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「異国の花」 〜異本サクラ大戦3〜その3
◆◇◆◇◆◇
中天の赤い月に雲がかかる。
ノートルダム大聖堂の屋根に射す光がサッと翳った。
その影の中に蠢く者がある。
その人影は両手を組んで合掌すると低い声で何事かを呟くとかき消すように姿を消した。
やがて屋根を飾る魔獣の彫り物が細かく振動しだし、その表面に無数のヒビが入ったと見るやパラパラと崩れ落ちた。だが台座には黒い影がうずくまっている。
ぎぃやっ、ぎぃやっ
獣のような、あるいは鳥のような鳴き声を上げながら屋根から飛び降りるその影を再び顔を現した月が照らし出す。
は虫類とも鳥類ともつかぬ大きなくちばしを持つ顔にぬめぬめとした皮膚に覆われたこぶだらけの身体、背にはコウモリのような翼が生えている。
ガーゴイル。
本来は大聖堂を護るため魔を以て魔を制すべく屋根に飾られている魔物の石像が命を得たのだ。クンクンと空気のにおいを嗅ぐような仕草をしたガーゴイルの口元から卵の腐ったようなにおいの唾液が滴り落ちると地面からじゅっと白煙が上がった。
ガーゴイルはバサバサと翼を羽ばたかせると再び屋根の上に舞い上がり、そこからじっと下を窺う。下の道路を仕事帰りに一杯ひっかけた職人が歩いて来た。ガーゴイルは翼を広げると道路に向けて滑空し、職人の身体に体当たりをして気を失わせると、その腕でしっかりと職人の身体を抱きかかえると再び屋根に舞い戻った。
ぎゃっ、ぎゃっ!
やがて悲鳴と何かを引き裂き咀嚼する音、しゅうしゅうと酸が何かを焼く音がひとしきり続いた後、ガーゴイルは満足げに身を起こした。その身体がぶるぶると震え出すと腹がぼこんと膨れ、その膨らみが腹から胸へ、胸から気道を通って移動していく。ガーゴイルは、うろうろと動き回り自分が元いた台座の前に立つと、蛇がするように口を大きく開き粘液性の唾液と共に卵を台座の上に吐き出し、奇声を上げながら夜空へ舞い上がりいずこへかと飛び去った。残るは台座に粘液でしっかり固定され、ぬらぬらと月光を反射させている卵のみ。
やがて吹き出した風にどこかの骨の欠片が屋根を転がり道路に落ちて乾いた音を立てた。
◆◇◆◇◆◇
「ただいま戻りました」
「うむ」
「ですがよろしいのですか?シャルパンティエ様のご報告からするとまだ早いかと存じますが」
「かまわぬ!承知の上だ。霊子核機関などという紛い物は叩きつぶす方が良いのだ。全くクロードのお調子者めが!
あんなものがあればそれこそ誰にでも霊力が使えてしまうではないか!全ての霊力は選ばれし者が管理すべきなのだ。
…それに大神という男、ゆくゆくは我らの道を塞ぐ者となるやもしれぬ。芽は早いうちに摘むのがよい」
「御意」
最後は独り言のように呟いた部屋の主に一礼すると人影は姿を消した。
◆◇◆◇◆◇
最初に異変を感じたのは乳母車の中の赤ん坊だった。母親の買い物に連れられて乳母車から空を見上げる青い瞳に禍々しい異形の怪物の姿が映ったのだ。それが何という生き物かは分からないながらも本能的にその不吉さを察知したのだろう。赤ん坊は火のついたように泣き出した。
ぎぃやお!
まるで赤ん坊の泣き声に応えるように空の上から不吉な鳴き声が返ってきた。それは通りを歩く人々の耳にも届き、そのうち何人かは空を見上げて悲鳴を上げた。
一体のガーゴイルが旋回しながら奇声を発していた。やがてその声につられるようにどこからか集まってきたガーゴイルは刻一刻とその数を増やし始める。
それらにとって狩りの時間が始まろうとしていた。
大神一郎が空を黒々と埋めるガーゴイルの姿を見たのは、たまたま出ていた買い物の途中だった。
「あ、あれは何だ?降魔のようにも見えるが。とにかく、急がなくては!」
大神は買い物袋を投げ出し、ムーラン・ルージュに向けて走り出した。
◆◇◆◇◆◇
「何?シャンゼリゼにガーゴイルが?何故だ!早すぎる!」
「クロード!出撃命令を!」
「何を言う、グリシーヌ!君たちはまだつい先日戦術行動訓練に入ったばかりだろう?まだ無理だ!下手なことをして機体を失っては元も子もない!」
「そんなことを言っている場合ですか!星組なき今、巴里であのような魔物と戦えるのは私たちしかいないんです!」
「霊力もないのにあんな化け物と戦うというのか!無茶だ!」
「確かに私たちには霊力はありません。だけど、光武Fはそのためにこそ開発された機体の筈でしょう?霊力のない者でも妖魔と戦えるようにと!」
「それはそうだ。だがまだ早すぎる!訓練もなしでは奴らにやられるのが関の山だ」
「私はヴァイキングの誇り高きブルーメールです。敵を前に逃げることなど!」
「分かってくれグリシーヌ。私は君たちを失いたくないんだ。
巴里華撃団発足の準備期間からずっと君たちを見てきた私には分かる!
君たちは例え霊力はなくともそれぞれが本物の才能にきらめく少女達だ。
それをむざむざと死に追いやるような真似は私にはできない」
「それはどういうことですか?」
突然の声にクロードとグリシーヌは不意を突かれぎょっとして振り向いた。
その先には大神一郎が白晢の面に毅然とした表情を浮かべて立っていた。
「大神…」
「グリシーヌ達に霊力がないって?クロード、どういうことか説明して下さい!」
「…聞かれてしまったか。
ふう…致し方ない、君ほどの男ならささいな疑念からいずれ真実を探り当ててしまうだろうからな。
そう、聞いた通り巴里華撃団花組のメンバーには全員霊力がない。
というよりも彼女たちは本物の花組の隊員ではないのだ。
彼女たちはダミーなんだ。データを収集するためのね」
「データ?!」
「 君の乗機を除いて光武Fは乗員の霊力で動作するのではなく霊子核機関で動作するのだ。
これによって霊力のないものでも妖魔と戦うことが出来る。だが自分の霊力で動く物ではない故どうしても動作に遅延が生じるし、
霊力攻撃を行う際には乗員の意志と霊子核機関から霊力を取り出しシンクロさせるための余分の回路が必要だ。
その複雑な操作を会得するには大変な時間と才能が必要だ。その負担を軽くするために光武Fには超小型高性能蒸気演算機が取り付けられている。
訓練によって会得した機体運用技術や霊力攻撃技術をこの装置に記憶させれば、乗員が変わっても同じ動きが可能となる。」
「すると私はそのデータ取りの訓練のために呼ばれたということですね。それなら最初からそう仰って下されば良いのです」
「そうは行かない。これは賢人機関フランス支部の極秘プロジェクトなのだ。外に漏れては困る。だから君には普通の霊力部隊を指揮すると思ってもらわなくてはならなかった。
それが彼女たちをダミーにした理由だ。男性で君ほどの霊力を持つ人材はそうはいないからね」
「君たちは知っていたのかい?」
大神はグリシーヌを振り向いて尋ねた。
「わ、私は………はい、知っていました」
最初は慌てて、そして最後は消え入るようにグリシーヌが答える。
「…そうか。みんなで俺をだましていたってわけだな」
「そ、それはそうなんですが、私たちは…」
「いいよ、俺の目だってまるっきりの節穴ってわけじゃない。君たちが実際に素晴らしい才能を持っていて、
いい子達であることは一ヶ月と半分一緒に過ごしたんだから分かるさ。
そんな君たちがこういうことをした以上、何か理由があるんだろう。だからそれは訊かない。
まあちょっぴり傷ついたのは事実だけどね」
大神は少しおどけてそう言うと、表情を引き締めクロードに向かう。
「部外者の私に説明して下さってありがとうございます。事情は分かりました。
彼女たちに出撃させるわけにはいきません。私一人で出撃します。」
「君一人で?いくらなんでもそれは無茶じゃないか?」
「他に何か方法がありますか?こうしている間にも罪もない人々が妖魔に襲われているかもしれない。
今巴里の街を守れるのは私しかいないのです!」
そう言って大神はきびすを返す。
いつの間にかドアの所に巴里花組のメンバーが集まっている。
「やあ、みんな。ちょっと行って来るよ」
「大神さん!」
「心配するな、エリカくん。すぐに片づけて帰ってくるさ」
追いすがるエリカに微笑みながらそう言うと大神は走り去った。
「私、部屋で神に祈ります。私にはそれくらいしかできないから」
エリカは元気なくそう言うと部屋に引き取り、他の面々もそれにならって気重そうに自分の部屋に帰っていった。
「ふう、私とて少々心苦しいのだ。彼があれほど良い男でなかったら気も楽だったろうに。それにしても一体なぜこんなに早くガーゴイルが…まさか機関が…」
一人残ったクロードは支配人室の椅子に深々と身を沈ませた。
(続く)
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