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 『泉鏡花自筆年譜』 泉鏡花を読む

 明治二十六年五月、京都日出新聞に「冠弥左衛門」を連載す。うけざる故を以て、新聞当事者より、先生に対し、其の中止を要求して止まず、状信二十通に余る。然れども、少年の弟子の出端(でばな)を折られむをあはれみて、侠気励烈、折衝を重ねて、其の(完)を得せしめらる。此のよし後に知る処、偏(ひとえ)に先生の大慈なり。翌年いづれより転売せしや、加賀、北陸新報に、おなじ挿画とともに掲げて、社は喝采を得たりと聞く。そのいはれを知らず。此の年、「活人形」を探偵文庫に、ならびに「金時計」を少年文学に。此の両冊は、生前の父に見することを得たり。八月、重き脚気を病み、療養のため帰郷。十月京都に赴く。同地遊覧中なりし、先生に汽車賃の補助をうけて横寺町に帰らむがためなりき。時小春にして、途中大聖寺より大(おおい)に雪降る。年末この紀行に潤色して、「他人の妻」一篇を作る。年を経て発表せし、「怪語」は其の一齣なり。余は散佚せしのみ。
 明治二十七年一月九日、父を喪ふ。帰郷、生活の計(はかりごと)を知らず。ただ祖の激励の故に、祖と幼弟を残して上京す。十月、「予備兵」つづいて、「義血侠血」読売新聞に出づ。ともに帰郷中、翌日の米の計なきに切(せま)れる試作。其の新聞に掲げられたるは、先生の大斧鉞のたまものなり。

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