「その名の下に」〜風雪の涯〜その2




 寒風吹きすさぶ白い原野に人馬の影がある。
 米田一基少将。
 日露の開戦に伴い派遣された帝国陸軍特殊攻撃旅団の指揮官である。
 この旅団は機関銃で武装した軽火装歩兵、抜刀騎兵、抜刀歩兵、重火装歩兵から編成されていた。
 ただし歩兵や砲は3頭立ての馬橇に引かせているから純粋な歩兵とは言い難いのだが。
 すなわち米田旅団は機動力重視の旅団であった。
 しかし何と言ってもこの旅団の最大の特徴は対霊力攻撃部隊であるということである。
 機動力重視とは一見矛盾するようではあるが、兵士達はみな一様にシルスウス鋼の鎖帷子を着込み敵の霊力攻撃に対する最低の防御を施している。
 そして1200名の兵士の大半は少なくともごく微弱な霊力を帯びていた。
 一般兵士は武芸に特に秀でている必要はないから、この人数が集められたと言える。

 雪の彼方をみつめる米田の傍らにもう一つの馬影が立った。
 隼人である。
 後方で指揮を執ることの多い米田に代わって最前線で戦うのは隼人、幻斎、右近ら連隊長の役目であった。
 
「いよいよだな」
「ああ、敵の霊力部隊が現れるまでは我が旅団は後方待機だがな」
「補充がきかないからな」
「うむ」

 白き原野に佇む沈黙の馬影二つ。
 まさに一幅の墨絵のようでもあった。

「なあ隼人、この戦が終わったらみんなで温泉にでもいくか」
「どうした?始まる前からそんな先のことを言うなんて一基らしくない」

 自分でも分からなかった。
 ただ言葉が不意に口をついて出たのだ。

「ん、そういやそうだな。俺としたことがどうかしてるぜ。さ、冷えは身体に毒だ。戻るぜ」
「ああ」

 気を取り直すようにそう言って馬首をめぐらし野営地に向かう米田の胸からは、しかし漠然とした不安が去ることはなかった。

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 緒戦の勝利による日本の勢いは、ロシアの守護神コンドラチェフ将軍の守る旅順要塞攻略のもたつきによって殺された。
 全くの僥倖によってコンドラチェフが戦死して、ようやく旅順は陥としたものの被った被害は甚大であった。だが日本としても決定的な勝利を得ない限り自国有利に和を結ぶことは出来ないのだ。ゆえに今はまだ侵攻をやめるわけにはいかなかった。
 一方緒戦に思いがけなく敗れたロシアは巧妙に退却を続けた。敵に勢いのあるうちは適宜それを殺しながら逃げ、旅順大要塞でその勢いを完全に止めた後反攻に出ようという作戦である。
 つまり日本軍はある意味ロシアの思うつぼにはまったといっても良い。
 しかしロシアにしても余裕があるわけではない。守護神コンドラチェフは既に亡いのだ。
 もう一つロシアが積極的に動けなかったのには訳がある。
 本国において革命の動きが活発化したのだ。これこそ花小路と賢人機関による工作の賜物であった。賢人機関は自らの思想に決して同調しようとしないロシア正教会とロシア政府を転覆させる目的で密かに革命勢力を支援していたのだ。花小路はその大戦略に則りながら日本の国益のために革命運動を加速させる工作を行っていた。
 ロシアとしても内患外憂の事態は是非とも避けたいところである。ここで乾坤一擲、日本軍から決定的な勝利を奪い有利な講和条件で戦争を終えることがロシアの戦略であった。
 そんなわけで開戦後約1年が経過し満身創痍ながらも軍を進める日本に対し、ロシアの反撃の牙がようやく剥かれようとしていた。

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 ロシア第2軍の作戦室では司令官ルネヴィッチ将軍が大反攻の指揮を任されて猛っていた。
 一度獲物に食らいついたら離さないこのロシア軍随一の武断派将軍はそれゆえシベリアの狼と呼ばれて恐れられている。
 ようやく不本意な退却などせずに敵を攻撃できるという喜びにはやっているのだ。

「偵察隊の報告では奴らはこの厳冬期には我が軍が大規模な軍事行動を起こさないとタカを括っておる。
 その隙をついて我が第2軍は長く伸びた日本軍の比較的手薄な左翼に奇襲攻撃を掛ける!
 左翼を突き崩すことが出来れば一挙に敵を殲滅することが可能であろう。
 奴らにはナポレオンの二の舞を演じてもらおうではないか!」
「この作戦が成功すれば第2軍の威を大いに示すことが出来るでしょうな。是非とも先鋒は我がコサックに任せていただきたい」

 席を立ったのはコサック騎兵隊隊長ロブチェンコであった。

「おおロブチェンコ、やってくれるか!」
「喜んで。ただし作戦成功の暁には恩賞をはずんでもらいたいですな」
「相変わらず利にさといな。恩賞の話は勝ってからだ」

 ルネヴィッチは苦い笑みを浮かべながらロブチェンコを制す。
 その時、錆びを帯びた声が二人の会話を遮った。

「私が出る」

 声の主は黒いローブに身を包んだ男。
 年齢も顔立ちも分からない。
 そのローブの中身は闇そのものであるかのようである。
 ねっとりと重苦しく饐えたような空気が漂う。男の発する邪悪な気配に動物的な本能が反応して出た汗の為であろうか。それは妙に心を不安にさせるにおいを持っていた。

「ラ、ラスプーシン殿、軍事に関しては第2軍司令官である私に任せてほしいのだが」
「将軍は見通しが甘い…コサックでは無理だ」

 ルネヴィッチは一瞬気色ばんで何事かを言いかけたが、ラスプーシンのまとう闇そのものような瘴気に思わず言葉を呑んだ。
 それではおさまらないのが誇り高きコサックのロブチェンコである。

「我がコサックを侮辱するか!貴様何様のつもりだ!」
「汝の部隊は練度不足だ。兵に士気が感じられぬ」

 ラスプーシンが発した言葉はただそれだけ。
 しかし後に続く沈黙が異様な重さを持ってロブチェンコを圧していた。
 脂汗が流れ、呼吸が苦しくなってくる。
 ロブチェンコは絶望的な恐怖に心を鷲掴みにされていた。
 このラスプーシンという男はあまりに異質すぎる。
 今までに出会ったどんな人間にもどんな動物にもこんな恐怖を感じたことはなかった。
 そのまま立っていることに生命の危機すら感じてロブチェンコは精一杯の虚勢を張ってゆっくりと着席した。
 体裁を取り繕うことが出来ただけでも、流石は剽悍で鳴るコサック隊の隊長と言うべきか。

「そ、それでは先鋒はラスプーシン殿の部隊にお任せしよう」

 ルネヴィッチの言葉に無言で頷いた黒衣の男がゆらりと立ち上がり司令部を出て行く。

「…ふう。相変わらず薄気味の悪い奴だ」

 ラスプーシンの姿が消えるとルネヴィッチは悪寒がするようにぶるっと身体を震わせながらそう呟いた。

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「闇のセルゲイ、氷雪のイワン」
「「ここに」」
「死鬼軍出撃。目標は日本軍左翼。
 セルゲイは前軍、イワンは中軍を指揮せよ」
「「かしこまりました」」

 その言葉に大地が黄緑色の燐光と不気味な低い音を発して揺れ始める。
 やがて無数の燐光の筍が地面に生えたかと思うとそれは人型をなし隊列を組んで歩き始める。
 その瞳は虚ろにして生色なし。
 まさに粛々と行進する生ける屍の群であった。
 これぞラスプーシン率いる死鬼軍。
 その死人ゆえに死すことも死の恐怖もない魔軍の顎が日本軍最左翼の本多支隊に喰いついた。

 虚を突かれた形の本多支隊は、しかし指揮官の叱咤により直ちに迎撃体制に移る。
 本多支隊は兵力こそ2000と少ないものの、一基隊と同じく騎馬と火器の混成部隊であり援軍が来るまでは十分持ちこたえることが出来る実力を持っている。
 しかし今回は相手が悪かった。
 なにしろ銃等による物理攻撃は一切通用しないのだ。
 大砲や機銃の攻撃でちぎれた手足で行軍を続ける姿には勇猛で鳴る本多支隊の兵士といえども全身が粟立つのを抑えることが出来なかった。
 ここに至って指揮官の本多勝猛大佐はただちに伝令を飛ばした。

「我、不死ノ魔軍ト交戦セリ。ソノ数約一万。至急援軍請ウ」

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 風のにおいが変わった。

「いよいよ来るか」

 風を操る幻斎はまた風読みにも長けている。
 その幻斎の感覚に何かが触れた。
 すべてが凍り付く厳冬の風に混じる死臭。
 それは現実のものではあり得なかった。
 となればそれは魔の発するものに違いない。

「幻斎」
「御屋形、いよいよじゃな」

 隼人と右近もまた魔の気配を感じて出てきていた。

「で、敵さんはどっちから来るんだ?」
「ふむう、まだしかとは分からぬが…」

 右近の問いに幻斎は首を傾げ何かを探っている。

「おそらく左翼だぜ」
「一基か、何故分かる?」

 少し遅れて出てきた一基に隼人が尋ねる。

「左翼が一番手薄なんだよ。霊力部隊の主な役割は奇襲だろう。
 となると一番手薄なところを狙ってくるに違いねぇ」
「なるほど、では我らは左翼へ動くとするかのう」
「おう。おめえらは進発の準備を整えておいてくんな。俺は司令部に連絡を取ってみる」
「分かった」

 司令部に駆け出す一基の背をしばし見送り隼人は右近、幻斎を振り返る。
 その表情にはいつもよりもさらに厳しい陰が刻まれている。
 隼人は懐から何かを取り出した。

「おまえたちにも一つずつ預けておく」

 隼人が取り出したもの、それは小型の剣、珠、鏡であった。
 これらこそ皇室に伝わる三種の神器と表裏を為す魔神器。
 鏡は敵の力をはじき、珠は術者の力を増幅し、剣はその力を放出する。
 だがその威あまりに絶大であるが故に術者の命までも奪うのである。
 それゆえに江戸幕府成立以降は裏御三家と呼ばれることとなった古の破邪の血統にのみ使用を許されている。
 魔神器は基本的に三種一組で使用するものであるが、一種類でも相似的にその3つの機能を備えている。当然のことながらその威力は著しく減じられることになるがその分術者の命を奪うことはない。

「魔神器…これを使うことになろうとは」
「それだけ恐るべき敵じゃと御屋形が判断されたということよ」
「………」

 神妙な面もちでそれぞれ珠と鏡を受け取る右近と幻斎に隼人は無言で頷く。
 天からは雪がちらつき始める。
 隼人らは魔神器を手に魔風の来し方をじっと見つめた。

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「米田少将か、丁度良いときに来てくれた。実はつい今し方、左翼の本多大佐より連絡が入った。『我、不死ノ魔軍ト交戦セリ。ソノ数約一万。至急援軍請ウ』との事だ。今左翼を抜かれると我が軍は壊滅する。行ってくれるか」
「はっ!すでに進発準備は整っております」
「流石は米田旅団。ただし相手には通常攻撃は効かぬそうだから援軍を送ることは出来ん。
 貴君だけが頼りだ。頼むぞ」
「お任せ下さい。それよりこれは好機です。我が旅団は敵魔軍を叩きつつ緩やかに後退します。我らが時を稼ぐ間に閣下は敵本隊側面および後背に回り込みこれを殲滅して下さい。この雪で行軍は難しかろうとは思いますが逆に言うと敵に察知される危険も少ないと思われます。この戦いに勝利すれば有利な条件で和を結べましょう。」
「…うむ、分かった。必ずや敵を殲滅して見せよう。貴君の健闘を祈る」
「はっ」

 一礼後きびすを返した一基の後ろで司令部の動きが俄に慌ただしくなる。
 だが一基の頭にはすでにこれからの戦いの事だけしかなかった。

「この戦、早く終わらせるためにも何としても支えてみせる」

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 一基が野営地に戻ると兵士たちはすでに4隊に分かれて整列していた。

「敵はロシアの魔軍一万。我が旅団はこれを迎撃しつつ緩やかに後退し魔軍及び敵本隊を我が軍の懐深くおびき寄せる。これは我が旅団にしか出来ぬ業である。奮い立て諸君!
いざ我らの力を示さん!」

おおおおおおおっ

 一基の檄に兵士達は剣を鳴らし鬨の声で応じる。

「青竜隊発進!」

 右近の声に蒼の衣に身を包んだ機銃隊が規律正しく動き始める。

「白虎隊出発じゃ!」

 幻斎率いる白衣の騎馬隊が雪を蹴立てて動き出す。

「朱雀隊進発!」

 騎乗の隼人を先頭に目にも鮮やかな真紅の機動白兵隊が橇の音も軽やかに進発する。

「よし行くぜ!玄武隊出撃だ!」

 最後に黒衣の重火器武装隊が盛大に雪を散らしながら発進した。

 白き雪の原野を青朱白玄の旅団が征く。
 それは大陸を吹き渡る四色の風の如き疾さであった。





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