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 『義血侠血』 青空文庫

 一身をわれに任せよと言いし御者は、風波に掀翻《きんぽん》せらるる汽船の、やがて千尋《ちひろ》の底に汨没《こつぼつ》せんずる危急に際して、蒸気機関はなお漾々たる穏波を截《き》ると異ならざる精神をもって、その職を竭《つ》くすがごとく、従容《しょうよう》として手綱を操り、競争者に後《おく》れず前《すす》まず、隙だにあらば一躍して乗っ越さんと、睨み合いつつ推し行くさまは、この道堪能《かんのう》の達者と覚しく、いと頼もしく見えたりき。
 されども危急の際この頼もしさを見たりしは、わずかにくだんの人あるのみなり。他はみな見苦しくも慌て忙《ふため》きて、あまたの神と仏とは心々に祷《いの》られき。なおかの人はこの騒擾の間、終始御者の様子を打ち瞶《まも》りたり。

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