柿田川の自然 
 i 井上氏、k 古山氏から写真の提供をいただく。

富士山に降った雨水や雪が融けた水は溶岩層と溶岩層に挟まれた砂礫層の中を伏流水となって移動し、箱根山や愛鷹山の地下水も加わり、三島溶岩流の末端で湧出して柿田川になると考えられている。「4.富士山麓の湧水」参照

1.柿田川周辺の地質


柿田川周辺の推定地質断面(三島市小浜池湛水調査研究報告書 図3に加筆)
カワゴ平パーミス
ボーリング調査で地表から20m下に厚さ約20cmの白い火山灰層が挟まれていた。
これは約2900年前に噴火した天城火山の側火山 カワゴ平の噴出したパーミスである。
(1.富士山の地質と火山参照)
パーミスは柿田川の源流部川底に見ることができる。

 柿田川周辺の三島溶岩は地下30m付近にある。多量の湧水があることから、三島溶岩の末端と考えられている。
清水町総合運動場公園でのボーリング調査(深さ87m)から、三島溶岩上部層(厚さ約20m)と三島溶岩中部層(厚さ約23m)が砂礫層を挟んで、推定地質断面図のように存在することが分った。(上図参照)
三島溶岩上部層、下部層とも、繰り返す溶岩の流出で5枚程の溶岩単層が重なっている。
1枚の溶岩(溶岩単層)は厚さが平均約4mで、中心部はち密だが、上下方向へ次第に多孔質になり、溶岩単層の境はガサガサしていて(アアとかクリンカー状と表現)、ここを地下水が流れるようである。(下図参照)
三島溶岩には多くの気孔があるが、気孔はつながっていないので、溶岩単層は不透水層である。

2.柿田川の歴史      

  柿田川(かきだがわ)は泉頭(せんとう)、又は泉(いずみ)と呼んでいたが、昭和32年頃から、下流にある柿田橋(かきだばし)に由来して、柿田川と呼ぶようになったようだ。

@ 戦国時代、この地に北条氏が築城した「泉頭城」があったが、豊臣秀吉が小田原城を攻めるとき、消失した。
A 大正7年(1918年)、泉頭の西側へ清水製紙工場が建設される。後に消失。
B 昭和20年頃、深澤民雄氏が養魚場を建設し、紅鱒、鮎などを養殖した。あとを子の深澤雄太郎氏が引き継いだが、昭和46年3月、静岡県へ水利権を譲渡して、養魚業を廃業した。
C 昭和40年代まで、稼働していた柿田川周辺工場の排水と廃棄物の処理が問題になった。
 昭和43年 高野製紙工場などの工業廃水処理のため、柿田川の河床へ、上流から柿田橋付近までコンクリートパイプを埋めた。汚染物質はこのパイプを使って流すようにした。
D 昭和55年(1980年)頃から、ナショナル・トラスト運動が始まり、柿田川の自然を守るための清掃活動、土地の買い上げなどが行われている。

3.柿田川の自然


柿田川はここから流れ始め、約1200m下流で狩野川に合流する。(左上に第一展望台 2008年4月6日)

柿田川の源流、1日約100万トンの湧水(2008年4月6日)
「4.富士山麓の湧水」もご覧頂きたい。

流域の美しい自然が守られ、貴重な動植物を見ることができる。(2008年4月6日)

アユ 2008年11月17日      i
アユは、毎年秋の季節に産卵のため集まる。
 
バン   2012年3月28日
警戒心が強く、長時間待って写した。    

ヒレンジャク  2011年2月27日    i  

キレンジャク  2011年2月22日       k
ヒレンジャクの群れに少数まざっている。私は見たことがない。

トラツグミ  2011年2月26日      i

クロジ 2009年3月24日  第一展望台      

ミサゴ  2009年12月7日     

ミサゴ  2008年12月12日    i
獲物はアユである。

アオハダトンボ オス オーバーロール メス (2008年5月9日 柿田川下流)    i

ヒガシカワトンボ ロールオーバーはダビドサナエ(2008年5月9日 柿田川下流)    i

カワセミ   2009年11月27日    i
餌を狙ってホバーリングしている。
カワセミのオス(右)とメス(左、下くちばしが赤い)  (2009年2月11日 )     

カイツブリの親子(カイツブリ科) 2008年6月27日    i
赤いえりと口ばしの根元が白いのが特徴、、尾がないように見える水鳥(26cm)。柿田川でははじめて見る。

秋の柿田川とカワセミ  2009年10月17日          

柿田川(手前)と狩野川の合流点、水の色の違いが分かる。(2008年4月6日)

ヨシガモ  2008年11月18日     
柿田川と狩野川合流付近にはヒドリガモや写真のヨシガモが50羽ほど観察できた。

ヨシガモ  2008年11月24日      i
きれいなカモである。

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