Update 2005/4/15

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トルコ
世界遺産を巡る旅10日間

 2005年3月27日(日)〜4月5日(火)

1996年にペルー、2003年にメキシコを旅行しました。それから2年後、再び世界遺産を訪れる機会がきました。
待ちに待った「トルコ世界遺産を巡る旅」が実現しました。

主催旅行会社: クラブツーリズム(近畿日本ツーリスト)
参加人員: 28名(男7、女21)+添乗員+現地トルコ人ガイド

行程

コース
1 成田発→トルコ航空直行便にて→イスタンブール(泊)
2 イスタンブール→サフランボル市内観光→サフランボル(泊)
3 サフランボル→ハットゥシャシュ→ハットゥシャシュ遺跡→カッパドキア(泊)
4 カッパドキア観光(終日)→カッパドキア(泊)
5 カッパドキアー隊商隊跡コンヤ市内観光→パッムカレ(泊)
6 パムッカレ観光(ヒエラポリス、石灰棚)→エフェソス遺跡→クシャダス(泊)
7 ベルガマ遺跡トロイ遺跡→チャナッカレ(泊)
8 チャナッカレ→ダーダネルス海峡イスタンブール市内観光→イスタンブール(泊)
9 イスタンブール市内観光→ボスポラス海峡クルーズ→トルコ航空直行便(機内泊)
10 成田着

訪れた場所

トルコについて一口メモ

国名  Republic of Turkey (トルコ共和国)
首都  アンカラ
人口  6,700万人
国土  78万平方km (日本の約2倍)
言語  トルコ語
通貨  新トルコ・リラ=約80円 (2005年4月)
時差  日本時間-6時間遅れ(夏時間のとき)

現地トルコ人ツアーガイドの紹介

アルペルさん
30歳台前半。トルコ国内の大学で日本語を学ぶ。トルコに留学していた日本人女性と結婚。仕事で日本語、自宅でも日本語使用で、日本語は読み書き、喋り共達者である。洒落もまじえた観光案内は完璧である。
第2ボスポラス海峡大橋の紹介の際、建設した会社(石川島播磨重工業)の社名を正確に言えたのにはちょっと驚いた。
(この写真では怖い顔に見えますが、実際は優しい顔です)

写真と旅行メモ

2005年3月27日(日)13:30(定刻) 
トルコ航空直行便にて成田空港からイスタンブールへ向かう。
機内は満席状態、所要時間は12時間30分。
JALとの共同運航のため、日本人アテンダントも同乗。
出発が1時間遅れたため、イスタンブール着は同日午後9時。
パスポート審査に長蛇の列だが、日本人は簡単な審査のみ。

トルコ時間=日本時間−6時間 (この日から夏時間)
パスポート審査後、トルコリラに両替。

今年(2005年)から新トルコリラに変更になったが、年末までは旧紙幣も使用できるので、混乱が起きないか心配。
何しろ100万リラが、ゼロが6個取れて1新リラになったのだから旧紙幣でつり銭をもらうときにはよく確認しなければならない。
(金額を除き図柄は同じ)

上が新紙幣の20リラ、下が旧紙幣の20,000,000(2000万)
リラである。1新リラ=約80円なのでどちらも約1600円相当ということになる。

超インフレのトルコでは、現金で蓄えても意味がないので、資産を金銀宝石類や不動産で持つというのは理解できる。
2日目(3月28日)
今回の旅行では、トルコ国内をすべて専用バスで移動する。
バスはクラブツーリズムのマークが入ったベンツバスで快適。
一路、世界遺産の街・サフランボルへ。 着後、市街観光

トルコ独特の古い木造建築が多く残る街。街ごと民族博物館のようだ。サフランボルは交易の中心地として栄えた街で、革製品の生産やサフランの産地としても知られていた。

サンランボルの古い街並みを散歩する。
19世紀後半に建てられた家並みが残っている。
「トルコの小京都」とも言うべき街だ。

民芸品を売っている店が軒を連ねている。
ここで古い木造家屋の模型を買う。
3日目(3月29日)
世界遺産のハットゥシャシュ遺跡観光
世界史上初めて鉄器を使ったといわれるヒッタイト王国の首都として栄えたところ。(紀元前1800年頃)

都市は異民族の侵攻に備えて城壁で守れていた。
ライオン門:ライオンが外部からの侵入者を守っていた。

右写真:スフィンクス門
これはレリーフ、本物はイスタンブールとベルリンの博物館にある。

左写真:三角の帽子をかぶり、剣をかかげた12人の神々が行列をつくって行進しているレリーフ。

観光後、奇岩の並ぶカッパドキアへ

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