updated 2003/2/5
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星光丸 航海記(第4次航)
1971年1月〜2月、超自動化船「星光丸」にメーカ技術者が6名乗船しました。 下記は第4次航の往路(日本〜イラン・カーグ島)航海記です。 なお、星光丸の技術的なことについては、 船とコンピュータ 超自動化船「星光丸」の処女航海記録 をご覧ください。 |
1.出航まで 我々の乗った通船が京葉シーバースに着いたとき、本船(星光丸)はちょうどこのシーバースに着桟するところであった。時は1971年(昭和46年)1月19日午後3時。このシーバースに来る途中、三井造船で建造した「三峰山丸」が停泊していた。明日、処女航海に出るとのこと。 今度の航海には乗組員以外の乗船者、つまり我々6人が”便乗者”として乗り込む。 夕刻から原油の荷揚げが始まった。我々は何もすることがなく、”バー星光”で無線局長らと少しばかり飲む。1月のテレビに出た星光丸に局長が写っている話が出る。局長曰く「あの顔は71年の顔だよ」。 翌日夜、荷揚げが終わったので、天候さえ良ければ明日出航できそうだ。ところが、当日は朝から雨で視界が全くきかず、天候の回復を待つことになった。 今回行くイランのカーグ島は桟橋と島とがつながっているので、島に上陸できそうだ。うまくいけば土産が買えそう。自宅へ電話をする。 1月22日午前7時出航! 日本ともしばらくお別れだ。 |
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2.便乗者の紹介 ・JMさん:O電気のレーダ係長、長身でいつもにこにこ ・NMさん:T電気の無線機技師、船に乗りたくないと言っているが今回2度目 ・SOさん:N無線のレーダ技師、船に乗るのが大好き、ヨットが趣味 ・KKさん:F通信のレーダ技師、1日目から船酔いで悩む ・YMさん:T電気のコンピュータ技師、新婚 長期出張で、結婚式の3日前に帰宅、このとき式場を知ったという。 ・AM:本ホームページ作者、I重工でシステム担当、今回の乗船は2回目 全員、本船の超自動化システムの開発を担当してきた人たちで、長期間、兵庫県・相生の造船所での機器調整や船の試運転に立会い、すべてを知り尽くした専門家ばかりだ。 |
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3.日本人形 我々が共同で購入し、船側に贈呈した人形が、我々がふだんいるコンピュータ室前の部屋に置かれた。人形とケースを接着剤で固定し、船が揺れても動かないようにした。ケース内には「4次航便乗者一同」と書かれている。 1月24日、沖縄本土沖を通過する。 私は、処女航海のときには2人部屋だったが、今回は個室に入れた。割合静かな部屋で、住み心地は上々。 |
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4.南へ南へ 出航後4日目(1/25)、船はフィリッピン沖を通っている。外気温度は27〜30度。皆半そで姿で、突然夏が訪れたという感じである。各部屋には冷風(冷房)が流れている。汗をかくので洗濯物がすぐたまる。 船の食事は、食堂でとる。朝8時、昼12時、夕17時半になるとチャイム音が聞こえる。皆すっ飛んで食堂へ向かう。 今日の夕飯は、とんかつ、サラダ、牛乳、みかんである。 |
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5.シンガポール 8日目(1/29)、星光丸はシンガポールを通過した。昨夜は12時までNMさんの誕生日祝いにつきあい、今朝は早く起き出して操舵室(ブリッジ)へかけあがり、機器の状態を点検したりして忙しい。 前回、ここを通ったときに見た熱帯植物などがそばに生えている「Raffles灯台」を再び見ることができた。 これより星光丸はマラッカ海峡を通過する。右にはシンガポール、左にはスマトラ島の見える海峡に幾隻もの船が行き交う。 どこの放送局かわからぬが、テレビが映る。英語でしゃべったり、フランス語でしゃべったりで、しかも画像を良く映そうとすると音が出ず、音を出すと画像が良く見えない。バレエ、まんが、子供番組やらでおもしろくない。 |
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6.海水浴 星光丸には小さなプールがある。インド洋の海水をポンプでプールに入れる。インド洋はどこまでも広く、陸地はもちろん見えない、他船に会うこともほとんどない。そんな海の色は船から見ると濃い青色であり、海水をプールに入れれば不純物の全く見えないきれいな海水である。 シンガポール付近で海水をプールに入れたときは汚れていた。しかし今日このインド洋で入れた水のきれいさは、実際に見た者でしかわかるまい。 1時間ほどプールに入ったり、日光浴をしたりしただけで少し日に焼けた。毎日日光浴したら真っ黒になって、日本に帰ったら誰だか分からぬと困るので、毎日はやめておこう。 インド洋では真西に針路をとって進むので、日没は特に素晴らしい。 |
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7.イルカとトビウオ 星光丸は18ノット=時速約33kmという早いスピードでセイロン島(スリランカ)の近くを順調に走っている。 今日昼過ぎヨット好きのSOさんが「イルカがいるぞ!」と叫んでいる。なるほど2頭のイルカがアベックでインド洋をぴょんこぴょんこと飛び跳ねて散歩しているようである。 また、あちこちでトビウオが群れをなして飛んでいる。全くのどかな風景である。 本日の航海指針「朝夕に留守宅守るふるさとの妻は祈る航海安全」 |
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8.アラビア海からペルシャ湾へ 北へ向かって進んでいるために、だんだん涼しくなってくる。半そでのシャツから長袖のシャツに着替えてちょうどよい。 便乗者の誰もが腹具合が悪いのを訴えている。私もなんとなく胃がおかしく食欲がない。星光丸の診療所でドクターから薬をもらった。どうも皆ここらで疲れが出てきているらしい。 JMさんだけは仕事の都合で、カーグ島で下船して空路日本へ向かう予定なので人一倍体調に気を使っている。他の人たちは往復乗船である。そろそろ日本が恋しくなってきた。 |
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9.マラソン練習 毎日、何人かの乗組員が船の甲板(デッキ)上を走っている。聞くところによれば帰りの航海でマラソン大会をやるそうである。マラソン大会では甲板の周りを1人5周する。1周約700mなので5周で3.5kmになる。 そこで、その練習というわけである。我々便乗者も練習に励むことになった。今日はじめて1周したら息切れがした。これは容易ではない。運動不足の者は5周走ったら倒れてしまうのではないかと恐れる次第。 |
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10.いよいよペルシャ湾へ 2/5夜から2/6朝にかけてペルシャ湾の入口(ホルムズ海峡)を通過する。海面は波なく、全く穏やかで、船はほとんど揺れない。陸地が近いためか鳥が飛んでいる。ときどき鯨が泳いでいるのが見える。 2/6朝、イラン大陸が遠くに見え始めた。非常に高い山が重なっているが、どれも木が1本も生えていない。灰色の土ばかりのようで殺風景である。 ときどき石油タンクがあり、タンカーが停泊しているのが見える。建物も立ち、自動車が行き交っているのが望遠鏡でかすかに見える。 |
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11.イラン国カーグ島 出航から17日目、カーグ島に2/7午前1時ごろ到着した。シーバースへの着桟には連絡があるまで沖で待たされる。遠くにガスタンクがかすかに見え、煙突から真っ赤な炎が見える。 右手のほうを見ると、千葉で会った三峰山丸がいる。 2/8午後1時、ようやくシーバースに着桟した。シーバースと島とは橋でつながっている。その橋は自動車が通れるほど大きい。早速、我ら6人は連れ立って外へでることにした。 外へ出るには代理店が発行する通行証が必要で、これでシーメンズクラブへ行ける。橋の長さは1200mあり、トラックを改造した乗合自動車が行き来している。 このクラブには土産物屋やちょっとした食堂がある。しかし土産物屋といっても1軒しかなく、日本で言えば小さな田舎駅の売店といった感じで、中年のおやじが立っている。 品物を買うときには、こちらから出すのは米ドルで、つり銭はイラン貨幣でくれるので、勘定が合っているのか、間違っているのかさっぱりわからない。 とにかく次のものを買った。絵葉書、灰皿、パイプ、花瓶、ペルシャ帽子、ブローチ イランの土産といっても何が良いのかわからず、皆も似たりよったりのものを買っている。この店のおやじは英語を使っているが、ときどき日本語も飛び出し笑わせる。 日本から手紙を受け取った。手紙が来たのは私だけで、皆にうらやましがられた。 |
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12.JMさんは日本へ JMさんはここカーグ島で下船し、空路テヘラン経由で日本へ向かうため、本日(2/9)朝、迎えの車に乗って空港へ向かった。我々は皆で見送った。 2/11、無事帰国との電報が船に入り、一安心。 |
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13.出航 星光丸はカーグ島で原油を満載して、2/9正午、シーバースを離れ、横浜港へ向け出航した。 帰りは荷を積み重くなったため、18日間の航海となるだろう。日本へは2月27日に到着予定である。 (終) |
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星光丸は1971年2月27日午後5時、往復37日間の航海を終え、横浜港に無事到着しました。 我々が担当したシステム・機器は順調に動作し、わが国最初の超自動化船の開発はここに成功しました。 なお、星光丸の処女航海の様子は映画として製作されています。詳細は下記をご覧ください。 船とコンピュータ 超自動化船「星光丸」の処女航海記録 |
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