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 『歌行燈』 従吾所好

 と出た、風が荒い。荒いのが此の風、五十鈴川で劃〈かぎ〉られて、宇治橋の向うまでは吹くまいが、相の山の長坂を下から哄と吹上げる……此が悪く生温くつて、灯の前ぢや砂が黄色い。月は雲の底に淀〈どんよ〉りして居る。神路山の樹は蒼くても、二見の波は白からう。酷い勢、ぱつと吹くので、たぢたぢと成る。帽子が飛ぶから、其のまゝ、藤屋が店へ投返した……と背筋へ孕んで、坊さんが忍ぶやうに羽織の袖が翻々〈ひら/\〉する。着替へるのも面倒で、昼間のなりで、神詣での紋付さ。――袖畳みに懐中へ捻込んで、何の洒落にか、手拭で頬被りをしたもんです。
 門附に成る前兆さ、状〈ざま〉を見やがれ。」と片手を袖へ、二の腕深く突込んだ。片手で狙ふやうに茶碗を圧へて、
「ね、古市へ行くと、まだ宵だのに寂然〈ひつそり〉して居る。……軒が、がたぴしと鳴つて、軒行燈がばツばツ揺れる。三味線の音もしたけれど、吹さらはれて大屋根の猫の姿でけし飛ぶやうさ。何の事はない、今夜の此の寂しい新地へ、風を持つて来て、打着けたと思へば可い。

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