淳二郎氏が私の爲めにわざ\/全部を筆寫して贈られ、更に今かうして公表することをも許諾された。これは私の爲にもまた多くの研究者の爲にも感謝に堪へない次第である。
山つと
(文政十三年(*1830年)三月より)
(*中表紙題字に「山都當布」とあるが、やはり「山つと」かと思われる。)
(*三月)
小山田(*新潟県五泉市小山田)に櫻おほしと聞いて年のはにいかでと思ひわたりしかど、芦分を舟(*葦分小舟。物事に差し障りの多い意から、「障り」の枕詞のように用いている。)さはりのみ有てはたさゞしを、ことしあながちに思立彌生のはつかの日に船より出たゝむとすとて、十八日のひ
しをりして 行とはすれど 老の身は 是やかぎりの 門出にもあらん
とかきて机におきしを、禪師(*良寛)見給ひて其端つかたに
小山田の 山田の櫻 見む日には ひとえ(*一枝)をおくれ 風のたよりに
其かみ岩子(*橘由之が身を寄せた中川家の女かという。与板〔三島郡与板町〕の人。)がよめる
咲花に うつろふとても 鶯は もとの古巣を 忘れずもがな
これが返し
花は根に かへるときけば 鶯も 古巣をいかで 忘れはつべき
船にのる時時子(*新津の人。後出「かつらの時子」とあり、桂誉正の家人か。)
秋迄の 別ときけば 春ながら 先我袖の 上ぞ露けき(*原文「露けさ」)
かへし
君が上に 露し置なば 秋またで とく歸りこむ 歎かすなゆめ
すでに舟にのりしをおもひて、長より(*後出「三輪長凭」)
朝な\/ 秋やしのばむ 君まつと たなばたつめに あらぬわがみも
かくいふあひだに舟さし出しかば、小須戸(*中蒲原郡小須戸町)よりかへしす。
我故に 君秋まつと きかませば 天の河せは 夏もわたらん
けふ風いと寒ければ長凭が家よりいたりし酒肴とう出て打のみつゝ、鐘がさきよぎるころほひにやゝおほきなる船さしのぼるに、綱手ひく者らを見て、
綱手ひく 身にはあらねど うつせみの 世渡る道は くるしかりけり
熊の森にて、
いかなるか 秋の山べの 栗の實は いかなるくまの とりてはむらむ
下しもて行まに\/いとのどけくて、遠山ならでは雪もなきを、尾さき(*南蒲原郡栄町尾崎か。)のもりの蔭にいさゝか殘れり。
野らにすむ きつ(*狐)が(*原文「か」)身にしも 似たるかな をさきに(*狐の「尾」と「尾さき」〔尾崎か〕との掛詞)白く 雪のみゆるは
今すこしゆけば信濃川二つに別れて又末にてあふ。其一筋は中の口てふ方にて、其わかるゝ所水たぎりて泡のおほくたてるをみて、
行末に 逢ふとはすれど 水さへに 別うしとや あわにたつらん
ゑひのまぎれにしばしばかりねぶりしが、おどろきて爰はとゝへばやないば(*柳葉か。〔地名〕)とこたふ。此村を過昔鬼のらうじ(*「領じ」か。原文「らうし」)住しを思ひ出て、
やないばの 名はやさしきを いかにして しばしも鬼の 住しなるらむ
東に雪いと白う殘れる山々なみ立て見ゆるを是あはがたけ、かれ會津ね(*嶺)などをしふ。
いかばかり あはに(*たくさん)降てか 今たてる 春をもしらぬ 雪のいろかも
あひづねと なれはいへども 紅葉ばの(*「過ぎ」を導く枕詞) 過にしいもに あふよしはなし
鵜の杜にて、
うのもりの 岸行水の 淵せには いかなるいを(*魚)か たへてすむべき
風すこし落しかば舟子「心せよ。」などいひつゝ、爰はうさぎのわたり成しかば、
鳥の名(*「鵜」を指す。)を あはせてもたる 渡りには 鰐も心を おかずやはあらぬ(*因幡の白兎の伝説を踏まえる。)
神代の事思ひ出てかくいへれど、舟子には何のかひかあらむ。
堤過行女どもを見て、
をとめらが 袖も裳裾も かへる迄 花をいよきて(*「い避きて」か。) ふけよはる風
ひつじ下るほど小須戸に舟泊て、けふもかくさきくてふねのはてしも神のおほみめぐみと禪師の君のいはひ給ふ、げにやと末もたのもし。こゝに昔しれりける家にしばしいこひつゝ、酒などのみて新津(*新津市)へはたゞ二里なれど、さるの時もやゝくだちぬれば、こはたの里ならねば馬より行に道すがら梅の木朝日などいふ邑には梅いとおほきが皆散方成ければ、
梅がえも 今はちるべく 成にけり 櫻はやつげ 行てわれ見む
日入はてゝそこにいつかつきぬる。こゝの福田やの某は昔しば\/宿る家なればさしてこしを、今は人宿すわざもせずといとすげなくいへば、其東なる家に宿りてとふにかしこの人々とほく遠く皆うせはてゝ、今はあらぬ人なむすむなるときくもいとあへなくて、
やどは猶 昔ながらに みゆれども 人は烟の ほどだにもなし
廿一日桂(*後出「桂譽正」)の家にうつりて、
花見にと こし我なれど 匂ひおほき かつらの蔭は たちうかりけり
かへし時子
花のひも まだ打とけぬ 我宿の 林のかげや すみうかるらむ
同じ家にて月見る人の軒に梅さかせしゑを題にて、
梅が枝に 宿る軒ばの 月影は 曇るも春の にほひ成けり
かへし、あるじの翁
梅が香も まだしきほどの 軒ながら 宿れる月の 影ぞうれしき
同じをり、時子が返し
梅がかの はつかにかをる 軒ばをも 隔ぬ月の 影ぞうれしき
かへし、由之
月影は 里わかねども 梅の香の かをる軒には わきてこそすめ
久方の 月は所も わかなくに 宿るや梅の 匂ひなるらむ
廿三日人々と共に酒うちのみて、
春秋の けぢめもみえぬ 常葉木の 桂の蔭は 千代もあかぬかも
かへし、時子
このもとに 君し宿らば 久方の 月の桂の 色やまさまし
廿四日菊の繪に
紫の ひともときくの 色深き 匂ひぞ千世の 根ざし成ける
廿五日
たのみ有 年にもあるかな 櫻花 加はる春を 待としおもへば
かくいへるは、小山田の櫻たゝむ月ならではさかじと人のいへればなり。
つごもりのよ、時子
おきゐつゝ ともにをしまむ くたかけ(*原文「くだかけ」)の なくを限りの 春の名殘は
かへし、由之
加はれる 月はありとも たのまじな 春はこよひを かぎりとおもへば
まことや廿七八日の比、時子がよめる
手折もて 君にとはゞや 梅の花 いつよりかくは 匂ひそめしと
かへし、由之
いつよりと 何か尋む 梅の花 たをりし君が 袖をはなれて
(*閏三月)
うるふ月のついたちのころ、ある繪師の來て酒のむついでに紙どもとう出て何くれのゑかくからにしたがひて則讃てふ物たはぶれにかきそへしなども、山田に翁有郭公をあふぎ見る、
足曳の 山田のおぢ(*原文「をぢ」)も いろ弟(*「いろと」=同母弟)とて しでの田長(*ホトトギスの異名)は 今ぞなくなる
小松にわらびをりそへしかた、今の松にはまさりざま成ければ、
春やとき 子日やおそき 小松ひく 野べのわらびは 節立にけり
桃花にかみひな、
おのづから やよひゝなとぞ(*「やよ雛」に「弥生」を掛ける。) 見ゆるなる もゝの(*「百の」に「桃」を掛ける。)媚ある 筆の匂ひに
みかの日、桂のうからなる下こうや(*新発田市下興野)なる某の家によばれてふつかより待わびしを、其日雨風はげしく三かもおなじ(*原文「おなし」)空のけしきなれば、花も見るかひあらじと思ひしかど契れる日なればあま衣よそひて行にとほからぬわたりなれど老人どもはいとからきをとかくして行つて見れば櫻は猶盛りなりけり。是によそへて、よべよりの雨風にも猶かはらぬ庭の櫻をぬしの心にたぐへてとはしがきして、
山風は 吹きとふけども 香はしき 君が心の 花ちるらめや
しきりに風の吹きまさりければ夕暮に、
春風よ ふかばふかなむ あかねども けふ日ぐらしに 花はみしかば
花見つゝ 酒のむ春は 世中を うしてふ人ぞ うたがはれける
此の日碁をうちて暮しゝよろこびに、
櫻花 見つゝくらせる 木の本に をのゝえさへを くたしつるかも(*「斧の柄を朽たす」=気づかぬうちに長い時日を過ごす)
雨風はげしかれば(*はげしければ)おい人どもは爰に宿りてつとめて朝戸出にきてみれば、よべの雨に彌生櫻の露ふくめる色あひは、梨花一枝などこと\〃/しく唐人のいへる(*白居易「長恨歌」)も物の數かは
花櫻 よのまの雨や つらからし けさうらびれて(*うらぶれて) 色のはゆるは
鶯の音のきこゆるも人はいかゞあらむ我は此の春の初音なりければ、
さく花に 宿りからずば 打つけに けさ鶯の 初音きかめや
鶏冠木(*楓。「かひるでのき」〔蛙手の木〕。)の若葉を見て、
かへでばの 色のやしほに 見えつるは 秋の黄葉の 下染かこは
賤どもゝ花の本をすぎがてにするを見て、
山賤よ 花に心を ちらしゐて 苗代水を 人にひかるな
雨猶やまねば、けふもかへる心しなくて、
鶯の 初音聞つゝ 春の日を 櫻の本に けふもくらさん
桂の雅帖(*後出「まさきのかづら」)の序
花になく鶯、水にすむ蛙の聲すらおのづからなるこわねときく時は(*古今集仮名序を踏まえる)、まいてみやびたる人たちの玉の言のはをひろひ置て、心のつれ\〃/をなぐさめはた家の寶ともせむに、やまとのも唐のも、歌はさらにて俳諧のほく(*発句)あるはたはれ歌(*狂歌・狂句の類)何くれも唯一つづつものしつけ給はゞ、長き世につたへむとてやがて此草子をまさきのかづら(*原文「かつら」)と名づく。ひかりなきわがことのはにおく露を玉にまがへて見む人もがな。
こは桂譽正にかはりてなり。
うるふやよひ十日にこゝをいづるに、「又」とは契りおく物からいと心ぼそくて
別行 今は秋にも あらなくに あやしく露ぞ 袖に亂るゝ
そよ忘たり。ある人うたひとつとこひければ則
ますらをと 思ひし我も 老ぬれば 秋ならぬ袖に 露のみぞおく
(*以下、筆者は「いづみ円」)
春くはゝれる後のやよひの十日、きのふの雨なごりなくはれていとのどかなるゆふつかた(*原文「ゆふつがた」)、草の戸さしのぞきていりぬるはたれにかとよくみれば、はやうあひしれりける出雲崎なる橘のをぢ(*橘由之)にぞ(*原文「にそ」)おはしたる。「こは思もかけぬことかな。かくふりはへとはせたまへるはなにごとか。」ととへば、「とし頃聞わたりつる小山田の花ころほひよしとききつれば、新津の里より物しつる。」とのたまはす。「いまは四五日もおくれにけり。うつろひがた(*原文「うつろひかた」)にやなりぬらん。そはとまれ、道しるべせん。」などいひつゝ、火ともしてさけくみかはしかたらふほどに、春夜はやくふけて月もいりたればふしぬ。
あくればとくわりごなどとりまかなはせ、辰ばかりにたちいづ。いせ川にわたせる丸木ばしなゝめになりて、わたらんとするにあしふるへ、梨園
ひとつばし 手をとりあへる 老が身を 花の友とは たれか見るべき
由之
花ゆゑに 名は山川に ながすとも 何かをしまむ おいの身にして
早出川(*阿賀野川の支流)をわたりていつせの里(*五泉市付近か。)ゆくほど、こゝかしこ花の梢みなうつろひて風さへふきつれば、たゞちりにちりくめり。圓(*梨園と同一人物)
はる風は やまずふかなん けふはたゞ 雪とのみちる 花をみにこし
由之
いまさらに をしみもあへず ちりがたの(*原文「ちりかたの」) さくら吹まけ 春の山かぜ
また
ちりのこる 梢に青葉 さしそひて なつをかねたる 花のいろかな
げにいま四五日はやからましかばとおもふるも、圓
けふまでは まちてかたへに 殘れりと 花ものいはゞ うらみもやせん
もりの木蔭に里人田かへす。圓
散かゝる 花の木蔭に おりたちて ゆきをぞかへす 春のあらをだ
きゞすのなきければ、由之
おもふどち はな見にくれば 春野に きゞすなくなり こゝろあればこそ(*原文「あれはこそ」)
里々の梢どもみなはかなげにうつろひつれど、かの山はたゞ雲雪とぞ見わたさる。
ふもとにいたればたちつゞきたる木下かげ、そらにしられぬふゞきにてよくせずは袖うちはらふべくおぼゆ。圓
小山田の やまのさくらに 風ふけば 松のこずゑ(*原文「こづえ」)も 香ににほふなり
山櫻 きのふや雲を わけつらん けふは雪ふむ 山のかけ道
山櫻 あふぐ梢は 青葉にて 木蔭のゆきぞ かににほひける
由之
消もあへぬ 雪とは見れど 山風の おくるかをりは さくらなりけり
をやまだの さくらはみねの 雲にゝて よしのはつせも ふもとなりけり
山ふかくなるまゝに梢の花いとよくなりぬ。花も奧なることわりしられてあかずおもしろし。まどか(*前出「円」)
わけいれば 盛の花も あるものを ちるをふもとに なにをしみけむ
ときうつるまでいはねにおりゐて、由之
あはれしる 人と花みる けふの日を 千とせはふとも われわすれめや
げにたまあへるどち(*魂合へるどち=気心の知れた、心の通じ合う者同士)はとて、圓
山ざくら わけていそぢは すぎつれど ことしばかりの 花はみざりき
由之
ことしまで いかゞありけむ 來てみれば ことしのみさく はなかとぞみる
圓
とふ蝶に 身をあひかへて けふばかり かをる梢の 花にねぶらん
また
あくばかり 花見しかたに そむくれば 杉のしげみに うぐひすのなく
猶山ふかくわけいれば花もまれ\/になりて、谷川の岩に雪解の水わきかへりていとすさまじ。圓
山ざくら 奧をつくして しら玉の いはねにとよむ(*原文「どよむ」) 瀧にいでけり
さて谷川のながれいとよき所にむしろうちしきて、物くひ酒たうべ、しれごといひあへり。圓
もろともに ゑひはすゝみぬ いざ立て 花をやをらむ 水やむすばむ
けさよりの道にこうじにたれば、ねぶたくさへぞなりにける。圓
ひとゝきを ちよのかりねの 草まくら 妹とすみれの 花になぐさむ
由之
うちつけに 妹とすみれの 花みれば むかしの春の おもほゆるかな
山をくだるに柴人ところ\〃/に見ゆ。まどか
かのをかに いこふ山がつ ふぐし(*掘串)かせ ひるつみいれて 家づとにせむ
由之
ひるつまば われもわらびを ゝりてまし 山づとこはん 妹はもたねど(*この歌、標題の由来か。)
赤羽(*五泉市赤羽)下の里より早出川を舟にてくだる。圓
見し花の ちりて流るゝ あとゝめて 小舟さをさす 山川の水
花はみな ちりて流るゝ 早出川 きしの柳に 春をとゞめて
ふねをあがりて暮かゝるほどに家にいりぬ。その夜山のことゞもいひ出て、また來むはるはなどちぎりつるついでに、由之
こむとしを あだにも契る さくらばな 風もまちあへぬ 老の身をもて
圓
山とわれ あらんかぎりは さく花に ちとせのはるを かけてまたまし
文政十三年閏月
いづみ圓しるす
(*ここまで「いづみ円」の記。)
かむのくだり十一日の記は、山路にこうじていとくるしければ(*原文「くるしかれば」)、圓にあつらへしなり。つとめて圓の別業に瓶にさせりし櫻のほろ\/とちるを見て、
吹風に ぬれ衣きすな 櫻花 心がらとは ひとしらじやは
きのふかへさに、丸木橋おひてわたしゝをのこ見つけてよせてとらせし
早瀬川 きのふわたしゝ 丸木橋 思へばけふも 身はひぢ(*原文「ひじ」)にけり
十三日の朝まだき、近きほとりなる某寺の櫻見にまうでて、
櫻花 やゝちりぬべく 成りにけり けふばかりだに 風ふくなゆめ
風ふけば みだるゝ蝶と 見ゆるかな はては芥の 花の下かげ
又鹽竃とよぶ櫻の花のもとにて、あくたやきすつとて烟りおほくたつるを見て、
鹽竃の おのが櫻の 名にそへて たつるを海士の けぶりともみむ
かめにさゝれし櫻の散しをすてゝ、こと花さゝれしをみてよめる、
捨られし 恨なおきそ 櫻花 老をいとふぞ 世のならひなる
十四日、あすはたゝむといふををしみて、まどか
なげけとて かりにやとひし あすよりは 行らん空を ひとりながめて
諸ともに 花には行つ 秋は又 きませ山べの 紅葉たをらん
かへし
春は花 秋はもみぢを たづねこむ うつせみのよに あらむかぎりは
十五日は雨ふればとゞまりて何となく物哀成ければ、「ことのはごとにおく露の」てふふることなど思ひ出て、
哀てふ ことの葉今は とゞめてむ さてしも歸る むかしならねば
まどか
かならずと 秋こむ事は たのめても 人のとゞめぬ 君にやはあらぬ
かへし
かならずと 契りし秋を たがへなば あまの河原の 水もたえまし
入相の鐘の音聞いて、まどか
春の日の 夕暮はやく おほしけり(*「おぼしけり」か。) 秋の別を まづかこつとて
かへし
入相の かねは物かは 老の身の さらぬ別を まづおもふには
又かへし、まどか
百年も まさきくいませ おなじよに 我も旅寢の 枕ゆふ迄
身のいとまなきをわぶなるべし。
由之
秋ならで まがふ袂の しら露は おいのわかきの 涙なりけり
とぢめとは あらざらめども 老の身の 心ぼそきは 別れ成けり
今はいはじ いへば涙の こぼるゝを せきあへぬ身の 袖のせばきに
十六日、雨やみぬれば出むとて馬ひきたてし時しもあれ、此日ごとに來とぶらひ碁うちし岡田某翁、齡は我とひとしくて碁はすこしおとれるを、きのふあまた度うちしをむつかりて秋迄の名殘に今一度といふ。おのれもいなにしあらねば、馬士の心をもしらではじめしにけさも又かちしかば、「あな心う。秋は紅葉見がてら必おはせ。此とうはせん(*未詳)。」といひし時によめる、
をのゝえは かへる\/も くちし(*「斧の柄朽つ」であっという間に時が過ぎる意。『述異記』の故事に基づく。前出。)世に 何をたのみて 秋を契らん
からうじて打出つゝ早せ川の堤のまに\/行に、河風はげしう吹てうまの上たへがたかりしかど、日うら\/といと長閑にてそこらの詠(*ながめ)いはむかたなく、はるかに見わたすひと村の小家ども、柴垣もおろそかにかつあばれたらめど(*原文「あはれたらめど」)、遠目はつみゆるされて繪にかゝまほし。
をちかたに 一むらたてる さゝのやも 春ははるなる いろぞ見えける
分田のわたし船にのりて思ひめぐらせば、爰をわたりしもはやみそとせのあなたなりけりと思ふもいとあはれなりけり。
行く河の 流は今も かはらぬを 影見し水ぞ おいはてにける
土橋(*北蒲原郡水原町土橋)のもりにたゞ一木散殘れるはこと(*未詳)をあまたにやらじとや、げにいと哀に見ゆ。
吹風の たれあつらへて さくら花 このひともとは とゞめおきつる
巳の時下るほどに水原につきぬ。夕つけて小田島(*西頸城郡名立町小田島か。)の某をとひしかばいといたうよろこびつゝ茶酒などもてなす。もとのあるじはみとせのあなたに身まかりしときくもいとかなしう、庭の小松どもゝ今はよきほどの大木になれるを見て、
庭にたつ 松のみどりは 常葉にて うゑけむ人の 影だにもなし
日入果て火ともしなどして、軒にたてるやへ櫻の散殘れるを見て、
末つひに あくたとならむ 櫻花 おちむかぎりは よるさへにみむ
十七日、新津へたよりすとて、
かへりこむ 日は近くなる 物ゆゑに(*ものであるのに) 別路とほく 成まさるかも
十八日、新發田へうつりて松の屋の某が家に宿る。あるじ人かはらぬおもわ(*面輪)成けり。
十九日、よひより雨ふりて猶はれねど、けふ九の市とて人さはにたちこみしが、巳(*原文「己」)のときより雨降つのりしかば、軒下にかゞみをりあるは折敷やうの物かしらにいたゞきなどしてさわぐ中に、よき未通女(*おぼこ)らも見えしかば、
ふる雨も 心してふれ 市にたつ めざし(*「目刺」=額髪を目に触れる辺りで切り揃えた髪。若い男女の意。原文「めさし」)ぬれなば はゝにのられむ
ひる過る頃つれ\〃/とひとりながめて、
ながめふる 春の日數の すぐるにも ぬるゝは老の たもとなりける
此家郷宿(*村人の宿泊所)とかいふわざして村々の雜人等つどひて物語す。この程江戸より小貝ども枝につけて作花する男來れり。冬の見ものにいとめづらしう春もちらでよしなどほむるをきゝて、
咲ちらぬ 物ならませば たれしかも 花を哀と おもはましやは
とは思へどかひなければ何かはきかせむ。
うるふ彌生もはつかとなれば、今は物うしとや鶯もきこえず。
春日さへ つごもりがた(*原文「つごもりかた」)と なる袖は うぐひすとだに(*「鶯」に「憂く」を掛ける。) 我やなかまし
白瀬和合都をとふとて
くはゝれる 春さへもちも(*望も) 過ぬれば 今ぞ尋る 言の葉のかげ
此法師歌よむと聞てふりはへとひしかど病にかこちてあはず、かへしをだにせねばいとさう\〃/しくなむ。さらば清水谷とかいふ殿の山里の庭(*山の別邸の庭)をだに見てかへらむを、その事おこなひてよと旅屋のあるじにいへど、例の人にくき面もちして、「殿こゝにますほどは」などいひて心にもいれねば腹だゝしく(*原文「腹たゝしく」)なりて、「さてはえうなし。五十公野(*新発田市五十公野)にまからむ。」とてさるの時ばかりに出たつ。そのかみ
影寒き 清水の谷の 名にあひて 人あたゝかに 見えぬ里かな
五十公野の西方某へは桂丈山(*前出「桂譽正」か。)よりふみそへしかばそをとひしに、あるじ家にあらずとていとも\/あやしげなる小家にやどしつ。夜に成てつかひしていひおこせしは、「殿の山里の事はあす見せまゐらせむ。おのれ歌の事はしらねば逢まゐらせむもえうなし。」といへる、又にく\/し。
花散て ことの葉はまだ ひらけねば 蔭と立よる この本もなし
よるいとさむかりしかばつとめて、
廿一日
五十公野の 里の嵐の 寒けきに ねざめのみせし 春のよすらを
庭の事いひやりしかどあるじかへらずとて取もあはず、はへ(*「よべ」か。)契りしをのこもけさはかほだに見せねば、
よひにみし ことの葉けさは ちりにけり まだきの秋の 風や吹けん
さらば水原にかへらむとてうまひきよせて、
よるべとて たちよる蔭も 秋に似て 此たびばかり わびしきはなし
白玉に あらぬ我身も しかすがに(*原文「しかずがに」) 河原の石に まじりやはする
「しらずともよし」(*「白玉は…」〔万葉集〕の歌を踏まえる。)といひけむ人こそ思ひやられしか。
廿二日、水原(*北蒲原郡水原町)にて暮春の心を人々によませしついでに、
いつはとは わかぬ月日の いとせめて をしきは春の 暮るゝ成けり
廿四日、誰とはしらねどなき人おくるを見るにいとあはれにて、
卯の花の うき世見じとや 夏またで 春しも人の 別いぬらむ
ふる聲を 今ふり出て なき人の 道しるべせよ 山郭公
程もなき 身とはしるしる(*知っているので、の意か。) 行人を さすがにいはず やよやまてとも
日暮て後妻の心にかはりてよめる
暮ぬまは 夢とも見しを 中々に よるのうつゝは やる方ぞなき
夜更もてゆくまに\/雨しきりに降くれば、
ふれよふれ 烟消なば しばしだに なきがらとむる ぬれ衣にせん
廿五日
籠花いけてふ物にさゝれし色々の花どもも、日にそへてちりもてゆくを見て、
風しらぬ 蔭の花さへ 散ゆけば 春のかたみを 何にとめまし(*求めようか)
廿六日
水原を立て、長瀞(*後出「長戸呂」)なる高橋文祇が家に行とてわらうずの緒むすぶ時に、小田島のさち子
行春は ひと日ふた日も ある物を そをだにまたで かへる君はも
かへし
名殘なき 別せじ(*原文「別せし」)とて あづさ弓(*原文「あつさ弓」) はるの日數を とゞめてぞ行
駒林てふ里にて青やかなる木どもの中より、鷄冠木の紅葉のふとさし出たるを見て、
秋よりも 春のはやしの 木間かへで(*原文「かへて」) 行末かねし 色ぞめでたき
爰をはなれていとひろき原に、菜種の花(*歌の内容から、ここはクチナシを指すか。)おほくさけり。
ともし火を ひとりかゝぐる 種とてや うべ口なし(*梔子を篝火草ともいうことから「口なし」に掛ける。)に 花の咲らん
山羽野にて、
小忌衣(*をみごろも=物忌みの時に着る着物で、草擦りの模様がある。) すらむ草葉も 見えなくに たれ山羽野と 名づけ初けん
長戸呂(*豊栄〔とよさか〕市長戸呂。前出「長瀞」)の村のはし詰なる菜田を見て、竹川ならねど、
長とろの 橋のつめなる まろ小菅(*「まろ」を導く序詞) まろ來にけりと 言に告こせ
こゝははじめてなればおぼつかなくてなりけり。
文祇が庭のゆづり葉を見てあるじをいはふ。
かぎりなき 宿の園生の ゆづりはの(*「ゆづり」を導く序詞) ゆづり絶せぬ 千世の蔭かも
かへし、文祇
たぐへては 千代ゆづりても 蔭あさし 君がこと葉の 深き色には
奴等が庭清むるをゝしみて、
今よりは 庭なはらひそ 風にあへぬ 花も木葉も 春のかたみぞ
これの庭は櫻いとおほかるが皆青葉と成にければ、
櫻木の 青葉のはやし たづね來て 心に花を さかせてぞ見る
夕暮になりて、
櫻花 ちりてあくたと なる春の 青葉をわくる いりあひの鐘
廿七日
「こむ春は花の盛にかならず。」などいふ物から、
契りおく 花はたがへず さくらめど こむ年たのむ 老ぞあやなき
かへし、文祇
とひまさむ(*お訪ねいただきたい) こむ春たのむ 庭櫻 たがへぬ花を ちぎりにはして
同じ日、秋山の徳旺法師をとふ。こはとゝせあまりの昔、京にて必と契りおきしを思ひ出て成けり。されど見しらぬよしいへりければ、
昔見し 翁が眉の 初霜は 今はみ雪と つもりけらしも
とかきて見せしかば、まさにおひうたむとせしおもゝちすこしなごみて、「其契り給ひしは弟にて七とせのかなたになむうせ侍りし。おのれはそれが兄の慧本に侍り。」といふをきくにいとあへなくて、
ちぎりてし 人はなき世の 跡とへば こたふる物は なみだなりけり
かくて物語などせしついでに、「九十になる母の此比いさゝか心ちたがひて」といへりければ、
百とせを のこすとゝせや 行末の 千世萬世の たねにざるらし(*「たねにぞあるらし」の約。)
是をいとどいたうめでくつがへりて(*原文「くつかへりて」)、けふ新津にいなむといふをあながちにとゞめつつ、避■(艸冠/塵:ちん::大漢和32212)と名づけしひめ庵(*小さな庵)にゐていきて酒のませなどして仲よくなれり。其室の前によき藤有。「是に歌ひとつのこせ。」といへりければ則よめる。
紫に たなびく雲と 見ゆるかな ■(艸冠/塵:ちん::大漢和32212)もまよはぬ やどのふぢなみ
又そこに圓位上人(*西行)のすがたをきざみて床にすゑまつりしに手向まゐらせし、
君が見し 鴫たつ澤は(*「心なき…」の歌〔新古今集〕を踏まえる。) 今もあれど 跡とふひとは なき世なりけり
そのかみいひけらく、「母が九十ノ賀せしをりの屏風にある人萩のゑの所に、『宮城野の 眞萩が上を 風ふけば 下にくだくる 露の白玉』とよみしをおい人は『いまはし。』とていたく心にかけしが、此ほどは病すればいとうしろめたし。」といふ。「さらば是にてなぐさめまつり給へ。」とてよめる、
宮城野の 眞萩が上に おく露は いく秋ふとも ひかりきえめや
九十の人の猶末とほくと思ふ、ふくつけく(*貪欲で)をこなれど、子の身にてうしろめたうおもはむはことわりに哀成けり。かくて夜いたく更てねぶたかりければ、
いざねなむ 千々のこがねに かへむてふ ねぶりは春の よはのひと時(*「春宵一刻値千金」〔蘇軾「春夜詩」〕を踏まえる。)
廿八日
つとめてかの木像に手むけおきし花どもの散たる、あるじのはらひすつる見て何となく口すさびし、
ちる花も 芥にせじと をしむかな 春のかたみと いまはおもへば
これをさへにかきとむるはをこがましけれど(*原文「をこがましかれど」)、そも何かはひとに見すべきならねば、爰を出て新津にうつる道の駒込といふ村の垣根に卯花さけるを
うの花は はやほころびぬ 郭公 山のおくにて はねつくりせよ
をぎ島(*新津市荻島)の渡りにて見れば東より流るゝは阿賀よりわかれ來、南よりのは新津川にてともに信濃川におつめり。
行河の わかるもあふも ながれての はては大海の 浪とこそたて
新津に來つきてはやう\/(*漸う)心おちゐつゝかくなむ。
雲水の 行へさだめぬ わび人は とまる心を やどりとぞする
かへし、たかまさ
雲水に 身をまかせたる 君なれば 雨はもるとも やどれ木のもと
(*四月)
四月ついたちの日いとさぶかりければ、
風さむみ 衣かへうき けふなれば いつとかまたむ 山ほとゝぎす
寒しとて うとみなはてそ 郭公 山のおくにも 風ふかじやは
春過ぎて 風猶さむき 空見れば こし路の夏は 名のみ成けり
そよ忘たり。やよひのつごもりに、
こむ年の たのみしあらば 梓弓 はるはゆくとも をしまゝしやは
行春に したひもゆかむ 空にたつ 霞に似たる 我身成せば
れいの身の老らくを歎て、
白雲の(*「たち」を導く序詞) たちゐにそへて 思ふかな 身の古へに かへりがたさを
「むらさきの 名をむつましみ 武藏野は」とよみし時子が歌のかへし、
紫の 色のゆかりと おもひせば 老はむさしの 野(*「武蔵野」に「むさし」〔汚い〕を掛けるか。)となうとみそ
おなじく
たちばなの 匂ふ夕べの 軒端より 鳴音もかほる 山ほとゝぎす
かへし
橘も かれにし宿を 郭公 音づるゝにぞ ねはなかれける
たち花の 匂ふ軒端の 時鳥 昔のかたに をちかへりなけ
別もひと日ふたひとなりしいつかの日の夕べ、時子
やよしばし なれもかたらへ ほとゝぎす 立行君が わかれとゞめむ
かへし
しばしとて とゞまるべくは 郭公 なれよりさきに 我ぞなかまし
これの翁がすむ方の島作りはてし夕暮空の氣色もをかしかりければ(*原文「おかしかりければ」)、
夕暮の しづけき庭に おなじくは 山ほとゝぎす ひとこゑもがな
六日、屏風の繪秋野に鹿たてり。これも同じ方のなり。
春日野の 秋の露原 ふみ分て 妻とふ鹿の 聲ぞたえせぬ
後撰戀五よみ人しらずに、「ながらへば 人の心も 見るべきに 露の命ぞ かなしかりける。」是が返しのこゝろを、
ながらへて かひあるべくも あらぬ身は 後のよとだに たのみてや見む
なぬかの日、本田の某が家によばれしに、あるじのあさからぬ心しらひをうれしぶあひだに雨の降り來ければ、
ふる雨を ぬれ衣にして 明日も猶 君が宿りは かれじ(*「離れじ」、原文「かれし」)とぞ思ふ
もてなしそへむとて時子、亭子がつくし琴の梅がえの曲ひきしをいとをかし(*原文「おかし」)と聞て、
春ははや 過し今しも うめが枝に しらべのこれる こゑをこそきけ
是もおなじ時ふりみふらずみ定なき空に、あす此の里をわかれなむと思ふもかへりみがちにて、
ふるもうし ふらぬもつらし(*原文「ふらぬつらし」) 五月雨の ゆくもとまるも 心そらにて
時鳥 おとづれぬべき 空見れば 我こそはまづ なくべかりけれ
又手づから秋野のかた(*絵)かきて
武藏野の 秋のしげ野を かき分て 若紫の ゆかりつまゝし
八日よべ、きのふのゑひ猶さめやらねばもだしゐて時鳥を待とて、
うの花の 垣根はかれて 郭公 月のかつらの かげをとはなむ
九日、出たつとて
秋かけて 契るもはかな 神代より よはひつきせぬ 星ならずして
かへし、時子
銀河(*あまのがは) かけてちぎらば 彦星の よはひに君も あはざらめやは
又同じ人
別ぢを をしむ心の つきせねば ことの葉さへに 露けかりけり
かへし
言のはに おく白露の 玉ならば 袖につゝみて ゆきもしなまし
出立の盃をとりてそこなりける人にさすとて、
さかづきの かひなき影も とゞめおきて 又こむ秋の かたみとは見よ
その人にかはりて、時子
君がよはひ のむさかづきに とゞめおきて 老せぬ秋の 影をこそまて
ひる過るほどにかへり見がちにて平潟(*白根市平潟)にうつる。けふは時鳥もなきぬべき空なりければ、
あし引の 山田うゑよ(*原文「うえよ」)と つげがてら なけ郭公 われもきくがに(*聞けるように)
風やう\/凉しうおぼえければ、
花の爲 にくみし風の いつのまに うれしき迄に なりにけらしも
十日、平方村、これの長井の家の出ゐ(*出居。接客の間)は東に向ひて朝日花やかにさし入しを、すこしそむく(*日差しに背を向ける)とて、
天津日の ひかりをたのむ 我なれど さし向ひては まばゆかりけり
十一日のあした、「よべは水鷄あまた度鳴し。」などかたらふついでにあるじ、
まれにこし 君が旅寢を おどろかす 沼のくゐなや 物うかるらむ
かへし
くゐなだに おどろかさずは(*原文「おどろかさずば」) ひとりねの まくらを何に なぐさめなまし
十二日、茨曾根(*白根市茨曾根)にうつるとて、こゝも又名殘のをしければ(*原文「をしかれば」)、
末かけて たのむよはひの 身にしあらば 別もうしと おもはましやは
草によせてしのぶといふこゝろを、
あなといはゞ 聞もしらなむ 山がつの 垣ほにおふる くさの花の名(*「あな憂」で「卯の花」という意か。)
十六日、茨曾根にて
うちくもり 若葉もそよぐ 夕暮を 山ほとゝぎす 聲なをしみそ
十八日、同所にて田うゝるを見て、
をとめらが うゝるさなへに はかなくも 秋のたのみを かけてこそまて
廿日より廿二日迄小關(*燕市小関)にをりしかど歌はなし。
廿三日、新堀(*南蒲原郡栄町と西蒲原郡分水町に新堀の地名が残る。)にうつる。其ころ同じ所にて、
ますらをが ゆづるはなれし(*弓弦離れし) かぶら矢の(*下の句を導く序) 二度手には かへるものかは
かくいへるは二とせ三とせのかなたより契りおきてし事を此春となりて俄に松山の浪こしゝかば(*「契りきな互に袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは」の歌を踏まえ、約束を違えたことを暗示する。)腹だゝしけれど(*原文「腹たゝしかれど」)、「何かは。是も世のさが。」と思ひをりしを、更にちぎりのことせまほしげに人もていはせしを、物もいはでその人によみてとらせしなり。
杜鵑をまてど音もせざりければ思ひかねて、廿八日の夕暮によめる
今ふたたび(*原文「今ふたたひ」) 過て來なかば 時鳥 おのがときとぞ 打きゝてあらむ
こは寺泊にてなり。
物おもひつめてよめる
五月雨の はるゝ時なき 心には 山ほとゝぎす なかぬ日ぞなき
是迄寺泊
(*五月)
五月ついたちの日、麓にてはじめて杜鵑をきゝて、
たづねこし かひは有けり 時鳥 北山里に をちかへりなく
庭にたてりし松竹を見るにも、昔の人々を思ひ出て、
松竹は 昔ながらの 緑にて なれ見し人や いづちなるらむ
三日のひ島ざき(*三島郡和島村島崎。良寛の菩提所隆泉寺がある。良寛は晩年、乙子神社境内の庵を出て、島崎の木村家の庵室に移ったという。)へふみ奉りしついでに、
櫻花 見てし袂の うつり香を くやしく雨に あらはれにけり
ある女の、五月雨の比いもうとにおくれて歎くときゝて、其の女の心にかはりてよみておくれる、
なく涙 雨とふれども 渡河 水まさねばや かへりしもこず
(*六月)
みな月ついたちのひ、いほり(*中川家邸内の松下庵)にかへりて後千世とじ(*刀自。與板の人。『八重菊日記』を参照。)のもとより、病猶おこたりはてで身のいたうくづほれしよし、いひおこせしかへりごとのおくに、
やそとせを やすく待えし 君なれば 千世にや千代の うたがひもなし
さゞれ石の なれるいはほに むす苔の 花咲く春を 千度見よ君
あさがほ(*原文「あさかほ」)を見て
朝顔の 花をば花と よそに見て 過す心ぞ ましてはかなき
朝がほの色々に咲まじれるを見てある人、「るりにましたる事なし。」といふを、またある人は「花田(*縹)の方すゞしくてよし。」といひ、又はゆはた(*纈=絞り染め)にさくを「めづらし。」といひ、「白きが清くてよし。」など其あらそひ事つくべくもあらねばよみてみせし、
さく花は こゝろ\/の 色なれば 心々に 見むひとも見よ
思ふ心ありてよめる、
此世には なぐさめがたき 我身かな おば捨山の いりかたの月(*姨捨山の伝説〔大和物語〕から「なぐさめがたし。」を引く。)
述懷
うき世とは たれ名づけゝむ 酒のみて うちぬる程の こゝろしらずて
ある世手あらはむとせしが、窓の竹の月影にうつれりけるを見て、
夏のよの 竹に影ある 久かたの 月は秋にも てりまさるかな
ある男ある女とみそか事して子などうませしを、母聞つけてつひに家にむかへしよろこびをよめる、
つるかめの 千年を契れ 葉がへせぬ 小松を庭に ひきならべつゝ(*小松に子の意を含める。)
あつさたへがたき日千世とじをとふとて、
あつき日を 物としもせぬ ますらをも 君がためにぞ あせはあゆなる
かへし、千世子
君ならで あせもあゆなる あつき日を いかにと誰か おもひおこせむ
十九日、秋たつときくに小山田の櫻見し事など、ふと思ひ出てよめる、
たづねつゝ 花見し春は きのふにて けさ秋風は たつといふなり
まがきの菊のいといたうかしげて(*傾げて。原文「かしけて」)たてるは秋のたのみもおぼつかなく、身の有樣にもかよひて哀なりけり。
わが宿の かきねのきくは 花さかで ちとせの秋に ねのみあふらむ
あるひいたくはらだゝしき(*原文「はらたゞしき」)をしのびて、
かくてしも あればあらるゝ 此よとは 身のうきふしに なれてこそしれ
かつらの時子が源氏の末摘花の卷のかけじ(*掛地。掛軸。)を書寫してやるとておくに、
紅の すゑつむ花の 末つみて かたみにそめし(*紅花で染める意と墨字を書く意とを掛ける。) みづぐきのあと
ある人はじめのをのこ子をうしなひ、次のをみなご(*原文「おみなご」)はめしひ、其次の男子をたなごころの玉(*掌中の珠。愛子の喩え。)とたのみてありしが俄にうせしかば、ふたりのおやの歎は更にもいはず、見るわれさへに心をさむべきよしなく、其事を禪師のきみにまをすとて、
よそにきく うきはならひの 哀にて めに見る\/は たへずも有かな
日ぐらしのなくをきゝて
ひぐらしの なく聲きけば 秋ちかみ 松にも風の 音ぞかはれる
春秋を おくりむかへの はて\/は なしとこたへて かどやさゝまし
此ごろ照りつゞきていとあつくけふはたへがたき迄なるに、蝉の大ごゑさへほそう(*普段の大声が今日は弱く)くるし氣にきこゆれば、
木葉みな よられてあつき 夏の日を かれもうしとや 鳴よわるらむ
三國(*福井県坂井郡三国町か。)のもと子(*未詳)がりやりし文のおくに、
玉くしげ(*「み」を導く序詞) みくにの浦は ふたゝびと(*せめて二度なりと、の意か。) 見てこそしなめ 哀その浦
藤谷の御杖(*富士谷御杖〔1768-1723〕。京都の国学者・歌人。成章の子。『詞葉新雅』『古事記灯』等を著す。)もかしこにしばし在て京にかへりてうせにき。そはおのれにははるかの弟なりけり(*橘由之は1762年生まれ)。
誰もみな 在はつまじき 此よとは おもひつゝなほ たのまるゝかな
おのが(*原文「をのか」)やどはやがてひとのせど(*背戸。橘由之の庵は中川家邸内にあった。)なるをしらぬ女の、そこに立てなくはいかなるにかあらむ。
さなゝきそ 誰もこの世は うけれども 忍べばしのぶ ならひならずや
暮がたにとなりのをとめのかほの中垣のあはひよりほのかにみし、そこに夕がほの花もさけりければ、
蚊遣火の けぶりいぶせき 垣ねより ほの\〃/見ゆる 花のゆふがほ
(*七月)
七月いといたうあつき日萩のやう\/さきそめしを見て、七月ついたちの日なりけり(*「七月ついたち…」を後で補ったものか。)。
かきほなる 萩の初花 匂へども まだ身にぬるき 秋風そふく
三輪長凭が庭のおい松のもとに靈芝てふものおひしを、「これなむ山人のもてはやす物ときくを、いはひの心の歌よみてよ。」といひければ硯こひ出て則
やちとせの 松のこの根の くさびら(*きのこ)は よろづよふべき 宿のさがぞも
いもうとのおもと(*橘〔曾根〕みか子=妙現尼、か。)がうたおほくよみて見せにおこせしをみれば、いともよかりけり。わがはらから子うまごのすゑ\〃/迄、かくのごとみやび心のあるをおもふに、「これうせましける(*原文「うせましる」)父のみこと(*橘以南)のおほんみやびのながれなりけり。」と思ふに、涙とゞめがたくて其詠草(*追善句集『天真仏』か。)のおくに、
ことの葉に 今おく露の かゝれるは むかしの秋の かたみなるらし
葉月(*1795年7月下旬という。)に京にてかくれましゝなり。
夕暮につれ\〃/とながめ出して、
世の中を 今はと思ひ はなれても 猶はなれぬや 誰がこゝろなる
「禪師のきみわづらひ給ふなり。」と五日のよ人の告しに、むゆかの朝、鳥とともに出てまだたつの時にいきつきて見奉ればさせる御いたはりならねば、物語などしたまふついでによみてたまへりし
あまのくむ しほのりざか(*原文「しほのりさか」)を うちこえて けふのあつさを きますきみはも
御かへし
しほのりの 坂のあつさも 思ほえず(*原文「思ほへず」) 君をこひつゝ あさたちてこし
と聞えしかば、其をり「みなづきのころよめる」とてきかせ給へる御二つ、
けふの日を いかにけたなむ うつせみの うき世のひとの いたまくもをし
なるかみの おともとゞろに ひさかたの あめはふりこね わがおもふとに(*念じたときに、の意か。)
なぬかの日、
さす竹の(*「君」を導く序詞) きみがみそのは せまけれど 秋は野山の はなのいろ\/
御かへし
わが宿の かきねにうゑし はぎすゝき 道もなき迄 しげりあひにけり
行かへり 見れどもあかず わがやどの すゝきのうへに おけるしら露
おなじ日もてりまさりつつ、いといたうあつかりければ(*原文「あつけかりければ」。「暑けく」等の語から活用したものか。)わび給ひて、
いとゞしく おいにけらしも この夏は わが身ひとつの よせどころなき
との給へるを見奉るに、身のくるしさはおきて、
あつき日を なづみになづむ 君がため あめの夕だち(*原文「夕たち」) いまもふらぬか
させる事もおはせず、はた貞室尼(*貞心尼)がやまひもうしろめたければ、八日の朝よをこめてかへるに、鳥のこゑを聞てしのゝめの空を見やりてよめる、
たなばたも いまやきぬ\〃/ きにけらし あまのかはらに 鳥のねぞする
いそぐとすれどおいのあゆみははかゆかで、本與板のほとりいたくあつきにわびて、そこの大平の某が家にあつさをさけて夕暮かどべに物しきてすゝむ、ときに露のおきければ、
わがうへに 今おく露は たなばたの けさのわかれの 涙なるらし
かくていぬの時にいほりにかへりぬ。つとめて前栽を見やれば、草は皆日にやけきばみ、木葉はつもりて道もなき迄成にければ、
かれにしは 一よふたよを(*原文「一よふたを」) 我宿は はやふるさとゝ あれにけるかも
この日もます\/あつさたへがたきに、夕つがたよりすこし打くもりしかば、ひとみな空をあふぎて雨をまつ事、もとあらの(*本荒の=まばらに生えている)こ萩の風は物かは、よひ過るころほひ板屋にはら\/とおとづれし、何につゝまむかたもなき(*こらえようもない)うれしさなるを、則晴わたりて月影さやかにさしいりぬ。
此ころは もてはやすべき ひさかたの 月影さへに うとましきかな
貞室尼がいといたうわづらふを日ごとにとひしに、ある日、けふはいさゝかひまありとて人にかきおこされて、猶たゆげに物語などする枕上の花瓶に何にかあらむさゝれし花のしをれくつがへりて見ぐるしければ(*原文「見ぐるしかれば」)、あか棚(*閼伽棚)にある菊にさしかふとて、
山人の 垣ねにさける 花を見よ おいず死なずの くすりとぞきく
十三日、夕暮にながめ(*長雨)出て、世の諺など思ひいづるにつけても、
ふるさとに かへるてふなる 夕べ(*盆の夕方)さへ おもひやりつゝ くらすけふかな
いは子(*前出「岩子」)、かへし
おもへきみ けふ故里に かへるてふ たまもすがたは 見しもこなくに
又、かへし
めに見ねど たまも姿は ありなむを おもひひとつは やるかひもなし
十五日、さるのさがり(*原文「さるのさかり」)よりいぬゐの風いとはげしく吹出ければ、「あすは二百十日なり。此風とくをさまらずばことしのなり(*生り=結実)はあとたへなむ。」とて人々の歎く、ことわりなれば、空ををがみて、
あめにます しなどの神(*科戸の神、風神)も
心せよ たみのなげきの そらにいたらば
ほどもなく雨いさゝか降て風はやみにしかば、よろこびにたへで、
しづをぢが いやしきこと(*言)も すてゞとや あめたばりつゝ 風はをやみぬ(をさめしむ)(*原注)
此よむしのなくをきゝて、
なけよむし 秋の哀も たれしりて 我宿とめて とふひとかあらむ
(*七月−海山歌合)
影樹(*香川景樹)(*1768-1843)がをしへ子供十六人の六十四番のうたあはせ(*未詳)を見て、秋のよのつれ\〃/によみてみむとて、文月十八日のよゝり打はじめつゝよる\/よみて廿二日のよ讀果し歌並序
文月十日あまりやうかの日成けり。まだ入たらぬほどの秋にしあれば、きこりが谷陰のいほはましておほゝしく(*鬱陶しく)あつさもたへねば、道いき通ふなるあま人が海づらの苫屋をとひしに、打見るまゝによろこびつゝ、濁れる酒に「御肴は何よけむ。」などあまえて(*原文「あまへて」=うち解けて)わかめ・蛤やうの物してもてなす。此二人年は七そぢに及びけれど酒の力はわかうどにも所おかねば、まだ短からぬ秋のひと日を呑暮らしていとままをし(*暇申し)する時に、あるじ「しばし。」と引とゞめていひけらく、「此ごろしる人のえさせし今都に名をえし某がをしへ子供ならむが(*原文「ならむか」)、六十四番の歌合にやがて其師の判の辭そはりしなり。」とてひと卷とう出て、「是見給ひつや。めさむる(*原文「めざる」)わざぞかし。」といへば、まらうどほゝゑみて「めのさむるはよし。酒の醒むるはあぢなし(*=あぢきなし)。」などいひつゝ(*原文「などひつゝ」)、さすがにとりてひとわたり見て「あなをかしの(*原文「おかし。」)都人の口つきどもや。我等片田舍の海づら・谷陰にすむ身にしあれば、常清・昌敷ら十六人の都人たちのねりにねりおもひに思ひて詠出けむ、花のことの葉には階立て(*「際立て」か。)及ぶべきならねど、つれ\〃/の心なぐさ(*心慰=気晴らし)は何事か侍らむ。このわたりにはさる事まねぶ人おほからず。あなぐりつどへむもわづらはし。やがて左をば翁よみ給へ。右をばおのれ詠心見む。」といふうへ(*「いへば」か)、「それいと興有わざ成けり。さるにてはたはぶれにても若ちりぼひては(*原文「ちりほひては」)人もこそ見め。歌合のかたきよりかならず難うべき詞をば心し、はたかれには雜題に季をよみあはせしがこれかれと見ゆめるを判者もとがめぬはためしある事にもぞある。されど猶心ゆかぬ心ちし、現に古今集の序にも、『春夏秋冬にもいらぬくさ\〃/の歌』とあるは雜にあてられし詞にて、其部に屏風ならでは季のうたある事なく、屏風はいつにても其繪によりてよめれば常の季とはこころことにしてそれすらいとおほからず。七月七日に布引の瀧にて橘のながもり(*橘長盛。原文「なかもり」)が七夕をよめるは、たゞ其時の取合せのみにてもはら(*原文「もぱら」)とは瀧をよめる(*『古今集』巻17「雑歌上」〔927〕の歌。)などなれば、今も清く季をばよみあはせし又物に名(*物の名、か。)のなきいとさうざうしき(*原文「さうぞうしき」)わざなり。かれに歌結とある故有事なるべけれど、此事寛平の御時のきさいの宮よりおこりて後にもたゞ歌合とのみ見ゆれば、今もそれにしたがひて海山歌合とつけむ。」などいひ定て、まづ
一番 立春天
左 久方の 空はこぞにも かはらじを こころからなる けさのいろかも
右 山もまだ かすまぬ空の のどけきは こころよりたつ 春にざるらむ
二番 山朝霞
左 吹風も のどかにふきて 朝まだき むかふやまべは 打霞つゝ
右 うちわたす をちの高ねは かすみけり 曉かけて 春ぞたつらし
三番 子日友
行すゑの 千世をむすばむ 友もがな 小松ひきにと いざさそひてむ
たれも皆 ちとせの友と 小松ひく 野べはこころの へだてだになし
四番 若菜多
めもはるに おふる若菜は あさらねど こにも袖にも はやみちにけり
みやこ人 あらそひつめど かたをかの 若菜はいとど おひまさりつゝ
五番 竹裏鶯
谷の戸を 出し鶯 わがそのゝ 竹のはやしを はやしめてなく
我宿に 竹のはやしを うゑざらば まづ鶯の 初音きかめや
六番 水邊柳
青柳の かげ宿すなる 池水は 春ぞみどりの 色まさるらむ
川風の しのびにふけや(*吹くからか) 青柳の いとはみだれで たゆたひにけり
七番 梅薫風
たゞならぬ 風のかをりは 芦垣の となりの梅や ふれてきつらむ
春風の ふかざらませば 梅のはな 色を哀と 見や過さまし
八番 餘寒水
さえかへり 空もこほりに とぢられて 霞もやらぬ けさの山のは
けさは又 軒のやり水 こほりけり こやき更着(*如月)の しるしなるらむ
九番 松殘雪
中々に いまぞ寒けく 見ゆるなる 濱松がえに のこるしら雪
こと木をや うらやみぬらし 葉をしげみ 松には雪の猶のこりたる
十番 春草短
若草の まだみじかきは(*原文「みしかきは」) 降雨に 雪のちからの あれば成けり
すゑつひに を鹿むな分(*胸で押し分けて) 行なづむ 草とも見えぬ 野べの色かな
十一番 春夜雨
春日野も 明日はみどりや まさりなむ 世にふる里(*「降る」と「経る」の掛詞)の 春の夜の雨
はるのよの 雨は板屋に 音せねど くもり果たる 月にてぞしる
十二番 春月幽
さえ渡る 秋の空をば 空として 霞に匂ふ 春のよの月
大ぞらは(*原文「大そらは」) 霞にこめて 照月の 影ももりこぬ はるのよはかな
十三番 浦春曙
あけぼのゝ 空も霞に とぢられて 關路さびしき 須磨の浦かな
赤石がた(*原文「かた」) 霧は霞に たちかへて 島がくれ行(*原文「島かくれ行」) 春のあけぼの
十四番 待花久
花をまつ 人の心は かはらじを 千世ふと迄は たれなげくべき
こころから 春立しより 待そめて おそしと花を かこつべしやは
十五番 遠尋花
さほ過て はつせのおくを とめくれば まづひと本の 初ざくらかな
尋來て 見しはこころの すさびにて 歸路とほき 山櫻かな
十六番 花盛開
殘なき 花のさかりを 見る時は ながくもがなと 身を思ふかな
さきみちて 今はの色の 櫻花 かたえはのこせ 後のたのみに
十七番 月前花
春の氣の 霞とゝもに 匂ひくる 月にはえあふ 花の色かも
嵐ふく をのへの宮は 空はれて 花にぞかすむ 在明の月
十八番 雨中花
ふる雨は 春の物なり 櫻花 ぬれて尋む うつろはぬまに
我宿の やへ花櫻 春雨に ぬれてのいろを 誰に見せまし
十九番 松間花
松は花 はなはみどりに はえあひて 夕日さしそふ 色の一しほ
常葉なる 松の木の間に 白雲の 立と見ゆるや 櫻なるらむ
廿番 隣家花
梢のみ 見てもくらすか 櫻花 中垣こえて ちりもこなゝむ
蘆垣の となりの本は をしむとも 梢ばかりは 我物とみる
廿一番 遠島花
陸奧の えぞの千しまに 咲はなは 空しく咲て うつろひぬらん
泉郎(*あま)のすむ を島の櫻 咲にけり もしほ火燒て 色なやつしそ
廿二番 關路花
鈴鹿山 關路の櫻 さく比は ふりはへこゆる 人ぞおほかる
はゞかりの 關路もさくら さく春は 忍びあへずや 人通ふらむ
廿三番 落花風
風のみに 濡衣きせて 櫻花 心からさへ うつろふがうさ
ふかずとも つひにちるべき さくら花 よし山風に まかせてをみむ
廿四番 夕雲雀
春の日を 猶あかずとや 雲雀なく をちの野末の 夕暮の空
わぎもこを 忍ぶの里の 夕暮に 雲雀落きぬ 宿もとむとや
廿五番 (缺)(*原文「■(缶+欠:::大漢和になし)」)
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廿六番 岡早蕨
かた戀の 岡のさわらび(*原文「さわらひ」) もえにけり うべ物思ふ すがたなるらし
都人 しるもしらぬも 打むれて ならびの岡に わらびをる見ゆ
廿七番 澤春駒
あやめ草 澤のまこもに まじりけり 野がひ(*原文「野かひ」)の駒よ 芽さしまがふな
若駒は 澤のまこもに つながれて まだめもつけず 萩のやけはら
廿八番 野菫(*原文「董」)菜
宮城野に 春はすみれの 花ぞさく 秋のこはぎの 色のゆかりと
すみれさく 野邊なつかしみ 來て見れば 若紫に いろ匂ひけり
廿九番 谷躑躅
三芳野の 谷より嶺の 岩つゝじ 雲の名殘の にしき成けり
高峯より 見おろすまゝに 咲つゞく 谷のつつじは 色に出にけり
三十番 款冬(*原文「■(疑の左旁+欠:かん:「款」の俗字:大漢和16085)冬」)露
我宿の 八重山吹の さきしげり ひと日も露の おかぬ日はなし
おきあまる 露おもしとて うちなびく 八重山吹は いもに似たるかも
三十一番(*ママ) 苗代蛙
このごろは 蛙の聲ぞ きこゆなる 苗代を田(*小田)に 水たゝへけむ
春雨に 苗代水や まさるらむ 蛙なくなる 小田のゆふぐれ
卅二番 暮春藤
梓弓 はるの名殘と 田兒のうらに ふぢなみさけり いざ(*原文「いさ」)行てみむ
うちなびく 春の形見の ふぢの花 心のどかに 夏かけてさけ
卅三番 寄鳥戀
久方の 雲ゐがくれを 行鳥の(*「あとなき」を導く序詞) あとなき戀に まどふころかな
うちのぼる(*原文「うちのほる」。「佐保」に懸かる枕詞。) さほの河原の 千鳥さへ 妻待かねて よるはなくといふ
卅四番 寄獸戀
猫の子の 綱ひくをす(*小簾)の 隙だにも 又なき戀ぞ くるしかりける
唐國の とら物ならぬ ますらをも つらき人には たぢからもなし
卅五番 寄蟲戀
まつ人の こぬ夕暮は K駒に はますくつわの 蟲だにもなけ
こほろぎの なく霜夜には 二人ぬる 床だにさえて くるしき物を
卅六番 寄木戀
あだにとふ 松の風にも 戀すれば まづこたふるは 涙なりけり
磯山に おひひろごれる ねぶの木の(*「ねぶる」を導く序詞) ねぶる間もなき こひもするかな
卅七番 寄草戀
我宿に 蓬葎の しげるにも 人のつれなき ほどをこそしれ
秋の野に みだるゝ(*原文「みたるゝ」)薄 風にあへず よそになびくが うらめしきかな
卅八番 寄玉戀
いかにせむ 涙の玉を 緒にぬきて つれなき人の かたみとも見む
よるひかる 千々のま玉も 一度の 逢ふせにかへば をしからましや
卅九番 寄石戀
石は猶 くだけもせむを 碎じの ますらを心 こひにくだけぬ
ひと心 ありなれ川(*鴨緑江の古名という。〔日本書紀〕)の 石ならば 空にのぼりて ほしとなりなむ
四十番 寄鏡戀
朝ごとに はらふ鏡の くもれるや とはに涙の たえぬなるらむ
いなや見し 鏡にうつる 影見れば 我ながらさへ うさまさりけり
四十一番 寄繪戀
から國の みぬ海山は うつせども 人のこゝろぞ うつしかねつる
ゑにかきて 人の姿は 見つれども 通ふこゝろの なきがわびしさ
四十二番 寄琴戀
玉琴の 中の細緒の たえむとや 此ごろ人の つれなかるらむ
事といへば 心ぞさわぐ 音になきて 人をおもひに たへぬこのごろ
四十三番 寄門戀
いたづらに たゝく水鷄を まつ人に まがへてあくる かどぞくやしき
わぎも子が 門ゆく時は 駒さへに 心あれこそ 過がてにすれ
四十四番 寄車戀
冬の日の 柴積む車 荷をおもみ(*荷が重いので。「軋ふ」を導く序詞。) きしろふ(*原文「きしらふ」。「軋る」に継続・反復の助動詞「ふ」をつけた本来の形と「争う」意とを掛けた。)戀は くるしかりけり
小車の(*「めぐる」を導く序詞) めぐりこむ世を 引かけて うしや此よを たゞに死ねとか
四十五番 寄簾戀
新らしく かけ渡したる いよすだれ うらがへりても(*原文「うらかへりても」。「うら返る」は「心変わりする」意。) 人ぞ戀しき
かをりいづる そら薫にも(*「そら薫ものに」か。) ともすれば をす(*小簾)かづく(*原文「かつく」を「被く」と考えた。)べく 思ほゆるかな
四十六番 寄弓戀
思ひきや 弓にもあらぬ 我身ゆゑ 人に心の ひかるべしとは
朝な朝なに 撫てわが見る 弓だにも そりてはつらき 物にやはあらぬ
四十七番 寄碇戀
大船に おろすいかりも 風ふけば たゆたふ心 ありといふものを
おほ海に おろす碇の(*「怒り」を導く序詞) いかりても 又うちかへし 人ぞこひしき
四十八番 寄貝戀
こひ渡る 涙かいその あはびがひ あはぬおもひに きえつゝぞふる
伊勢のうみや 磯によるてふ 海松貝の(*「見る甲斐」を導く序詞) みるをかひにて やまむとはせず
四十九番 暮山雲
山のはに 日は入はてし あと見れば 雲ぞかかれる 物わびしらに
雲のゐる 山のは見れば ゆふ暮の こゝろはいとゞ やるかたもなし
五十番 遠村鷄
とりが音に をちの一むら おどろきて けぶりたつ見ゆ まだよぶかき(*原文「よふかき」)に
庭鳥の 聲ほの\〃/と きこゆるは とほち(*原文「とおち」。遠方の意。)の村や ちかくなるらむ
五十一番 古寺松
榎の葉井に かけそしつかむ(*ママ) かつらぎや とよらの寺(*葛城の豊浦寺)の 軒のおい松
泊瀬山 松のあらしや おくるらむ 鐘のと(*音)きこゆ はやおきよ子ら
五十二番 窓前竹
窓にうつる 竹の葉みれば うすゞみに かける繪さへを 風ぞ吹ける
呉竹を 窓にうゑおふし 見ればかも うきふし(*呉竹の縁語)たえぬ 我身なるらむ
五十三番 行路市
つば市(*海柘榴市)は たゞ立よつて 見てゆかむ はつ瀬の寺に 午の貝ふく
しかま(*飾磨か。)なる 市路のまちは 名も高し いざ見て行て いもにかたらむ
五十四番 故郷路
ふるさとの みちめづらしみ 分て見む 昔の人は なき世ながらも
故郷の みちとめくれば 草深み つゆぞおくなる はらふ人なみ(*露を払う通行者も無いままに。)
五十五番 杣川筏
夜をこえて(*原文「こゑて」) くだす筏士 ことゝはむ 月はたがへて さかのぼるやと
おほゐ川 くだすいかだは 數見えて おくれさきだつ 物にざりける
五十六番 山家井
やま住の 板ゐの清水 さむけれや(*冷たいからか) 木こり柴かり むすびてぞ行
山のゐの 水はすみても さびしさに すみはてがたき(*「住み果て難き」) 心あるらし
五十七番 田家雨
しき忍ぶ(*「頻き偲ぶ」は「しきりに思い慕う」だが、ここは「敷き忍ぶ」か。) 須賀の狹むしろ(*菅の狭筵) 雨ふれば いとゞいぶせき を山田のいほ
足曳の 山田のいほり 雨ふれば 行もえやらず とふ人もなし
五十八番 蘆間鶴
なにはがた しげき芦間の むらたづも なく音ばかりは (*芦の茂みにも)さはらざりけり
芦原の しげけきを屋も 友鶴の 聲きくよはゝ さやけかりけり
五十九番 巖上龜
萬代の おなじたぐひと みどりなる いはほのこけに かめなれてすむ
うごきなき いはほの上を しづけみと 取分てこそ 龜もすむらし
六十番 名所里
名にしおへば 時をもわかず 西河や うめづの里(*桂川西岸の梅津)は なつかしきかな
みちのくの いはての里の さと人は おもひてものや すみはてぬらむ(*「岩手」と「言はで」とを掛けることから。)
六十一番 鹽屋煙
色香ある 物とはなしに もしほやく けぶりぞ浦の にほひなりける
鹽竃の うらに烟りの たゝせねば(*「立たす」を「立つ」とみたか。) 結ぼほれつゝ 海人もすむらむ
六十二番 漁舟火
荒海の 汐のやほあひ(*八百会=潮が集まる所) 漕分て いさりする火の 哀なるかな
けひの海(*気比の海=敦賀湾)や 沖つ浪間に もゆる火は 鮪(*しび)つる海士が しわざ成けり
六十三番 羈中嵐
そのはらの 里(*未詳)に宿りを とりし夜は 姨捨山の あらしをぞきく
横走 清見がせきに 旅ねして ふじのねおろし 聞あかすかな
六十四番 社頭祝
あめつちと ゝもに榮む 君が代も 五十鈴の宮の あらむかぎりは
水鳥の(*「鴨」に懸かる枕詞) かもの社に ぬさおきて いのるは君の 御代にざりける
判者のなきをおぼつかなみて、
もしほ草 かきあつめても よしあしの みだれてあるは さびしかりけり
(*七月−続き)
新津の時子がわがに記(*我が日記。原文「わかに記」)の中の、「雪の梢」てふををかしくよろこびをいひおこせしふみ、文月のはじめつがたこゝにいたれり。
日にそはる 宿のあつさも わすれなむ 雪の梢を 見つゝくらさば
かへりごとにつけていひやりし、
何ばかり すゞしきふしか まじるべき ことの葉きえし 雪のこずゑに
その人「久しくやまひにわづらふ。」といひおこせければ、歌もよみ情あるひとにしあれば「いかゞあらむ。」と心ぐるしうて、
雲路とぶ 鳥の身ならば たちかけり 日に\/行て 見てましものを
年月のとくうつり行をなげきて
春は秋 むかしは今の 夢の世に いつを定て うつゝとか見む
よふけて虫(*ママ)のなくをきゝて、
秋のよの 露かみだれて なく虫を わがさかしらの なみだそへつゝ
こほろぎかへしす。おもはずなるわざかな。
さかしらの 涙だにそふ 物ならば あだになくねの ひかりともせん
(*八月)
八月ついたちごろ、枯殘たる朝がほのつるに花のさきけるをみて、
朝顔の かれにしつるの 花見れば うみはつまじき 世にこそありけれ
四日のあした打ながめて、
草葉みな 物うらめしき 色見えて 庭もま垣も 秋づきにけり
禪師のきみの御歌ども聞まゝにかきつく。
わがやどの 垣根にうゑし 秋萩や、 ひともとすゝき をみなへし、 しをにかるかや 藤袴、 しこのしこ草 とり捨て、 水をそゝぎて 日おひして そだてしぬれば、 玉ぼこの 道もなきまで はびこりぬ、 朝な夕なに 行もどり、 そこに出たち、 露霜の あきまちどほに 思ひしを、 時こそあれ、 さつきのはつかあまり よかの夕べの した風の、 しをりてふけば、 あらがねの つちにぬへふし(*ママ。「によびし」か)、 久方の 空にみだれて、 もゝちゞに くだけしぬれば、 かどさして いねぞしにける、 いともすべなみ、(*読点を残した。)
貞心尼にかはりて
萩が花 さくをとほみと 古里の 草のいほりを 出てこしわが
いまよりは ち草はうゑじ きりぎりす ながなくこゑの いと物うきに
いく度か 草のいほりを うち出て あまつみそらを ながめつるかも
うつり行 世にし有せば うつせみの ひとのことの葉 うれしく(*原文「うれしけ」)もなし
あはれさは いつはあれども 葛の葉の うらふきかへす 秋のはつ風
こゝまで
ふ月はつかあまりに時子がふみのとゞきしをみれば、過にし十六日、かの家(*新津の桂誉正の家)の大刀自(*桂誉正の母か。或は妻か。)にはかに身まかりしといひおこせしを見るに、身をつみてしれる歎にしあなれ、翁(*桂誉正か。)のもとに、
よのつねの 秋の哀に ことそへて 夕べの空を 君ながむらむ
とはいふ物からかつはなぐさめて、
すゑの露 もとの雫の ことわり(*「末の露本の雫や世の中の遅れ先立つ例なるらん」〔古今六帖〕に基づく。)は 君のみならぬ よの中のうち
ことしのやよひ、翁・うせにし刀自・時子など打つれて、新小屋の櫻もてはやせし事などおもひ出て、
もろともに 花見し春は 初秋の 露にまがはむ 物とやはみし
かぎりなる 道のみち芝 ふみわけて 露の宿りを とふよしもがな(*原文「とふよしものがな」)
雨降りていと心ぼそき(*原文「心ほそき」)夕つがた、
うき秋に 秋の雨ふる 夕暮は 秋に秋そふ 心ちこそすれ
哀とも うしとも秋を おもふかな ひとりふるや(*「経る」と「古屋」とを掛ける。)の 雨の夕暮
よる時雨だちてふる雨の音をききて、
ふるあめの しみみに(*頻りに)ふれば 我袖も しとゞにぬるゝ あきのよはかな
かりがねも まだきなかぬに しぐるゝは 山の梢を そめてまつとか
朝顔のかれたるつるにはかなう咲たる花の、晝過る迄猶しぼまぬをみて、
朝がほの つれなき色に 秋ふかみ 日影よわれる 程をしぞしる
十三日のよ、月のいとあかきを見て
なれ來つる 月の影とも 見えぬかな 秋に秋そふ わが身と思へば
十四日より雨に成て、十七日の朝も猶やまねば、こよひの月(*陰暦八月十七・十八日の月を「立待ち月」「居待ち月」という。)もいかゞあらむ。
月見べき 月のよごろを 雨ふれば 今年の秋は やみにこそゆけ
十九日はじめてかりのこゑを聞て、夕暮なりければ、
雨にぬれて けふを初かり わたりこし いづくの田ゐに 宿りとるらん
二十七日、兼題(*兼日の題。あらかじめ出た題について詠む歌。) 心靜延壽 當座戀
心をし しづのいはやに やどせらば 雨風しらで 千世はへなまし
よしや名は 千名の百なに たゝばたて 思ひそめてし 心やまめや
(*『山つと』 <了>)
緒言
目次
(中綴書簡)
【創作】
越後に歸る良寛
良寛と蕩兒
五合庵の秋
【研究・随筆】
良寛和尚を生んだ家
良寛さまと小判
良寛雜考
五合庵の開基僧萬元とその歌
【附録】
山つと
八重菊日記