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「異国の花」 〜異本サクラ大戦3〜その2
◆◇◆◇◆◇
戦闘部隊としてのムーラン・ルージュの訓練は翌朝から早速開始された。
乗機は光武F、帝撃に配備されている霊子甲冑光武のフランス仕様である。
ムーラン・ルージュの劇場地下には、霊子甲冑に乗って小規模の戦闘訓練が出来るほどのスペースが取ってあった。
そのフィールドを用いて大神はまず霊子甲冑による基本動作の練習を徹底的にやらせることにした。すなわち、歩く、走る、曲がる、止まるといった動作である。全員が光武を起動できるようにはなっていたが、その動作にはまだまだぎこちないところがあり、また個人差も大きかったからである。
こういった基本動作が最も正確で機敏なのは最年少のコクリコであった。やはりサーカス暮らしが長いだけあって身体の動きを制御することにかけては一日の長があるようであった。
その次が武の名門に生まれたグリシーヌ、ルパン以来の大泥棒と言われるロベリア、少し遅れて弓道をたしなむ花火が続く。そして、一番遅れているのがエリカだった。
「やってられないね!あたしは上がらせてもらうよ」
「戻れ、ロベリア!」
ロベリアの光武が隊列を抜けてフィールドを離脱しようとするのを左にサイドステップして止めようと大神が動いた時、ロベリアは素早く光武を切り返し左、すなわち大神から見ると右側から抜けた。訓練も一ヶ月目に入り、スピードならコクリコをも抜いて一番になっていたロベリア機ならではである。
「へん、ちょろい、ちょろ………!!!」
ロベリアは歴戦の勇士である大神を振りきったことに優越感を覚え後ろを振り返った。だが後ろにいるのはあわててロベリアを追いかけてくるグリシーヌ以下巴里花組の姿だけだった。
ガン!
後ろを振り向きながら走るロベリアの機体が何かに当たって止められた。前を振り返るとそこには大神の白い機体があった。
「バ、バカな!あたしは確かに振り切った筈だ!」
「訓練に戻れ、ロベリア」
ロベリアの機体の腕をつかみながら大神が話しかける。
「あ、あんた一体どうやってあたしの前に出たんだ?」
大神はロベリアのフェイントに素早く反応し機体を反転させるとロベリア左後方の死角に飛び込んで追走していた。そしてロベリアが自分の存在を確認するために右後方を振り返る動作にあわせて前に飛び出しロベリア機を止めたのだ。
「そんなことはどうでもいい。花組の戦いで一番大事なのはチームワークなんだ。勝手な真似をするんじゃない」
「はん!チームワークが大事だって?冗談じゃないね!そういう事はあの鈍くさいのなんとかしてから言ってくれよ」
ロベリアの指さす先には他のメンバーから遅れて駆けつけるエリカがいた。
「確かにエリカくんはみんなより少し遅れている。だが確実に進歩してきているんだ」
「ふん、そんなの待ってられないね。あたしはあたしの好きにやる。元々いたくてここにいるわけじゃないんだ」
そう言い捨ててロベリアはさっさと引き上げてしまった。追いかけようとする大神にエリカが声をかける。
「ごめんなさい、大神さん。ロベリアを責めないで。私、もっと練習して必ずみんなに追いつきますから」
「エリカくん…」
気まずい雰囲気の中、その日の訓練は中断された。
◆◇◆◇◆◇
少し空気に暖かみが増し、月もおぼろの5月の夜。
いつものように夜の見回りをする大神の耳はかすかな異音を捉えた。
「これは一体?」
まさかと思いつつ、大神が地下の演習フィールドに降りていくとそこには黙々と歩行、駆け足、停止、反転といった基本動作を繰り返すエリカの光武があった。
大神は自分の光武を素早く起動させるとフィールドに降り立つ。
「つきあうよ、エリカくん」
「大神さん」
「いいかい?ダッシュの時のステップは…こう。後ろ足を強く踏んだ反動を利用すると素早くやれるんだ」
「はい!」
大神は少し不器用なエリカにちょっとしたコツを教えながら根気よく反復練習をさせた。
みんなと一緒の訓練ではエリカだけにかまけるわけにはいかないので、これは良い機会であった。
エリカもまた生真面目に取り組み、30分が過ぎる頃には動きもずいぶん滑らかになってきた。
「よし、今日はここまでにしよう。もうずいぶんと遅い時間だよ。身体を壊しちゃ元も子もないからね」
「はい、ありがとうございました」
「うん、じゃおやすみ」
「あ、大神さん!…少しいいですか?」
「何だい?」
光武から降り立った二人は訓練準備室に腰掛けた。
「いえ、ただ嬉しかったんです。なんかこうこんな私なんかでも気にかけてくれる人がいて」
「そんなの、隊長として当然だよ」
生真面目な大神の答えにほんの少し残念そうに笑いながらエリカは話し出した。
「私って修道院にいるときからドジばっかりで、いつも院長や上のシスター達に怒られてました。
まあメゲないのだけが取り柄って感じだったんです。でもそれだけじゃいけないと思って…
それでここに誘われたときに何かつかめるかもしれないと思ってお話をお受けしたんです。
でも結局ここでも同じ事でした。相変わらずドジばかり。今日もみんなに迷惑かけちゃったし。
私なんていない方がいいのかな、なんて思いもしました。でも、ちょっとずつ楽しくなってたんです。
みんなとの生活とか訓練とかが。だから辞めたくない。
そう思うといてもたってもいられなくなって…」
「うん、分かるよ。俺も東京の帝劇にいるときに同じように思ったことがあるんだ。
花組のみんな───あ、帝劇の花組だよ───は妖魔と戦いを繰り広げながらも
人々に夢を与える舞台の仕事をしていた。俺にはそんなことは何もできないって、
正直かなり焦っていたというか落ち込んでいたんだ」
「大神さんが?なんか信じられないな。それでどうやって立ち直ったんですか?」
「うん、結局そんな俺を心配した花組のみんなが俺に舞台を企画してみろと言ってくれてね。
素人だからみんなに助けてもらいながらも舞台を作り上げることができたんだ。お客さんもその舞台を喜んでくれてね。
嬉しかったなぁ。結局何もかも一人で出来る人なんていないんだよ。だから仲間で助け合うことが大事なんだ」
「素敵な人たちだったんですね、なんか羨ましいな」
「羨ましがってる場合じゃないぞ。これからここでそういう部隊を作って行くんだ、俺達みんなでね」
「はい、なんか元気出ました。話せて良かったです。じゃ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
───本当に優しい人、…そして強い。でも…。
大神とエリカの様子を見守っていた人影はそう呟いた。
◆◇◆◇◆◇
コンコン
おそらく大神が昼間のフォローのために訪れたのであろう。
「ロベリア、いいかい?大神だけど」
「………」
コンコン
「ロベリア?…返事がないな。もう、寝ちゃったのか。仕方ない、明日にしよう」
大神の足音が遠ざかって行く。
───ちくしょう!何だってんだ!
ロベリアは堅いベッドに身を投げ出しながら悪態を吐いた。監獄暮らしが長い所為でふかふかのベッドは性に合わなかった。
だが今はその堅さすら何か居心地悪い。
原因は分かっている。昼間のことだ。
───このあたしがいいようにあしらわれた
スリを特技としてありとあらゆる犯罪に手を染めた自分、ほんのささいなミスさえなければ当局に捕まることなどなかった自分。
弱い者達からは決して何も奪わない。彼女が相手にするのは強い者だけ。そして彼女は勝ち続けてきた。たった一度を除いては。
だが昼間の出来事はそんな彼女の誇りをいたく傷つけたのだ。
───慢心があったのか?いや、それにしてもあいつの動きは全く分からなかった
その上、自分の仕事が終わった後にもフォローに来る。完敗だった。
これでは自分はエリカを笑えない。レベルこそ違え、自分もまだ大神に遠く及ばないことを思い知らされたのだ。そしてそんな自分がエリカを嗤ってしまったことに自己嫌悪を感じていた。
どうすればこの気持ちが収まるのかも分かっている。エリカに謝ればいいのだ。だが、長く世をすねて生きてきたロベリアにとって、人を疑いもせず一所懸命にがんばるような娘に謝るのはなかなかに難しいことだった。
それに…。
───とりあえずあいつを負かすことだ。そうすれば気持ちも晴れるさ
本当はそうでないことを知りつつロベリアは堅いベッドの上で寝返りを打った。
◆◇◆◇◆◇
裏庭の方から話し声が聞こえてくる。
こんな夜遅くに一体なんだろうと不思議に思いながら大神は声のする方へと歩いていった。
前方の暗がりに小柄な人影が見える。どうやらコクリコのようだ。だが話し相手は見えない。まさか幽霊とでも喋っているのか?と、あながちあり得ない話でもない想像をしながら近づいていった。
「何をしているんだい?」
「ああ、隊長。お話ししてたの」
「は、話って誰と?まさか幽霊?」
「あはは、違うよぉ。この子とお話ししてたの」
そう言ってコクリコは掌を差し出した。その上で白いハツカネズミが両手を垂らして立ち上がり首を傾げて目を瞬かせた。
「あ、ああネズミかぁ。君が飼ってるのかい?」
「飼っているっていうか友達だよ。いつも色んなことを話すんだよ。
…はい、隊長に挨拶なさい」
その言葉にハツカネズミはぺこりと頭を下げて、ヒゲをひくつかせた。
「あ、これはご丁寧に」
そのあまりの見事な礼に大神も思わず頭を下げていた。それを見てネズミがキキッと鳴く。
「どうやらこの子も隊長のこと気に入ったみたい」
「ははは、そりゃ良かった。でももう遅いから寝るんだよ」
「はーい」
「よし、じゃ俺は見回りに戻るから」
「おやすみなさい隊長」
手を振りながら大神は裏庭から立ち去る。
「ホントにいい人だよね」
そう言いながら少し寂しそうに頭を撫でるコクリコにネズミはチチッと答えた。
◆◇◆◇◆◇
コンコン
「どうぞ」
「お邪魔します」
花火は大神に椅子を勧めるとお茶を淹れに立った。
浅い湯飲みに玉露の葉を一匙。
まず一杯目は温めのお湯を注ぐ。
ふたをして軽く揺すると1〜2分で玉露の甘い匂いがふくらんだ。
「どうぞ」
「いただきます」
蓋をずらしてお茶を飲む。低温で出した玉露は甘い。
二杯目も同じくらいの温度で。
三杯目はやや高めの温度のお湯で淹れる。やや苦みが出てくる。
四杯目を待つ間にお茶菓子を頂く。
四杯目はかなり高温のお湯を注ぐ。
「ふう。やっぱりお茶は落ち着くね」
「そうですか?良かった」
「でも変わった飲み方だよね」
「九州の方に伝わる飲み方なんですよ」
「へえ、そうなんだ」
「さあ、じゃあ始めましょうか」
一服の後、大神は花火からフランス語の手ほどきを受けた。この勉強会は大神が着任した翌日から続けられている。おかげで今では簡単な日常会話なら全く不自由ないくらいまで大神のフランス語は上達していた。元々語学教育の盛んな海軍兵学校を主席で卒業した男でもあり、また必要に迫られているものだからその上達ぶりは目を見張るほどだった。
「そろそろ卒業ですわね。もう私のお教えすることは何もございません。
本当にお上手になられました」
「そうかい?嬉しいな。でももうこのお茶が飲めなくなるのは残念な気もするね」
「お茶くらいでしたらいつでもどうぞ」
「ありがとう、また寄らせてもらうよ。じゃ」
「おやすみなさい」
大神が出ていった後、茶器を片づけながら花火はふっと寂しげなため息をついた。
◆◇◆◇◆◇
支配人室でクロードと向き合う影がある。
デスクライトの光が照らし出すのは、豪奢なブロンド。
人影はグリシーヌであった。
「なるほど、大神中尉は着々と我らが花組の信望を得つつあるということか」
「はい。光武の扱いはもとより生身の戦いにおいても相当の実力であると思われます。
それに加えて細やかな心遣いも忘れないあたり、実際の戦闘指揮においてもほぼ理想的な上官だと推測されます」
「ずいぶん高く買ったものだね。だが武の名門ブルーメール家の次期当主である君がそういうのだから戦闘力は実際かなり高いのだろうな。で、肝心の霊子甲冑戦の戦術訓練はまだなのかね?」
「はい、エリカの光武運用がまだ水準に達していませんので」
「…エリカか。困ったものだな。まさかサボタージュではあるまいな。
彼女は最後まで計画に反対していたことだしな」
「いえっ、大丈夫です。先ほど大神中尉が時間外訓練をエリカに施していました。
エリカの動きも大分良くなってきたようです。
…それに私とて、別に賛成しているわけではありませんわ」
「グリシーヌ、最後の言葉は聞かなかったことにしよう。…下がってよろしい」
「失礼します」
グリシーヌは優美に一礼すると支配人室を後にした。
───ふう、困ったものだ。ミイラ取りがミイラになるか
(続く)
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