「Gガンダムとガンダムを考える」
あるいは
「ガンダムへの偏見と私」
てなわけで、タイトル通りの話。
つまり、「ガンダムとGガンの違い」というか、そもそもガンダムってのが
「何」で、そしてGガンダムが「何」で、両者はどこが同じでどう違うのか、
とか、そういうことを私が独り善がりで偏見たっぷりに考えたり
語ったりしてしまうのである。
結論から言えば、
しちめんどくさい話を抜きにして「楽しめる」
というのが「機動武闘伝Gガンダム」の最大の特徴にして魅力なわけで
あるが、それを説明するにはやっぱりしちめんどくさい話をせねばばならない
のである。トホホ。
かつて「機動戦士ガンダム」というアニメがあった。
1979年のことである。
今さら言うまでもないことだ(と思う)が、このアニメ、本放送中はあまり
人気がなくて、打ち切りになってしまったのである。
しかし、放送終了後から人気が出始め、同時に過熱したガンプラ(ガンダムの
プラモデルね)ブームと共に、最終的に大ヒット作として後世に語り継がれる
ことになったのである。
(余談だが、「小田雅弘」とか「ハの字肩」とかいう単語を聞いて涙する人は
もう歳らしい。俺もだが。)
で、「ガンダム」がなぜ最終的にヒットしたのか。
それは、「ガンダム」が「今までにないアニメ」だったからである。
主人公の置かれている状況のバックグラウンドが「明確な『国家間の戦争』」
である、ということ。
劇中のロボットが、「唯一絶対性」を持たない「兵器」である、ということ。
そして、根底のテーマが「宇宙に進出した人間の種としての変革」である
こと。つまり「ニュータイプ」ね。
いずれも、過去において類を見ない設定、そして類を見ない視点で描かれた
アニメであり、今までアニメなど見なかった高年齢層に、「アニメでもこう
いうことができるんだ!」的なショックを与えたのである。
その「ショック」こそがそヒットの要因だ、と私は思っている。
私には「ガンダム」をけなすつもりは毛頭ない。
しかし、あえて言う。
本放送当時小学4年生だった私は、毎週「ガンダム」を見ていた。
だが、あまり理解できなかった。
そうなのである。
確かに、小学4年生の私には、「ガンダム」は難しかったのである
(私の頭が悪かったのを抜きにして考えても、だ)。
これは私の想像だが、恐らく、放送中に人気が出なかったというのには、その
辺も関係あるのではないだろうか。
そして、何せまだ「高年齢層のアニメファン」というのがそんなに社会的に
認知されていない時期のことでもあり(っていうか、認知されたのって結局
「エヴァンゲリオン」の時だと思う)実は高年齢層の「隠れファン」が結構
いて、そういう人たちが終了後に公然と活動を開始したのではないだろうか。
全くの推測であるが、なんか、そんな気がする。
話を元に戻すが、「ガンダム」は難しいのである。
そして、復活した「Zガンダム」は、もっと難しかったのである。
「Z」の頃、私は高校1年生だった。そして、私は「Z」を理解できなかった
のである。
というか、私の感じた「Z」の印象は(これが「暴言」であることは重々承知しているが)
「辛気くさいアニメだなぁ」
というものであった。
結局、私は「Z」を「機械(MSやね)目当て」で見ていたような気がする
のである。
「ZZ」は、前情報では「ガンダム世界でのザブングル」ということだった
ので、実は期待していたのだが、途中からやっぱり暗くなってしまったので、
途中で見るのをやめてしまったのである。
その後、私の中で「ガンダム」という名前は、不本意ながら、「分からない
もの」「楽しくないもの」「燃えないもの」などの単語群と
結び付いてしまったのである。
これは一方的に私の偏見であるので、ファンの方は怒らないでいただきたい
のだが、少なくとも私の中での「ガンダム」のイメージというのは、こう
なってしまったのである。
恐らく、ものすごく不幸なことなのだと思う。
さて、時は流れ、やがて世のロボット物はみんな少なからず「ガンダム」の
影響を受け、ロボットはみんな「兵器」になっていった(誤解しないで
いただきたいのだが、私はそういうアニメがいけないと言うつもりは全く
ない。「ボトムズ」なんかは傑作だと思うしね)。
「ガンダム」自体も、その後、何作も作られた。
「逆襲のシャア」。
「0080・ポケットの中の戦争」。
「F91」。
「0083」。
・・・・と、ガンダムは続く。
なんだかんだ言って、「逆シャア」と「F91」は見た。が、どちらもあまり
面白いとは感じなかった。
なぜならば、これらの映画の内容が、私には上で書いた「ガンダムの悪い
イメージ」そのもののように映ったからである。これもまた不幸なのかも
しれない。
(実は、つい最近「0083」のビデオ版を見たのであるが、これは面白いと
感じた。が、「ガンダム」「Zガンダム」を知らない人が見て、同じように
面白いと思うかどうかはちょっと疑問かな、と思う。)
そしてある日、私はふと気付いたのである。
「私は『ガンダム』を求めていない。
というより、私は『ガンダムでないもの』を
求めている」
と。
「ガンダムでないもの」とは何?
先程の「悪いイメージ」の逆を言っていけば、こうなる。
「分かるもの」。
「楽しいもの」。
「燃えるもの」。
そう、それが「私が求めていたもの」であった(繰り返しますが、あくまで
「私の偏見」ですから)。
で、考えるのである。
なぜ私が「Gガンダム」にハマったのか。
それは、恐らく(いや、間違いなく)「Gガンダム」が上の3つの要素を
きちっと兼ね備えているからなのである。
まず、分かりやすい。それも「いろいろな意味で」分かりやすい。
例えばストーリー。主人公の対極にはしっかりと「絶対悪」=デビルガンダム
が存在し、それ(+兄)を倒す、そしてガンダムファイトに優勝する、という
2つの目的も明確に描かれている。
メカも、フランスのはナポレオンだし、ロシアのはコートにコサック帽だし、
オランダのは風車だし・・・とまぁ、ものすごくよく分かるのである。
そして「レディー、ゴー!」で始まり、必殺技で終わる闘い。
そう、全てのものが、「分かりやすく」できている。これがまず「Gガン」の
(少なくとも私にとっての)ひとつの魅力である。
「熱い」「燃える」。
よく使われる言葉であるが、これほどに「Gガンダム」というものをよく
表わした言葉もないと思う。
まず、主人公が「単純熱血バカ野郎」(←誉め言葉よ)である。すなわち、
行動や言動がいちいち熱い。だからこそいろいろな事件が起こるわけだし、
その度ごとに熱い。これ重要である。
主人公も熱ければ脇役も熱い。今川監督がやはり出さずにはおかなかった熱い
オヤジ・東方不敗先生、熱く怪しい覆面ファイター・シュバルツ=ブルーダー
をはじめとして、熱い人々が勢揃いしていたのである。
そうそう。さっき「必殺技」って話が出たけど、「必殺技」ってのも熱い要素
だよね。
決めポーズ、決め台詞、熱いBGM、イカした演出、絶叫。そして圧倒的な
破壊力とカタルシス(って、このあたりは「必殺技について考える」の
コーナーもお読みいただけると幸いです)。
これこそが必殺技なのであるが、Gガンの必殺技(中でも、私のイチ押しは
「爆熱ゴッドフィンガー」)は、その辺りを見事に生かしきっていると思う
のである。
やはり、画面とシンクロして「俺のこの手が真っ赤に燃えるゥ!」
と叫んでしまいそうになる(っつーか「実際に叫んでる」って話もある(^^;)
その「熱さ」こそがあの技のキモであろう。
もっとも、このアニメに関しては「全体的な演出自体が既に熱い」という話も
あるので、あまりミクロの視点で見てもしかたがないのかも知れないけどね。
そして、楽しめる。
実はこれこそが一番大事なことなんじゃないかな。
見て熱くなる。
見て元気が出る。
「Gガンダム」はそういうアニメだったと思う。
この辺は理屈じゃない、というか、理論的に説明するのが難しい部分だよね。
あえて言うなら、「今川監督の演出・魅せ方が素晴らしい」ということかな。
というわけで、なんか結論。
「Gガンは、分かりやすく、熱く、
楽しい」
偉そうなことを言ってた割には、当たり前の結論で終わってしまったが、(^^;
この3つをきちんと揃えたアニメなどそうそうお目にかかれるものではない、
ということだけはここで強調しておきたいのである。
そして、「Gガンダム」はその「そうそうお目にかかれないアニメ」だ、と
いうことも。
というところで、力尽きたので終わりとする。長い割には不完全燃焼。(;_;)
(おしまひ)
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