遠くの方から声が聞こえる。 どうやら子供達が騒いでいるようだ。 「はて、何を騒いでいるのか」 粗末な身なりの男はゆっくりとそちらへ足を運んだ。 「このっ、このっ」 「やーい、やーい」 「お願い、やめて」 「うるせえっ、この化けもんがぁっ」 数人の子供達が蹲る一人の少女をいじめている。 男は少し早足になると、子供達に声を掛けた。 「おーい、やめないか。大勢で一人をいじめるなんて卑怯だぞ」 「やべっ、お上人だっ、逃げろっ!」 子供達は振り向き、男の姿を確認すると一目散に彼方へと逃げ去った。 少女は蹲ったままだ。 「大丈夫かな」 お上人と呼ばれた男は少女を助け起こした。 「ありがとう」 少女はその六本の手で大事そうに仔狐を抱えていた。 腹を空かして里に降りてきた仔狐が子供達に見つかって虐められていたのをかばっていたのだ。 「よしよし、優しい子じゃのう。どれ、傷の手当をしてやろう。儂の家に来るがよい」 男の名は一真(いっしん)。 若いながらもこの地では高名な仏師である。 少女は頷くと一真の後について行った。 「これでよし。傷は大したことがないからすぐに良くなるだろう。お前もその仔狐もな」 「ありがとうございました」 「いやどういたしまして」 一真は少女を見つめる。ハッキリとした顔立ちの美しい娘だ。 何よりもその心根が優しい。一真の眼にはその六本の腕は全く気にならなかった。いや、むしろその腕が観音力の具現のように思えさえするのだ。 「のう、礼代わりにわしの頼みをきいてはくれまいか」 「私にできることだったら」 「うむ、簡単な事じゃ。わしにお前の姿を写させて欲しいのだ。お前を見ていると何か無性に観音様が彫りたくなった。どうだろう、引き受けてくれるかな」 「私なんか」 「いや、お前でなくてはならんのだ」 「………それほどまでにおっしゃるのなら」 「おお、引き受けてくれるか。ありがたい。では早速そこに座ってみてくれ」 一真は少女を座らせると、画帳に筆を走らせる。先ほどまでの柔和な表情は真剣な眼差しに取って代わられていた。 無言の時が流れる。 だが、少女にはその時が少しも苦にならなかった。不思議と心が落ち着くのだ。 「ありがとう、今日はもう良いよ。彫り上がったら知らせるから」 そう声がかかったときは少し残念な気がしたくらいだ。 一真は木塊を前に眼を閉じて何かを探しているようだ。 少女は黙って立ち上がると礼をして粗末な小屋を出た。 一真は寝食を忘れて仏像を彫り続けている。 これはいつものことであった。 いつもと違うことと言えば少女が一真の家に出入りし、掃除洗濯から食事の支度までをこなしていることである。 少女は一真が仏像を彫る姿が好きだった。 見つめているだけで何か暖かな気持ちになるのだ。 両親を亡くしてから感じる初めての幸せだった。 そしてついに千手観音像が木塊から彫り出された。 その立ち姿は限りない慈愛に満ち、大きな六つの腕にはそれぞれに小さき生き物達を抱えている。そして顔は穏やかな微笑みを浮かべる少女のものであった。 「ようやく観音様を彫り出すことが出来たよ。お前のおかげだ。ありがとう」 一真は少女の手を取り微笑む。 私もこの仏像のように成りうるのか。いやこのようになりたい。この人の側にいればきっとなれる。 幸せだった。 限りなく幸せだった。 だが不安になる。 こんな幸せが長続きするはずがないと。 そしてその予感は正しかった。 どんどんどん! 戸板を叩く音がする。 少女はつと立ち、戸板を開ける。 戸板の向こうには、松明を灯した村人が大挙して押し寄せていた。 「やっぱり、ここにいやがった」 「おめえ、こんなところで何してる」 「お上人様のお手伝いを」 「ずっとか?」 「はい」 「そんなことないよっ、その化け物はうちの子を誘って滝壺に落とそうとしたんだ」 「! 私、そんなことしてません!」 「嘘言うんじゃないよ、な、正吉!確かにこいつに怪我させられたんだよな」 「…うん」 嘘であった。 少年は母親から遊ぶのをとめられていた滝壺近くで遊んでいて怪我をしたのだ。 母親に問いつめられた少年はとっさに少女が少年を無理矢理連れだして怪我をさせたと訴えたのだ。 母親はそのことを村人に言いふらす。元々、少女に対する偏見を抱いていた村人は少女を血祭りに上げようと大挙して押し寄せたのだ。 「やっぱりだっ!やっちまえ!」 「待ちなさい!」 「お上人様」 「私は僧ではない。ただの仏師です。だが皆さんがそう呼んで下さるのはありがたく思っています。それはみなさんが私を仏に仕える身だと認めて下さっているからだと思うからです。その私が保証します。この子は私が仏像を彫り出す間ずっと私の面倒を見てくれていました」 「するってえとお上人はうちの子が嘘をついてるって仰るんですか!」 「そうは言いません。ただ何分にも子供のこと。勘違いもあるのではないかという事です」 「納得いかないねぇ。そういえばお上人はずいぶんこの娘に入れあげているようだけど、そういうことなんじゃないのかえ?」 「!?」 下卑た笑いを浮かべた母親はそう言うと一真が先ほど彫り上げたばかりの観音像を見やるとその顔を指さして言った。 「ほら、みんなご覧。お上人はこともあろうにこの化け物の顔を観音様の顔にのっけてるよ。これはどういうことだろうねぇ。………きっとお上人はこの化け物に魅入られてしまってるんだよ」 「そうだ、そうだ。ここにいるのはもうお上人じゃねえ。化け物の仲間だ」 「やれ」 「やれ」 「やれ」 「やれ」 村人達の眼が異様な光をたたえ始めた。 狂気。 血の渇望。 農村の暮らしは決して楽ではなかった。華やかな都会の繁栄の裏に搾取される農村の姿があった。そして弱き者が強き者に反旗を翻すことは稀である。むしろ弱き者はより弱き者にその怒りをぶつけるのだ。 村人は狂ったように少女に打ちかかる。一真がかばおうと前に出る。村人達の得物が一真の頭を捉えた。 吹き上がる鮮血。 その血に酔った村人は次々と一真に襲いかかる。 一真の身体が無惨に打ち砕かれていく。 少女は身動き一つ出来なかった。 狂気に駆られた村人達は一真の彫り上げた仏像をも打ち毀す。 破片が飛び散る。 彫り出されたばかりの観音像は無惨に切り刻まれていった。 そして村人達が少女に襲いかかろうとしたその刹那。 雷鳴轟き一真の粗末な小屋は崩壊した。 慌てふためく村人の前に現れたのは黄金色の魔繰機兵だった。 その機体からあふれ出す気によって村人の動きが止まる。 「な、なんじゃあれは」 「身体が動かねえ」 「ひいっ」 「どうなってるんだっ」 黄金色の機体の後ろから総髪の男が歩み出た。 男が声を発す。 「生きる意味さえ知らぬ虫けら共よ。汝らの罪を知れい」 「ひいっ、助けて。わしらは何にも悪いことはしとらん」 「そうじゃ、そうじゃ。化け物を征伐しよっただけじゃ。わしらは何にも悪くない」 「………。少女よ。汝にこの者共の命を預けよう。汝が殺せと言えば、私はこの者共を殺すであろう。汝が助けよというのであれば私はこの者共を解放するであろう。少女よ。汝の答えや如何」 「ひいっ、悪かった。わしらが悪かった。この女の口車に乗ってしまっただけなんじゃ。わしらは初めからお前のことを悪くなんて思っていなかった」 「そうじゃ、そうじゃ、この女が悪いんじゃ。この女を差し出すから好きにしてくれ」 「わしらは踊らされただけなんじゃ」 醜いっ! 「助けてくれ。わしらは悪気はなかったんじゃ」 醜いっ!人間共っ! 「この女はわしらが始末する。だからわしらは助けてくれ」 醜いっ!保身のために仲間さえ売り、崇めていた人さえ手にかける! 「ひいっ、わしらは何にも悪くないんじゃぁっ!」 「………。殺して下さい」 「てめえっ、やっぱり化け物だっ。人の心が分からねえのか」 「お前なんてもっと早く殺しとくべきだったっ!」 「化けものっ!」 「なんで何にも悪くないわしらが死ななくっちゃいけないんだ」 「承知。やれ金剛」 「はっ」 「てめえら、はっきり言って見苦しいぜっ!てめえらなんぞ手に掛けたくはねえがご命令とあれば仕方ねえ。せめてもの情けだ一発で殺してやるぜ。鬼神轟天殺!」 閃く落雷が村人達を焼き尽くした。 「少女よ。私と共に来よ。汝が望むのなら力を与えよう」 少女の心は決まっていた。 そして足を一歩踏みだそうとしたとき、その歩みを止めようとするかのようにつま先に何かが当たる感触がある。 それを拾い上げてみる。 木の欠片。 一真の彫った仏像の欠片だ。 少女の歩みが止まる。 眼を閉じ欠片を胸に抱きしめる。 だが数瞬後、欠片を手に握りしめたまま、心を決めた少女はその一歩を踏み出した。 (了)
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