2011年10月 作成途中
伊豆の山々の向うに、左右対象の美しい富士山をみて育ちました。
子供の頃から富士山が好きで、富士山の絵をよく描いたのを覚えている。
多くの人は富士山の美しさに心を動かされ、絵画に文学に表現し,また山岳信仰の行場となった。
1.北斎と広重が描いた富士山
富士山を描いた多くの絵画から、葛飾北斎(1760〜1849年)の「凱風快晴」と安藤広重(1797〜1858年)の東海道五十三次」の{原}をあげてみた。どちらも急な斜面が誇張された富士山である。
![]() 北斎の「凱風快晴」 |
![]() 広重の「東海道五十三次」 {原} |
2.富士山の文学
@ 聖徳太子伝暦
平安時代初期の聖徳太子伝暦には次のような記述がある。
推古天皇の6年(598年)、聖徳太子が25歳のとき、数百頭の馬から選んだ、カラスのような漆黒で、足が白い馬に乗って、東の方へ飛び去った。
聖徳太子は3日後に帰ってきて左右のものに語った「私はこの馬に乗って雲を踏み、直ちに附神岳(富士山)の上に至り、転じて信濃の国に行き、越の国を経て、今帰って来た。
A役の行者(えんのぎょうしゃ)伝説
「続日本紀」では役君小角(えのきみをづの)と呼ばれている。
えんの行者は大和国の葛城山に住む、修験道の開祖と仰がれている伝説的人である。
文武天皇の3年(699年) えんの行者は弟子におとしいれられ、伊豆国へ流された。
天皇の命に従い、えんの行者は昼は伊豆国で修行し、夜は「駿河の富じの嶺」(富士山)に登って修行した。
「富じ明神」の信仰が認められ、許されて、仙人となった。
伊豆の国市に葛城山があるが、伊豆国へ流されたえんの行者と関係あるかもしれない。
B万葉集
万葉集では山部赤人の和歌がよく知られている。
反歌
田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける
ここでは富士山噴火の場所など具体的に説明した歌を取り上げた。
天平4年(732年)頃、高橋連(むらじ)虫麻呂歌集
不尽山を詠みし歌一首
なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる
富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もて消ち
降る雪を 火もて消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも 石花(せ)の海と
名付けてあるも その山の 堤める海そ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちそ 日ノ本の
大和の国の 鎮めども います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも
反歌
富士の嶺に降り置きし雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり
富士の嶺を高み恐み天雲もい行きはばかりたなびくものを
甲斐の国(山梨県)と駿河の国(静岡県)と、それぞれの国の中に立つとあり、富士山の位置が正確で、噴火の様子も歌っている。
「せの海」は現在の精進湖と西湖に分かれる前の湖のことである。
「せの海」は貞観6年(864年)溶岩を流出する大噴火があり、精進湖と西湖に分断された。この溶岩流が青木ヶ原丸火である。
その他、作者は分からないが、激しく燃えさかる恋心を富士山の噴火であらわした歌がある。
我妹子(わぎもこ)に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ
好きなあの子に逢うすべがないので、駿河の富士山のように、心の中で燃えているのだろうか。
妹が名もわが名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつ渡れ
あの子の名もわたしの名も噂になるのが惜しいので、富士山のようにただ心の中で燃え続けている。
C「竹取物語」 富士山という名前の由来
懐かしい子供の絵本として知られる「竹取物語」は作者は分からないが、九世紀末に書かれたとされている。
この物語の最後の場面は、月の世界へ帰るかぐや姫が、帝に文と不死の薬を形見として贈った。
悲しんだ帝は形見の文と不死の薬の壺を、天に近い、駿河の国にある山の頂で燃やすよう、勅使の「つきのいわかさ」に命じた。
つきのいわかさは
・・・・・そのよし承りて、つわものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、
その山をふじの山とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言い伝へたる。
つわものども(武士)、あまた(富む)から富士山と名付けた。
かぐや姫からの形見の文と不死の薬が燃えている煙と言い伝えられることから、この時代、富士山が噴火していたことが分かる。
富士市比奈にはかぐや姫の伝説を伝える「竹取塚」があり、吉原高校勤務の若い頃、訪ねたことがある。お寺の近く、竹林の中にあったのを覚えている。
D「更級日記」
更級日記の作者菅原孝標の娘は父の任地である上総の国(かずさのくに)、今の千葉県で育った。
寛仁四年(1020年)秋、任期が終って帰る、父菅原孝標と共に上京の途に就いた。足柄山を越えて、駿河の国に入り、富士山を見て、13歳の彼女は次のように記している。
富士の山はこの国なり。わが生ひ出でし国にては、西面に見えし山なり。
その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山の姿の、紺青を塗りたるやうなるに、
雪の消ゆる世もなく積もりたれば、色濃き衣に白き衵(あこめ,丈の短い着物)着たらむやうに見えて、
山の頂の少し平らぎたるより煙は立ち昇る。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。
この時代、激しい噴火活動ではないようですが、富士山の中央火口から噴火活動していたことが分かる。