俺の知人に、雨野村雲先生という人がいる。
彼は熱血であり、故に俺も、各方面に渡り、彼には多大な影響を受けている。 そんな彼が、先日、彼のサイト「青龍王宮殿」において、「闘う理由(わけ)」 というタイトルの「格闘ゲーム論」を公開された。 まずは、上のリンクをクリックしてお読みいただきたい。 読んだか? 読んだな。 そう。 「熱い」のだ。 そして、その熱さに触発され、俺も格闘ゲーム論を書く運びとなったからと いって何の不思議があろうかいや無い(反語)。 お読みになった方ならお分かりかと思うが、上記の彼の文章のキーワードは 「キャラクター性至上主義」である。 少々抜粋してみよう。 「格好良いもの」 に全く目が無いと言う事だ。 (中略) 俺にとって第一は、「そのキャラらしい闘いか」である。 そして「そのキャラらしさを出しながら、いかに格好良く闘い、勝利する か。」が、俺にとっての命題である。 だが、ただ無謀と言う訳では無い。 「勝利へのこだわり」と「美学へのこだわり」のギリギリの線を選択して闘 い、そして技を競い、勝利する。 そのプロセスを楽しむ…そう、俺は 「外見も技も格好良いキャラを演じたい!」 と考えて闘いに望むのだ。 ‥‥俺の言いたいことが全て言われているのである。(苦笑) そのキャラらしい闘いか。 キャラらしさを出しながら、いかに格好良く闘い、勝利するか。 俺も、全く同じところにこだわる。 そして、俺もまた、彼と同じように、「勝利へのこだわり」と「美学への こだわり」のギリギリの線を選択して闘うのだ。 思うに、格闘ゲームと言うのは、突き詰めていけば、「ロールプレイング」 だと思うのだ。 「役を演じる」という、本来の意味での「ロールプレイング」。 「キャラクターを使う」以上、それは意味のある行為でなければならない。 キャラクターを使うことに「意味」を持たせること‥‥それはすなわち、 そのキャラクターに思い入れを持ち、その性格、そのバックボーンまでをも 知り尽くし、そして「演じる」こと。 それこそが、キャラクターを使う、ということなのだ。 しかし、また同時に、それが格闘ゲームである以上、そこには「勝敗」という ファクターが存在する。 そして、我々が人間である以上、勝ちたい、という欲求もまた、否定される べき物ではない。 だから、我々は、勝利を目指すべきである。 「演じる」事と「勝利を目指す」事。 これらを両立するのは、確かに難しい。 だが、これらは、決して矛盾しない。ただ難しいだけなのだ。 決して、乗り越えられない壁ではないのだ。 雨野村雲先生は言う。 「勝つ事にのみ重点を置く者」も、 「正々堂々とした勝負を楽しむ者」も、 「ただ他人を負かしたい者」も、 俺のような「キャラクター性至上主義」も、全ての主義主張は、闘いの場に おいては無意味なのだ。 (中略) だから、 勝利を渇望するものよ、その衝動のままに極めよ。 信念を持つ者よ、その胸の誇りのままに闘え。 ただ卑しく快楽を欲する者よ、ただ無駄な時間を生きよ。 全ての闘う理由(わけ)は、それぞれの魂の中にのみ存在する等価なものだから。 それは、全く正しいのだろう。 だが、村雲先生ほど人間の出来ていない(苦笑)俺は、敢えて言うのだ。 それは努力により両立できる!
ところで。
ここまで意見の一致を見た(笑)俺と村雲先生であるが、実は、その意見に、 1ヶ所だけ、大きな違いがある。 村雲先生は、上の抜粋の通り、「外見も技も格好良いキャラを演じたい!」と 考える方である。 だが、俺は、 と考える人間なのである。(笑) 人間のカッコ良さとは、その内面だと思う。 だからこそ、外見が今ひとつかっこいいとは言えないキャラを使い、その 内面を引き出してやりたい、と思うのだ。 正直、これはイバラの道である。っていうかイバラ過ぎる。(^^; だがしかし、俺の生涯でただ一人、この「イバラの道」を歩くことに成功 した、と俺が思っているキャラクターがいる。 それは‥‥ ‥‥その2に続く。(笑) |