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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 閻王の使者に追立てられ、歩むに長き廻廊もに行く身は最《いと》近く、人形室に引入れられて亡き母の存生《いまそか》りし日を思ひ出し、下枝は涙さしぐみむ。さはあれ業苦の浮世を遁れ、天堂に在《おは》す御傍へ行くと思へば殺さるゝ生命はさら/\惜《をし》からじと、下枝は少しも悪怯《わるび》れず。爾時得三下枝をば、高田の傍《かたへ》に押据ゑつ、いと見苦しき様《しにざま》を指さしていひけるは、「下枝見ろ、此顔色《つらつき》を。殺されるのはなか/\一通りの苦しみぢや無いぜ、其もかう一思ひに殺《や》ればまだしもだが、いざお前を殺すといふ時には、此迄の腹癒《はらいせ》に、予ても言ひ聞かした通り、虐殺《なぶりごろし》にしてやるのだ。可いか、其でも可いか。これと、肩を押へてゆすぶれば、打戦《うちわなゝ》くのみ答《いらへ》は無し。「其から未だある。此男と、お前と、情《しんぢう》をした様にして恥《しにはぢ》を曝《さら》すのだ。何《どう》だ。何《どう》だ。下枝は恨めしげに眼を〓《みは》り、「得三様、余《あんま》りでございます。「下枝様《さん》、貴嬢《あなた》も余り強情でございます。其が嫌否《いや》なら悉皆財産を我《おれ》に渡して、而して得三様《さん》、貴下は可愛いねえ。とかういへば可い。其は出来無いだらう。矢張、斬られたり、突かれたりする方が希望《のぞみ》なのか、さあ何と。と言はるゝ毎にひや/\と身体に冷たき汗しつとり、斬刻《きりきざ》まるゝよりつらからめ。猛獣犠牲《いけにへ》を獲て直ぐには殺さず暫時《しばらく》之を弄びて、早慊《あきた》りけむ得三は、下枝をはたと蹴返せば、苦《あつ》と仰様《のけざま》に僵《たふ》れつゝ呼吸《いき》も絶《た》ゆげに唸《うめ》き居たり。「やい、婦人《おんな》、冥土の土産に聞かして遣る。汝《きさま》の母親はな。顔も気質《きだて》も汝《きさま》に肖て、矢張我《おれ》の言ふことを聞かなつたから、毒を飲まして得三が殺したのだ。下枝は驚きに気力を復して、打震へて力無き膝立直して起き返り、「怪しき様《しにやう》遊ばしたが、そんなら得三、おのれがかい。「応《おう》、我《おれ》だ。驚いたか。「えゝ憎らしい其の咽喉へ喰附いて遣りたいねえ。「へ、へ、唇へ喰附いて、接吻《キッス》ならば希望《のぞみ》だが、咽喉へは真平御免蒙る。どれ手を下ろして料理《れうら》うか。と立懸られて、「あれえ、人殺し。と一生懸命、裳《もすそ》を乱して遁げ出づれば、縛《いましめ》の縄の端《はし》を踏止められて後居《しりゐ》に倒れ、「誰ぞ助けて、助けて。と泣声嗄らして叫び立つれば、得三は打笑ひ、「好くある奴だ。殺して欲しいのにたいのと、口癖にいうて居て、いざとなると其通り。ても未練な婦人《をんな》だな。「否《いえ》、にたうない、にたうない。親を殺した敵《かたき》と知つては、私や殺されるのは口惜い。と伏しつ転《まろ》びつ身をあせりぬ。

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