楽寿園周辺の溶岩地形 非公開 19/10/14

1. はじめに
 三島市の楽寿園を中心とする周辺には,約1万年前,富士山の大野原から流出した三島溶岩が分布する.三島溶岩は,熱伝導が悪く,粘性が小さいため,富士山や箱根山や愛鷹火山などの谷間を,三島まで約35kmも冷え固まらず流れてきた.この三島溶岩には,溶岩トンネル,水蒸気爆発の跡,なわ状模様のある溶岩(なわ状溶岩),水蒸気が吹き抜けた穴,溶岩塚など高温の柔らかい溶岩がつくる地形が残っている. この報告は,これらの溶岩地形の考察である.
 三島溶岩全体を呼ぶときには,三島溶岩流とし,部分的に呼ぶときには三島溶岩とした.相原(2019)は,津屋(1968)を参考にして,富士火山の南東麓に分布する三島溶岩流を調査し,表1のように記載した.

古期溶岩の活動期
(約12,000年前〜約8,000前)
 
三島溶岩流 Mishima lava-flows
SE 駒門溶岩流(仮称)
 Komakado lava-flows
SE1 大野原溶岩流
 Oonogahara lava-flows  

2.溶岩地形の考察
 (1).楽寿園の歴史:
 楽寿園周辺は,三島市の中心にありながら,溶岩の採石などから免れて,溶岩地形が残っている.その理由は楽寿園の湧水や歴史にあると思われる.楽寿園の歴史は大川(2014)による.
 古墳時代,溶岩が露出した楽寿園周辺は,農耕に適さず,墓地になっていた.約1800年前の古墳が,楽寿園西口付近や東口付近に確認されている.
 江戸時代,湧水が豊富なため,小浜池は,三嶋大社の神職の「みそぎ」の神聖な場となり,この時代,自然が保たれた.また,楽寿園周辺には,愛染院,浅間神社,白滝観音,広瀬神社など数多くの神社仏閣があった.また,源兵衛川,四ノ宮川,蓮沼川が流れ,下流地域一帯の灌漑用水として人々の生活を支える大事な水源として守られた.溶岩の採石は,湧水の汚れや湧水量に影響すると考えたに違いない.
 明治24年(1891),小松宮彰仁親王の別邸となったが,小浜池の一部は「小松宮別邸付属地」として垣根で仕切り,農業用水や生活用水の組合が大事な水源として管理した.
 明治34年(1901),田方群立三島高等女学校(現,県立三島北高校)が小松宮別邸の養蚕室を転用して,楽寿園正門から文化センター付近へ創立された.
 明治43年(1910),日韓合併後,楽寿園のこの地は,大韓帝国皇太子(李王世子)の別邸となった.
 昭和2年(1927),造船王の緒明圭造邸となった.
 昭和27年7月15日,三島市立公園「楽寿園」となる.
 昭和29年3月20日,楽寿園は,国の天然記念物及び名勝に指定される.
 (2).楽寿園付近の地質構造: 図1 は,ボーリング調査による地質柱状図から作成した楽寿園を通る東西方向の地質断面図である.箱根火山の溶岩と愛鷹火山の溶岩によってできた凹地形に,厚さ約75mの三島溶岩(土,1985)のたまりができた.この高温で軟らかい溶岩のたまり場には,湧水があり,小さな水蒸気爆発が各所で起こる環境であった.
 三島溶岩を流出した噴火活動は,側火山(単成火山)の一つづきの噴火活動であり,多くの火山噴火の実例から,数日から長くても数百日続いたと考えられている(中村,1978).

 
図 1.楽寿園付近の地質断面図.    株 富士和, 2005へ加筆.


 (3).水蒸気爆発: 液体の水が熱せられて蒸発し,気体の水蒸気になると,その体積は,水の体積の約1700倍(100°c,1気圧のもとで)に膨張する.マグマや高温の溶岩に接した水の急激な蒸発による体積膨張は,水蒸気爆発と呼んでいる.
 液体の水の急激な蒸発は,高温の油で天ぷらをあげる時,経験する.カキフライを揚げる時,カキに水が残っていると,この水が,高温の油によって熱せられて急激に水蒸気となり,天ぷら鍋で,小さな水蒸気爆発が発生する.カキから水を拭き取ってから,天ぷら鍋に入れないと,火傷をする.楽寿園を中心とする高温の溶岩たまり場は,高温の油が入ったてんぷら鍋にたとえられる.三島溶岩によって熱せられた地下水は,各所で小さな水蒸気爆発が発生した.楽寿園周辺には,高温の溶岩と水蒸気によってできた溶岩地形が残っている(図2,図5,図6,図7).
 水蒸気爆発の地形では,海岸へできた大量の海水による,規模の大きな伊豆大島の波浮の港がある.
 (4).深池の溶岩トンネル: 深池は,楽寿館の近くの橋が架かった深さが約4mの凹地形である.池の中には,溶岩トンネルやなわ状溶岩が観察できる(図2).なわ状溶岩は,「深池」の凹地形の底まで流れて,溶岩トンネルの中へ流れ込んでいる.深池で起きた出来事の解明は,重なっている出来事の前後関係に手がかりが含まれている.観察と事実をとらえ,知恵を絞って考えるのは,探偵の仕事と似ている.
 次の3つの出来事,a 深池ができた,b 三島溶岩の内部へ溶岩トンネルができた,c なわ状溶岩が深池へ流れたの前後関係は,どうなっているか考えてみる.
 ・ なわ状溶岩が深池へ流れているので,深池は,なわ状溶岩が流れる前にできていた.
 ・ 溶岩トンネルへなわ状溶岩が流れ込んでいるので,溶岩トンネルは,なわ状溶岩が流れる前にできていた.
 ・ 溶岩トンネルと深池の地形は,なわ状溶岩が流れる前にできた地形であることが分かる.
 ・ なわ状溶岩が「深池」へ流れていることから,溶岩は,まだ高温で柔らかい状態のところがある.
 これらの出来事に矛盾しない活動は,次のようになる.
 軟らかい溶岩たまりの内部で,地下水が熱せられて,水蒸気爆発があり,水蒸気が勢いよく吹き抜け,周囲の溶岩を吹き飛ばして,凹地形の深池ができた.その時,吹き抜けた穴が溶岩トンネルである.溶岩は,完全に個体でなくても,水蒸気爆発のような変形速度が早いとき,固体として振る舞うので(変形速度が遅いと液体として振る舞う,粘弾性体)(高橋,2006),溶岩トンネルのような地形ができた.溶岩トンネルは,外気に触れて固体になり,その後,なわ状溶岩が流れ込んで,このような地形ができた.
 富士山麓には,風穴や氷穴などと呼ばれる溶岩トンネルが80個程知られている.万野風穴(長さ570m),駒門の風穴(長さ291m),三島溶岩トンネル(長さ210m),鳴沢氷穴などである(静岡県出版文化会,鮫島,1978).溶岩トンネルの成因には,色々あるが,溶岩のたまり場にできる溶岩トンネルは水蒸気に関係したものが多い.

 
図 2.楽寿園の深池.  (2019年3月撮影).
 白色の線で示すのは,溶岩トンネルやなわ状溶岩である.なわ状溶岩は,上から流れてきて,溶岩トンネルへ流れ込んでいる.

図 3.橋の上から写した深池の北側.  (2019年8月撮影)
 深池の北側には,楽寿館建設に使われたと思われる採石の跡がある.

図 4. 橋の上から写した深池の南側. (2019年8月撮影)
 水蒸気が吹き抜けた深池の南側は,楽寿館建設のため,大きな溶岩の人工的な石積がある.石積の溶岩は,近くの深池の北側で採石したと思われる.
 
図 5.おきな島から写した水蒸気が吹き抜けた穴(白線の楕円). (2019年4月撮影)
 高温の溶岩から,水蒸気が吹き抜けた穴で,昔は湧水が流れ出ていた.楽寿館で使う水は,ここから汲んでいたようである.湧水が少なくなって,石とセメントで水が溜るようにしたが,この石とセメントは取り除き,元の溶岩地形にしたい.最近は木が生えて,見え難くなった.
 
図6. 菰池の近くにある「鏡池」の水蒸気が吹き抜けた穴   スケールは0.5m  2014年11月撮影.
 
図7.溶岩小洞穴. (2019年4月撮影)   
 溶岩小洞穴は,溶岩たまりの表面が固まり,内部が高温で軟らかい時,内部で水蒸気爆発があり,水蒸気と溶岩が噴出し,天井の部分が吹き飛んだ洞穴である. 


 (5).なわ状溶岩,溶岩塚: 溶岩のなわ状模様は,軟らかい溶岩が流れた方向を示している.なわ状溶岩は,楽寿園内の各所で見られる(図8).楽寿園のなわ状模様は,場所によって,流れの方向が異なり,一定していない.これは,内部の高温の溶岩と水蒸気が各所で噴出し,噴出地点を中心として,溶岩が流れ出たことを示している.
 溶岩塚は,溶岩がドーム状に膨れた状態で固まるとできるが,殆ど水蒸気爆発になり,天井の部分が吹き飛び,溶岩塚は壊れてしまい,稀にしか残らない.溶岩塚は楽寿園の南にある白滝公園で,割れ目のある溶岩塚が観察できる(図9).

 
図8.なわ状溶岩.  (2019年8月撮影)
 なわ状模様は溶岩が流れた方向(白色矢印)を知ることができる.
 
図9.白滝公園の溶岩塚    2019年9月撮影    メジャーは1m

3.おわりに
 楽寿園を中心とする地表面の三島溶岩の分布は,三島駅北口,三島長陵高校,三島北高校,日大,三島北中などの周辺にも分布していた.しかし,小松宮別邸を残し,三島駅を中心として開発が進み,大部分の溶岩は取り除かれた.楽寿園に溶岩地形が残ったのは,豊富な湧水があったこと,小松宮別邸になったことなどが大きいと考えられる.昭和29年3月20日, 国の天然記念物及び名勝に指定され,三島溶岩の大きな破壊の心配は少なくなった.
 楽寿園周辺の湧水は,地下水の上流部での大量の汲み上げがあって,少なくなり,残念な結果になっている.しかし,楽寿園の溶岩地形は三島市の貴重な自然財産であり,三島市で守ることができる.もし破壊されると建造物と違って,元へ戻すことはできない.貴重な溶岩地形の保存を第一に考えなくてはならない.

引用文献

相原 淳(2019):三島溶岩流,静岡地学 第120号 静岡県地学会 19-23p.
(株)富士和(2005):三島湧泉地域の地質構造,静岡地学 第91号 静岡県地学会 1-14p.
中村一明(1978):火山の話.岩波新書, 229p.
日本大学文理学部地球システム科学教室(2006年):富士山の謎をさぐる.高橋正樹,安井信也,パホイホイ溶岩とアア溶岩,77-81,築地書館. 
大川裕代,笹山曜子(2014):楽寿園の歴史 江戸時代から今日まで.三島市郷土資料館 1-10p.
静岡県出版文化会(1978):フィールドワーク静岡の地学、鮫島輝彦, 富士火山とその周辺 ,溶岩トンネル,静岡教育出版社 119-122p.
土 隆一(1985年):富士山三島溶岩の構造と地下水ー楽寿園小浜池湧水の地質学的考察ー.三島市教育委員会編,三島市小浜池保存調査に関する報告書, 81-98.
津屋弘逵(1968):富士火山地質図(5万分の1).特殊地質図12.地質調査所,24p.

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