検索結果詳細


 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 斯くて下枝は滑川《なめりがは》の八橋楼の裏手より、泰助の座敷に入りたるが、浮世に馴れぬ女気に人の邪正を謀りかね、うかとは口を利かれねば、黙して様子を見て居るうち、別室に伴はれ、一人残され寝床に臥して、越方《こしかた》行末《ゆくすゑ》思ひ侘び、涙に暮れて居たりし折から、彼の八蔵に見とがめられぬ。其のみならず妹お藤を、今宵高田に娶《めあは》すよし予て得三に聞居たれば、こもまた心懸りなり、一度家に立返りて何卒お藤を救ひいだし、又こそ忍び出でなんと、忌しき古巣に帰るとき、多くの人に怪しませて、城家に目を附けさせなば、何かに便《たより》よかるべしと小指一節喰ひ切つて、彼の血の痕を城家の裏口まで印し置きて、再び件の穴に入り冥途《よみぢ》を歩みて壇階子に足踏懸くれば月明し。何処よりか洩るゝと見れば、壁を二重に造りなして、外の壁と内の壁の間にかゝる踏壇《ふみだん》を、仕懸けて穴へ導くにて透間より月の照射《さす》なり。直ぐ眼の下は裏庭にて此時深き叢に彳《たゝず》める人ありければ、(是泰助なり。)浴衣の裳《すそ》を引裂きて、小指の血にて文字したゝめ、かゝる用にもたゝむかとて道に拾ひし礫《こいし》に包み、丁と投ぐれば恰も可し。其人の目に触れて、手に開かれしを見て嬉しく、さてお藤をば奈何せむ。

 189/219 190/219 191/219


  [Index]