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 『婦系図』 青空文庫

 これより前《さき》、相貌堂々として、何等か銅像の揺《ゆる》ぐがごとく、頤に髯長き一個の紳士の、握《にぎり》に銀《しろがね》の色の燦爛たる、太く逞《たくまし》き杖《ステッキ》を支いて、ナポレオン帽子の庇《ひさし》深く、額に暗き皺を刻み、満面に燃《もゆ》るがごとき怒気を含んで、頂の方を仰ぎながら、靴音を沈めて、石段を攀じて、松の梢に隠れたのがあった。
 これなん、ここに正に、大夫人がなせるごとく、を行く船の竜頭に在るべき、河野の統領英臣であったのである。
 英臣が、この石段を、もう一階で、東照宮の本殿になろうとする、一場の見霽《みはらし》に上り着いて、海面《うなづら》が、高くその骨組の丈夫な双の肩に懸った時、音に聞えた勘助井戸を左に、右に千仞《せんじん》の絶壁の、豆腐を削ったような谷に望んで、幹には浦の苫屋を透し、枝には白き渚《なぎさ》を掛け、緑に細波《さざなみ》の葉を揃えた、物見の松をそれぞと見るや――松の許なる据置の腰掛に、長くなって、肱枕《ひじまくら》して、面を半ば中折の帽子で隠して、羽織を畳んで、懐中《ふところ》に入れて、枕した頭《つむり》の傍《わき》に、薬瓶かと思う、小さな包を置いて、悠々と休んでいた一個《ひとり》の青年を見た。

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