恋の終わり ―Angelique Version―

 そっと名前を呼ぶ。振り返った彼の顔は相変わらず優しさと皮肉屋の同居。ああ、そんな顔で見ないで欲しい。と金の髪の少女は思う。
 何時からこんな思いを胸に抱いていたのか。自分でも判らない。
 ただ、言おうか言うまいか悩んで、悩みぬいて。言わないでいようと思っていたのに、何時の間にか口をついて出てしまった。
「私あなたの事、好きなんです。」
 風が囁く様に、けれどしっかりとした声で。真っ直ぐに瞳を見詰めて。
 森の湖で。今日もきっとこの気持ちは伝えないだろう、と自分でも思っていたのに何故か言ってしまった。多分、この静かで神秘的な雰囲気のせい。
 力強い彼の顔を見詰めながら返事を待ち。彼の困ったような顔に胸がさざめく。
 そして彼女は残酷な返事を聞く。

 パタン、と音がして扉が閉まり、そっと息を吐く。
 どうして、オスカー様は部屋を出る時あんなに困った顔をしていたのかしら?
 何気に自分の頬に手を当てようとして、アンジェリークはぎょっとした。
 気付かない内に泣いていたのだ。我慢していたと思っていたのに、涙の跡が頬を伝っている。
「泣いてちゃオスカー様だって困っちゃうわよね……」
 部屋の中、オスカーの遠ざかる足音を聞きながら、無理矢理微笑んでいた顔が徐々に歪んでいった。
 もう思う存分泣いても良いんだ。あの人はもう居ない。
 声をあげて泣こうとしたのに、何故かすすり泣く様な、押し殺した様な声しか出なかった。
「オスカー様のバカ。バカ。」
 しゃくりあげながらアンジェリークはたった一人の人間の名前を呟き続けた。
 彼の燃えるような赤い髪も、アイスブルーの瞳も。何もかも好きだったのに。
「恋に恋してた訳じゃないわ。」
 自分の気持ちは充分承知していた。と言うより、ある人によって気付かされた。それまでずっと自分の気持ちに逆らっていたのだが。
 オスカーの人を食ったような話し方に最初、付いていけなかった。そして、色々と囁かれ、また目の当たりにした女性遍歴。そんな彼を好きになる筈が無いと思っていたのに、心は惹かれてしまったのだ。
 アンジェリークにとって、オスカーは初めての大人の異性と呼べるものだった。
 それまで異性と付き合いが無かった訳では無い。ただ、それらは全て同世代の少年であり、伝統的な女子校の生徒で大人の男性、と言えば父親か年取った教師以外知る人のいない彼女にとって、恋愛対象になりうる異性はオスカーが初めてだったのだ。
 同世代の少年とは違う自信に満ち溢れた態度、目上の者とは違う力強さ。何より彼には華があった。
 端正でいて決して女性的ではない精悍な顔つきに、逞しく鍛え上げられた身体。傲慢な程の自信に見合った実力もあった。そして何より、アンジェリークの琴線に触れたのは彼女を見つめる時の優しい瞳だった。
 いつもは冷たいと思えるアイスブルーの瞳が、彼女と話していると驚く程に優しく見え、楽しげに煌いたり茶目っ気たっぷりに輝く。ニヤニヤと笑いながらアンジェリークをからかう時でさえ彼の瞳は優しさに溢れていた。
「だから、誤解したのよ。」
 オスカーが自分を少しは好きだと誤解した。いや、好きは好きだったのだと思う。ただ、自分の思う「好き」では無いだけで。
「守護聖様だもんね。大切な女王候補に冷たく出来る訳無いし。」
 自分でも守護聖に告白なんか出来ない、と思っていた。実際まったくするつもりはなかったのに。湖で雰囲気に呑まれたのだと思う。あの神秘的で美しい森の湖に。

 アンジェリークの元気の無さに皆が心配してくれた。ディアとロザリアはそれぞれがお茶に誘ってくれたし、オスカー以外の守護聖も何かと気を配ってくれ、アンジェリ−クは面映ゆい様なくすぐったい様な、申し訳ない様な気持ちでいっぱいになってしまった。
 失恋したのは悲しいけれど、皆が自分を心配してくれるのが嬉しかった。
「皆さんがこんなに親切にしてくれるんだもん。元気にならないと。」
 努力の甲斐あってか昼間は元気に振る舞えるようになってきた。夜、部屋で一人になるとつい泣いてしまい、そしてオスカーの執務室にはどうしても近寄れなかったが。
 それでもアンジェリークは確かに元気になっていった。一週間かけて。

 水の守護聖リュミエールに誘われ、気分転換も必要だから、と言う事で公園に来たアンジェリークは東屋の近くで佇むオスカーを見つけ、元気になった筈の胸が痛むのが判った。
「オスカー様…」
 顔が少し青褪めているのが自分でも判ったがつい、名前を呟いてしまった。
「ようお嬢ちゃん。デートかい?」
「はい…」
 オスカーの気楽そうな何時もと変わらぬ調子に思わず、悲しくなってリュミエールの背中に隠れてしまう。
 もっと気まずそうにするとか、心配そうにしてくれればいいのに。無神経だ、と思う自分を我侭だとも思う。オスカーにとって、あの事は何でもない事だったのだろうし、もしかしたら何も無かった様に振る舞う事で気まずさを無くそうとしているかもしれないのに。
 自己嫌悪に陥る自分にリュミエールが優しい声で、東屋に先に行くように促す。
「私はオスカーと話したい事があるので。」
「あ、はい!」
 先に行け、と言うなら先に行こう。今は未だオスカーに会いたく無い。それが判ってしまった。まだ、気持ちは癒えていないから。
「何を話しているのかしら……」
 少し離れたところで何か話しているが内容は聞き取れない。多分仕事の事ね、とアンジェリークは想像した。
 並んで話している二人……オスカーを見ていると、胸が高鳴るのが判る。忘れなきゃ、と思うのにどうしても目が追う。長い手足、高い背、人目を引く赤い髪……ただでさえ目立つ風貌なのに、あんなに恰好良くなくても良いと思う。
 自分が取りたててメンクイだなどと思った事は無いが、これからもし恋をする際、オスカーを思い出すだろう、と思う。そしてその時果たしてオスカーと比べて恋をした相手に勝ち目はあるのだろうか?
「私、もしかするともう恋なんて出来ないかも……」
 漠然とそんな事を思う自分に苦笑する。多分きっと、次に恋をしたらオスカーの事は良い思い出になっている筈。そうでなくてはならないのだから。お互いの為に。
 ふと気が付くと、オスカーが肩を怒らせて立ち去って行く所だった。
 何を怒っているのだろう?疑問に思いつつ、そう言えば、とオスカーとリュミエールの仲が悪い事を思い出す。
 あの優しさの権化の様な水の守護聖と仲が悪い、というのがどうにも理解できないのだが彼等には彼等の事情があるのだろう。
「リュミエール様?何のお話をなさってたんですか?」
「ああ…ちょっとね。彼に考えて欲しい事があったので。」
 戻ってきたリュミエールに気になって訊ねると、優しく微笑みながら誤魔化されてしまった。
それでもリュミエールの表情は何時もの通り穏やかで優し気で、うっとりするほど美しかった。
「私、リュミエール様を好きになれば良かったのよ……」
「は?何か…?」
 微かに呟くアンジェリークにリュミエールが不思議そうに問い、慌ててなんでもありません、と答える。
 多分、リュミエールに恋をしても失恋はしたと思う。守護聖と女王候補だから。でも、リュミエールだったらもっと違う答え方をしたのではないだろうか。いや、それよりも多分告白をしようと思うほどせっぱ詰まった感情にはならなかったと思う。穏やかで優しい見ているだけで幸せな水の守護聖に、恋はしても伝えない、見ているだけ。それだけで満足だったと思う。
 恋をした相手が力強い炎の守護聖だった事が、間違いだったのだ。
 でも、不思議と後悔はしていなかった。泣く事はあっても、胸が苦しくて痛くても、それでも告白した事は後悔していない。今はまだ会えないけれど、そのうち傷が癒えたら会いに行けるだろう。以前通り、笑って。多分、彼もそれを望んでいる筈。
「それではそろそろ行きましょうか。アンジェリーク。」
「はい!」
 リュミエールと暫く話した後、帰りを促す言葉に元気よく答える。
 少女の久し振りに見る屈託の無い笑顔にリュミエールは思わず微笑んでいた。

 予想はしていた。
 王立研究院でパスハに注意されたのは、民の望みを無視している事。
 現在彼女の大陸は炎の力をかなり望んでいた。しかしそれを無視してアンジェリークは他の力を送り続けており、その事でパスハにかなり絞られてしまった。
 ただ、彼女にも言い分はあった。大陸の力のバランスが悪い、と言う事。これにはパスハも納得するしか無く、バランスの良い育成をするのなら仕方ないが、民の望みも叶えるように、と注意を受けて研究院を立ち去った。
 もともとエリューシオンはバランス良い育成を望んでいた。それが炎の力だけ尋常ではない数求める様になったのは、アンジェリークのせいだ。オスカーに会いたいが故に望んでもいない力を送り続けた。それが今、望んでいない形で顕れてしまったのだ。
「オスカー様…まだお会いしたくないのに……」
 気持ちの整理が出来ないうちは会いたくない、と思って育成のお願いに行っていない。
 そして、これだけバランスが悪いのだから、と自分を納得させて他の力を送っているのだ。
 もう少ししたら、もう少ししたら、と思っている内に懐かしい声に呼び止められる。
「お嬢ちゃん!」
「オスカー様!」
 久し振りに会った炎の守護聖は相変わらず、アンジェリークの胸を痛くさせる程ハンサムだった。
「やっと掴まえたぜ。最近ちっとも俺の所に来ないな?」
 言いながらアンジェリークの手首をつかむ。しかも、この間の事が原因なら、と信じられない程無神経な事を言う。
 多分、オスカーもパスハに言われたのだろう。あの時以来今まで彼から会いに来る事は無かった。彼なりに気を遣ってくれていたのだ、と今更のように思うが、まだ会いたくなかった。こんな近くで。二人きりで。公園で一瞬会って挨拶するのとは違うのだから。
「離して下さい。」
「理由を教えてくれたらな。」
 必死になってもがいてみても、オスカーの力には敵わない。しっかりと掴まれた手首からオスカーの体温が伝わってくる。
 このまま抱き締めてくれたら良いのに、と考えてしまう自分に悲しくなってきた。
 そして。
「俺の事、嫌いになったのかい?」
 オスカーのこの言葉にアンジェリークの胸の中で何かがはじけた。
「…らいいのに。」
「え?」
 聞き取れないほど小さく呟くアンジェリークに、オスカーが戸惑うように問う。
 もうだめ。
「キライになれたらいいのにっ…」
 アンジェリークの大きな目から涙が零れ落ちる。あとから、あとから。
「まだダメなのっ…オスカー様に笑って会えない…」
「お嬢ちゃん……」
 ボロボロと涙をこぼすアンジェリークに、オスカーらしくない悲痛な表情が現れる。
 とすれば彼も気にしていたのだ。だったら仕方ない。彼が悪いのでは無いのだから。
 悪いのは、オスカーを好きになってしまった自分。元々判っていた事だからきちんと説明してあげよう。そうすれば彼も判ってくれる。
 涙を堪えようとしながら、止められなく仕方なくアンジェリークはしゃくりあげながら何とか説明しようと試みる。もう少し待って、と。
「あと…もう少ししたら必ず、前みたいに笑って会える様になりますから……」
 涙は全く止まらなかった。オスカーの罪悪感に溢れたアイスブルーの瞳が、ますますアンジェリークの心を動揺させる。
「それまではごめんなさいっ」
「お嬢……っ!」
 何とか言いきって、だっと駆け出す。後ろも振り返らず。
 オスカーはきっと追って来ないだろう。確信があった。それでもかなり遠くに来るまでアンジェリークは走り続けた。何人か不審そうな顔をする守護聖と出会ったが無視して。 息が切れてもうこれ以上走れない、と言う所でやっと速度を緩め後ろを振り返り。
 オスカーは来なかった。

 泣きながら走っていたせいで、また守護聖達が心配してくれた。光の守護聖に呼ばれた時は流石に、女王候補らしくない、と怒られたがその後すぐに、事情があっての事だろう、とジュリアスらしくない甘い対応だった。
 オリヴィエは泣き腫らした目に良いから、と何かの美溶液を持って来てくれた。マルセルも、泣かないでね、と綺麗な花をくれた。それを見てまた思わず泣いてしまい、マルセルを慌てさせてしまったが。
 ルヴァは相変わらずボーッとしたような鷹揚さでアンジェリークの心を和ませてくれたし、ゼフェルは乱暴だが心のこもった慰めの言葉をくれた。それぞれがそれぞれなりに気を遣ってくれ、有難い、と思う。
 そしてクラヴィスは謎の言葉を残した。
「…近々真実と向き合う事になる。」

 オスカーに会いに行く勇気を貰おう、とランディの執務室にアンジェリークは居た。
 もともとオスカーへの恋心を自覚したのはランディのお陰でもあった。彼に言われなければ、きっと気付かないふりをし続けていただろう。
「俺は応援してたんだけどね。」
 苦笑いをするランディにアンジェリークも苦笑する。
「仕方ないです。こればっかりは。」
 君は妹みたいなものだから、と言うランディにアンジェリークは心が落ち着くのが感じられた。何か暖かいものが心に満たされる。
「え?何かおっしゃいましたか?」
 ぶつぶつ呟くランディにアンジェリークが問い返す。
「いや、別に何でもないよ。」
 本当は、オスカー様は何をやっているんだ、と言っていたのだが。笑って誤魔化す。
 少し位悩んでみれば良いのだ。あのドンファンは。傍から見ているランディにとって、この二人の行動はじれったい以外の何物でもなかった。勿論、自分が当事者であれば同様であろう事は充分承知していたが、それでもオスカーの反応はランディにとって謎だった。
 もしかして、と小さな疑問が胸に湧いたがすぐに打ち消す。まさかあの恋の手練が。
「ランディ様、ごめんなさい……」
 申し訳無さそうに言うアンジェリークに慌てて立ち上がる。
「気にしなくていいよ、言ったろ?君は俺の妹みたいなものだって。それでいいんだって。」
 そりゃあ、本当の所は妹どころでは無い、実に確かな想いはあるのだが。そしてアンジェリークもそれを知っている。それが先程のごめんなさい、になるのだろう。ランディは溜息を吐く。
「君が、幸せになるのが俺の望みだから。謝らなくて良いんだ。そんな事されたら俺も困る。どうして良いか判らなくなっちゃうだろ?」
 静かにアンジェリークが聞いているのを確かめて続ける。
「俺は何時だって君の味方だから。困った事があったら何でも相談してくれて良いんだ。…オスカー様の事は、俺よく判らないけれど。何だか違う気がするんだ。」
「違う?」
 不思議そうに問う。違うって、何が?
 小首を傾げるアンジェリークを横目で見ながら続ける。
「何が違うかは言えないけれど……俺も君の事を気に掛けている一人だからね。味方とは言え、言えない事もあるんだ。とにかく何か間違ってる気がするんだ。」
「オスカー様が間違ってるって事ですか?」
「何を間違っているかは言えないけどね。」
 溜息を吐いて最後まで言い切ろうと決心する。結局自分はこの金の髪の天使に弱いのだ。
「もう一度オスカー様に会ってご覧。元々そのつもりで俺の所に来たんだろう?オスカー様に会う勇気が欲しくて。最もその為には君の心の準備も必要だし、オスカー様も多分考える時間が必要だと思うけれど。」
「でも……」
 躊躇うアンジェリークにとびっきりの笑顔を向ける。
「大丈夫。君の心に勇気をあげるよ。オスカー様に会いに行ける勇気を。今日じゃなくても、明日か明後日か。近い内にオスカー様の所に必ず行けるように勇気をあげるから。頑張ってご覧。ね?」
 一瞬躊躇ってからアンジェリークの両頬に口付ける。
「さあ、これで君の背中を押したよ。今日は真っ直ぐ帰って早く寝て、明日オスカー様に会えるかどうか自分の心に確認して見て。もしまだ無理そうだったらまたおいで。オスカー様に会う勇気が出るまで、何度だって協力してあげるから。」
「ありがとうございます、ランディ様……」
 アンジェリークの目が潤むのを見て、ランディは慌てた。
「うわ、困ったな。君を泣かせるつもりじゃなかったのに。な、泣かないでくれよ、アンジェリーク。」
「嬉し泣きです。ランディ様が優しいから。」
 泣き笑いするアンジェリークにますます動揺する。でも、いいか。俺の執務室に入ってきた時より幸せそうだ。執務室に入ってきたばかりのアンジェリークの様子を思い出して、ランディは少し気分が落ち着いた。オスカーに会いに行く、と言う悲壮なまでの決意のせいで瞳ばかり大きく見えて少しも楽しそうではなかった。いつも幸せそうに笑っているべき彼女が。
 オスカー様の馬鹿野郎。
 何時もは尊敬している炎の守護聖の事を、ランディはこの時だけ少し恨んだ。

「それじゃ、ランディ様。今日はどうもありがとうございました。」
「またおいで。早く帰るんだよ。」
 ランディの執務室を出ようとしたまさにその時、通路の向こうから呼ばれる。
「お嬢ちゃん!」
 私の事をお嬢ちゃん、なんて言う人は一人しかいない。
 アンジェリークの予想通りの人物が通路の向こうから近づいてくる。
「オスカー様…」
 まだダメ。ランディ様から勇気は貰ったけれど。まだ直接会う勇気は出ない。
 すっと顔が青褪めるのが判った。自分の情け無さに更に情けなく思いつつ、逃げる様に別れを告げる。
「ごめんなさい!また今度。」
 以前と同じく駆け出すと、後ろからオスカーの声が追ってきた。
「待てお嬢ちゃん。話が……!」
 話って何?そんな事を思いつつ振り返るとランディがオスカーを引き止めているのが見えた。
 まだ勇気の出ない自分を守ってくれているのだ、と思うとまた少し涙が出てきた。
 とにかく早くここから離れなくちゃ。特別寮の自分の部屋に帰る事も考えたが、それは止めた。
 オスカーのあの勢いでは多分今度は寮まで追ってくるだろう。それよりも、ほとぼりが冷めるまで何処かに隠れている方が良い。何処に行こうか考えながら、足は自然と湖に向かっていた。
 オスカー様の話って、何かしら?
 振り返り振り返り、そんな事を考えていたが答えは見つからなかった。

 あの時と同じく湖は神秘的な光を放ちながら、静かに湖面を揺らめかせていた。
 オスカーに謝ろう。アンジェリークはそう決心していた。
 多分、オスカーの話はアンジェリークが告白した事で起きた、育成の妨げとも言える諸々の事で、きっと彼の事だからあんな言い方をするつもりじゃ無かった、と言うつもりなんだろう。もっと他に言い方があった筈で傷付けるような言い方をして悪かった、とでも言うのだろう。
 オスカーが悪い訳ではないのだから、そんな事はない、と言わなくては。きちんと、迷惑を掛けて悪かった、これからは育成をきちんとするから。迷惑を掛けない様にする、と。
 そう決心すると気持ちが軽くなったのが判る。ランディに勇気を貰ったせいかも知れない。
 揺らめく湖面を見ているだけで落ち着いてきた。
「オスカー様、ごめんなさい。迷惑かけて……」
 謝罪の言葉を呟くと更に落ち着いた。これで、もしかすると今すぐオスカーが来てもきちんと謝れるかも知れない。そう思った矢先に、背後から木立をかき分ける音と共にオスカーが現れた。
「ここにいたのか、お嬢ちゃん。」
「オスカー様。」
 ぱっと立ちあがる。と、逃げるとでも思ったのだろうかオスカーが慌てた様子で近寄る。逃げられない様に。
「逃げるのはもう無しだぜ。さんざん探したんだからな。」
 実際、オスカーの様子を見ればいつも違って焦っている様子が判る。そんなに迷惑を掛けてしまったのだ、と思うとオスカーに対して済まない気持ちで一杯になる。
「お嬢ちゃんに話したい事…いや、謝りたい事があってね。」
「謝る…?」
 予想通りの言葉につい、同じ言葉を繰り返す。
「その……この間はすまなかった。あんな事を言うつもりじゃなかった…」
 躊躇いがちに切り出してみたものの、すぐに額に手を当てて今の言葉を否定する。
「ああっ、違うな!こんな事を言いに来たんじゃない!」
 何時もの自信たっぷりの姿ではなく、何故か困った様な焦っている様な、戸惑っている様な珍しいオスカーの姿にアンジェリークは目をみはった。
 オスカー自身は自分の何時もと違う態度に気が付かないのか、ますます困った様な顔になる。いや、何故か赤い顔をして、言いにくそうにしている。
 オスカー様が謝るなら、私も謝らなきゃ。私の方が悪いんだもの。
 アンジェリークはオスカーの様子を見、勇気を出した。
「あの……オスカー様?」
 手を前に交差させ、落ち着かない様子で続ける。
「この前の事なら、私が悪かったんです……変な事を言ってオスカー様を困らせたりして。」
 言い切ってホッとする。更に謝罪の言葉を続けようとすると、オスカーの焦った言葉に遮られた。
「いやっ、そうじゃない!違うんだ、アンジェリーク!」
「オスカー様?」
 きょとんとするアンジェリークは、オスカーがお嬢ちゃん、ではなく名前で呼んだ事にふと気付いた。いつも、お嬢ちゃん、と呼んで名前では決して呼ばなかったのに。今、彼は自分の事を名前で呼んだ。アンジェリーク、と。
 自信無さ気な態度はオスカーらしくなく、アンジェリークは戸惑うばかりだった。アンジェリークの謝罪も、否定されてどうしたら良いのか判らなくてオスカーの言葉を待つ。
 交差させていた両手をとられ、オスカーの大きな手に包まれる。
 オスカーの手の中で自分の手がいやに小さく感じられる。小刻みに震えていかにも頼りなげで。
「俺は今まで守護聖と女王候補と言う立場を気にし過ぎて、自分の本心に気付かないでいた。間の抜けた話だぜ。他人に言われるまで気付かないでいたんだからな。」
 真摯な態度にアンジェリークは呆然としていた。今の告白は何だろう?自分の本心?  期待してはいけない、と思いつつアンジェリークは次の言葉を待った。
「だから――この間の言葉をもう一度言ってくれないか?」
 ドキン、と胸が高鳴る。
「オスカー様、それって……」
 この間の言葉。この森の湖で。あの時と同じ事を言ってくれ、と頼んでいるのだろうか。
 もし。自分の耳がおかしいのでなければ。オスカーの言っている事が間違いでなければ。期待していいのだろうか。
 頬をうっすらと染め、混乱して言葉の出ないアンジェリークの様子に、オスカーはくすっと笑って、これがあの炎の守護聖だろうか、と思わせる程優しい顔になった。
「いや…やっぱり俺から言わせてもらおう。」
 冷たい筈のアイスブルーの瞳がとても暖かく見え、オスカーの良く通る声がアンジェリークの耳元で囁くように、続ける。
「アンジェリーク、俺の天使……。俺はどうも本気で君に……」
 真っ直ぐに瞳を見詰める炎の守護聖と、涙を溜めた金の髪の天使を、風が優しく包んでいった。

−FIN−

発行物リスト 閑話休題