丹那盆地と丹那断層

1.はじめに

 丹那トンネルの真上に酪農の里「丹那盆地」がある。この丹那盆地を中心に、軽井沢、田代盆地など南北に凹地が連なっている。この凹地は、丹那断層の長い間の活動によってできた断層線谷である。
また、これらの凹地は多賀火山の西斜面にあって、周辺には、多賀火山から噴出したアンザンガンやゲンブガンの溶岩とテフラが分布している。
 東海道線の丹那トンネル工事のために行われたボーリング調査の結果、盆地内には44m下まで砂や泥などの湖沼堆積物が分布し、湖であったことがわかっている。この湖は手鏡の形をしていたので「鏡が池」と呼ばれていた、という言い伝えがある。

 
丹那盆地   2012年7月10日   熱函道路から写す。
カーソルを画像へ 丹那断層

2.北丹那にある記念碑

 丹那盆地が村落として形成されたのは室町時代で、1493年(明応2年)頃、川口一族が武蔵の国河口郷(埼玉県川口市)から、この地へ住居を構えた頃からである。それから約500年、丹那盆地の歴史は名主の川口家を中心としてつくられてきた。
 酪農がはじまったのは、1881年(明治14年)31代の川口秋平が仁田大八郎などと伊豆産馬会社を設立してからである。32代の川口秋助は小学校の建設や酪農の指導・発展などに努めた。下丹那に「川口秋助翁頌徳碑」がある。
また、酪農に貢献した井出彦四郎の井出翁顕彰碑」、「近藤春雄の顕彰碑」などもある。

 
北丹那にある記念碑

3.乙越の断層跡

 丹那盆地の南縁の道を川口秋助翁頌徳碑から東へ約1Km行くと乙越の断層跡がある。
1930年(昭和5年)11月26日未明マグニチュード7.3の「北伊豆地震」が発生した。※1
北伊豆地震は丹那断層が動いて生じたものである。丹那断層は南北方向に長さ約35Kmある。北伊豆地震を起こしたこの丹那断層の水平変位量は最大3.5m、垂直変位は丹那盆地の南を境として、それより北では東側が、南では西側が隆起した。乙越ではこの断層が大塚兼五郎宅を通過し、家屋を倒壊させた。庭にあった池(ゴミ捨て場になった)、水路、石垣が断層によりずれ、現在それらは国の特別天然記念物に指定されている。
 なお、北伊豆地震の際、丹那盆地の地下約160mでは東海道本線の丹那トンネル工事が行われていた。断層によってトンネルは約1.5mのずれが生じ、地下水が坑内に入り多くの殉職者を出した。
また「断層地下観察室」があり、、活断層である丹那断層の活動の歴史を調べるため、トレンチ(掘削)した、垂直断面を観察できる。※2
プレート内にある活断層の活動の周期は約1000年と考えられているが、丹那断層はトレンチ調査の結果、約700年間隔で地震を起こしているようだ。

 
写真のように、断層(赤線)を隔てた向こう側が左へ動いたものを左横ずれ断層という。
(右へ動くと右横ずれ断層) 2012年7月10日撮影
 
石垣のずれ、水平方向 約2.5m    2012年7月24日撮影
 
「断層地下観察室」 トレンチした南側壁面、(白い破線が活断層F1) 2012年7月10日撮影

@断層の説明
トレンチの断面ではF1〜F9と9本の断層が記録されている。
F1が1930年(昭和5年)にも活動した活断層の丹那断層である。
F2〜F9は丹那断層の活動に伴って発生した小さなずれのようである。

A地層(0、T、U、V、W)の説明
0層 :F1によってずれていないので、1930年の北伊豆地震後に堆積した最も新しい表土。
T層 :F1によって切られているので、1930年の北伊豆地震前の表土。地震後侵食されている。
U層 :F1の西側にのみ分布する多賀火山からの土石流で運ばれた堆積物(17、000年前)。
     F1の東側のU層は隆起するので侵食されてしまったと思われる。
V,W層 :F1の東側のみ分布する地層で、断層により隆起してきた古い地層である。
 
トレンチした北側壁面、(白い破線がF1) 2012年7月10日撮影
 

4.田代火雷神社の断層跡

 柿沢川の西岸を通る断層線と一致する道路を北へ進み、軽井沢を経て田代盆地へ出る。盆地の西縁に田代火雷神社がある。
石鳥居と石段の間を丹那断層が走り、石鳥居から見ると、断層の向こう側の石段が左へずれた、左横ずれ断層である。


田代火雷神社   2012年7月10日
石鳥居は北伊豆地震で壊れた状態で保存されている。
丹那断層は石鳥居と石段の間を走っている。
(左の石段は地震後増設したもの。)
 
壊れた石鳥居の石材はそのまま保存されているので、画像で復元してみた。
@笠木と島木は一体となっている。
A笠木にそりがある。
B貫の石材は多すぎる。他の石材が紛れ込んだと思われる。
C額束に相当する石材は見当たらず。額束は無かったかもしれない。
D鳥居に使われている岩石は、表面が風化しているのでよくわからないが、
アンザンガンのようである。
 
石鳥居と石段の間に引いた南北方向の赤線が左横ずれ断層である。
石鳥居の中心線と石段の中心線の距離が水平方向のずれの量である。

5.共役断層

 北伊豆地震の際には、丹那断層のような南北性の左横ずれ断層に対して東西性の右横ずれ断層(姫之湯断層、田原野断層など)も同時にできた。同じ力の作用によってできるこのような断層を共役(きょうやく)断層という。

 

6.丹那の酪農

 丹那盆地は海抜234mあり、年平均気温約15℃で、夏は高原の涼しさがある。年間降水量1,500〜2,000mmあり、牧草がよく育つ、酪農に適した気候である。盆地の周辺の斜面が牧草地となっている。
2012年7月現在、18戸の酪農家が約2,000頭の乳牛を育てている。
丹那牛乳の工場や隣接する酪農王国オラッチェでは美味しい丹那3.6牛乳、ヨーグルト、チーズ、バターなど各種乳製品が製造販売されている。

 
丹那の放牧風景  2012年 (片野敏和氏 提供)
 
丹那牛乳(函南東部農業協同組合)と川口の森跡(右) 2012年7月10日
中央左の白い建物が丹那牛乳の工場。
中央の川口の森跡は川口邸があったところ。森林は伐採された。
 
酪農王国オラッチェ  2012年7月24日撮影

※1 北伊豆地震(1930年11月26日)の被害
 死者272人、家屋の全壊2165戸、山崩れ、崖崩れ多数。
※2 断層のトレンチ(掘削)調査で何がわかるか。
 断層が通っている土地を深く掘り、断層の向きと直角方向の断面を出して調査すると、下図のように過去の地震活動を知ることができる。北伊豆地震( 1930年11月 M7.3)を起した丹那断層はトレンチ調査が行われた。この調査で、鬼界アカホヤとよばれる6300年前の火山灰(薩摩半島の南の海中)、2900年前のカワゴ平軽石(天城火山)、2500年前の砂沢スコリア(富士山)など、時代のわかるテフラが見つかり、また木片の放射性炭素の分析などから、6000年前から現在まで9回の地震断層の活動が読み取れた。丹那断層は多少の誤差はあるが700年間隔で地震を起こしていることになり、とうぶん活動の心配はない。北伊豆地震(1930年)の前の活動は六国史の1つ「続日本後紀」に書かれている伊豆国の大地震(841年 承和8年)であることが、トレンチ調査で確かめられている。

断層を掘ると何がわかるか、説明図。