『AHAHA』創刊準備号リレーコラム 『女性芸人』
「ワクワクする女性芸人・・・」佐藤 実
芸人に女性が少ないのは、なぜだろう。
そもそも女はおしゃべりが大好きであり、またよく笑う。おしゃべりと話芸は違うといわれるかもしれない が、女性客の方がより笑芸に近い位置にいることは確かなのである。もっとおもしろい女性芸人がそろそろ 出てきても良いのではないだろうか。
ここで私が言うおもしろさとは、新しさともいえる。男性若手芸人のバラエティさに比べ、女性陣はまだ幅 が狭いような気がするのである。3人組での可能性だってあるし、もっと冷めた笑いを目指したコンビがい てもよいと思う。とにかく前例に忠実、型を破ろうとしないのが女性芸人の傾向としてあるのではないだろ うか。
そんな中で私が注目したい若手女性コンビはモリマン(吉本興業)である。TVではできないような下ネタ を得意とする彼女らは、型破りな存在であり、頼もしい。そして、もっとアッ!と意表を突くようなワクワ クする女性芸人の登場を私は待ち望んでいるのである。
「なんで女性芸人が少ないかって・・」太田 雅文
現代、女性芸人を考えるなら避けて通れないのが音楽のジャンルでしょうね。バンドのボーカルのMCとか、 バラエティアイドルに限らずおしゃべりのできるアイドルとか。リンドバーグの渡瀬マキのおしゃべりはか の小林信彦さんが「オールナイトニッポン」を毎週深夜聞き続けていたそうですし、解散したribbon (リボン)や、現役のMELODY(メロディ)のMCはファンならずとも楽しめるもので、3人漫才に近い もんがありました。そうそう、その辺のルーツはやっぱり『見ごろ!食べごろ!笑いごろ!』(テレビ朝日) でのキャンディーズにあるんでしょうね。
で、なんで女性芸人が男性に比べて少ないかっていうと、家族の反対とか、結婚引退の問題とかもあるんで しょうが、先の佐藤さんのおっしゃる、「そもそも女はしゃべりが大好きであり、またよく笑う」に表われ ているのかも知れません。これを悪意でひっくり返すと、「女性は自分のフィールドで自分のペースで話す ことが好きだから、他人を楽しませるようなサービス精神に乏しく、またなんでも笑えるから高度の笑いを 作ることに向いていない」ともいえるからです。
ちょっと意地悪でしたが、だからその分男性よりも可能性が隠れていることは確かです。吉本東京所属のモ リマンはだから男女の壁を崩すために必然的に登場したコンビかも知れません。関西でも若い女性コンビは 「生理」という男はヒいてしまう言葉をサラっとネタに使ってますから、こういうのを聞くと、戸惑いなが らもこれからの女性芸人の可能性に嬉しくなります。
逆にこれからは、男性芸人の女性化、という現象も表面化していくんではないでしょうか。オカマ、とかで なく、もっと精神的なところで。宮下さん、どう?
「バリエーションが少ない!」 宮下 きぬ子
私は今までそれほど女性芸人さんの芸を見ているわけではありませんが、漫才に限って言えば、女性芸人の タイプのバリエーションが少ないように感じます。みんな何となく、喫茶店でのおしゃべりの延長的なもの のように感じます。私の記憶の中で一番古い春やすこ・けいこさんから、ハイヒールやトゥナイト、一番新 しい海原やすよ・ともこさんまで。今まで見てきた数少ない中で、ちょっと違うなと思えるのは、今いくよ ・くるよさん(青筋VSお腹ペシ!)や、若井小づえ・みどりさん(嫁にもろーてー!)。
しかしそれすら、若い女性が読む雑誌(何ヶ月に一度かは、必ずダイエット・結婚が取り上げられている!) のテーマと同じだったりします。
さて、話に出たモリマンはどうでしょう?実は私、きっちりしたネタは見たことありません。TVでのわず かな露出や、伝え聞く話だけで判断するしかできないのですが、ちょっとどころかだいぶ違うように思えま す。喫茶店のおしゃべりというよりは、トイレや更衣室で、女だけの時に出る話。若い女性向け雑誌という よりは、いわゆる女性週刊誌や、「過激な性描写」で話題になっちゃうレディスコミック、とでも例えたい 気がします。男性の芸人さんで言えば、やはり「男同士」?
モリマンは、世間の男性から見たら当然引いてしまうような事をしていますが、女性芸人の歴史において、 もしかしたらすごい事をしているかもしれないと、私は思います。
「一番高いところを力づくで!」 杉久 彰子
女性芸人…ほかにも杉岡みどり、高僧・野々村なんかに触れるのも面白いと思います。
彼女らの場合前述の人達とは逆で、ネタを見ていてあまり性別を感じさせません。女性芸人を見ていてかな らずといっていいほど感じる「壁」を彼女らの芸には感じないんです。女であることがハンデでもないし武 器でもない。とくに高僧・野々村。彼女らに決して女性であって欲しくない。といって無理に男性のやりそ うなネタをやってくれというのではではなくって性別を意識させない存在であり続けて欲しいです。
私が女性芸人を見ていて嫌だな…と感じる(またはひいてしまう)のは「女」であることを見せ付けられた ときなんです(それ以前にネタが面白くないという場合は問題外なので当然、除外)。
だから、性別の違いによる壁は確かにあるけれども(地域差の壁なんかとは事情が違って)別に壁のない場 所で自分を見せればいいんじゃないでしょうか。男の芸人も男女区別なく笑わせようとしているわけでしょ う?特に若手芸人を劇場で見ている客は女性が多いですが、TVでは全く関係ないわけですから。
モリマンというコンビは私は見たことがないんですが、彼女らはそんな壁のなかでも一番高いところをまさ に力づくで越えようとしているんじゃないかなと。確かにジャンルを開拓しているとはいえるかも知れない けれど、私はそれは芸ではないと思うんです。
たとえばバラエティ番組で若手芸人が身体をはって笑いをとる(またはとらされる?)のと同じに見えるか らです。それなら感性で勝負してるだけの人を芸人といったほうが近いと思うんです。こんな乱暴なことを 言うときは何が芸で何が芸でないかをはっきりさせなくちゃいけないかも知れないけれど、私にははっきり いってまだよく解かりません。それはこれから皆さんのお力をおかりして『AHAHA』のなかで考えてい けたらとも思います。
「男性ファンの絶対数?」 桜恵 歌織
そもそも、今という時代を活躍する女性芸人たちは、どうして芸人になろうと思ったのでしょうか。
先ほども登場した女性ピン芸人・杉岡みどりは、「お笑いの仕事をしている人たちはいつもニコニコしなが ら仕事をしていて、私もそんな風に一日中笑っていたいと思った。だからこの仕事をしたい。」と言ってい ました。表紙のお勧め芸人ランキングにもある高僧・野々村は、「二人は小学校時代からの親友同士で、自 分のことを唯一理解してくれる人と大人になってバラバラになってしまうのはとてもイヤだった。二人でで きる仕事はないかと探したところ、それは漫才師しかないと思った。」と言っていました。
かくいう私も「芸人になりたい。」と思ったことがありました。しかし、その理由というのが彼女たちと比 較するとかなり邪道なもので、自分のひいきな芸人さんのそばで仕事がしたい、そして大好きなあの人のプ ライベートをもっと知りたいといったたぐいのものでした。だってだって、舞台やブラウン管の中を所狭し と駆け回る芸人さんって、とてもカッコイイと思いませんか。なりふり構わず汗びっしょりになりながら、 格好つけるわけでもなく、自分を何一つ隠そうとせずに、全身で精一杯に表現しようとしている姿がたまら なく素敵です。こんな人たちを女性ファンは放っておくわけはありませんよね、女性ファンは。
ちょっと待って、熱烈に応援する女性ファンの存在、客席から温かく見守る女性のお客さんの存在があるか らこそ、男性芸人が着実に育っていると考えることはできないでしょうか。
女性のお客さんのほとんどが男性芸人が目当てで劇場に足を運びます。楽しい時には拍手を送り、いくら好 きでもおもしろくない時には少しもニコリともせずそして芸人を間接的に育てているに違いありません。
と言うことは、芸人に女性が少なくしかもネタにもバリエーションが少ないという裏側には、陰ながらささ える男性ファンの絶対数が少ないことが密接に関係しているのかもしれません。
「裏切るべきジェンダー」 鳥崗 シヱテ
と、いうわけで。それぞれ女性芸人について考えてきましたが、最後に私は、女性芸人が突出しない要因の ひとつとして『観る側の意識』を挙げたいです。
人はそれぞれ『ジェンダー(男・女はこうあるべき、という基準のようなもの)』を自分の意識の中で規定 していますが、多くの人がいまだに「女は上品でおとなしく可愛くあるべきで、影にいながら男を立てて生 きていくのが理想的」と、心の奥底で思っているきらいがあります。それで客は、女性が舞台に出てくるだ けで「あ、女だ(がっかり)」という壁を心の中に築いてしまうのではないでしょうか。
そんなハンデの下、これまでの女性芸人たち(...と呼んでいいか分からない人もこの話に含むが)は、 客の『女はこうあるべき』という意識に反逆することで客の心を何とかこじあけ、笑いを引き出そうとして きたと思います。
ウィークエンダーで下世話な話をレポートしていた泉ピン子、突然坊主頭になって登場した山田邦子、天狗 の面を股間につけて走り回った久本雅美、旦那を置き去りにして喋り倒す宮川花子、結婚願望を恥ずかしげ もなく熱く語る若井みどり、公衆の面前で下着を脱ぎ始めるモリマン――。
観ている客の感覚がステレオタイプであればあるほど、彼女らの芸はウケる「可能性」がある一方で、キワ モノ扱いされる「危険性」もかなりあります。つまり女性芸人が正当な芸人として評価されにくい状況をつ くっているのです。
・・・なんという悪循環。客は女性芸人をハナからちゃんと観ようとしないし、女性芸人はその客の心を開 こうとして逆に評価を下げているなんて。
『観る側の意識』さらには個々の心の深いところが変わらなければ、女性芸人の不遇の時代は終わらないで しょう(っていつになるやら?)。それに、このような“一見女を捨てているように見えて、実は女を利用 してきたに過ぎない芸”にも未来はないと思います。彼女らが裏切るべきジェンダーは刻々と変化し続けて いるのですから。
あぁ現実は厳しい。でも、この厳しい現実に打ち克ってくれる女性芸人・・・出てきてほしいなぁ(桂あや め、高僧・野々村の最近の評判はうれしいですよね)。