検索結果詳細


 『草迷宮』 鏡花とアンティークと古書の小径

 今もおなじような風情である。――薄《うっす》りと廂を包む小家の、紫の煙の中も繞《めぐ》れば、低く裏山の根にかかった、一刷《ひとはけ》灰色の靄の間も通る。青田の高低《たかひく》、麓の凸凹《でいり》に従うて、柔かにのんどりした、この一巻の布は、朝霞には白地の手拭、夕焼には茜の襟、襷になり帯になり、果は薄の裳《もすそ》に成って、今もある通り、村はずれの谷戸口《やとぐち》を、明神の下あたりから次第に子産石の浜に消えて、何処へ潅《そそ》ぐということもない。口につけると塩気があるから、海潮がさすのであろう。その川裾のたよりなく草に隠れるにつけて、明神の手水洗《みたらし》にかけた献燈の発句には、これを霞川、と書いてあるが、俗に呼んで湯川という。
 霞に紛れ、靄に交《まじ》って、ほのぼのとく、何時も水気《すいき》の立つ処から、言い習わしたものらしい。
 あの、薄煙、あの、靄の、一際夕暮を染めた彼方此方は、遠方《おちかた》の松の梢も、近間《ちかま》なる柳の根も、いずれもこの水の淀んだ処で。畑《はた》一つ前途《ゆくて》を仕切って、縦に幅広く水気《すいき》が立って、小高い礎を朦朧と上に浮かしたのは、森の下闇で、靄が余所よりも判然《はっきり》と濃くかかった所為で、鶴谷が別宅のその黒門の一構《ひとかまえ》。

 538/1510 539/1510 540/1510


  [Index]