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 『古狢』 青空文庫

 獣ならば目が二つ光るだろう。あれでも人が居るかと思う。透かして見れば帳場があって、その奥から、大土間の内側を丸太で劃《しき》った――(朝市がそこで立つ)――その劃《しきり》の外側を廻って、右の権ちゃん……めくら縞《じま》の筒袖《つつッぽ》を懐手《ふところで》で突張《つっぱ》って、狸より膃肭臍《おっとせい》に似て、ニタニタと顕《あら》われた。廓《くるわ》の美人で顔がきく。この権ちゃんが顕われると、外土間に出張った縁台に腰を掛けるのに――市が立つと土足で糶上《せりあが》るのだからと、お町が手巾《ハンケチ》でよく払《はた》いて、縁台に腰を掛けるのだから、じかに七輪《しちりん》の方がいい、そちこち、お八つ時分、薬鑵《やかん》の湯も沸いていようと、遥《はるか》な台所口からその権ちゃんに持って来させて、御挨拶は沢山……大きな坊やは、こう見えても人見知りをするから、とくるりと権ちゃんに背後《うしろ》を向かせて、手で叩く真似をすると、えへへ、と権ちゃんの引込《ひっこ》んだ工合《ぐあい》が、印《いん》は結ばないが、姉さんの妖術《ようじゅつ》に魅《かか》ったようであった。

 通り雨は一通り霽《あが》ったが、土は濡れて、冷くて、翡翠《かわせみ》の影が駒下駄を辷《すべ》ってまた映る……片褄端折《かたづまはしょり》に、乾物屋の軒を伝って、紅端緒《べにはなお》の草履ではないが、ついと楽屋口へ行く状《さま》に、肩細く市場へ入ったのが、やがて、片手にビイルの壜《びん》、と見ると片手に持った硝子盃《コップ》が、光りを分けて、二つになって並んだのは、お町さんも、一口つき合ってくれる気か。

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