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 『婦系図』 青空文庫

 この富士山だって、東京の人がまるっきり知らないと、こんなに名高くはなりますまい。自分は田舎で埋木《うもれぎ》のような心地《こころもち》で心細くってならない処。夫が旅行で多日《しばらく》留守、この時こそと思っても、あとを預っている主婦《あるじ》ならなおの事、実家《さと》の手前も、旅をかけては出憎いから、そこで、盲目《めくら》の娘をかこつけに、籠を抜けた。親鳥も、とりめにでもならなければ可い、小児の罰が当りましょう、と言って、夫人は快活に吻々《ほほ》と笑う。
 この談話は、主税が立続けに巻煙草を燻《くゆ》らす間に、食堂と客室とに挟まった、その幅狭な休憩室に、差向いでされたので。
 椅子と椅子と間が真《まこと》に短いから、袖と袖と、むかい合って接するほどで、裳《もすそ》は長く足袋に落ちても、腰の高い、雪踏《せった》の尖《さき》は爪立《つまた》つばかり。汽車の動揺《どよ》みに留南奇《とめき》が散って、友染の花の乱るるのを、夫人は幾度も引かさね、引かさねするのであった。

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