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「異国の花」 〜異本サクラ大戦3〜その1
列車を下りると、冷たい空気が肌を刺した。
煙突から吐き出される蒸気の湿ったにおいに混じって少し甘酸っぱいようなにおいがする。
───日本とは空気の匂いが違う
異国の地に立ったことを感じながら、大神一郎はコートの襟を合わせると改札に向かって歩き出した。がやがやという喧噪に、駅というものはどこでも一緒だななどと思いながら歩を進める大神の耳に何か鍋蓋でもひっくり返したようなガランガランという音が聞こえて来た。
何事かと振り返った大神は、倒れたゴミ箱とうずくまる一人の少女を見た。どうやらこの彼女はゴミ箱に蹴躓いて倒れたようだ。生来人の良いところのある大神はその娘に手をさしのべた。
「あ、ありがとうございます」
大神に引き起こされる形で立ち上がった少女は衣服に付いたほこりを素早くはたくと顔を真っ赤にして礼を言った。明るい赤の肩の辺りが少しふくらんだドレスに身を包み、栗色の長い髪が頬の辺りで少し内側にカールしている。文句なしに美少女であった。多少おっちょこちょいなところが玉に瑕と言うところか。
「あの、もしかして大神一郎さんですか?」
フランス語は兵学校時代と演習航海の際にほんの少し聞きかじった程度の大神であったが、自分の名らしいものが聞こえたので驚きながらもとりあえずそうだと答えた。
「あ、私エリカ・フォンティーヌと言います。シスター見習いやってます」
「エリカ・フォンティーヌさん?」
「はい、エリカと呼んで下さい」
「エリカ、こんな所にいらっしゃったのね」
「花火!良かったぁ、はぐれちゃってどうしようと思ってたところなの。
あ、でも心配しないで。大神さんはちゃんと見つけといたから」
その言葉に、連れらしい少女はその黒い瞳を大神に向けた。
肩の少し上くらいの艶やかな黒髪のおっとりとした美少女である。花火という名からして日本人だろうか。
「初めまして、大神中尉。私は北大路花火と申します。ここにいるエリカ・フォンティーヌとあなたをお迎えに上がりました」
「北大路花火くん…君たちが大使館のお迎え?」
昔もこんなことがあったなと頬をゆるませて思い出しながらも、大神は花火とエリカにそんな言葉をかけていた。
「はい。まずは大使館で着任の挨拶をなされた後、勤務地まで私たちがご案内いたします」
「君は日本人なんだね。良かったぁ。言葉が通じなかったらどうしようと思ってたんだよ」
「しばらくの間は私が通訳を務めさせていただきます」
「ねえねえ、何話してるの?私も仲間に入れてよ」
「ああ、ごめんなさいエリカ。当座は私が通訳するって事をお伝えしたの」
「そうなの。じゃ早速大使館で用事済ませちゃいましょ」
エリカはそう言って大神の腕を取って歩き出した。
一見おとなしそうな女の子でも、初対面の男の腕を自分から取るなんてやはりここは異国なんだと思いつつ、しかし美少女二人と歩くというのに悪い気がするわけもなかった。
◆◇◆◇◆◇
「「「「「「「「かんぱーい」」」」」」」
大使館での着任報告は滞りなく終わり、大神の身分は大使館付き武官ということになった。しかし実際の任務は起ち上げ間もない巴里華撃団の訓練である。巴里華撃団とは帝国華撃団の成功に目を付けた賢人機関フランス支部が政府に働きかけて起ち上げた対妖魔部隊である。そして帝撃の方法論を取り入れるために実働戦闘部隊花組の隊長であった大神一郎中尉を招聘したのだ。
そんなわけで巴里華撃団の本部である「ムーラン・ルージュ」に連れてこられた大神に最初に手渡されたのはシャンパングラスであった。日本流に言えばかけつけ3杯と言ったところであろうか。
「ようこそ、ムーラン・ルージュへ。私が支配人兼司令官のクロード・シャルパンティエ、こちらが副支配人兼副司令のアニェス・エトゥアールです」
仕立ての良いスーツを着た壮年の紳士が握手を求めながら自己紹介した。
若い頃は甘い美貌であったであろう顔は年齢相応の落ち着きを見せ大人の男としての風格を漂わせていた。その横に立つ副指令は少しいたずらっぽい目をしたブロンドの、あやめと同じくらいの年頃のこれまた美しい女性で、身体に障碍があるらしく歩くときは脚を引き摺るようであった。
「アニェス・エトゥアールよ。よろしくね、大神中尉」
いたずらっぽくウインクしてみせるアニェスに少しどぎまぎしながら大神は姿勢を正して返事を返す。
「日本帝国海軍中尉、大神一郎です。よろしくお願いいたします!」
「ははは、まあそんな堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。私たちはあなたに学ぶわけですから。もっとお楽にして下さい」
「はあ、ありがとうございます」
「それでは早速ですが、うちの隊員達を紹介しましょう」
「エリカ・フォンティーヌにはもうお会いになってますね、シスターの卵だったのを引き抜きました。」
「よろしくね、大神さん」
「そしてこれがグリシーヌ・ブルーメール。誇り高きノルマンディー公家の血を受け継ぐ武の名門ブルーメール家の令嬢です。あなたが来る前までは隊長を勤めていました」
「お手並み拝見いたしますわ」
「ロベリア・カルリーニ、ルパン以来の大泥棒。刑務所にいるところをスカウトしました。」
「ふん。いたくているんじゃないね」
「コクリコ、サーカスの団員だったところを引き抜きました。最年少ですが、芸歴は一番長いです。」
「やっほーっ!仲良くしてね!」
「そして北大路花火もご存じですね。お国の名門北大路男爵家の令嬢です。当分は通訳を彼女に頼むことになります」
「よろしくお願いいたします、大神中尉」
「大神一郎です。私の知る限りのことを教えさせていただきますのでよろしくお願いします」
「それでは改めて乾杯と行こうか」
変わらず生真面目な大神の挨拶に苦笑しながらの乾杯の音頭で場は宴会になだれ込み、大神の巴里最初の夜は更けていった。
(続く)
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