宝永山 

宝永火口と宝永山  2,018年8月更新

1,はじめに

 各地に残る史料によると、宝永4年10月4日の宝永大地震(M 8.4)では、伊豆下田、紀州の尾鷲などを大津波が襲い、市街地の家屋がほぼすべて流失した。また,三保半島を襲った津波の高さは3.9mという記録がある(磯田道史2,014年)。それから、一ヶ月半後、宝永噴火は、宝永4年11月23日(以後新暦1,707年12月16日)の午前10時ごろから、爆発的な噴火活動(プリニアン式)が始まった。噴火に先立つ半月程前から、富士山麓では前兆の群発地震が発生していたようである(つじよしのぶ1,992年)。噴火活動は、始めデイサイト質の白色パーミスを放出し、その後、玄武岩質の黒色スコリアを多量に噴出した。16日間続いた噴火活動は1,708年1月1日にドーンという噴火音がして終った。
 宝永山(2,693m)は赤褐色スコリアが厚く堆積し、その表面を黒いスコリアが薄く覆う側火山(寄生火山)である。赤褐色スコリアは赤岩と呼ばれている。これまで、「宝永山の赤岩」は, OLFm 古富士火山(古期富士火山)の噴出物とされてきた(OLFm 火山砂礫および泥流層 Hiromichi Tsuya、1,968年)。そのため、宝永山の赤岩は古富士火山の噴出物がマグマによって押し上げられたものであるという説明がされてきた。
 宝永山の赤岩について、これまでの仮説には、疑問を持っていた。この調査はその疑問を解くために実施した。調査の結果、これまでの仮説を否定し、宝永山の赤岩は宝永噴火のスコリアであることを主張するものとなった。その詳細を報告する(相原、2,014)(相原、2,018)。

Hooei big earthquake (M 8.4) occurred on October 28th 1,707 A.D.
Hooei's eruption of the plinian began on December 16th 1,707 A.D.
In the beginning, it spouted pumice and next it spouted out the black scoria of the basalt quality much ( about 1,300,000,000 tons ).
Hooei-zan(Mount Hooei) is a parasitic cone on the Fuji volcano.
Hooei-zan is the scoria cone that an eruption was done in the steep slope.


写真1. パノラマ写真は宝永第二火口縁から写した(2,011年9月28日)3枚の写真を使い、
Photoshop Elementsの「Photomerge Panorama」で作成した。
写真は左(西)から
富士山頂(3,776m)、中央が大きな宝永第一火口(火口底 2,420m)、右(東)が宝永山(2,693m)である。 
The Hooei crater and Hooei-zan (right) from which the latest eruption occurred in 1,707.


2,宝永の噴火活動 

 宝永第一火口は直径が約1,200m、深さが約400mあり、大変大きい。宝永第一火口付近の噴火前の地質は火口の富士山頂側内壁を調べると概略を知ることができる。この斜面の地質は、岩脈に貫かれた富士火山(新期富士火山)の中期溶岩と、これを覆う新期溶岩が分布していた(伊藤道玄1,996年)。いずれも富士山頂火口から噴出した溶岩である。(写真2,写真21、写真22)

表1 富士山の活動史
 調査結果と
「小山町史 第六巻」(町田 洋、1996年)、「火山灰は語る」(町田 洋、1977年)、「大地見てあるき」(伊藤道玄、1996年)などを参考にして作成した。

富士火山の新期、中期溶岩活動期 
(約5,000年前〜現在) 
 
新期溶岩(御殿場ー富士宮口溶岩流, 湯船第二スコリア)が富士山頂火口から噴出(約3,000年前〜約2,200年前).
宝永の噴火(300年前), 貞観の噴火(1,155年)など, 側火山の噴火活動
その他, 富士山東麓の崩壊(約2,900年前).
中期溶岩の溶岩流が富士山頂火口から噴出(約4,500年〜約3,000年前).
その他, 側火山の噴火活動など. 
富士火山の黒土層の堆積期
(約8,000年前〜約5,000年前)
富士山は, 火山活動が少なく, 気候が温暖で植物が繁茂し, スコリア層を挟む腐植土(厚さ約1m)が, 山麓へ広く堆積した.
富士火山の古期溶岩活動期
(約12,000年前〜約8,000前)
古期溶岩を多量に流出し, 富士山の原形ができた. 猿橋溶岩流(北東山麓), 大渕溶岩流(南西山麓),大野原(三島)溶岩流(南東山麓)などである. 富士山東麓は, 厚いテフラに覆われ, 高い台地が形成され, 溶岩流に覆われなかった.
その他, 河口湖, セノウミ, 忍野湖, 本栖湖などができた.
古富士火山の活動期
(約100,000年前〜約12,000年前) 
古富士火山は, 爆発的噴火によるテフラの堆積と溶岩の流出が繰り返され, 大型の成層火山が成長していった.
この時代, 古富士火山の山頂標高は低かったと思われる. (古富士火山の噴出物が, 宝永火口に分布しないことから2,400m以下と思われる. ).
その他, AT火山灰の飛来. 最終氷期で海水面は現在より120m低かった.

 
写真2 宝永第一火口の富士山頂側内壁   2,017年6月17日
 新期富士火山の中期溶岩は岩脈によって貫かれている。新期溶岩は中期溶岩を
覆い表面に分布している。新期溶岩の上の宝永噴出物は、急斜面なため、ずれ落ちて
殆ど存在しない。
 岩脈の走向はN20ºWで富士山頂の方向でもある。
(古期富士火山の噴出物は、この付近に存在するならば、中期溶岩や新期溶岩の下になる。)

 富士山のマグマ溜りのマグマは、休止期の間にマグマの結晶分化作用(N.L.Bowen)や周囲の岩石との混合があり、上下のマグマで比重の違いが生じていたと思われる。宝永の噴火は、マグマ溜りの上部の比重が小さいものから順に火山ガス、少量のデイサイト質マグマ、玄武岩質マグマが噴出したと思われる。
 宝永山は、富士山南東麓の急斜面で噴火が行われたためできたスコリア丘で、オリジナルな考えだが、次のような噴火活動であったと推定する。
「2.富士山の噴火活動」の宝永の噴火も参照。
 五合目付近の急斜面で、火山ガスとマグマによるプリニアン式噴火活動が始まり、始めの爆発で、既にあった中期溶岩や新期溶岩などは、岩屑なだれとなって宝永第一火口の山麓側へ堆積し、宝永山の土台になった。 宝永第一火口から空中への火山噴出物のうち、宝永第一火口の山麓側へ降下した噴出物は、斜面の傾斜が緩やかで、その位置へ堆積した。 宝永第一火口より富士山頂側の急斜面(安定角以上)へ降下した噴出物は宝永第一火口へずれ落ちた(※1、※2)。ずれ落ちた証拠は富士山頂側の急斜面に宝永噴火の噴出物が堆積していないことである(写真2)。ずれ落ちた噴出物は、火道(vent)の上部にふたをして、塞ぐことになり、内部のマグマの発泡による蒸気の圧力が増大する。このとき、爆発的な噴火が起こり、ふたとなった火道の上部は吹き飛ばされた。火山の噴火は間欠的に起こるので、そうした爆発も当然ある(井田喜明、1,997年)。繰り返す爆発的な噴火のたびに、宝永第一火口は拡大し、火口の直径や深さが増した。また、多量の噴出物は、火口の山麓側へ厚さ数100m堆積し、第一火口縁の宝永山が誕生した。
 宝永の爆発的噴火は、マグマ溜りや火道の圧力が急激に減少し、マグマからゆっくりとしたガス抜きがされず、溶岩はしぶきとなって空中へ放出されスコリアとなり、溶岩流にはならなかった(井田喜明、1,997年)。
 宝永山は、標高2,500m付近の急な斜面で噴火が行われたので、地形が偏った形のスコリア丘になったが、宝永第一火口縁であり、地形からも読み取れる。シミュレーションが可能ではなかろうか。

 
図1 急斜面での噴火活動
※1: 富士山の山頂周辺の傾斜が中腹に比較して急なのは、山頂火口噴火で噴出した高温の溶岩(スパッター spatter)
が互いに溶結して(アグルチネート agglutinate)急な斜面になった。(新期溶岩)
※2 砂礫で斜面をつくるとき、傾斜角が約30度以上になるとずれ落ちる。この傾斜角を
安定角という。
傾斜が緩やかなところで噴火すると図1の右のような普通のスコリア丘ができる。(富士山の大室山や伊東市の大室山など)

 宝永の爆発的な噴火で噴出する溶岩のしぶきは、発泡しながら、上空へ噴き上げられ、急冷すると黒いスコリアになる。黒いスコリアは、火口から離れた太郎坊、須走など広い地域で観察できる。
 一方、玄武岩質スコリアは、酸素の供給がある高温状態でゆっくり固まると、スコリアに含まれる鉄分が酸化し、ヘマタイト(赤鉄鉱)ができ赤褐色になる(町田 洋・白尾元理1,998年)、(中村一明1,989年)。 この現象は宝永第一火口底のスコリア丘や宝永山で観察できる(写真6、写真17〜20)。
 第一火口底のスコリア丘は、スコリアが火道を塞ぐように堆積し、火道からの熱の供給を受け、ゆっくり固まり、ヘマタイトができ赤褐色になったと考えられる。また、溶結している。
 宝永山は、火口へ高温のスコリアが、厚さ数100m (宝永山頂標高2,693m−火口底標高2,420m)堆積し、この厚く堆積したスコリア層は、熱が逃げにくく、高温の状態を保ち、第一火口底のスコリア丘のようにヘマタイトができ、赤褐色になり、溶結したと考えられる。このような赤褐色のスコリアは、宝永山の各所で観察でき、手にとって観察すると、風化作用を受けていない大変新しいスコリアであることが分かる(写真3、写真4)。この赤褐色の溶結したスコリアは、一見、古期富士火山の噴出物に似ているかもしれない。

 
写真3 宝永山頂の赤岩  2,017年6月17日
スコリアは温度差により、黄褐色から赤褐色のものまである。
また、風化していない大変新しいスコリアである。
 
写真4 水洗いした宝永山の赤岩。  2,017年6月17日
溶結したスコリアをほぐしながら水洗いした。スコリアは、風化した泥質が少なく、
洗うと直ぐ、きれいになり、新しいことが分かる。


 宝永山の赤岩には、多くの小断層が観察できる(写真7、写真13,写真14,写真15)。この小断層は、噴火活動中、宝永山の内部の温度が高く、厚く堆積したスコリアが十分固まっていないため、噴火にともなう火山性地震によって生じたと考えられる。鮫島輝彦(昭和53年 静岡の地学 静岡教育出版社 p111)は、この地形を「宝永山の南斜面に露出している黄褐色の火山角礫岩は無数の小断層によって切られていて、富士火山の他の部分といちじるしく異なっている。」と説明している。

 第二火口と第三火口は、第一火口の噴火活動中の噴出物が堆積し、その後も崩壊しやすい宝永山の噴火堆積物によって埋め立てられ、地形は急激に変化している。

3,宝永噴火活動の考察

考察1.宝永山の赤岩は、古期富士火山の噴出物とする疑問点。

疑問@
 宝永第一火口付近の噴火前の地質は、第一火口の内壁の調査から新期富士火山の中期溶岩や新期溶岩が分布していた(表1,写真2)。 従って、古期富士火山の噴出物は、存在するならば、この新期富士火山の中期溶岩や新期溶岩の下になる。赤岩は隆起してきた古期富士火山の噴出物だとすると、古期富士火山の噴出物は、しっかりした新期富士火山の中期溶岩や新期溶岩を押しのけて、隆起してきたことになり、周辺の地質構造から見て、不自然である。何故、宝永山の赤岩は古期富士火山の噴出物なのか疑問が残る。

 また、これまでの仮説によると、宝永山は第一火口により、その西側がえぐり取られているという地形から、宝永噴火活動の順序は、第二火口や第三火口が開き、噴火活動の途中、古期富士火山の噴出物が隆起して宝永山ができ、最後に第一火口の噴火活動があり、宝永山の西側がえぐり取られたとした(宮地直道、2,006年:小山直人、2,013年)。このように考える仮説は、次の疑問A〜Dが残る。

疑問A
  第一火口の噴火活動による噴出物のうち、宝永山付近へ堆積した噴出物は、多量に存在するはずである。この宝永の噴出物は、宝永山が隆起してきた古期富士火山の噴出物だとすると、堆積する場所がないという矛盾が生ずる。

疑問B  一般に、火山活動に於けるマグマ溜りの圧力は、噴火直前が最大になり、地表面は隆起することがある。地殻が破れて、火道が開き、噴火が始まると、 マグマ溜りの圧力は減少し、その上の地表面は沈降することもある。 噴火の途中で、 マグマ溜りの圧力が減少するのに、古期富士火山の噴出物が押し上げられたというのは、力学的にも矛盾するし、 火山噴火の基本的パターンとも一致しない(茂木清夫1,958年茂木モデル)。

疑問C
 地質時代を通して、地盤の大きな隆起や沈降はあるが、1輪回の火山活動中に斜面が数100m隆起するのは、考えられない変動である。(下図)。
 噴火活動に必要なエネルギーを常識的に考えてみる。火山噴火途中の噴火に必要なエネルギーは、既にできた火道から、テフラを噴出する運動エネルギーEk(Kinetic Energy)である(Ek= ½ mv² ; mはテフラの質量、vはテフラの噴出する速度である)。宝永噴火のテフラは、全体として大量(約0.7Km³)になり、使われる運動エネルギーも大量になる。しかし、この大量の運動エネルギーは、噴火活動が行われている間に使われる全体の運動エネルギーであり、単位時間に使われる運動エネルギーは小さくなる。
 一方、古期富士火山の噴出物を
、マグマ溜りの圧力によって、数100m隆起させるのに必要なエネルギーは、位置エネルギーEp(Potensial Energy)である ( Ep=Mgh ;Mは隆起する岩盤の質量、gは重力加速度、hは隆起する高さ数100mである)。古期富士火山の噴出物を数100m隆起させるには、その下にある、マグマ溜りから古期富士火山の噴出物までの岩盤も数100m隆起しなくてはならない。従って、Mは膨大な質量になり、位置エネルギーEpも膨大な値になる。宝永の噴火活動が行われている1輪回の火山活動中の数日間に、このような膨大な位置エネルギーが必要な隆起運動は、常識では考えられない。

  左図の説明
 富士山のマグマ溜りまでの深さは,地震波の速度変化などから調査され、10数kmといわれている。マグマの突き上げによって古期富士火山の噴出物が数100m隆起するということは、その下にある厚さ10数kmの岩盤(小御岳火山、先小御岳火山など・・・)も数100m隆起しなければならない。
 仮に火山噴火中、マグマ溜りへのマグマの供給があり、マグマ溜りの圧力が大きくなれば、噴火活動が激しくなり、このような不自然な隆起運動は、考えられない。

疑問D  噴出物の分布や変化からみると、宝永山噴火は、12月16日10時、割れ目噴火から始まり、パーミスや黒曜石を噴出し、数時間後には、第一火口や第二火口、第三火口の管状火道噴火へ移っていった。12月17日には、火の玉のような火山弾や大量のスコリアを噴出する第一火口の噴火活動へ移り、須走村では高温の火山弾により、火災が発生した(森下 晶、1974)。従って、宝永山は、噴火活動が始ってから、 第一火口の噴火活動が活発になるまでの1日〜2日の間に、古期富士火山の噴出物がマグマの突き上げによって数100m隆起してできたことになる。この仮説は不自然である。

 このような幾つもの疑問は、基本となる宝永山の赤岩が古期富士火山の噴出物とすることから生じた。自然科学は、関連する事象があるので、基本が違うと複数の疑問が生ずることになる。

考察2、宝永の噴火活動は大量のスコリアを噴出した。
 一般に、玄武岩質溶岩を噴出する大きな火山噴火には、噴火活動の順序に規則性があるといわれている。その順序は、マグマ溜りの圧力が増し⇒地殻が破れて⇒爆発的な噴火があり、スコリアを噴出し⇒次に溶岩を流出し⇒最後に火山灰を噴出して、1輪回の火山噴火は終わる。側火山の噴火についても、火山灰の噴出はないが、同じことが認められるようである(中村一昭、1,978).
 宝永の噴火は、標高の高い(約2,500m)急斜面で、火山噴火の規則性の爆発的な噴火を繰り返し、溶岩の流出がないという異例の噴火活動であった。爆発的な噴火のたびに、マグマ溜りや火道の圧力が急激に減少し、よく振ったビールの栓を抜いたときのように発泡し、溶岩はしぶきとなって空中へ放出されたようである(中村一昭、1,989)。宝永噴火では、普通の火山ならば、溶岩流として流出するマグマが、スコリアになったため、スコリアが大量になったと考えられる。その総量は、等厚線図に基づいて計算され、約0.7Km³としている。
 しかし、富士山には、溶岩を流出する側火山が多い。例えば865年に噴火した貞観噴火は、長尾山を中心とする長さ数キロの割れ目噴火で大量の玄武岩質溶岩(約1.3km³)を流出した。貞観噴火のマグマは、上昇過程でガス抜きが効率よく進み、爆発を免れ、静かに液体状態を保ったまま地表に流れ出て溶岩流となり、広大な青木ヶ原溶岩となった。火山が爆発的な噴火を繰り返すか、静かに溶岩を流出するかの基本的要因は、マグマの成分の違いである。富士山やキラウエア火山の玄武岩質マグマは、粘性が小さく、ガス抜きがされやすく、静かに溶岩を流出する噴火になりやすい。一方、桜島火山の安山岩質マグマや雲仙の普賢岳のデイサイト質マグマは、粘性が大きく、ガス抜きがされにくく、内部の気泡が肥大化し、爆発的噴火になりやすい(井田喜明、1,997年)。玄武岩質マグマを噴出する宝永山の爆発的噴火は、標高が高い急斜面という地形的な要因が加わった異例の噴火である(相原 淳、2,014年)。

考察3、宝永噴火のスコリアと宝永山の赤岩の成分は同じである。

 表2はTsuya(1,968年) Geological map of Fuji Volcano から抜粋した溶岩成分(単位 重量%)表である。1,707年宝永噴火のスコリア(100,29%)と宝永山の赤岩(99,58%)は、共に輝石・カンラン石玄武岩で全体を100%とするとほぼ同じ成分であり、いずれも宝永噴火による噴出物と考えられる。

富士山付近の溶岩成分 (表2 重量% )      津屋(1,968年より)

  SiOx  Al2O3  FexOy MgO CaO Na2 2O  H2O TiO2 P2O5 MnO  合計
宝永噴火のスコリア 51.09  17.62 11.06 5.09 9.68 2.80 0.76  0.34 1.38 0.26 0.21 100.29
宝永山の 赤岩 50.80  16.19 11.28 5.12 9.78 2.65  0.76  0.37  1.37  0.29  0.24  99.58
第一火口北東壁 49.60  16.96  12.05  5.92  10.03  2.48  0.58  0.62  1.40  0.20  0.21  100.05 
宝永山 軽石   68.25 14.28  4.17  1.41  3.15  3.68  2.82  1.56  0.44  0.16  0.09  100.01 
宝永山黒曜石 63.84  15.82  5.97 1.67  4.88  3.88  2.12  0.45  0.87  0.22  0.17  99,89 
富士山頂 剣ヶ峰 50.25 16.96  12.45  5.34  9.25  2.46  0.76  0.43  1.59  0.21  0.22  99.92 
青木゙原溶岩 49.60 16.14  12.67  4.79  8.80  2.90  0.93  0.69  1.97  0.31  0.23  99.93 
小御岳 53.00 21.50  7.70  2.62  9.96  3.19  0.56  0.33  0.90  0.10  0.15  100.02 

宝永山軽石⇒安山岩質軽石、宝永山黒曜石⇒安山岩質黒曜石、小御岳⇒カンラン石・両キセキ安山岩、
その他⇒輝石・カンラン石玄武岩

考察4,宝永山の赤岩の表面には火山岩塊が溶結している。
 
最後の宝永噴火活動で、噴出した黒い火山岩塊は、高温で軟らかい赤岩の表面へ降下し、めり込んだようである。めり込んだ火山岩塊の下面は、赤褐色になり、溶結したようである。最後の宝永噴火の火山岩塊が落下したときの赤岩は、高温で柔らかかった証拠になると考えられる(写真5)。この現象は調査不足であり、次の調査で確認したい。

 
写真5、 宝永山の赤岩  2,017年6月17日
赤岩は、断層によってブロック化し、崩れている。左の赤岩に断層のずれがある。
赤岩の表面には暗灰色の玄武岩質火山岩塊が点々と付着している。

考察5,噴火活動の変化と宝永山のスコリア層の堆積関係。
 宝永噴火があった1,707年12月16日から1,708年1月1日までの16日間の噴火活動の変化A〜E(宮地直道2,006年)と宝永山のスコリア層堆積A〜Eとの関係を推定してみた。(表3,写真6)

表3 宝永噴火記録からの推定

1,707年噴火の月・日   スコリア、テフラなどの噴出量と温度の変化  宝永山の噴出物(写真3のA〜E)
 12月16日〜18日 A 噴火は激しく、噴出物多量、高温 A 赤褐色スコリア(下位の赤岩)
 12月21日〜23日 B 噴火は小規模、断続的、噴出物少量、低温 B 黒いスコリア層(宝永山中腹に挟まる)
 12月25日〜28日 C 噴火は激しく、噴出物多量、高温    C 赤褐色スコリア(上位の赤岩)
 12月29日〜31日 D 噴火は小規模、噴出物少量、低温 D 黒いスコリア層(宝永山の地表面)
 翌年1月1日 E ドーンという大きな噴火音、噴出物少量、低温 E  黒いスコリア層(宝永山の地表面)
 
写真6 第一火口底のスコリア丘と宝永山の赤岩   2,013年9月18日写す。
写真のABCDEは表3を参照

 赤岩になるような大量のスコリアを噴出する噴火活動は、表3のAやCと考えられる。宝永山の中腹に挟まる黒いスコリア層(B)は、12月21日〜23日頃の噴火活動に休息の期間があり、規模の小さな噴火が断続的に行われ、冷えて黒いスコリアの堆積になったと思われる。12月27日以後の宝永噴火は、小規模で赤岩の温度も下がり、黒いままのスコリアが宝永山の地表面を薄く覆い、最後に1,708年1月1日未明のドーンという噴火で終わった表3のD、Eと思われる。D、Eは溶結していないので、急な斜面では、ずれ落ちて内部の様子が分かる。

考察6, 不思議な板状のスコリア層。
 赤岩の西端に見える板状のスコリア層(写真7、写真13)は現場まで行けず、第二火口縁から望遠レンズで観察した。不思議な板状のスコリア層の成因は、次のように推定した。

 
写真7 第二火口縁から写した宝永山の赤岩、白い線で示す3本の断層。
写真には、正 断層でずれた面や不思議な薄い板状のスコリア層が写っている。
板状のスコリア層は侵食されて変化する。
 
写真8 宝永山頂の赤岩     2,017年6月17日
 白線で示す黄褐色の太い線は、赤岩の割れ目を細粒のスコリアや火山灰が
充填してできたと考えられる。 

 赤岩には多くの小断層がある。写真7には、少なくても、3本の白線で示す断層がある。中央の断層のずれは分からないが、外側の2本の断層は正断層で、上盤がずれ落ちている。観察すると、薄い板状のスコリア層は、この断層の割れ目にあって、細粒のスコリアからできている。どうしてこのような地層が断層の割れ目にできたか考えてみた。噴火活動中の火口という高温の環境で、噴火の振動や地震動によって、断層の割れ目へ、周囲から細粒のスコリアや火山灰が入り込み、割れ目を満たした。この割れ目の細粒のスコリアや火山灰の層は、周囲の粗粒なスコリア層より、溶結の度合いが大きく、浸食されにくいようである。周囲の浸食され易い粗粒のスコリア層が浸食されて、割れ目の細粒のスコリア層は、板状の地層として残ったと考えられる。この仮説は写真8がヒントになった。

4.おわりに
 
 宝永噴火活動は、「火口が異例に大きい」、「噴火活動中に宝永山を隆起させた」、「爆発的噴火を繰り返し、大量のテフラを噴出したが溶岩の流出はなかった」、「赤岩が無数の小断層で切られている」など極めて異例の活動といわれてきた。宝永山の赤岩は宝永噴火のスコリアであるとして考察したが、宝永噴火によって生じた地形や地質などの自然現象は殆ど無理なく説明できた。一方、宝永山の赤岩が古期富士火山の噴出物だという証拠はない。赤岩に含まれる放射性元素の半減期から年代測定ができれば、明らかになるのだが、現時点では測定できない。

 
「これまでの仮説」と「本研究の結果」の比較表

   これまでの説  本研究の結果
宝永山の成因(赤岩も含む)   古期富士火山の噴出物が隆起してできた。(1万年以上前の地層)  宝永噴火のスコリアが堆積した第一火口縁である。(300年前)
赤岩の放射性元素による絶対年代  現時点では未測定  現時点では未測定
宝永噴火活動の順序   宝永第二火口、第三火口が噴火し、次に古期富士火山の噴出物が隆起して、宝永山ができ、最後に、宝永第一火口が噴火した。  割れ目噴火⇒管状火道噴火
宝永山の地形  宝永山の西側が第一火口の噴火でえぐり取られている。(宮地2,006年,小山2,013年)  第一火口縁、地形的に問題ない。
疑問点@
赤岩の岩石
  宝永山の赤岩は、何故、古期富士火山の噴出物なのか不明である。(見かけが似ている?) 特になし 
宝永山の赤岩は宝永噴火のスコリアだという理由が説明できた。
疑問点A
宝永噴火の堆積物
 宝永山付近へ厚く堆積したはずの宝永噴火の噴出物は、古期富士火山の噴出物があると堆積場所の説明ができない。  特になし
疑問点B 
火山噴火の前後の隆起沈降
 噴火が始まるとマグマ溜りの圧力は減少するはずなのに、マグマ溜りの圧力によって、古期富士火山の噴出物を数100m隆起させた。  特になし
疑問点C
短期間に厚い岩盤の隆起
 古期富士火山の噴出物からマグマ溜りまでの厚さ10数キロmの岩盤が隆起した。  特になし
疑問点D
数日間に数100m隆起
 宝永噴火が始まってから第一火口の噴火前までの短い数日間に古期富士火山の噴出物が数100m隆起した。  特になし

「宝永山の赤岩は古富士火山の噴出物である」という、津屋(1.968年)の仮説は、発表してから、ちょうど50年経過した。その間、この仮説は広く地質学者の間で通説となってきた。通説の壁は高い。私の調査結果は、内容を見れば分ってもらえるのだが、無視してしまうようである。しかし、これまでの通説に取って代わる日が必ず来ると確信している(2,018年)。

謝辞
 最後に、道林克禎氏(名古屋大学教授)と佐藤慎一氏(静岡大学教授)には親切なご指導を頂いた。深く感謝申し上げる。


 本研究について、疑問などありましたら、遠慮なく、ご指摘頂きたい。
 宝永山の噴火活動は、地学を選択する高校生や理系の大学生に考えさせる良いテーマではなかろうか。


ーご意見を頂きたい。ー

(〒 411-0035  三島市大宮町 2-4-10  相原 淳   メールアドレス aihara@mxz.mesh.ne.jp )



参考文献

相原 淳 (2,014) : 宝永火口と宝永山、静岡地学 第109号 静岡県地学会 15-17p
相原 淳 (2,018) : 宝永山の赤岩、静岡地学 第117号 静岡県地学会1-3 p
磯田道史(2,014): 天災から日本史を読みなおす 中央公論新社35-76p
伊藤道玄(1,996) :大地見てあるき 静岡県地学案内 静岡県地学会編 76-84p
藤井敏嗣 (2,015) :富士山大噴火、徳間書房 39p
兼岡一郎・井田喜明 ー(編)ー(1,997):火山とマグマ 東京大学出版会70-90p
小山直人(2,013):富士山、岩波新書 33-46p
町田 洋(1,996):小山町史 第六巻 原始古代中世通史編 88p 
町田 洋(1,977):火山灰は語る 火山と平野の自然史 蒼樹書房 14p
町田洋・白尾元理(1,998):火山の自然史、東京大学出版会 27p
宮地直道(2,006) :富士山の謎をさぐる,築地書院 61-67p
森下 晶(1,974):富士山 その生成と自然の謎 講談社現代新書 71-87p
中村一明(1,989):火山とプレートテクトニクス 東京大学出版会 15p
中村一明(1,978) :火山の話 岩波新書 94-97p
鮫島輝彦(1,978) : 静岡県出版文化会:フィールドワーク静岡地学、静岡教育出版社 111p
つじよしのぶ(1,992) : 富士山の噴火 築地書館 188p
Hiromichi Tsuya GEOLOGICAL MAP OF FUJI VOLCANO(1,968) CD-ROM Version
 


調査記録写真

 
写真9 宝永山頂付近を覆う黒いスコリアとテフラ  2,017年6月17日
黒いスコリアは宝永噴火活動の最後の噴出物と思われる。
(スコリアは歩き難く、サポートしてくれる左上の息子が心配そうに待っている。)  
 
写真10 宝永山の赤岩を採取  2,017年6月17日
高温のスコリアが厚く堆積し、スコリアは、熱により互いに溶結している。
ハンマーで穴を掘って採取したが、思ったより硬かった。
写真の手前の黒いスコリアやテフラは、宝永噴火の終わりの頃の噴出物である。
 
写真11 宝永山の赤岩  2,017年6月17日
赤岩には、暗灰色の玄武岩質火山岩塊が点々と付着している。
 
写真12 宝永山の赤岩  2,017年6月17日
赤岩に火山岩塊が点々と付着している。


 
写真13 宝永山の赤岩   2,013年9月18日 第1火口縁から撮影
300mmの望遠レンズでの観察。
・大きな火山岩塊は赤く酸化されず、暗灰色である。火山岩塊の下面は 
赤褐色のスコリアと溶結しているように見える。
・右側の不思議な板状の地層は、正断層面に沿って上盤がずれ落ちた面にある。
 
写真14 宝永山 南東側から写した赤岩 2,011年9月8日(300mm望遠レンズ)
赤岩の地層は斜面にスコリアやテフラが堆積したことを示す、斜面に平行な層理
が観察できる。また、赤岩の地層は多くの少断層によって切られているのが観察できる。
 
写真15 宝永山の赤岩 2,016年10月4日 富士山南東の須山から、
300mm望遠レンズで撮影。
 
.写真16  富士山(左)と宝永山(右)  2,011年10月28日 西臼塚から撮影。
カーソルを写真へ移動すると、海抜高度が分かる。

 

 
写真17 第一火口底のスコリア丘  2,011年9月28日 西側から撮影。
 第一火口底には赤褐色の小さなスコリア丘(直径100数十m、高さ十数m)がある。
このスコリア丘は宝永噴火の火道へふたをするようにスコリアが堆積し、
火道から熱の供給を受け、鉄分が酸化して赤褐色になり、また溶結している。
 右斜面に宝永山への登山道が見えるが、スコリアで歩き難い。
 
写真18 第一火口底のスコリア丘  2,011年9月28日 東側から撮影。
 このスコリア丘は、できた頃、高温でスコリアが固まっていないため、
東側が崩れたと思われる。宝永山の赤岩に似ている。
 
写真19 スコリア丘の崩れた北東斜面  2,011年9月28日
スコリアは赤褐色になり、溶結している。
 
写真20 溶結したスコリア丘の崩れた北東側斜面。 2,011年11月1日
内部は高温のため、スコリアは溶けて底なし溶岩になっている。 メジャーは1m、


ーコラムー
 ワインは筆者の好きな飲物で、毎日の晩酌に少しずつ飲んでいる。つまみの「ひとくちスモークチーズ」は写真のように親指と人差指で挟んで力を加えると、力の方向へ割れ目ができる。なるほど!!!とワインを飲みながら楽しんでいる。富士山のマグマ溜りの周辺の岩盤には、フィリピン海プレートから受ける押しの力の方向へ割れ目ができる。岩脈はこの割れ目へマグマが貫入して固まったものである。(写真2)
 

宝永山頂

 
写真23 宝永山頂 2,017年6月17日
赤岩の調査のため、宝永山頂へ登る。
息子のサポートがあってなんとかたどり着いた。

写真24 宝永山頂 2,011年9月28日 
宝永山頂は、宝永噴火の最後の噴出物と思われる黒いスコリアにおおわれている。
背後に愛鷹山が見える。
 
写真25 宝永山の南東斜面、頂上から30mほど下の赤岩。2,011年9月28日
側火山の二っ塚が見える。 宝永山頂付近から写した。
 
宝永山の登山記録


2,011年9月28日、宝永山へ登った記録 

 富士宮口五合目駐車場へ着いたのが8時30分、少し霞んでいたが、山中湖、箱根山、伊豆の山々、駿河湾、浜石岳などの素晴らしい景色を楽しむことができた。
 新品のトレキング・スティックを持って、8時40分駐車場を出発し、宝永火口の第一火口縁へ9時20分到着し、写真を撮っていると落石の大きな音がし、宝永火口を覗くと4個ほどの石が砂煙をあげて落下していくのが見えた。火口の底には登山者が数人休んでいるのが見え、心配したが落石はその手前で止まり無事であった。
 第一火口縁を9時25分出発し、宝永火口底へ9時45分着いた。
 休んでいた登山者と落石の話などをして、宝永山への登山を開始した。スコリアの登山道は砂丘を登るのに似て大変歩き難い。右手にトレッキング・スティック、左手にカメラの一脚を杖にしてゆっくり登った。宝永山山頂へは10時50分着いた。宝永山山頂は吹き上げる東の風が大変強く、危険を感じたので、赤岩の採石は断念した。
 富士宮口五合目駐車場から帰路についたのが13時00分であった。

 「 富士宮口五合目駐車場着(8時30分)⇒宝永火口の第一火口縁(9時20分)⇒宝永火口底(9時45分)⇒宝永山山頂(10時50分) 」

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