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 『眉かくしの霊』 泉鏡花を読む

「さあ……それは孰ちにしろ……その木曽へ、木曽への機掛に出た話なんですから、私たちも酔つては居るし、それがあとの贄川だか、峠を越した先の藪原、福島、上松のあたりだか、よくは訊かなかつたけれども、其の芸妓が、客と一所に、鶫あみを掛けに木曽へ行つたと言ふ話をしたんです。……まだ夜の暗いうちに山道をずんずん上つて、案内者の指揮の場所で、かすみを張つて囮を揚げると、夜明前、霧のしら/\に、向うの尾上を、ぱつと此方の山の端へ渡る鶫の群が、むら/\と来て、羽ばたきをして、かすみに掛る、じわ/\ととつて占めてすぐに焚火で附焼にして、膏の熱い処を、ちゆツと吸つて食べるんだが、そのおいしい事、……と言つて、話をしてね……」
「はあ、まつたくで。」
「……ぶる/\寒いから、煮燗で、一杯のみながら、息もつかずに、幾口か鶫を噛つて、あゝ、おいしいと一息して、焚火に獅噛みついたのが、すつと立つと、案内についた土地の猟師が二人、きやツと言つた――その何なんですよ。芸妓の口が血だらけに成つて居たんだとさ、生々とした半熟の小鳥の血です、……と此の話をしながら、うつかりしたやうに其の芸妓は手巾で口を圧へたんですがね……たら/\と赤いやつが沁みさうで、私は顔を見ましたよ。触ると撓びさうな痩せぎすな、すらりとした、若い女で。……聞いてもうまさうだが、これは凄かつたらう、その時、東京で想像しても、嶮いとも、高いとも、深いとも、峰谷の重り合つた木曽山中のしら/\あけです……暗い裾に焚火を搦めて、すつくりと立上つたと言ふ、自然、目の下の峰よりも高い処で、霧の中から綺麗な首が。」

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