三島市楽寿園の溶岩地形

 更新中、2019年8月

1. はじめに
 楽寿園には,約1万年前,富士山の大野原高原から流れてきた三島溶岩が分布する.この楽寿園の溶岩には,なわ状模様,溶岩洞穴,溶岩トンネル,水蒸気爆発の跡など,珍しい溶岩地形が残っている.三島市の中心にありながら,どうして,溶岩の採石などから免れて,自然が残っているか,三島市郷土資料館の資料などで調べてみた.
 古墳時代(約1800年前),溶岩が露出した楽寿園周辺は,農耕に適さず,墓地として,また,湧水が豊富なため,小浜池は,三嶋大社の神職の「みそぎ」の神聖な場となり,この時代,自然が保たれた.
 江戸時代の小浜池周辺は,数多くの神社仏閣があった.また,源兵衛川,四ノ宮川,蓮沼川が流れ,下流地域一帯の灌漑用水として人々の生活を支える大事な水源として守られた.溶岩の採石は,湧水に影響すると考えたようである,
 明治24年(1891),小松宮別邸となったが,小浜池の一部は「小松宮別邸付属地」として垣根で仕切り,農業用水や生活用水の組合が大事な水源として管理した.
 明治34年(1901),田方群立三島高等女学校(現,県立三島北高校)が小松宮別邸の養蚕室を転用して,楽寿園正門付近へ創立された.正門を入って,一段と高くなった周辺には,養蚕室や学校の施設があったようである.
 明治43年(1910),日韓合併後,楽寿園のこの地は,大韓帝国皇太子(李王世子)の別邸となった.
 昭和2年(1927),緒明邸となった.
 昭和27年7月15日,三島市立公園「楽寿園」となる.
 昭和29年3月20日,国の天然記念物及び名勝に指定された.
 富士山の日(2011年2月23日),「楽寿園に分布する三島溶岩」の説明をしたとき,楽寿園の「深池」(直径約17mX約20m, 深さ約4mの楕円形の凹地形)は,どのようにしてできたかという質問があった.その後,深池の底に降りて調査した結果,深池には,溶岩トンネルや溶岩トンネルの口をふさぐように流れたなわ状模様のある三島溶岩などがあるのに気付いた(2011年3月8日 図1).
 三島溶岩全体を呼ぶときには,三島溶岩流(大野原溶岩流とも呼ぶ)とし,部分的に呼ぶときには三島溶岩とした.この呼び方は,津屋(1968)が大野原(三島)溶岩流と名前を付けたのに従った.

 
図 1 楽寿園の深池  (2019年3月17日撮影).
. 赤色の線で示すのは,溶岩トンネル,白色の線で示すのは,上から流れてきた,なわ状模様のある三島   溶岩(なわ状溶岩)で,溶岩トンネルへ流れ込んでいる.

2,溶岩地形の考察
 三島溶岩は,キセキ・カンラン石玄武岩である.この玄武岩は,白っぽいシャチョウ石(斜長石),黒っぽいキセキ,濃い緑褐色のカンラン石などの鉱物を含んでいる.肉眼やルーペを使って観察すると,三島溶岩は,数mmの斜長石と数mm〜数cmの穴(気孔, 気泡)が目立つ溶岩である.
 三島溶岩は,楽寿園内のボーリング調査から,砂礫をはさんで,上部層(厚さ31m),中部層(厚さ15m),下部層(厚さ29m)に分けられる(土 1988).三島溶岩は,熱伝導が悪く,また,粘性が小さく,大野原から,富士山,箱根山,愛鷹火山などの谷間を水のように流れ,三島まで約30kmも冷え固まらず流れてきた.
 楽寿園付近は,三島溶岩流のたまり場となり,全体の溶岩の厚さは約75mになった.この厚い溶岩のたまり場には,各所に湧水があり,小さな水蒸気爆発が起こりやすい環境となった.
 図2 は,ボーリング調査による地質柱状図から作成した地質断面図である.

 
図 2.  楽寿園付近の地質断面図    株 富士和, 2005へ加筆,使用許可済み.
  箱根山溶岩と愛鷹山溶岩による,湾曲した地形に,高温の三島溶岩たまりができた様子は,高温のてん  ぷら鍋に例えられる.

 約75mの溶岩を流出した噴火活動は,一つづきの噴火活動であり,多くの火山噴火の実例から,数日から長くても数百日続いたと考えられている(中村1978).
 「深池」に分布する三島溶岩は,上部層であり,これからの説明は,約一万年前,三島溶岩たまりが固まり始めた頃の出来事である,

@ 溶岩トンネル
 画1のなわ状模様のある三島溶岩は,「深池」の凹地形の底まで流れ落ちて,溶岩トンネルの中へ流れ込んでいる.「深池」で起きた出来事の解明は,重なっている出来事の前後関係に手がかりが含まれている.観察と事実をとらえ,知恵を絞って考えるのは,探偵の仕事と似ている.
 次の出来事「深池ができた」,「三島溶岩の内部へ溶岩トンネルができた」,「なわ状模様の溶岩が深池へ流れ落ちた」の前後関係を考えてみる.
 ・ なわ状模様の溶岩が「深池」へ流れ落ちているので,「深池」は,なわ状模様の溶岩が流れ落ちる前にできていた.
 ・ 溶岩トンネルへなわ状模様の溶岩が流れ込んでいるので,溶岩トンネルは,なわ状模様の溶岩が流れる前にできていた.
 ・ 溶岩トンネルと「深池」の地形は,なわ状模様の溶岩が流れ落ちる前にできた地形であることが分かる.
 ・ なわ状模様の溶岩が「深池」へ流れ落ちていることから,溶岩は,まだ内部が高温で柔らかい状態であった事が分かる.
 これらの資料から,次のような活動が考えられる.
 軟らかい溶岩たまりの内部で,地下水が熱せられて,水蒸気爆発があり,水蒸気が勢いよく吹き抜け,周囲の溶岩を吹き飛ばして,凹地形の「深池」ができた.その時,吹き抜けた穴が溶岩トンネルである.溶岩は,完全に個体でなくても,水蒸気爆発のような変形速度が早いとき,固体として振る舞う(変形速度が遅いと液体として振る舞う,粘弾性体)ので溶岩トンネルのような地形ができ,外気に触れて固体になった.そこへ,なわ状模様の溶岩が流れ込んで,このような地形ができた.
 富士山麓には,風穴や氷穴などと呼ばれる溶岩トンネルが数十個知られている.「駒門の風穴」,「鳴沢氷穴」などである.溶岩トンネルの成因には,色々あるが,溶岩たまりにできる溶岩トンネルは水蒸気に関係したものが多い.

A 水蒸気爆発

 液体の水が熱せられて蒸発し,気体の水蒸気になると,その体積は,水の体積の約1700倍(1気圧のもとで)に膨張する.マグマや高温の溶岩に接した水の急激な蒸発による体積膨張は,「水蒸気爆発」と呼んでいる.
 液体の水の急激な蒸発は,高温の油で「てんぷら」をあげる時経験する.カキフライを考えてみよう,かきに水が残っていると,この水が,高温の油によって熱せられて急激に水蒸気が発生し,天ぷら鍋で,小さな水蒸気爆発が発生する.かきから水を拭き取ってから,天ぷら鍋に入れないと,火傷をする.楽寿園を中心とした高温の溶岩たまりは,高温の油が入ったてんぷら鍋にたとえられる.三島溶岩によって熱せられた地下水は,カキをあげる天ぷら鍋のように,各所で水蒸気爆発が発生したようである.
 楽寿園の表面には,水蒸気が押し上げた溶岩の膨らみの天井の部分が吹き飛んだ溶岩洞穴が残っている.「深池」や「鏡池」(菰池の近くにある)のような凹んだ溶岩地形,溶岩トンネル,溶岩洞穴などは,水蒸気の噴出によってできた溶岩地形と考えられる.
 水蒸気爆発の地形では海岸へできた伊豆大島の「波浮の港」が知られている.


図 3. 橋の上から写した「深池」の北半分.
 「深池」の北側には,採石したらしい跡があるが,事実は分からない.

図 4. 橋の上から写した「深池」の南半分.
 「深池」の南側には,楽寿館建設のため,人工的な石積が見られる.石積の岩石は,北側で採石したと思われる.しかし,事実は分からない.
 
図 5. おきな島から写した小さな溶岩トンネル(白線の楕円). 2019年4月6日撮影
 写真は,水蒸気が吹き抜けた穴で,昔は湧水が流れ出ていた.楽寿館で使う水は,ここから汲んでいたが,湧水が少なくなったとき,石とセメントで水が澑るようにしたようである.この石とセメントは取り除き,元の自然に返したい.

B なわ状溶岩
 三島溶岩のなわ状模様は,楽寿園内の各所で見られる.なわ状模様の方向は,溶岩が流れた方向を示すが,場所によって,方向が異なり,一定していない.何故だろうか.なわ状模様の方向は,溶岩たまりの表面が固まり,内部の溶岩が柔らかい時,地下水が蒸発した水蒸気が,溶岩をドーム状(塚)に押し上げ,天井の固まった溶岩を吹き飛ばし,柔らかい内部の溶岩が,流れでるときの方向である.このような現象は,各所で行われるので,流れの方向が一定していないのである.地表面の固まった溶岩に割れ目が生じて,減圧すると、水蒸気が急激に膨張して水蒸気爆発になる.溶岩洞穴もその跡である.溶岩塚は,溶岩がドーム状に膨れた状態で固まるとできるが,殆ど水蒸気爆発になり,溶岩塚は壊れてしまい,稀にしか残らない.溶岩塚は楽寿園の南にある白滝公園で観察できる.


画像6,溶岩小洞穴       
 溶岩小洞穴は,水蒸気と溶岩が噴出し,天井の部分が吹き飛んで壊れている.        
 
画像7,溶岩小洞穴   2019年4月6日    
 溶岩小洞穴は、水蒸気と溶岩が噴出し、洞穴の半分が壊れている。         
 
画像8,塚のようなチュムラス           2019年4月6日
 白線で示すチュムラスは、三島溶岩流の案内板がある付近から、水蒸気と溶岩が吹き出した跡と思われる。周辺の溶岩には、流れた跡のなわ状模様が見られる。

C おわりに
 楽寿園を中心とする地表面の三島溶岩の分布は,三島駅北口,東レ,三島長陵高校付近まで分布していた.しかし,三島駅を中心として開発が進み,
 昭和29年3月20日, 国の天然記念物及び名勝に指定され,三島溶岩の大きな破壊の心配は少なくなった.  三島市の湧水は,東レなど,上流での地下水の汲み上げを止めることができず,残念な結果になっている.しかし,楽寿園の溶岩地形は三島市の貴重な自然財産であり,三島市で守ることができる.もし破壊されると建造物と違って,元へ戻すことはできない.最近,多くのイベントが開かれるが,貴重な溶岩地形の保存を第一に考えなければならない.

文献の引用

Hiromichi Tsuya GEOLOGICAL MAP OF FUJI VOLCANO(1968 CD ROM Version).
中村一明(1978):火山の話. 岩波新書, 229p
土 隆一(1988年):「三島市小浜池湛水調査研究報告書」

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