良寛歌抄
Taiju 選
依拠本: 吉野秀雄 校註『良寛歌集』(東洋文庫556 平凡社 1992.10.9)
※ 緑番号は原本の通し番号を示す。一部の語句に(イ 異本)を注記した。(*Taiju 注記)
※ 『傘松道詠』(伝・道元)との関連について頭注に記された歌を後半にまとめた。→
傘松道詠集
歌抄
傘松道詠関連歌
歌抄
001 / 005
あらたまの 年のうちより 待ちまちて 今はあひ見て 何か思はむ
002 / 019
降り積みし 高嶺のみ雪 それながら 天つみ空は 霞みそめけり
003 / 021
み山べの み雪とけなば(イ とくれば) 谷川に よどめる水は あらじとぞ思ふ
〔「春風にみ山の雪はとけぬれど岩間によどむ谷川の水」貞心尼〕
004 / 045
この園の 梅のさかりと なりにけり わが老いらくの 時に当りて
005 / 054
鶯春を知る
いざわれも 憂き世の中に 交りなむ 去年の古巣を 今日立ち出でて
006 / 060
鶯の 声を聞きつる あしたより 春の心に なりにけるかも(イ かな)
007 / 091
山里に 桜かざして 思ふどち 遊ぶ春日は(イ この日は) くれずともよし(*「思ふどち 春の山邊に うちむれて そこともいはぬ 旅寢してしが」〔素性法師、古今集126〕と同類歌)
008 / 097
かりそめに わが来しかども この園の 花に(イ 萩に)心を 移しつるかも
009 / 108
春雨の わけてそれとは 降らねども うくる草木の おのがまにまに
010 / 158
あしひきの 山田の田居に 鳴くかはづ 声のはるけき このゆふべかも
011 / 162
この宮の 森の木下に 子供らと あそぶ春日に なりにけらしも
012 / 188
山住みの(イ ゆふぐれの・ゆく秋の) あはれを誰に 語らまし あかざ籠に入れ(イ かごに入れて) かへるゆふぐれ
013 / 195
卯の花の 咲きのさかりは 野積(*のつみ・ぬつみ・のぞみ等に読む。)山 雪をわけゆく 心地こそすれ
014 / 197
待たれにし 花はいつしか 散りすぎて 山は青葉に なりにけるかな(イ なりにけらしも)
015 / 204
刈羽郡妙法寺妙見峠(*現・妙法寺峠/潮見峠)にて
かすみ立つ 汐見の嶺 岩つつじ 誰が織りそめし 唐錦かも
016 / 215
あしひきの 国上の山の 時鳥 よそに聞くより あはれなりけり
017 / 237
さ苗ひく をとめを見れば いそのかみ 古りにし御代の 思ほゆるかも
018 / 261
夏草は 心のままに しげりけり われいほりせむ これの庵に
019 / 264
ちりひぢに しまぬ蓮の 色見れば もとのゑまひ(*拈華微笑の故事を暗示する。)の 思ほゆるかも
020 / 333
浮草の 生ふるみぎはに 月かげの ありとはここに 誰か知るらむ
021 / 348
あきの夜の 月の光を 見る毎に 心もしぬに いにしへおもほゆ(*「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのにいにしへ思ほゆ」〔柿本人麻呂〕を踏まえる。)
022 / 370
秋の野を わがわけ来れば 朝露に ぬれつつ立てり をみなへしの花
023 / 373
秋の野に にほひて咲ける 藤袴 折りておくらむ その人なしに(イ なしも)
024 / 433
いとどしく 鳴くものにかも きりぎりす ひとり寝る夜の いねられなくに
025 / 468
秋風に 散りみだれたる(イ 散りに散りしく) 萩の花 払はば惜しき ものにぞありける
026 / 509
山里は うらさびしくぞ なりにける(イ なりにけり) 木々の梢の 散りゆく(イ 枯れゆく)見れば
027 / 532
宵やみに 道やまどへる さを鹿の この岡をしも 過ぎがてに鳴く
028 / 537
夕霧に をちの里べは うづもれぬ 杉立つ宿に かへるさの道
029 / 553
日は暮れて 浜辺をゆけば 千鳥鳴く どうとは知らず 心細さよ
030 / 569
この岡に つま木こりてむ ひさかたの しぐれの雨の 降らぬ間切れに
031 / 592
風まぜに 雪は降りけり いづくより(イ ひねもすに) わがかへるさの 道もなきまで
032 / 644
故郷をおもひて
草枕 夜毎にかはる やどりにも 結ぶはおなじ 古里のゆめ
033 / 654
ゆくさくさ 見れども飽かぬ 岩室の 田中に立てる 一つ松あはれ(イ 一つ松の木)
034 / 657
松之尾の 松の間を 思ふどち 歩きしことは 今も忘れず
035 / 664
浦浪の(イ 白浪の) 寄するなぎさを 見わたせば 末は雲居に つづく海原
036 / 743
世の中は 越の浦曲に 生ふる藻の かにもかくにも 波のまにまに
037 / 751
竹森の星彦左衛門方へ杖を忘れて
老が身の あはれを誰に 語らまし 杖を忘れて 帰る夕暮
038 / 762
昔より 常世の国は ありと聞けど(イ ありといへど) 道を知らねば 行くよしもなし
039 / 788
なよたけの はしたなる身は なほざりに いざ暮らさまし ひと日ひと日に
040 / 800
世のひとをおもひて
長崎の 森の烏の 鳴かぬ日は あれども袖の ぬれぬ日ぞなき(イ 日はなし)
041 / 818
春は花 秋は千草に 戯れなむ よしや里人 こちたかりとも
042 / 833
行燈の前に読書する図に
世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる (イ ひとりあそびか われはたのしき)
043 / 865
よみて由之につかはす(イ 人につかはしける)
老の身の 老のよすがを 訪ふと なづさひけらし その山道を
044 / 915
如何なるが 苦しきものと 問ふならば 人をへだつる 心と答へよ
045 / 934
年をへて遠の里よりしばしば法をききに通ふ人あり。おのれもこころざし切なるにめでて、思ひをくだきて諭せども、そのしるしもなかりけり。おもほえず涙をこぼしぬ。さてかくなも
いかにして 人をそだてむ 法のため こぼす涙は わがおとすなくに(*わがおとさなくに)
046 / 953
うま酒を賜ぶ。何酒と問へばくびき酒(*頸城の酒)といふを句の頭におきて(*二首のうち)
くりの落つ ひにもぞ君は きますなる さこそ我は思へ けだしいかがあらむ
047 / 968
こよひあひ 明日は山路を へだてなば ひとりや住まむ もとの庵に
048 / 991
君が宿と(イ 君が宿) わが宿わかつ 塩法の 坂を鍬もて こぼたましものを
049 / 1036
ふみのはしに
人の身は ならはしものぞ 子供らを よく教へてよ ねぎらひまして
050 / 1084
鉢の子を わが忘るれども とる人はなし 取る人はなし その鉢の子を
(*「道のべに すみれつみつつ 鉢之子を わが忘るれど 取る人もなし」〔125〕、「道のべに 菫つみつつ 鉢之子を 忘れてぞ来し あはれ鉢之子」〔126〕を参照。)
051 / 1089
述懐の歌(イ おもひをのぶる)
いそのかみ 古のふる道 しかすがに(イ さながらに) み草ふみわけ 行く人なしに
052 / 1092
むらぎもの 心をやらむ 方ぞなき あふさきるさに 思ひまどひて(イ みだれて)
053 / 1102
あたらねば はづるともなき 梓弓 空を目あてに はなつもの故
054 / 1118
良寛におくる(*自問自答四首のうち)
粥二合 業三合(*身口意の三業)を まぜくはせ 五合庵にぞ 君は住むなり
055 / 1127
雁鴨は われを見捨てて 去りにけり 豆腐に羽根の なきぞうれしき
056 / 1142
夕立に ふりこめられし くされ儒者 ひたる君子と 誰かいふらむ (*濡れる意の「くされる」と乾たる君子の取り合せ)
057 / 1165
ぬばたまの よるはすがらに 糞まりあかし あからひく 昼は厠に 走り敢へなくに (*旋頭歌)
058 / 1181
手毬をよめる
冬ごもり 春さりくれば
飯乞ふと 草のいほりを
立ち出でて 里にい行けば
たまぼこの 道のちまたに
子どもらが 今を(イ 今は)春べと
手まりつく ひふみよいむな
汝がつけば 吾はうたひ
あがつけば なはうたひ つきてうたひて
霞立つ 長き春日を
暮らしつるかも
(*霞立つ 長き春日を 子供らと 手まりつきつつ 今日も(イ この日)くらしつ〔168〕)
059 / 1185
鉢の子
鉢の子は 愛しきものかも
朝夕に わが身をさらず
あさなけに(*あさにけに) もたりしものを
今日よそに 忘れて来れば
たつらくの たづきもしらに
居るらくの すべをもしらに
かりごもの 思ひみだれて
夕づつの かゆきかくゆき
たまぼこの 道のくまぐま
隈もおちず 尋めて行かむと
おもふ時 ここにありとて
鉢の子を 人はもて来ぬ
うれしくも もて来しものか
よろしなべ(*よろしなへ) もち来しものか
その鉢の子を
060 / 1202
初時雨
神無月 しぐれの雨の(イ 雨に)
をとつ日も きのふも今日も
降るなべに 山のもみぢは(イ 森のもみぢ葉)
たまぼこの 道もなきまで
散りしきぬ 夕さりくれば
さすかけて(イ おあかけて) つま木焚きつつ
やまたづの(イ あさつくひ) 向ひの丘に
さを鹿の 妻よび立てて
鳴く声を 聞けば昔の
思ひ出て(イ 思ひ出に) うき世は(イ うき世を)夢と
知りながら 憂きに堪へねば
さむしろに 衣片敷き
うち寝れば 板じきの間より
あしひきの 山下風の
いと寒く 吹き来るなべに
ありぎぬの ありのことごと
引きかづき こいまろびつつ
ぬばたまの 長きこの夜を
いも寝かねつも(イ いも寝かねつつ)
061 / 1207
冬ごもり
あしびきの 国上の山の
冬ごもり 日に日に雪の
降るなべに 往き来の道の(イ 人の)
跡も絶え ふる里人の
音もなし うき世をここに
門さして 飛騨のたくみが
打つ縄の ただひとすぢの
岩清水 そを命にて
あらたまの 今年のけふも
暮らしつるかも
(*わが宿は 国上山もと 冬ごもり 往き来の人の あとかたもなし〔620〕、
さ夜ふけて(イ このゆふべ) 岩間のたぎつ 音せぬは 高嶺のみ雪 降り積るらし〔607〕等)
062 / 1233
老いをいたむ歌(イ かなしむうた)
ゆく水は 塞けばとまるを
高山は 毀てば岡と
なるものを 過ぎし月日の
かへるとは 書にも見えず
うつせみの(イ うつそみの) 人もかたらず(イ 人にもきかず)
いにしへも かくやありけむ(イ かくしあるらし)
今の世も かくぞありける
後の世も かくこそあらめ(イ かくしあるらし)
かにかくに すべなきものは
老にぞありける
(*ねもころの ものにもあるか 年月は 賤が宿まで(イ 賤が伏屋も) とめて来にけり〔781〕、他。)
063 / 1240
うつせみの 仮のうき世は
ありてなき ものと思へこそ
白妙の 衣に変ふる
ぬばたまの 髪をもおろす
しかしより 天つみ空に
ゐる雲の あとも定めず
ゆく水の そこともいはず
うち日さす 宮も藁屋も
はてぞなき (*以下、破調あり。)
よけくもあれ
あしけくも あらばありなむ(イ あらばありなむと)
思ひし身の なぞもかく
思ひしやまぬ(イ 思ひはやまぬ)
わがおもひ 人知るらめや
この心 誰に語らむ
語るとも いふとも尽きぬ
荒磯海は 深しといへど
高山は 高くしあれど
時しあれば 尽くることし
ありといふものを
かにもかくにも つきせぬものは
わが思ひはも(イ わが思ひかも)
(*世の中に 門さしたりと 見ゆれども などか思ひの 絶ゆることなき〔806〕)
064 / 1254
みたりの友 (*以下、頭注に示す異本を採る。)
もみぢ葉の 過ぎにしみ代に
ありといふ 猿と兎と
狐とが ともにちぎりて
あしたには 野山にあそび
ゆふべには 林に帰り
かくしつつ 年のへぬれば
ひさかたの 天の帝の
きこしめし 翁になりて
そのもとに ゆきて語らく
いましたち 朝夕ともに
遊ぶてふ まこと聞きしが
ごとならば 翁が飢ゑを
救ひてよ 翁はけふは
遠くより まかりたりとて
その杖を 土に投じて
いこひしに やすきこととて
とくいでて 猿はうしろの
林より 木の実をひろひて
来りたり 狐は前の
川原より 魚をくはへて
与へたり 兎はあたりに
飛びとべど 何もものせで
ありければ いましはこころ
異なりと ののしりければ
いたましや 兎計りて
申すらく 猿は柴を
刈りて来よ 狐はこれを
焚きてたべ ことのまにまに
なしければ 焔の中に
身を投げて 翁が飢ゑを
すくひけり 翁はこれを
見るよりも 心もしぬに
ひさかたの 天を仰ぎて
なげきつつ 土にたふりて
こいまろび 胸うちたたき
申すらく いましみたりの
友がきは いづれ劣ると
なけれども 兎はことに
かなしとして 骸をかかへて
ひさかたの 月の宮にぞ
はふりける 今の世までも
語りつぎ 月の兎と
いふことは これがよしにて
ありけりと 聞くわれさへも
白たへの 衣の袖は
とほりて濡れぬ (*今昔物語集に拠る。)
傘松道詠関連歌
※ 吉野秀雄『良寛歌集』によれば傘松道詠集と関連する歌は17首あるという。
ただし、9番の歌には異文があるが、これは数えていないと思われる。
また、最後に補足した歌なども加えるべきか。
001 / 128
鉢之子に 菫たんぽぽ こきまぜて 三世の仏に たてまつりてむ
〔このこゝろ天津空にもはなそなふ三世のほとけにたてまつらばや(傘松道詠集 22)〕
002 / 136
しづが家の 垣根に春の たちしより 若葉つまむと しめぬ日ぞなき(イ 日はなし)
〔賤の男の垣根に春の立ちしより古野に生ふる若菜をぞ摘む(傘松道詠集 51)〕
003 / 239
この頃は さ苗とるらし わが庵は 形を絵にかき 手向けこそすれ
〔さなへとる夏のはじめの祈には広瀬竜田の祭をぞする(傘松道詠集 32)〕(*良寛歌集629では「世の中はそなへとるらしわが庵は形を絵にかきて手向けこそすれ」であり、供え餅を搗くのに対する歌となっている。どちらにしても、傘松道詠集との関係が見られるか?)
004 / 289
あしひきの 山田のかがし 汝さへも 穂ひろふ鳥を 守るてふものを
〔守るとも思はずながら小山田の徒らならぬかがしなりけり(傘松道詠集 19)〕
005 / 381
いざ歌へ われ立ち舞はむ ぬばたまの こよひの月に い寝らるべしや(イ べきや)
〔また見むと思ひし時の秋だにも今宵の月にねられやはする(傘松道詠集 60)〕
006 / 386
この岡の 秋萩すすき 手折りもて 三世の仏に たてまつらばや
〔このこゝろ天津空にもはなそなふ三世のほとけにたてまつらばや(傘松道詠集 22)〕
007 / 539
由之老
もたらしの 園生の木の実 めづらしみ 三世の仏に まづ奉る
〔同前(傘松道詠集 22)〕
008 / 615
ひさかたの 雪野に立てる 白鷺は おのが姿に 身をかくしつつ
〔冬草も見えぬゆきのゝしらさぎはおのがすがたに身をかくしけり(傘松道詠集 23)〕
009 / 619
ふみのはしに
わが宿は 越のしら山 冬ごもり 往き来の人の あとかたもなし
〔我庵はこしのしらやま冬ごもり凍(*氷)もゆきもくもかゝりけり(傘松道詠集 37)〕
/ 620
わが庵は 国上山もと 冬ごもり 往き来の人の あとさへぞなき
〔同前(傘松道詠集 37)−前歌の異文として数えない。〕
/ 621
わが宿は 越の山もと 冬ごもり 氷も雪も 雲のかかりて
〔同前(傘松道詠集 37)(*措辞の類似が著しく、これも前歌の異文として数えない。)〕
010 / 740
世の中は 何にたとへむ ぬばたまの 墨絵にかける を野の白雪
〔世中は何にたとへんみづとりのはしふる露にやどるつきかげ(傘松道詠集 59)〕
011 / 889
草のいほに 立ちゐてみても すべぞなき あまの刈藻の 思ひみだれて
〔草のいほに立ちても居てもいのること我よりさきにひとをわたさむ(傘松道詠集 33)〕
012 / 893
化城喩品(*法華経の巻名)
ゆきゆきて 宝の山に 入りぬれば 仮の宿りぞ 棲処なりける
〔たづね入るみやまのおくのさとぞもと我住みなれしみやこなりける(傘松道詠集 9 「父母所生身即証大覚位」)〕
013 / 899
提婆品(*法華経の巻名)
法の道 まことわかたむ 西東 行くもかへるも 波にまかせて
〔水鳥のゆくもかへるもあとたえてされどもみちはわすれざりけり(傘松道詠集 8 「応無所住而生其心」)〕
014 / 912
草の庵に 寝てもさめても 申すこと 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
〔同前(傘松道詠集 33)〕
〔草のいほにねてもさめてもまをすこと南無釈迦牟尼仏あはれみたまへ(傘松道詠集 35)と著しく類似。〕
015 / 922
法の塵に けがれぬ人は ありときけど まさ目に一目 見しことはあらず
〔世中にまことのひとやなかるらむかぎりも見えぬ大空のいろ(傘松道詠集 10)〕
016 / 999
夢中説夢
ゆめに夢を 説くとは誰が 言ならむ さめたる人の ありぬらばこそ(*原文頭注に「ありぬればこそ」かという。しかし、破格ながら反語の意を含むか。「ぬらば」で強意の仮定を表す用例は良寛の他の歌にも見られる。)
〔本末もみないつはりのつくも髪おもひみだるゝゆめをこそとけ(傘松道詠集 15 「夢中説夢」)〕
017 / 1000
弟子へのかたみの歌(*原文頭注に「臨終の作ではない。」と指摘する。)
形見とて 何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉
〔はるは花なつほとゝぎすあきはつき冬ゆきさえて冷しかりけり(*涼しかりけり)(傘松道詠集 6 「本来面目」)〕
※ 以下は、Taijuによる補足。
※ 「雲に路ある心地」〔傘松道詠集 57〕などの措辞も良寛や橘由之の歌に散見する。
a / 1067
夢の世に かつまどろみて ゆめをまた 語るもゆめも それがまにまに
〔傘松道詠集 15〕
b / 1081
いかにして 誠の道に かなはむと ひとへに思ふ ねてもさめても
〔傘松道詠集 33、35〕
c / 1079
うゑてみよ 花のそだたぬ 里もなし 心からこそ 身はいやしけれ
〔参考歌:傘松道詠集 31、44〕
(*良寛歌抄 <了>)
歌抄
傘松道詠関連歌