『AHAHA』1号リレーコラム

『ミーハーファンの是非』

「ミーハー少女はいらない?」宮下 きぬ子

ある芸人さんがライブのフリートークで、『芸人に「◯◯ちゃーん」などと呼びかけるファンはファンなん かじゃない』というようなことをいっていたのを聞きました。それもはき捨てるような口調で。確かにあま りに間の悪い、しかも黄色い声援は、演者にとってうっとうしく、腹が立つものではあると思います。
たとえば自分が見た中でひどいなあと感じたのは、’94年の吉本印天然劇場冬の巻。オープニングで、暗 転した舞台にメンバーのナレーションが流れるのですが、最初の一声が流れたとたん、ティーンエイジャー がほとんどの客席から、「きゃー」「◯◯ちゃーん」等の悲鳴が響きわたり、ナレーションの内容がまった くわからないというありさまでした。この時はわたしもあきれてしまうというか、ちょっと腹が立ちました。 案の定メンバーも腹を立てていたようで、ナレーションを担当したメンバーはものすごいぶっちょう面でオ ープニングのダンスを踊っていました。しかし彼女たちはお構いなしに、今度はダンスを踊るメンバーたち に黄色い声を上げ続けていました。
どうしてせっかくの舞台をぶち壊すほどギャンギャン騒いじゃうのか?それは女の子のいきすぎたファン心 理=疑似恋愛といったところだと思います。この芸人さんを見ているだけでなんか楽しい、いるだけで嬉し い、というような気持ちはまるで、身近な男の子を「あ、好きになってしまうかもしれない」と思う瞬間に 似ています。そのテンションが上がりすぎちゃうと、(ネタうんぬんより)顔さえ見られれば構わない、彼 に近づきたい、印象づけたい、と猛烈なアタックが開始されます。すると前出の芸人さんの言う『ファンな んかじゃない』方向へ向かってしまうということになるわけです。
しかし、そこそこの購買力があり、流行を作り出してしまうようなパワーのある彼女たちは、ある意味の成 功には必要な存在と言えるのではと思います。ただ、『上手な芸人』としての成功には、あまり必要ないも のですが。
私を含むミーハー少女は、芸人にとっていらないもの?本当は芸人さんに聞いてみたいのですが、ひとまず 桜恵さんはどう思いますか?

「好き/嫌いという表現」桜恵 歌織

私の好きな芸人さんの一人に元吉本印天然素材のメンバーでもあるチュパチャップスのツッコミ担当:宮川 大輔さんがいます。私の彼に対する気持ちの中に「ミーハーなファン心理はない」というとウソになってし まいますが、もし彼がいい加減な気持ちで舞台に立っていようものならば、やはりとても腹立たしく感じま す。そんな時「このコンビはおもんない。」と判定を下してしまうのは簡単ですが、「次は期待している。 頑張って売れて欲しい。」と温かく見守っていることのできる態度が、ファン心理の一番美しい形であるよ うに思うのです。
しかし、私が十代だった頃に彼に出逢っていたならば、きっとこのような気持ちには到達できていなかった ことでしょう。ミーハーなファンの中心的存在でもある十代の少女たちは、まだまだ人生経験も浅く、表現 力も乏しく、自分の気持ちをなかなか上手な言葉で表すことができません。「この芸人さんは、こういうと ころがこんな風に面白い。でもここはダメだった。」きっと彼女たちは直感的に感じているのでしょうが、 悲しいことに気持ちはストレートで、思考はデジタル回路なため、それが好き/嫌いという表現にすり替わ ってしまっていると考えることもできます。
ミーハーなファンには行動力があります。忍耐力もあります。徹夜のチケット取りも、厳寒の中の出待ちも 苦になりません。劇場に足を運ぶのはお目当てのあの人に会いたいためだけれども、出演者はそれだけでは ありません。劇場に通うようになった動機は不純かも知れませんが、彼女たちはそこから自分の目的以外の 芸人さんの存在も知り、彼らの芸をどんどんと目の当たりにすることになります。そのようにして知った芸 人さんに対しては、十分に厳しい目で見ていると思いますよ。
と、ちょっと私自身への言い訳も交えながら、板倉さん厳しく突っ込んでください

「元凶は、客側」板倉 端

芸人の良さに気づき、徐々に視野が広がって立派な演芸ファン(?)になる……って、そんなにうまくもの だろうか。テキはなかなか手強いと思う。
先日、渋谷公園通り劇場のライブを観に行ったときのこと。開演前のアナウンスでさんざん注意されてるの に、平気でフラッシュをたく奴。目当ての芸人が出演した後、すぐに席を立って出ていく奴。出待ちをして、 芸人が乗ってるタクシーに群がる奴。他人(芸人も含む)の迷惑を考えない“子供”がなんと多いことか。 そういった“ルール違反”にくらべれば、大きすぎる“声援”もまだいい方かもしれない。
しかし、そういう“ミーハー”なファンがつかないようでは、芸人としてダメだというのも事実.。(女性が 圧倒的に多いのは何故だろう。それが“性差”ってやつだろうか?)
魅力ある芸人の私生活を知りたくなるのは、ファンからすれば自然な流れである。それがエスカレートして、 相手の迷惑をかえりみなくなってしまうのが問題なのだ。
ただ、芸人として、一番の理解者であり一番の厄介者でもある“ミーハー”なファンへの対処を覚えること は、世間一般への対処を覚えるというメリットはある。
しかし、デメリットの方がはるかに大きいと思う。ルックスなどの付加価値に気を取られすぎている“ミー ハー”なファンは、芸人が舞台にいれば満足で、芸人のアクションに対して反射的に笑う。すべったらすべ ったで笑うから始末に負えない。そういう客を相手にしていると、受けたからいいだろうってことになる。 ここに芸人側の変化が生じるのではないだろうか。自然とそういう客相手の笑い(長いフリのあるネタは受 けず、目先のギャグ・小手先に終始)になってしまう。
つまり、芸の質を低下させている元凶は、客側にあるような気がするのは、私だけだろうか?

「“勘違い芸人”を育ててしまう」佐藤 実

芸の質の低下をミーハーなファンが招いていることは確かにあると思う。苦労してネタを作った芸人側にし てみればかなりうっとうしい存在で、ネタの最中に写真など撮られたらやりにくいだろうし、ミーハーなフ ァンで満足してしまうような“勘違い芸人”を育ててしまうことにもなる。
しかしそれと同時に思うことは、芸人をとりまく環境、つまりマスコミや事務所側はそれをむしろ歓迎して いるのではないかということである。そもそもお笑いのライブで写真撮影可とする時点で、じっくりネタを 観てもらうということを放棄しているとしか思えない。ファンサービスならば別の日に撮影会でも設定すれ ば良いではないか。撮影禁止となっていても撮るようなファンは問題外なのだが、「えっ?撮っていいの? じゃ、撮らなきゃ損!」と本来はネタを観たいはずの客までがシャッターチャンスを狙うようになってしま っているのが現状のような気がする。
また、板倉さんが書かれていた、女性にミーハーなファンが多いというのは、男性芸人が恋愛対象になりう るからであり、女性芸人は男性からみれば友達候補ぐらいにしかならないからだと思う。そういう意味では 女性芸人はミーハーなファンを得ることが出来ない分、本当の実力が問われてくるのではないだろうか。 逆に男性芸人は、ミーハーなファンとうまく付き合っていくことが必要になってくる。私としては、彼女ら を切っていくのではなく、それ意外のファンを育てていって欲しい。そしてそれだけの実力をつけていって 欲しい。今、劇場を満席にできるかもしれないけれど、例えば男性客だけで満席にできますか?と言いたい のである。もし、できるのならば、そういう限定ライブをどんどん開けば良いと思う。
実際、パワーのあるミーハーなファンでチケットが買い占められてしまったり、本当は行ってみたいのだけ れどどうもあのキャーキャー言っている状態になじめないという客は多い。そういう客にもチャンスを与え ることは、芸人にもプラスになるに違いない。
私はミーハーなファンの少女たちは“売れそうな芸人”を一番初めに見つける力をもっていると思っている。 一旦ファンになれば、芸が未熟であろうがとにかく劇場に足を運んでくれる。芸人だって、売れなかった頃 は彼女たちの歓声がうれしかったに違いない。
結局は、ファンの“勘違い”を作ってしまったのは芸人なのではないかと思うのだが、どうだろう?

「『客が悪い。』といって・・」太田 雅文

あ、佐藤さん、私女性芸人さんを恋愛対象にしていたことありますよ。
昔、吉本新喜劇に津島ひろ子っていうお姉さんがいまして、年はずっと上でしたけど、ミーハーにテレビ見 てました。笑芸の世界を離れれば、男の方がいつまでも好きなアイドルを引きずってますねー。女性芸人が いっぱい出てくれば、そしてひいき目なしに平等に女性芸人が芸で笑える存在になれば、おのずからミーハ ーなファンは増えていくんでしょう。
実際漫才ブームの時、春やすこ・けいこには親衛隊がいて、彼女らが出演する公開放送では彼女ら目当ての 男性ファンで一杯でした。
客と芸人、どっちが悪いのかはニワトリとタマゴみたいなものですが、なにぶんそこにお金というものが絡 んでくるだけ芸人側には分が悪い。お金を払っている以上どんな楽しみ方をしようと自由であるわけで、お 客さんには来てほしいわ、けど行儀良くして笑ってほしいとこで笑ってね、というのはムチャゆーたらあか んわ、というツッコミを客から受けても仕方がないでしょう。「客が悪い。」といって受けない高座を正当 化するのは最も恥ずかしいことでありましょう。
その辺の葛藤をうまく制したのが例えば中田カウス・ボタンとか、オール阪神・巨人といった方々です。芸 人に追っかけのついた草分けであるカウス・ボタン、『ヤング・オー!オー!』でデビューし、若者に受け る漫才を提示し続けた阪神・巨人。共に子供のファンをうまく育てたり、うまく整理して今では様々な層の ファンをつかんでいます。
うーん、考えると、そんなことを成功させるのも「芸」の内なんですかねえ。コアなファンをつかんでから 離してしまった天然素材、未完成を魅力としながら、彼等を先輩として歩もうとするフルーツ大統領、彼等 はどうやってファンを育てるのでしょうか。

「『ミーハー』って、捨てたもんじゃない」鳥崗 シヱテ

太田さんもごらんになってた「ヤング・オー!オー!」、あの中に落語家が体操服着てゲームをやるってい うコーナーがありましたよね(それが噂の「ザ・パンダ」だったのでしょうか?)。当時は彼らの一挙手一 投足に女の子がキャーキャー言ってたもんです。
―それでは、あの時彼らの追っかけをしてた女の子は?・・・・・・おそらくその後、他の芸人さんのファ ンに流れたりしたかもしれませんが、結局は、今、きっと、『おばさん』になってるはずです。
“ファンを育てる”=“ファンが育つ”=“年をとる”っていうのはちょっと(全然じゃ!)違うかもしれ ませんが、時期が来れば、「ミーハー」は自然と絶滅し、『普通のファン』として認知されていくものなの でしょう。それに「ミーハー」って、人に迷惑さえかけなければ(まぁこれが一番困るのだけれど)、捨て たもんじゃないと思います。キャーキャー言われて勘違いして落ちていく芸人はきっとそれだけの人だった んだろうし、フラッシュたかれて気が散るような芸人はもっとテンション上げてがんばらなきゃいけないん だろうし。「ミーハー」は、芸人さんがより高いステージに昇るための『壁』『淘汰装置』の役割を見事に 担っているようです。
それに、ライブを難しげなしたり顔で眺めていてもアンケートに『つまんない』しか書かない人もいるだろ うし、キャーキャー言って写真撮りながらも『今日はあんまり面白くなかった。特にあそこは云々・・・』 と芸人さんの参考になるようなことを細かく書いてる「ミーハー」の子もいるはず。見た目で十把一からげ に責めるのはかわいそうかも。――
・・・・・・いやぁ〜、しかし、どう見ても“人間的に間違ってる”子って多いんですよねぇ。やっぱり、 ちゃんと注意してあげた方がいいんでしょうね、勇気がいりますけど。一応、“オトナ”の責任として。

「結局カゴのなかの鳥」杉久 彰子

ミーハーなファンが芸人をダメにする?
確かに芸人さん方はお客によって磨かれてくんでしょうね。だって、舞台の上の芸人が目の前にいるお客以 外の誰を笑わせようっていうんです?若手芸人をダメにするのはミーハーなファンだけじゃあないですし (営業でべったべたにヨゴレてく芸人さんたちだって結構いますよね)。芸人さんたちはじかに客のリアク ションを受けてるわけですから私達がこうしてうだうだと考えてるよりずっとたくさん自分らのファンの子 たちのことを見ているし、自分たちの芸のことを考えているはずです。
いつも見に来てくれている女の子たちのご機嫌とりで満足してる芸人もいれば、自分の面白いと思うことを 言ってうけなかったときそのボケを理解しなかった客を指摘(自分を正当化)する芸人もいる。
もう、ホストか芸術家かどっちか・ってカンジ。前者は短絡的で、自分の将来のことを想像する力に欠けて いる人達。彼らはそれで今きっと満足なんでしょう。
でも、そんな狭いところでアイドルしてて、10年後どうするのかしら?
がむしゃらにその場その場の仕事をこなしていくだけの瞬発力人間はどこの世界でも消耗品以上の評価をも らうことはないのにね。
漫才ブームっていういいお手本があったじゃないですか。後者は女の子たちの罪を知っていて、流されちゃ いけないことも知っていて自分たちのむかうべき方向を見据えているんでしょうか。
どこへむかうにしろ、そんなことしたからといってそんな女の子たちが開眼できるとは思えません。上手な 対処の仕方じゃあない。自ら客を選んでいるつもりかも知れないけれど、結局カゴのなかの鳥なんです。
彼らは見に来てもらってるんです。そして笑ってもらっているんです(もちろんこちらも彼らに会いに行き、 笑わせてもらうのですが)。
尤も、芸人を売る側の人達の責任も大アリ、でしょうね。ミーハーな子たちばかりがお客、という考えで終 始しているような。
例えば、「爆笑BOOING」や「笑いの剣」がテレビで放送されて好評なころ、テレビでみておもしろいからと 劇場へ足を運ぶ人が増えた時がありました。
しかし、劇場内にひしめく熱烈な女の子たちのテンションに負けて劇場を後にした人は数知れず。若い男の 子たち、20代のちょっと理性の確立しちゃった世代がその多く。テレビで見てちょっと面白そうだからっ て劇場に来てみた程度の客がビデオを買うかどうか…。天然素材がコアなファンをつかんでから放してしま ったように見えたのはなにも彼らとそのミーハーなファンの女の子たちのせいだけではないんではないでし ょうかね。
芸人だけじゃどうすることもできない問題を解決する力を持つ人達がいるはずなのに芸人のきらきらしさに 比べてどうにも頼りない。道を切り開くまでしなくてもナビゲーターくらいはいてもよさそうだな・と思う のでした。

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