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良寛と蕩兒 その他  -4- 八重菊日記

相馬昌治(御風)
實業之日本社 1931.4.25、再版 1931.5.1
※ 原文では和歌を上下に分けて改行しているが、上下を続け、句毎に分けた。(*入力者注記)

 緒言  目次  (中綴書簡)
 【創作】  越後に歸る良寛  良寛と蕩兒  五合庵の秋
 【研究・随筆】  良寛和尚を生んだ家  良寛さまと小判  良寛雜考  五合庵の開基僧萬元とその歌
 【附録】  山つと  八重菊日記

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八重菊日記

(*中表紙題字には「八重菊」とある。内容については、御風注記を参照。文政13年9月からの記録。)
 文政13年  9月  10月  11月  12月(天保元年)  天保2年  1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月

(*文政十三年九月)

此秋(文政十三年(*1830年。『山つと』も同年の歌日記)。此年十二月十日改元して天保となる。)(*原注)と成ては身もいとあつしう(*体の具合がとても悪く)のみおぼえて、けふかあすかの心ちのみする物から、思ひたつ方をばようのどめぬ(*気持ちを抑える)本上(*本性)にて、明日舟より新つ(*新津)・五泉の方に下らむとす。けふ九日にしあれば(*9月9日。重陽の節供。)さすがにきくを折て、
千々の秋も 菊はかはらず 匂はめど 見るは今年や 限なるらむ
十日庵(*中川家邸内の松下庵)をいづとて
名殘ある 宿ならねども しかすがに 是や限と 思はずもあらず
船にのりて出立道のほど唯雲をあゆむ心ちす。西山を見やりて、
山もやゝ 色づく見れば 大方の 秋もかぎりと おもほゆるかな
つねたふとびまつる伊夜彦(*弥彦山)のかたを拜まつりて、
いやひこの 山のたかねに くもぞはれゆく ゆくさくさ(*行くときと来るとき) 久たのまるゝ 心ちこそすれ (*旋頭歌)
此度身まかりにし關根の翁があとをだにとて舟とゞめてとひしに、よるになりて雨いたうふりぬ。
なき人の 跡とひくれば 草枕 床に時雨の 音ぞこたふる
十一日、晝ねしおきてふみなど見れどさとからぬ(*うまく理解できない)心ちしてやがてねなむ事のみ思ふに、日やう\/かたぶき行をなまうれしと思ふも、
うつり行 日影うれしと おもふかな よるは隙もる ひかり待もの
十二日、むすめのおもと(*関根の翁の嫁)がなき玉(*魂)に花奉るとて、
なき人に 手向る花の 露よりも 涙にぬるゝ わがたもとかな
今も猶しうとを忍ぶ心の淺からぬほめあはれびてよめる、
ぬれよたゞ 時雨は霜に 置かへて 雪は氷と ならむ日迄も
其かみおもと佐知子(*由之の娘か。)よみ置しとてこれかれと見せし、よからねどさすがに皆歌ならずもあらぬは、いかにかれ十にひとつあまりし年の秋此關根の家におくりしかば、すべて\/さる筋の事などは見聞もせじをかたのごとくつゞり出せしは、なき御親橘林院殿(*橘以南か。)のみやびのおほむかをり(*余香)なりけむかしといとあはれになむ。こ度病ひさしはへ(*ことさらに)いたく苦しとおぼゆる所しなけれど、あしはやぬち(*家内)をだにえゆかず、胸はたゞふたぎにふたがりつゝ、心ぼそうおぼえて(*原文「おほして」。以下、同様の例が多い。)人間(*ひとま)には音のみしなかるれば、要いきたらじと思へば十三日たよりをえて新津へもしか告やりき。よるに成て月いとさやかなり。
月見べき つきのかぎりの 月を見て あはれ\/と あかしつるかな
爰にやすらふほど日にそへてよからずのみおぼゆれば、程近き曲り村(*燕市大曲などか。)のくすし文仲は上手の名高ければとかくかまへて舟より行てとぶらひしに、今は目しひ(*原文「目しい」)にてあれど昔の友成ければこゑ聞しりて、「すもり(*巣守は由之の号。)にはおはせずや。こは思ひかけず。」とてかつよろこび、病ひのあらまし打きくよりかつ驚つゝ、かへさひ(*繰り返し)さぐり見ていひけらく、「このやまひよくつくろひてくすりの事おこたり給はずば」などいひて藥つくりてとらせし、取て關根へかへりぬ。こは十五日成けり。同じ日、時子(*新津の桂家の女)がもとより使さして(*「使ひさす」で「使者を定めて派遣する」意。)種々の物に文そへてなむおこせし、(*中に)「十三日はおのが戸土のもまだきにて(*原文「またきにて」。このあたりの文意未詳。)いといたうおぼつかなく思ひつゝ、月の隈なきを見て(*十三夜の月。後の月。)」とて、
雲きりも はれしこよひの 月ながら くもるやおのが 心なるらむ
心の空に通ひしもいと哀なりけり。されどかへしはえせず。又おなじふみに、
芦垣の(*「かき」を導く序詞) かきたゝむ(*「書き立てむ」で、ことさらに書く意か。)世は 中々に あだとやならむ 水ぐきの跡
とあるは、十三日のおのがふみに、「かたみとは見よ 水ぐきのあと」とかいひしかへしなるべし。こもかへしはせず。又かた敷(*未詳)とて此國のおい人らが透間の風ふせぐべき夜のものゝ具なるをてうじて、
薄くとも よるはかさねて ねてもみよ これの嵐も 身にはさはらじ
志のあさからねばかへしす。
かたしきの 袂の露も さす竹の 君ならずして 誰か訪べき
又きくの花をつみてこ(*籠)にいれてそれに、
きこしめせ 猶きこしめせ 露にだに 千年のぶてふ 八重菊の花 (*標題の由来か。)
うゑしうゑて 君まつ宿の 菊のはな 色淺しとも 心とは見よ
是らのかへしくるしけれどからうじて、
君がうゑて きみが摘てし 菊なれば 齡ひはのびむ 露をなめても
廿日、此ほど二三日物せし藥の氣にや、むねもあき心ちもいさゝかすくよかにおぼゆれば、ひまあるをりに家路近くと思ひおこして例の舟にて出たつ。のぼりぶねなればしりへざまにのみゐざりて(*原文「ゐさりて」)はてず。けふ地藏堂(*西蒲原郡分水町)迄といそがしたつれどかなはで、日入はてゝ熊のもり(*分水町熊森)に舟よせてそこのあやし家に宿る。横田(*分水町横田)をのぼる時に鷺どものおほく鳴つれて行をみて、
暮ぬとて たのもの鷺も 鳴つれて 聲よびかはし やどもとむ見ゆ
「ひとりはねじ。」(*「ゆるぎの森にひとりはねじ。」〔枕草子〕を踏まえる。)といづこの杜にかあらそふらむかし。廿一日、はひわたるほどの道なれど水早ければ晝過る頃からうじて地藏堂に舟はてつ。爰にしもやすらふ事は新堀(*分水町新堀〔にひぼり〕)のくすし正貞(*原田正貞)をたのみてなりけり。かれも道にくう(*功)つみし人にしあなれば日にそへて心ぼそさもなぐさみ行、足のなえしもやう\/あゆまれなどして蛭子(*古事記に足萎えの記事があるのを踏まえる。後にも見える。)にはまさりたりけり。こゝに付しひはいとうらゝか成しを夕づけて(*夕方になって。原文「夕つけて」)俄に空かきくもりつゝ、霰玉を碎けり。
秋過て けふを冬とや あられふる 山の紅葉も 染あへなくに
けふなむ冬たつ日とかきし(*「とかきゝし」か)
おなじころ、
時雨する 朝け(*朝明=夜明け方。原文「朝げ」)の袖の 寒ければ 山の紅葉も 今そめぬらん
しぐれする 音にも袖の ぬるめるは 我身いたくも 老にけらしな
これの猫はよるひるなきいさちて(*激しく鳴いて)、彌彦山の杉むらも信の川(*信濃川)の淵瀬もなきかきからしつべうおぼえて(*原文「おぼして」)いとかしがまし。さてかくなむ、
猫よねこ 誰も寒さは たへねども しか聲たてゝ なきなむ物か
ある日「となりのもみぢよし。」とてあるじ(*後出「正誠」。中村姓か。)みづからよびにこしかば行て則
口無に くれなゐかけし(*色を重ねる意か。) 紅葉かな 青葉をもとの 色にとゞめて
ひと木はぬるで(*白樛木)にか何にか梔色していときはやかに、一木は唐紅なるがかたへは猶青きが枝さしかはせしなり。夕べに成て色のまさりければ又、
夕日にも 色そはり行 もみぢばを 時雨とのみも おもひけるかな
紅葉見て まとゐする日は 大かたの 秋の外なる 夕暮の空
「見ていませよ。」とよめるあるじの歌のかへし、歌はわすれつ(*後出)
もみぢ葉に 月の光を てらし見ば 千年の秋も あかじとぞ思ふ
くすしのいさめもきかず酒うちのみて、
さけのみて 此日くらさむ 紅葉ばに ちりをあらそふ おいの身なれば
上にもらしゝあるじ正誠のうた、
見ていませ 賤がそのふの 紅葉(*もみぢば)を 漏くる月の すみのぼる迄
これもあるじ
此比の うちもはらはぬ 紅葉ばを 燒てすゝめむ 一つきの酒
くすし正貞
錦なす 君がそのふの この本は 立うかりけり(*出立しづらい) 日はくるれども

(*十月)

十月八日、中村の家(*前出「正誠」の家か。)にて、
いやひこの 山の時雨も けさよりは 霰まじりて 冬と成にけり
九日、同じ家にて、
いやひこの 山の高根に 雲のかゝれる けふもまた しぐれせむとや 雲のかゝれる (*旋頭歌)
かくてよみがへりはてぬれば、今はとて茨曾根(*『山つと』にも出る。現・白根市茨曾根。)・新津などへふみかきおきつゝ、十月十二日いほりにかへりぬ。九月廿一日よりけふ迄は中村の家成けり。家刀自うからなればなり。いほりにかへりて人々に冬のうたよませけるついでによめる、
冬雲
ふゆの來て 嶺に集る 浮雲は いづれの里の 時雨成らん
散はてし あとの梢の 音羽山(*清水寺のある山。紅葉の名所。) 風にしるしは 見えずも有かな
春は花 秋は紅葉と ちり果て 殘るは山の 姿なりけり
よし野川 うへは嵐に たへずとも 六田の淀(*奈良県吉野郡吉野町六田)の そこは氷らじ
荒にける 宿をも冬は とひ來けり 軒の葎よ いかゞこたへし
おしなべて 三輪(*奈良県桜井市。三輪神社の杉叢がある。)の杉村 雪ふれば 何をしるしの こずゑとかみむ(*謡曲「三輪」を下敷きにする。)
よあけぬと 告るからすも 雪にあへず 聲ためにこそ(*その雪のために) うづもれにけれ
雪ちれば と獨(*未詳。「とひと(鄙)」で粗野な田舎者の意か。)をよみと(*よいというので) いちはやき 立野(*「たての」)の駒は あがきいばゆる
雪ふれば たゞにもたへぬ 冬のよを ひとりねよとか 人のつれなき
あられうち 板間の風も ゝらばもれ 家路の日數 程もあらなくに
是も同じ
冬月
時雨ゆく 雲の絶間の 月影は 見る程もなく 袖をこぼれる
庭霜
床さらし 夜のまの夢の 跡とへば 淺茅の上の にはのはつ霜
冬雪
夕されば(*原文「夕ざれば」) 矢走のわたり(*矢橋〔やばせ〕の渡り) 風冴えて 比良の高根に つもるしら雪
千鳥
鳴わたる よるは千鳥の 聲聞て ぬらしかそへむ 袖の浦(*最上川河口付近の海岸。歌枕。)のあま
歳暮
行年も をしまでいざや 春またむ 誰もちとせの 松ならぬ世を
忍戀
身をしれば しひても忍ぶ 心かな 人のつらさは さておかれつゝ
猶ざりの 思ひなりせば いちはやき 神の心を かけむものかは
つらかりし 恨もとけて うつたへに(*ひたすら、ただもう) こよひは人の あはれなるかな
命だにと のどめて人は いふめれど それになぐさむ 別ならめや
祝言
天地と ゝもにたえせぬ おほみ代を 何によそへて ことはいはまし
これも、
時雨
冬されば(*原文「冬ざれば」) しぐるゝ空の さがなれや 降みふらずみ けふもくらしつ
落葉
たのみてし 木々の梢は まばらにて 積るこの葉や 宿まもるらむ
冬月
嵐ふく さゝが軒端(*未詳。「笹の戸」の類か。)の 冬のよは 月より外に すむ(*「住む」と「澄む」を掛ける。)人もなし

(*十一月)

(*月の記載が無いが、11月の記事とした。)
初雪の降しあした
枝の雪の かをらましかば(*原文「かをらましせば」) 打たをり 袖の寒さも 思ほえましや(*原文「思ほしましや」)
江原のとじのもとに同じあした
君ならで けさの梢を 誰か見む 花とはいかに けぢめきかばや
禪師のきみの御こゝち猶おこたりまさず。」ときけど、おのが足にて鹽ねり坂(*塩のり坂)こゆべうもあらねば文のみを奉るとて、
雪ふれば 道さへ消る 鹽ねりの み坂造りし 神しうらめし
ますらをと 思ひし我も 鹽練の 小坂ひとつに さへられにけり
鹽練の 坂もうらみじ 老らくの 身にせまらずば 坂もうらみじ
かれより給へりし、
しほのりの 坂も恨めし 此度は 近きわたりを へだつとおもへば
わが命 さきくてあらば 春の日は 若菜つみ\/ 行て逢みむ

(*十二月)

(*月の記載が無いが、12月の記事とした。)
此後に又奉りし、
ふる雪は 今はなふりそ 春日さし 霞たなびく 日はやゝちかし
手を折て かぞふるほどに 成にけり 降ともはるの 雪はあはけむ
君が爲 春日まつとて 折つめて 手たゆき迄に 成にけるはや
ふる雪は ちへにつもれど み坂こえ 心の行て とはぬ日はなし
こはもちの頃(*天保元年12月望か。)成けり。
ほしつめ祭(*未詳)せし家にて、
かぐつちの 神(*迦具土神=火の神)の御玉も なごみつゝ かまどゆたけき 年の暮かな
あるよいねがてにして何くれの事どもを思ひあつめて、
さはれとは 思ふ物から しかすがに あふさきるさ(*あれやこれや)の 世中のうき
から國にあるてふ蛾眉山とかいふ、其山のふもとの川の橋杭の流こしをえてもてはやす人、「それに歌よめ。」といへりければ、
たのむべき 皇祖(*「すめろぎ」か、「すめみおや」か。)の國と もろ\/の 國の朽木も ながれきつらむ
朽木すら 物いはませば 夕月の 昔の秋の 空もとはましを
思ふ故ありてよめる、
山風の いかに吹てか こほりけむ 池の心は ふかきものゆゑ
僞を たゞすの(*原文「たゝすの」)嵐 吹とけよ こほるもくるし かものかは浪
ひとよ島ざき(*良寛の隠棲している島崎の木村家を指す。)を思ひやりまゐらせて、
思ひやる 心は空を かけれども 身は足たゝぬ ひるのこ(*蛭子。前出。)ぞうき
やそぢになれる人に送し、
やそとせは 猶童なり かぎりなき 君が齡を かねて(*見越して)思へば
禪師のきみ、久しく痢病をわづらひ給ひて「今は頼すくなし。」と聞おどろきまゐらせて、しはすのはつかあまりいつかの日、鹽ねり坂の雪を凌ぎてまうでしをいといたうよろこび給ひて、「此雪にはいかで。」との給ひしかば、
さす竹の 君を思ふと 海人のくむ 汐ねり坂の 雪ふみてきつ
御かへし、
心なき 物にもあるか しら雪は 君がくる日に ふるべき物か
此御こたへ、
白雪は 降にふるとも ますらをの 思ふ心は 降もうづめじ
かきあつめ給へるうたどもの御ゆかのもとに有しをうつせし、
あづさ弓(*原文「あつさ弓」) 春の野に出て わかなつめども さすたけの 君とつまねば こにもみたなくに (*旋頭歌)
さのへに(*「さ野べ」か。未詳。) ほたるとなりて ちとせをも またむいもがてゆ(*あなたの手から) こがねの水を たまふといはゞ (*良寛には「螢」の綽名があった。)
おく山の すがのねしのぎ ふる雪の ふる雪の ふるとはすれど つむとはなしに そのゆきの その雪の (*断片か。)
ぬば玉の よるはすがらに くそまりあかし あからひく(*「日」「昼」に懸かる枕詞) ひるはかはやに はしりあへなくに (*旋頭歌)
しほのりの やまのあなたに 君置て ひとりしぬれば いけりともなし
このよらの いつかあけなむ このよらの あけはなれなば をみなきて はり(*ばり〔尿〕か。)をあらはむ こひまろび あかしかねけり ながきこのよを (*長歌)
かぜまじり 雪はふりきぬ 雪まじり 風はふきゝぬ このゆふべ おきゐてきけば かりがねも あまつ雲ゐを なづみつゝゆく (*長歌)
いくむれか さぎのとまりけり みやのもり ありあけのつきは かくれつゝ
是等はくるしみにたへず、かきおふせたまはずと見えし。
ことに出て いへばやすけし くだりはら まことその身は いやたへがたし
左のは十月のなるを物より見出しまゝこゝにかいつく。
夕暮のをかをすぎて
ゆふぐれの をかの松の木 人ならば むかしのことを とはましものを
秋の雨の 日にひにふるに 足曳の 山田のをぢは おくてかるらむ(*「らむ」は原因推量か。)
つごもりごろ人のあらそふを見て、
あら玉の 年のをはりは 世の中の おふさきるさ(*あれやこれや)も 常よりはうし
みそかの日、雪こぼつがごと降ければ、
梓弓 はるをとなりの けふの日を いつとしりてか み雪ふるらむ

(*天保二年一月)

みくにの名の文政、こぞ天保とあらたまりて其二とせ(*1831年)の春は來つれど、ぜじの君の御いたはり「いかに\/。」と思ひやりまゐらすとて冬とも春とも思ひわかねば、まいて歌などは出こず。よかの日、又鹽ねり坂の雪かき分つゝまうでて見奉れば、今はたのむかたなくいといたうよわりたまひながら(*由之を)見つけて「うれし。」とおぼしゝこそかなしかりしか。かくてむゆかの日の申の時に、つひに消果させ給へる、あへなしともかなしとも思ひわくかたなかりしに、家あるじ(*木村氏)の泣まどふも御別のかなしきにそへて、「おほきなる、ちひさき(*大小の事。原文「さひさき」)、何くれのわざも、心に定めかぬるをば(*良寛に)とひきゝての給ふまに\/行ひし人なりければ、舟流したる海人に似ていかにたよりあらじ。」と思ふもかなしくて、
世の中の おふさきるさも あすよりは 誰にとひてか 君は定めむ
かうだにいはるゝも、「いづこに殘れる心にか。」と我ながらいとにくかりき。やうかの夜野に送りまゐらせし烟りさへほどなく消て、はかなき灰のかぎりを御形見と見奉る、又はかなしかし。

(*二月)

(*原文は一続きだが、段落を改めた。)
此後は大谷地(*未詳)の家に籠てきさらぎにも成ぬ。果しあるおもひならねば「今は(*出立しよう)。」とは思へど、此里かれむも二度の別の心ちしてわびしければ「あす\/。」とて九日にもなりぬ。「庵にかへりてもうさかたらはむ人もなし。」と思へば心ぼそくて、こ度はまづ濱出雲(*未詳)の家にうつれり。つら\/思ふに、「我前立て(*さきだちて)かゝる歎をばかけ奉らじ。」と年月にねがひこし事のかなひぬるなむ、せめて心のなぐさめなりける。まだこもりゐしむつきのはつかあまりいつかの日なん、「けふ御定の忌の日數みちぬる。」ときくもいとゞかなしうてとく起出てながめ出せば、昨日迄はげしかりし空にも似ず霞棚引つゝ春めき渡りぬれば、こぞの冬人まゐらせしをりの御ふみに、
我命 さきくてあらば 春の野の 若な摘々 行て逢見む (*前掲歌。)
との給ひし御ことの葉をおもひ出て、
今更に 霞なたちそ 春待し 君はけぶりと なりにし物を
かくれましゝ比、あるひとのとぶらひおこせしかへりごとに、
何すとか 我をとふらむ 玉しひは おなじ雲ゐに まじりし物を
與板の岩子(*『山つと』に既出。中川家の人かという。)が文に、
いかばかり 君歎くらむ 久方の 空もかすみの 衣きるころ
かへし
墨染の 衣はる雨(*「衣を張る」と「春雨」の掛詞) ふる時は いとゞ袂の かわくよぞなき
にひつ(*新津)かつらの時子がいたみの歌どもおほくよみておくりし中に、
濱千鳥 跡は定かに 有ながら 人はなき世と きくぞかなしき
といひしは、去年の秋かれより柘榴のみ奉りし時よろこびの御歌たまはせしを、やがてかしこにいたりしにそのをりはうれしみ今は中々歎のくさはひ(*種)となれるなるべし。このかへし、
濱千鳥 跡のまに\/ とめみれば なく音とゞめて 行へしらずも
すこしおくれて、與板の千世刀自(*『山つと』に既出。)がもとより、
きのふまで つらなる松の 春しもぞ かたえむなしき 雪の下をれ
大空は のどかにはるゝ 春の日も 身をしる雨は 晴ずぞ有らむ
かねて世は 常なきものと 知ながら たへずやけふは かなしかるらむ
これらのかへし、
春ながら み雪にたへぬ 下杉に かたえも松の 色のこらめや
はるとしも わかぬ今年は くもりなき 日影にさへぞ 袖はかわかぬ
常なしと よそのみ聞て 世中を 今身の上に しるがはかなさ
同じ人のふみのおくに、
消て行 身はいかにせむ 酒のみて 君は千世ませ よろづよもませ
と有しかへし、
おくれじと 思ふ此身の 今更に 千世萬世を 何ねがふべき
山田よせ子(*未詳)がもとより、山里を出むとせし比いひおこせし歌どもの中に、
霞たつ 春ともわかで すがのねの(*「長き」に懸かる枕詞) 長き日數を 君やわぶらん
かへし、
長き日を わびくらしては ぬば玉の よるはすがらに 泣あかしつゝ
又、「このごろ夢に見え給ひし。」とて、
夢にみて 明るあしたの かなしさは きのふにまさる 涙なりけり
かへし、
かなしさは よしまさるとも 短夜の 夢にも人を 見るよしもがな
濱出雲の家に出て後、正貞がりつかはしゝ文のはしに、
春なれど 春ともしらで 過すかな 心ひとつは うちかすみつゝ
此ほどのことゞも、心もこゝろとしあらねば歌といふべうもあらねど、御かた見にもとて思ひ出るにしたがひてしるしおきぬ。猶殘れるもおほからめど、そは又思ひ出しをりにこそ。
廿五日は四十九日なりければ、はての御わざとて、
かなしさは 身のをはり迄 忘じを はてともけふを 何かいはまし
おくれじと 思ふ心は かひなくて 過行物は 月日なりけり

(*三月)

やよひついたちの日、故郷を出たゝむ(*七日市に行った。)とするをり、妹のみか子(*橘〔曾根〕みか子=妙現尼。『山つと』に「いもうとのおもと」とあるのも同じ人物か。)が名殘をしみてよめる
朝霞 春の山べを 立こめよ 道のまがひに 君とまるべく
かへし、
とく行て はやかへりこむ 春霞 たちな隔てそ 道まがふがに
よかのひいほにかへりし。つとめて鶯のふりはへてなくはきのふ七日市(*三島郡三島町七日市か。)にて聞そめしおなじ音にしあれば、「もししたひこしにや。」と思ふも打つけなりや。「おはせし世ならましかばひとよりさきにきゝつけ給はまし物を。」と思ふも中々なる(*涙の)もよほしぐさなりけり。
我袖の 上とひがほに きのふけふ うぐひすとしも(*「鶯」に「憂く」を掛ける。) 來なく鳥哉
是を故郷にて聞て泰樹(*橘泰樹、馬之助)がもとよりかくなむ、
たが袖も 皆うぐひすと 鳴鳥の 聲も霞や(*声も霞とともに霞むことだ。) 野べの春雨
むゆかの日、江原の大刀自(*前出。)のもとにふみやるとてかきはてし折しも鶯の鳴ければ、やがてそのふみのおくに、
なき玉は いづくの空に 聞まさむ 霞にむせぶ 宿の鶯
七日人々つどひし時、肴物の若菜を見てこぞの春禪師御手づからつみもておはして給へりし事を思ひ出て、
君まさば 摘てたぶべき 道のべの 若菜かひなき(*摘む人もいないので) 春にも有哉
おはせし世に、よせ子が御形見こひし歌の御かへし、
かたみとて 何をおくらむ 春は花 夏時鳥 秋のもみぢ葉
此短册をかけぢ(*掛軸)の上におして、下には其をふとてづから御姿をものして(*自画像を描いて)「箱に書付せよ。」といひければ、蓋のうらに、
春は花 秋は紅葉の ことの葉ぞ 散にし後の かたみ成ける
又ある人も同じ御姿をもて來て見せければかたはらに、
面影は 今の現に とまれども 玉の行へや いづこなるらん
津軽人がりふみやりしおくに
雁ならぬ 身はいかにせむ 思ひやる 空は霞の たち隔つゝ (*雁信の故事を踏まえるか。)
千世刀自が家の賀の日の當座追加
松色春久
春ごとに 一しほそはる 松がえの 千世の色こそ かぎりしられぬ
竹のもとに鶴たてり。
呉竹を 友とならして すむつるは よながきどちの むつび成けり
あす新津の方に出たゝむとするにも、こぞの事ども(*『山つと』冒頭部の記事を指す。)思ひ出られて、
待とはむ 人もなき世の 櫻花 見つゝかへりて たれにかたらむ
とをかの日例の船にて出たつ。そのかみ貞室(*貞心尼のもとより、
わかれては いつか逢見む 玉ぼこの 道をはるかに わかるとおもへば
舟にのりて後なりければ新津よりかへりごとす。
玉ぼこの 道は雲ゐに 隔つとも 命しなずば 行てあひみむ
新津に來つきぬ。こゝの翁おうなどもがこぞうせし其すまひし方を見るにも、心のかなしみ立そひて涙はふれおちぬ(*こぼれた)
跡見れば 袖に亂るゝ 涙かな たまは此世に あたし物(*異なったもの)ゆゑ
つとめて前栽の櫻の盛なるを見て、
ともにみし 人は昔と 成し世も しらずがほなる 花の色かな
此比、たゞ春風吹けるがにくゝて、
あやにくに 吹春風か ふりはへて 花見にきつる 我もある物を
やがて雨もふりければ、
風吹て やがて雨ふる 空見れば 櫻につらき 春にもあるかな
山風よ 心してふけ いつしかと 待し櫻は 今さかりなり
櫻花 さきの盛の 山かぜは わが爲何の あだ(*仇)にか有らむ
こむ年も 春は咲べき 花なれば 老ずば風も 何いとはまし
命にも かへて櫻を 惜しまめや 風よりさきの 我身なりせば(*「我身にあれば」か。)
とくけぬる 人(*良寛を指すか。)うら山し(*羨まし) おくれゐて かくうき春に あふ身と思へば
けふも猶 春雨ふれば 久方の 空うらめしき 年にも有かな
もちばかりにや有けむ、こぞ見し下小屋の花みむとて空ものどかなりければ小童らともなひてまかりしに、空又打くもり風さとおろしければ、
かへり路の 三笠まうけよ(*笠の用意をしなさい。) 打わたす いやひこ山に 雲たなびけり
いたりつくすなはち、こぞの事ども思ひ出て、
ともに見し 人なき春は 心から 花も露けき 色ぞ見えける
やゝちりがた(*原文「ちりかた」)成ければ、
うらめしと 花やみつらむ たゆたひて 風より後の 心おそさを(*心鈍さ。ぐずぐずしていること。)
あだにさく 花も心や 通ふらむ ひとりしみれば 色も匂はず
時子が日たくる迄わがすむかたをとはざりければいひやりし、
久かたの 空打くもる けふとてや 君さへ影を 見せぬなるらん
「散はてもぞする。」とて、同じ人心してよき枝をゝりてかめにさして見せけるをみて、
わが物と たをりてさせる 櫻花 匂ひもらして 風にしらるな
かへし、時子
匂ひなき たゞ一枝の 櫻花 いかでかしらむ はるのやま風
雨風にさはりゐて後に庭の櫻を尋ねしに、うつろひがた(*原文「うつろひかた」)成ければ、
あかれしは ひと日ふた日を(*原文「ひとふた日を」) 櫻花 何にうつろふ 色を見すらむ
花見むと 思ふけふしも あやにくに 我よりさきの 春の山かぜ
こは下小屋にまからむとせし朝のなりけり。
心ある 物にはあらじを 櫻花 春過ぬとて うつろひにけり
我心 いつなぐさまむ 月ならで 花みる春も 老ぬと思へば
すもゝをかゝせて(*原文「かゝして」)
老ぬとて 何なげかまし 花ちらず(*原文「花ちらす」) もゝ世も同じ 春ならませば
物思ひつめし夕つがた、
歎つゝ 物思ひをる 夕暮は 春を春とも 思はざりけり
雨風をやみなければ、
降あかし 吹くらすなる 雨風は 春のおもてを ふす(*面目を失わせる)と成けり
このほど新潟の津にて船やぶれて人死つときゝて、そのたまをとひなぐさめむとて、
沈つゝ 消にしあわも のる瀬には うかぶためしの なくてやはあらぬ
女こどものこゝろを思ひやりて、
心なき 青海原を ながめつゝ 千度百度 うら見てやへむ
廿日、日うらゝかに成ければ世の諺を思ひてよめる、
雨風の をさまるみれば なき玉も 清き渚に 今やよりけむ
沖津浪 たちゐてつれて 思ふらむ 玉の行へを そことしらずて
これも女こどもの心をあはれびてなり。妻の心を又、
おきつ波 ちへにたつとも かづき見む(*原文「かつき見む」) 玉の行へを しらぬかぎりは
つれ\〃/と 降春雨は 物思ふ 人の心の なみだなりけり
なき人を こふる涙の 雨ならば 身のかぎり迄 はれじとぞ思ふ
かめにさせりし櫻のからうじてのこれるをほこりてよめる、
おほよその 人しるらめや 手折置し わが一枝に のこるはるべを
同じをりに、時子
大かたの 梢はちりて 一枝の 櫻にのこる 春のいろかな
ことしの春はこと年にもにぬ心ちのみして、
まつとしも おもはざりしを しかすがに くるるときくは をしき春かな
形見とも みてまし物を 櫻花 ちる木のもとを はらふ山風
造物の雀の子のいとよう似て、さすがに飛もあがらぬをらうたくおぼえて(*原文「おぼして」)
秋の田の 稻ほもりはむ(*もぎとって食む、群がって食む) 雀さへ ならせばなるゝ 物にざりける
日をへて雨風猶やまざりければ、「かくては今年も(*作柄は)いかゞ。」と打歎かれて、
秋またむ たみの心を 思ふには 雨よりけなる(*際立っている) 我なみだかな
卯月ちかきまで猶櫻のちり殘れるをみてよみける
櫻花 夏かけてさく 色をみば ねたみやすらむ 垣のうの花
つごもりの夕つがた、
春の名も けふを限りと 思へばや せめてもをしき 夕暮の空

(*四月)

卯月ついたちのひ、人々とゝもに庭の木立のもとに出てさけたふべけるついでによめる、
梓弓 はるの行へを したふまに けふは待るゝ 山ほとゝぎす
「心淺し。」とて人そしるべかめり。おなじ時山端を見やりて、
花ちりて 山時鳥 なかぬまは けぶる梢ぞ 命なりける
夕べになれば例の心ぼそうて、
秋とのみ 何思ひけむ さびしさは いつともわかぬ 夕暮の空
とて、おのも\/かへりいたりぬ。
かめにさせりし櫻の花のうつろひしをすてゝ山吹さしかへてたはぶれに、
花櫻 やへ山吹に 染かへて おもふ心も いはぬころかな (*山吹色は梔子色ともいうので「口無し」から物を言わない意を連想した。)
ある人、又たはぶれてかへしす。
いはねども 色にや出む 山吹の ひとへに(*「一重に」と「偏に」の掛詞)ものを 思ふこゝろは
七日にや有けむ、此頃の雨風やみて空のたゝずまひおのづからこゝろよげなるを見ておほみ代をいはひまつり、かつわたくしにもよろこぼひて(*原文「よろこほひて」)
ふる雨も おしてはふらず 吹風も しひてはふかぬ 君が御代かな
そよわすれにけり。(*三月の歌を忘れたのでここに補う。)やよひのすゑつがた時子がよめる、
命にも かへまくをしき 花のえを 何あやにくに 風のふくらむ
やり水のかきつばたのたゞ一花さきて、そがよかになれどほかのはまだしかりければ、
咲初て 友まちがほの かきつばた 心いられに うつろふなゆめ
あすあさはの家(*桂誉正の家。『山つと』に既出。)にてほとけのわざすとてさわがしげなれば、とをかの日天神の村(*北蒲原郡水原町天神堂、または新潟市天神か。)なる高橋の家(*『山つと』に出る「長戸呂(長瀞)」の高橋文祇の家と同じか。)にうつる時によめる、
かりそめと 思ふ物から 別てふ ものは此よの あた(*原文「あだ」)にざりける
高橋の家に至りつく則、其庭の眺望の一つをいはひの心によめる、
わが物と 出の山(*未詳)を 見る宿に 年なき秋は あらじとぞ思ふ
つとめて扇のゑを題にて、
武藏野の 末野吹こす 秋風に 嶺よりはるゝ ふじの芝山
又秋は山(*秋葉山)を望て
紅葉せぬ 松のみたてる 山をしも 誰か秋葉と 名づけ初けむ
十三日、雨に成ければ「此里のほとりの民よろこび、新つ(*新津)より南の村里にてはいといたうにくむ。」と聞てよめる、
ふる雨を こふもいとふも 心にて 岡田水田の たみのさま\〃/
けふ新津よりむかへの人おこせしかば歸りなむとす。こゝよりは唯はひ渡るほどなれど、さすがに名殘をしくて、
わかるとて 雲のよそにも あらなくに などか涙の 雨とふるらむ
かつらにかへりてすなはち、
歸來て あふうれしさに くらべては 過しわかれの うさは物かは
雨うちそゝぎていといたう心ぼそき夕つがた入相の鐘をきゝて、
さみだれに 物思ひをる 夕暮を あやにくにとふ かねの聲かな
月のさやけきよ雲雀公(*ホトトギスか。)をまつとて、
月だにも 我宿過ぬ 夏のよを つれなくとはぬ 山ほとゝぎす
こよひさへ 音づれざらば 時鳥 またじよゝるも いをねられぬに
むなしくて いくよあかさむ 郭公 まつにしるしは あらぬものゆゑ
卯月はつかのよ、何すとか曉かけて耳かしましう貝をふきたてしがにくゝて、
時鳥 わがまつ聲は つれなくて 何のかひ(*「甲斐」と「貝」を掛けた。)ある 音信(*おとづれ)ぞこは
扇によみあはせし、
淺茅生の を野の篠原 吹風に 夏をよそなる 宿とこそみれ
何となくて、
名にたてる 事だになくて 朽果つる 身をば長柄の 橋やわらはむ(*「長柄の橋も尽くるなり。」〔古今集仮名序〕を受けた表現。)
女の枕のいとおほく打ちらして有を見て、
おのがじし 思ふ夢路は 通はせて 朝は捨し つげのこ枕
何となく、
行雲も 風をよすがの 空みれば 心ひとつは たゝれざりけり
「老てはことに」など思ふもわびし。
よき酒えしよろこびにそへて、
やしをり(*八入折〔やしほをり〕)の 君が給ひし うま酒は よるひるのめど あく世しぞなき
はじめて逢し人を(熊倉玄泰(*原注)わかるとて、
老の身に 後の契は かけずとも 逢見しけふを わするなよ君
その人のかへし、
橘の 匂ふあたりは 時鳥 とき過ぬとも いかでわすれむ (*「五月待つ花橘の…」の歌から昔を思い出すという含意。)
いとようはれし空をみて又おのれ、
別路に はれ行空ぞ うらめしき いひとゞむべき かごとなければ
廿六日、あかつきに雲雀公を聞て、
時鳥 此あかつきの 一聲に 待しよごろの うさもわすれつ

(*五月)

五月五日、
ほとゝぎす おのがさ月と しらませば(*知るならば、ほどの意か。) けふのあやめの をとめにて(*未詳)なけ
菖蒲(*あやめぐさ) かをる軒端を とはざらば 名をやくたさむ 山ほとゝぎす
あやめ草 風の便の 香をかぎて 夏も最中と けふこそはしれ
むゆかの日、おい人どち秋葉山にまうでしに雨降來にければよめる、
さみだれも けふはな降そ わくらばに(*原文「わくらはに」) 老の足引 山にこし日ぞ
五月雨の つぎてしふらば を山田の さなへのみどり 色やまさらむ
時子がよめるをほめて、其かみのかたはらに、
五月雨に うるほひわたる 田のもより 君がことばの 色ぞまされる
ある人の柴折に、
ふもとをば たゞ分すてゝ おく山の 深き色香の 花たづね見よ
家を思ひてある時、
まつ人も あらぬ物から 故郷に おもひておくれ こゝろあひのかぜ(*越路で夏の東風を「あいの風」「あゆの風」と呼んだ。「心が合ふ」意を掛ける。)
別といふことを、
天地の 神もうらめし わかれてふ 事を此よに 造るとおもへば
夕暮に物をおもひをりて、
夕されば(*原文「夕ざれば」) いとゞみだるゝ 我身こそ 螢よりけの おもひなるらし
廿六日、かつら家をわかるとて、
かりそめの 別路さへを 思ふかな つひの夕べを いつとしらずて
あすあさはこゝをわかれむとする時にうまのはなむけすとて川せうえう(*逍遥)に出て、秋葉の山をみて、
名にたてる 秋葉の山も 夏の日は みなみどりなる 梢なりけり
たぎりおつる 水には春も あらなくに 浪の花こそ 咲て見ゆらめ
河の瀬に たつ白浪の たちかへり 見ばこそ物は おもはざるらめ
かへし、時子
瀬をはやみ よどみもあへず 立歸る 浪のなごりに 袖は濡けり
あるじ(*桂誉正か。)
わすれずば けふのまとゐ(*原文「まどゐ」)を よすがにて 紅葉の秋を たがふなよ君
かへし
大かたの 青葉のけふを 契にて 紅葉の秋を わすれめやわれ
すでにけふといふ日、時子
あすよりは いかにながめて くらさまし けふだに晴ぬ 五月雨のそら
白雲の よそになるとも たぐひやる(*「たぐへやる」=共に行かせる、か。) 心ひとつは おくるべしやは(*後になるはずがない。)
別路は 雲の上にも あらなくに などて心の そらになるらむ
あまの原 とほくおもへば たけくまの まづ(*「武隈の松」に「先づ」を掛ける。)我身こそ くるしかりけれ
これらのかへし、
君よりも 我こそまされ 五月雨の はれぬ旅路を 行とおもへば
たぐへやる 心としらば 白雲の よそになるとも 何なげかまし
別ぢを 雲の上とは 思はねど こゝろ空なる けふにもあるかな
武隈の(*原文「武隅の」) まつはほどなき 千世ながら 類(*たぐへ)がたきは 命なりけり
此日道より雨いたう降ければ、小須戸(*中蒲原郡小須戸町)の旅屋よりおくりの人につけて、
五月雨に ぬるともよしや 別路の 袖はかわかじ あはむ日迄に
廿七日、「水高くて舟のぼらず。」といへば、平方の長井(*未詳)の家にいきてみかとゞまりし間に、時子がもとより文おこせし、其ふみのうちに、
久方の 空打はれよ 五月雨の かごとも今は 何にかはせむ(*引き留める言訳にもならないので。)

(*六月)

ついたちの日、曲村(*前出。)大關某とひ來ていざなひければともに行てそこに又みかばかりとまれり。庭に大きなる椎木たてり。
葉かへせぬ 椎をちとせの かざしにて のどかに住める 君が宿かな
五日、いばらそね(*前出「茨曾根」)にうつりて、つとめて例のあめ降ければ、
別路を をしむ心の 雨ならば ぬるとも何か いとひやはせむ
七日小關、十日地藏堂、十一日正誠が家にて夕納凉といふ事をおの\/よめるついでによめる、
水鳥の かもの河原の 夕暮は なみよりさきに 秋風ぞ立
十三日、島ざき(*原文「島さき」)にまうでて故禪師のきみの御跡をゝがみまつれば、御骨のかたはらにつね奉りしみどりの御衣のかゝりたるをみて、
かたみぞと 今は緑の から衣 是もゆかりの 色(*紫色をゆかりの色と言ったのを、親族の「縁」に掛けた。)にはありける
十五日、故郷にかへりつきぬ。すべてのほど道ゆかぬ日は皆雨なりけり。
十八日、あしたはよくて辰巳の比より例の打曇りてほろ\/と落れば、世中今はかうなりとうちくむじて晝ねせしに、未の時より空晴渡りて雲に似たる物なく人の心にあひの風も吹立にたれば、
天てらす 神も哀と おぼしけむ 岩戸ひらけし 空の色かも
のちは(*いつの歌か)しらねどまづ、
十八日、秋野をかきしさうしに、
武藏野の 秋の露原 分過て 思ひの外の 袖しぼりけり
故禪師の君の御うた、
あま人の きるといふなる 夏山の せみの羽衣 いづこよりえし
こはこぞ(*文政13年〔1830〕)の夏、かのいほり(*島崎の木村家邸内の庵室)泰樹がひと奉し折うすきはおりけふれし(*「着古りし」か。)に、下の衣のあやのすきて見えしを(*禅師が)ほめてかきて給へりしとて(*使いから受け取って泰樹が)見せしがせむかたなくかなしくて、其かたはらにかくなむ、
天人と 君なりゆけば 夏山の 蝉の羽衣 我ぞきてなく(*「鳴く」と「泣く」の掛詞。)
江原のとじが歌どもよみ置し。」とて見せしなかに、
行舟を しばしとゞめよ わたし守 よしや遠方 ひとはまつとも
こぞはるおのが旅立を後に聞てのなれば、かへし、
をち方の 人はまたでも 船出せん 花の香送る 東風のかへしに
刀自
さく花の 蔭はさらなり 君こふる 思ひもはれず 霞むよの月
かへし
月花に かすむばかりの 空みても 旅ねにはれぬ こゝろしらなむ
花にこそ つきなかるらめ こむ秋は かりのつばさに おくれずもがな(*秋が立つとともに出立したいという含意。)
かへし
咲花に あくがれ(*原文「あくかれ」)そめし 身にはあれど さそはゞ雁に おくれましやは
耳とほくて時鳥もきかざりければ、
老ぬれば 山郭公 こゑのみか とほざかりゆく ひとぞこひしき
かへし(*以下、江原刀自の文の引用か。)
今更に 何かうらみむ われのみか 君だにきかぬ 山ほとゝぎす
このごろとなりてはおのれもいとおぼ\/しければ(*不安なので)かくなむ、
鐘の音は けふもくれぬと 聞すてぬ 身の入相は あすもまたじを
かへし(*これは由之の返歌。)
心なき 身もいりあひの 鐘の音は たゞおほよその ものとやはきく
かへしせぬも情なきやうなればなり。歌のかずにあらず。
岩子がもとより、「住捨しいほりのいといたうやぶれて雨のもるをいかにせむ。」ととひにおこせしかへりごとに、
身ひとつは 心やすくぞ 旅寢する 月と雨とに やどはもらせて(*守らせて)
心に思ふよしありてよめる、
大かたの この世は末の 松山を 猶なみならぬ 光りをぞ見る

(*七月)

文月むゆかのよ、空をあふぎて、
銀河(*あまのがは) こよひ一よを たなばたは 秋の千夜とや まち渡るらむ
七日のよ、泰樹がわづらひおもりゆくを歎て、
百年の 秋はへぬれど 天川 うれしきせには あふよしもなし
八日のあした、
明ぬとて 今岩床や わかるらむ 天河原に 霧なびくみゆ
ひととせは 又寢のゆめに 過なゝむ やがてこよひと 舟出しつべく
今はいやます\/によわり行て頼がたう(*原文「頼かたう」)見えければ夜更て、
此ごろの 身にしむよはの 秋風は 銀河より ふきてきつらし
こゝろのうちに神たちをいのりまゐらせて、
子を思ふ おやの心は 天地の 神もしるらむ しらでやはあらぬ
秋風に しの亂したる 心ちには 野路も山路も わかれざりけり
よのめもあはねばまた、
しばしとて よりふす床の かひなきは 心からこそ めもねぶるらめ
廿二日、夜に入てくすしらも「今はいかに思へどすべなし。」とて、かしらかみざまにさくりあげ(*さぐりあげ)、あるはあぐみ打して(*あぐらをかいて、か。)皆ほろ\/ときえうせぬれば、
紅葉ばも まだしき秋を いかにして 頼むかげなき 時はきにけん
わが爲に 歎かむ人を 思ひきや まづさかさまに なげくべしとは
さるあひだに在明の月花やかにさし出たり。
秋のよの 影は身にしむ ならひにも こよひばかりの 月は見ざりき
老たる親、わかきこどもらを見おきてまからむ心いかばかりかあらむ、さる中にも「子やまさるらむ。子はまさりけり。」(*和泉式部の歌を踏まえる。)の古言もげにと思ひて、
こを思ふ 黄泉路のやみを 照すとや こよひの月の くまなかるらん
又みづからのこころを、
秋の夜の 月の光は あかけれど わが子を思ふ やみはてらさず
かくて猶息の通ひは有て時々うめくこゑもすれば、猶あらで「もしは」と正貞がり又あしとき馬に物おぢすまじきやつをのせ夜中に走らせやる。「かれ泰樹とはらからのごとむつびあひし中成ければ、いとままをしにも。」とてなむ、
思ふどち 契りたゆとも 老の世に 我にはうとく なりゆくな君
かれもうまはしらせて(*原文「はしらして」)巳過る比來つきつゝ則と見かうみ見て、「今は更にかゝる所なし。思ひはて給へ。」とて涙とゝもに出行しかば、たゞ手をつくりて見をりし心地何にかたとへむ。よに入てゐの時になむ「事きれたり。」とて人いりみちてなきどよめど、みづからは哀ともかなしとも何ともえおぼえず、涙さへいづちかいにけん、たゞ雲きりにまどへる心ちしてあけはてつ。廿四日はなきからのあと枕に(*足の方と枕の方に)守りゐて、有し世の事どもかたみにいひ出つゝなくに、きも玉しひもみなうせはてゝ、
物いはじ いはむとすれば 聲よりも まづ涙こそ はふりきにけれ
廿五日、野にはふり行を見おくりて、
今行て 我たづねみむ 此世には 又かへりくる 道しなければ
廿七日、打ふく風もこと秋には似ず。
音きけば まづ身にしみて 思ふかな ことしのみふく 秋の風かは
あるあした露をみて、
露はなほ あさなあさなに おく物を 消てあとなき 人の世ぞうき
朝顔の 露と花とし なかりせば 世のはかなさを 何にたとへむ
中村の好哉がもとより、
秋の野の 露よりしげき 袖の上は つらきわかれの 涙なるらむ
ながきよも 猶ながからん こよひより かなしさまさる 老のねざめは
使をまたせおきてなれば、取あへず「長きよ」のかへし、
ねてこそは ねざめもせまし 長き夜を 泣あかしては 思ひくらしつ
富取(*地名としては未詳。苗字か。)正誠がもとより、
あだしのゝ 淺茅がもとの 雫より 君が袂は 露けからまし
武藏野の くさむらごとに 鳴むしも 君が歎に まさりやはせむ
これも「武藏野」のかへしのみす。
なく蟲を よる\/ごとは 思ふかな 我にまされる こゑもありやと
正貞がもとより、「ゐます時かたみにいひかたらひし言の葉を思ひ出て」とはし詞かきて
とやすらむ かくこそせめと しめし野の 露と消ゆく 君ぞ戀しき
かへし、
朝な\/ 消ても露は おく物を 何にたぐへて 世をなげかまし
おもひあまりて、
すてられし 恨をしひて 思はずば 何にかゝりて 時のまもへむ

(*八月)

八月五日の朝、
朝風に 衣手寒く 成にけり 別し人よ いづちなるらむ
風寒く 打ふくなべに 思ひやる わかれし人の 鹿のさごろも
六日、故泰樹が文房の前にうゑおふしゝ芙蓉とかいふ花の、けさはじめて咲出しを見て、
此花を 待ちにし人も 今はなし めにこそ見えね そらよりぞ見む
七日、しげ野(*未詳)が家にて海を見やりしに、霧いとふかゝりければ、
この比は 心の雲の 晴ねばや 佐渡の島山 きりこめてけり
大船の帆のいと遙に白く見えければ、
霧分て 行もかへるも おほぶねの(*原文「おほふねの」) ほのかに浮ぶ 人の面影
果しなき あをうな原に 道もあらば 尋やゆかむ 待てやみまし(*尋ねて行こうか、待つだけにしようか。)
北へ行 舟ぞ見ゆなる 雁金も 今はとこ世を たつといふ物を (*常世国は北の海の彼方にあると考えられていたか。)
かへりくとてよめる、
春の花 秋の紅葉を 尋ても かへりて今は たれにかたらむ
貞室尼がもとより、
さらでしも 頼すくなき 老の身に うきを重し 袖はいかにぞ
かへし
春の花 秋の紅葉と ちりはてし くち木がもとを 哀とはみよ
こはふみの詞によりてなり。(*「ちりはてし朽木」の辺を指すか。)
また
我身さへ ありやなしやも しらぬ世を とはるべしとは 思はましやは
夕暮に烏のねぐらにつくを見て、
からすだに 宿る梢は ある物を おき所なき わが身かなしも
おもふよし有て、
丈夫の 心ふりおこし 思へども かたらふ友は ひとりだになし
古へは 物にもあらぬ やつこらに 老て心を おくがわびしさ
こゝぬかのあした、殘れる齒の又ひとつ落ければ、
頼むかげ 今はあらしに(*「あらじ」と「嵐」の掛詞) ほろ\/と このは(*「木の葉」と「この歯」の掛詞)落行 秋はきにけり
山おろしさと吹來てかほにさはるも心細くのみおぼえて(*原文「おぼして」)、 
ますらをも 今はかひなく なりにけり 風の音にも なみだおちつゝ
あらそひしものどもゝ(*訴訟の相手や後援者たちを指すか。)みなしにはてつと聞
恨むべき 人は此世に なかりけり 仇は我身に のこるものから
子どもらにしめす、
死ぬといふ ことわりあれば 此世にて 人のしもには をらじとを思へ
鈴蟲のしきりになくを聞て、
すゞ蟲の ふり出てなく 聲きけば まづ涙こそ はふりきにけれ
鈴蟲は 何思ふとか ふり出て 秋の長よを なきあかすらん
十四日のよ、いかゞしけむ松蟲のなかざりければ、是さへあへなき物の數にかずまへられて、
松蟲の 名は久しくて はかなきは 秋の中らも たへぬなりけり
ひとにやりしふみのおくに、
うきめ見ぬ み山のおくを 尋ても さらぬ別の ゝがれやはする

(*「八重菊日記」 <了>)

良寛と蕩兒 その他 (終り)


 緒言  目次  (中綴書簡)
 【創作】  越後に歸る良寛  良寛と蕩兒  五合庵の秋
 【研究・随筆】  良寛和尚を生んだ家  良寛さまと小判  良寛雜考  五合庵の開基僧萬元とその歌
 【附録】  山つと  八重菊日記

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