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「帝国怪異譚・人形師」その2



 神崎すみれはいいようのない不安を感じていた。
 知らず心臓の鼓動が早くなり、掌にはいやな汗がにじんでいる。

「なんですの?この神崎すみれが怯えている?」

 そう、その鬼の放つ気は通常の人間や霊力感知能力の低い者にはそれほどではなくとも敏感な者には恐れを抱かせざるを得ないほど巨大なものだった。
 それが一秒一秒近づいてくる。

「せめて光武があれば。………でもそんなことを言ってはいられませんわ。…少尉、わたくしに勇気を」

 すみれは震える自らの肩を両腕で抱き一瞬目を瞑る。
 やがて開いた眼には決意の色が表れていた。
 長刀を手早く組み立て終わるころにはもう身体の震えは止まっている。

 じゃり。

 すみれの構えは鉄壁の守りを誇る神崎風塵流奥義「火蝶陣」。
 元来が華麗な攻撃を得意とするすみれが守りの陣を布くことの意味を考えれば鬼の実力恐るべし。
 またその力を正しく認識し、つまらない誇りを捨て去ることの出来るすみれもまた修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の勇士であった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


ぐっ、ぐるっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ。

 闇が凝結したような影が帝都の町並みの屋根の上を駆ける。
 その肉体の圧倒的な質感とはほど遠い軽やかな動きだった。

「待っておいで……今、見つけて上げるからね」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 鬼の家に影二つ。
 一つは帝国華撃団月組隊長、加山雄一。
 そして傍らに佇む黒づくめの袴姿の盲目の美少年、まだ前髪の残る艶やかな黒髪が金刺繍の陣羽織の肩まで届いている。
 帝国華撃団夢組の霊視のエキスパート、十六夜幻之丞であった。

「闇が濃いですね。………中でもこの奥の部屋が酷い。………人形か」

 そう呟くと幻之丞は奥へと歩を進める。盲目でありながらその歩みには些かの遅滞もない。加山は黙って後につく。

 バズン!

 バズン!

 バズン!

 次々と襖を開けて行くと、加山の目にさえ闇は濃くなっていくようであった。

 バズン!

 最後の襖を開けたとき、加山は思わず息を飲んだ。
 部屋の中央には一体の人形が置かれている。
 暗くてよくは見えないが、その部屋に漂うのは明らかに血の臭いであった。
 幻之丞はいささかの迷いもなく、部屋に踏み入れると人形に触れる。

「………哀しいね。………これは儀式だ。先の大災厄で亡くなった自分の子供を蘇らせようとしているんだ。人形と生け贄を使ってね」

 幻之丞に何が見えたのか、その面には深い哀しみの色があった。
 その言葉に加山の頭の中で全てがつながった。

 面差しの似た子供達。
 人形。
 血の臭い。
 蘇りの儀式。

 思わず嘔吐感がこみ上げてくる。

「哀しいね。………だけどこんなことは許されちゃいけないんだ」
「ああ、その通りだ」
「大神隊長の下に急ごう。…おそらくこの人形が鍵になる」
「?」

 二つの影は、新しい小さな影を背負い闇に消えた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 来た。

「神崎風塵流奥義・火蝶陣!」

 その声と共に地面から扇がひらひらと浮き上がると、炎の蝶と変わる。
 まとわりつく炎の蝶に鬼は地面にまで追い落とされた。
 鬼の素早い手の動きも炎の蝶はひらひらと避け、容易に捕らえることはできない。
 鬼の進路を炎の蝶が遮り、蝶に触れる鬼の身体は霊力の炎に焼かれて爛れてしまう。
 蝶を落とそうと動く鬼の姿が時折触れる炎に赤く照らし出された。
 その様は薪に照らされた舞を見ているかのようであり一種の夢幻的な美しささえ感じさせる。

 だが、すみれは懸命であった。
 少しでも気を緩めると鬼は陣を突破してくるだろう。
 もちろん、火蝶陣は二段構えである。
 炎の蝶を突破してきても、すみれの長刀の間合いに入った瞬間に霊力を込めた一撃が見舞われることになる。
 それを喰らえば滅することは免れず、避ければまた火蝶の陣内に取り込まれる。
 はずであった。
 だが、この鬼の力は余りにも強い。
 身体が焼けるのも構わずに強引に陣を突破してきた。
 その迅さはすみれの一撃が追いつかないほどであった。
 中途半端な長刀の一撃はあえなく跳ね飛ばされ、すみれは地に横たわる。
 すみれを倒さぬ限り子供をさらうことができないと見極めたのか、すみれに止めの一撃を加えるべく鬼は身体を撓めた。






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