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 『眉かくしの霊』 泉鏡花を読む

 きづくりはお断りだが、実は鯉汁大歓迎なんだ。しかし、魚屋か、何か、都合して、ほかの鯉を使つて貰ふわけには行くまいか。――差出て事だが、一尾か二尾で足りるものなら、お客は幾人だか、今夜の入用だけは私が其の原料を買つても可いから。」女中の返事が、「いえ、此の池のは、いつもお料理にはつかひませんのでございます。うちの旦那も、おかみさんも、御志の仏の日には、鮒だの、鯉だの、……此の池へ放しなさるんでございます。料理番さんも矢張。……そして料理番は、此の池のを大事にして、可愛がつて、その所為ですか、隙さへあれば、黙つてあゝやつて庭へ出て、池を覗いて居ますんです。」「それはお誂だ。ありがたい。」境は礼を言つたくらゐであつた。
 雪の頂から星が一つ下つたやうに、入相の座敷に電燈の点いた時、女中が風呂を知らせに来た。「すぐに膳を。」と声を掛けて置いて、待構へた湯どのへ、一散――例の洗面所の向うの扉を開けると、上場らしいが、ハテ真暗である。いやいや、提灯が一燈ぼうと薄く点いて居る。其処にもう一枚扉があつて閉つて居た。その裡が湯どのらしい。

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