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「その名の下に」〜荒鷹〜その1
───カチカチカチ
鍔鳴りに何事かを感じ荒鷹を手に庭に出た真宮寺一馬は、澄み切った夏の夜空に一筋の光が流れるのを見た。
それは一つの運命の終わりを告げる流れ星。
「隼人落つ…か。一度剣を交えてみたい人だった」
一馬はスラリと剣を抜く。
右袈裟、逆袈裟、薙払い、上段からの打ち下ろし、………。
ヒュンヒュンと剣が空気を裂く音はもの哀しく響く鎮魂の調べ。
一度として会ったことはない人だった。
だが同じ宿命の血を持つ者として、そして天才と謳われた剣士として、「隼人」の死を心から悼みながら一馬は剣の舞を舞う。
「私は死なない。この宿命をきっと乗り越えてみせる。生まれ来る我が子のためにも」
チンと剣を収めそう呟く一馬の頭上で星々はその光を増したように見えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから五年。
季節の移り変わる間に日露は正式な講和条約を交わし戦は終結した。
日本の「勝利」以後、ますます町は活気に満ちあふれその境を膨張させていった。
だが地上が喜びにあふれるほど地の底に潜む降魔と呼ばれる者達の地上への渇望も大きくなる。地上の人々の喜び、悲しみ、怒り、嫉妬などのエネルギーが大きくなればなるほど闇に潜む者達のエネルギーも大きくなる。
日清、日露と相次ぐ戦勝にわき返る地上の影響を受けて、この時期地中からの内圧は確実に高まっていた。
この状態で帝都の封魔陣にわずかでもひび割れが生ずればたちまち魔物達は地上にあふれ返るであろう。
そしてそのひび割れが生ずるのも時間の問題であった。
なんとなれば帝都は日々膨張し、徳川家の施した封魔陣を補強した明冶政府の封印ですらその巨大なエネルギーを抑えることは不可能になりつつあったのだ。
光あるところ陰あり。
そして陰に魔は育まれる。
まさに人の営みと魔は一体不可分であると言えよう。
であるから後に降魔戦争と呼ばれることとなった災厄の引き金になった者を責めることは誰にもできない。
その男は日々の仕事の帰り道にビールを一杯引っかけるのが好きな平凡な男。新しいもの好きの男はその日も新発売になった「サクラビール」を試すために居酒屋に立ち寄った。
そのビールがよっぽど口にあったのかついつい量を過ごした千鳥足の帰り道、尿意を催した男は道ばたの石に向かって小便を引っかけた。
冬の外気に勢いよくほとばしる小便の湯気が白い。
ぴきっ!
小便をかけられた石が金属的な音と共にまっぷたつに割れると得体の知れない黒い瘴気が噴き出し男の身体を包んだ。
もちろん冬の外気に冷やされた石が小便の熱に暖められた結果の熱ショックのために割れたのではない。その石は帝都封魔陣の一角を担うものであったのだ。本来は道ばたにあるようなものではないのだが近年の開発のために森の奥深く帝都を守ってきた石は路傍にその姿をさらすことになっていた。地元の者ならいざ知らず新しく拓かれた住宅地に越してきた新参者の男にその石の意味など分かろうはずもなかった。その聖性が小便によって汚されたために石は封印としての力を失ない地中からの内圧に耐えられなくなったのだ。歯止めを失った瘴気は封印のほころびから噴き出し、ここに災厄の門が開かれた。
道ばたに血と小便にまみれた男の死体が発見されたのは翌朝のことである。こうして平々凡々としたその男は期せずして闇の歴史にその存在を刻みつけられることとなったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その夜、刀架けの神刀滅却がカタカタと鳴った。
神刀滅却は自らが祓うべき魔を感じると鍔鳴りするとみずきは言っていた。
今、その音が鳴った。
それは新たなる運命の始まりを告げる音。
そしてそれはまた旅立ちの時を知らせる音でもあった。
「みずきよぉ、お前ぇとの約束を果たす時が来たようだぜ」
その夜のうちに一基は滅却を手に裏御三家最強にして最後の家系である真宮寺の構える陸奥の地へと旅立った。
(次へ)
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