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「その名の下に」〜風雪の涯〜その3
四色の風は全速で駆けた。
だが全速で駆けつけた筈の米田旅団が見たものは壊滅寸前の本多隊であった。
敵のあまりの異様さ強大さにさしもの精強を誇る本多隊も急速に抵抗力を無くしたのだ。徐々に戦線を後退させながらも踏みとどまっていたのはひとえに本多大佐が声を枯らして檄を飛ばしていたからである。それだけの声望を持っていたのは流石は武の名門の末裔と言うべきか。
その本多大佐も満身創痍、血塗れであった。
「本多大佐!後は我々にお任せを!」
先陣を切って駆けつけた右近が本多に声をかける。
「水無月少佐か!後を頼む!我らはもう保たん!」
そう言って素早く撤退を開始した本多大佐の顔には無念と疲労と安心の入り交じったような複雑な表情が浮かんでいた。
不死の軍団を相手に通常部隊たとえ15分でも持ちこたえられたのはまさに猛将本多ならではであった。しかしその本多にして後にこの戦を夢に見てはうなされ夜具をはねのけることがしばしばあったという。
その機動力を生かし高速で撤退した本多隊と死鬼軍の間のスペースに水無月隊は展開した。
「青竜隊三段展開!…弾幕張れい!」
右近は魔神器を掲げながら指示を飛ばす。
珠は右近の霊力に感応し青白い光を放った。珠によって増幅された霊力は兵士達自身の持つ微弱な霊力と相まって銃弾に込められるのだ。
この霊力弾を喰らうとさしもの不死の兵士もその形を崩し無に帰した。
しかし死鬼の群は続々と現れその歩みが止まることはない。
機銃の三掃射毎に最前列が最後列に回る。こうして銃身の加熱を少しでも遅らせるのだ。
死鬼軍の行軍速度は変わらぬが前線の死鬼兵が弊れるために侵攻速度は低下している。
その間に白虎隊、朱雀隊、玄武隊が展開する。玄武隊は砲を載せた橇を雪面に固定、砲撃準備を整える。
戦況を伺う敵将セルゲイは突如表れた蒼の連隊を馬上で指揮する右近に気づいた。
「来たか。東京での借りは返させてもらう」
セルゲイは手を組み合わせて合掌すると低い声で呪文を唱え始める。
それにつれ辺りは急激に光を失ってゆき戦場は漆黒の闇に閉ざされた。
突如視界を覆った闇に馬はいななき、兵卒は不安げな声をもらした。
帝都封魔陣の影響下を逃れたからであろうか。セルゲイの術は東京で相まみえたときよりも明らかに力を増していた。
これでは幻斎の騎馬隊、隼人の突撃白兵隊は動きがとれない。無論後方の砲撃隊も弾着補正ができないため有効な砲撃を加えることができない。
「落ち着くんじゃ、まずは馬を鎮めい!騎馬隊は馬が命ぞ!」
「各人目を閉じ敵の気配を感じよ。閉じた目なら闇も当然」
「慌てるな!右近が何とかしてくれる!視界が開け次第砲撃だ!」
幻斎、隼人、一基がそれぞれに兵の動揺を収めようと声を枯らす。
───頼んだぜ、右近
「出やがったな真っ黒野郎!…忍法月天照!」
右近の杯が天に昇り地を照らす。
その蒼白の光の中に死鬼の群が見えた。
驚くほど近い。
死鬼の群は最前列と目と鼻の距離にまで詰めてきていた。
予想だにしなかった事態にパニックに陥いり発砲もままならない青竜隊兵士を死鬼どもは難なく蹴散らす。
セルゲイは戦場を闇に閉ざすと同時に死鬼兵の行軍速度を上げていたのである。
これでは味方の損害を考えて玄武隊も砲撃できない。
東京で右近に術を破られたことを逆手にとった見事な用兵であった。
「なんてことだ。動きが速すぎる。これでは時間稼ぎにならんぞ!第2列踏みとどまって敵の勢いを殺せ!第3列は後退!敵の突破に備えよ!」
右近は矢継ぎ早に指示を与えると一人の兵士を呼び寄せ珠を手渡した。
「これを幻斎に届けてくれ。それと伝言だ、御屋形を頼むとな」
「隊長!」
「行け!」
右近はちらりと後方の紅い人影を見やると薄い笑みを面に浮かべた。
───御屋形、達者でな
一瞥の後、まなじりを決して敵陣を見やる。
死鬼兵の速度はやや鈍ったものの、そのころには既に第二列も突破されていた。
「真っ黒野郎!てめえだけは俺が止める!………第三列!俺の術が完成するまで時間を稼げ!その後は白虎隊と合流せよ!」
右近がスキットルを何本も空けていく。
戦場で飲酒とは不謹慎とも思われかねないが、酒こそが右近の術の素なのである。
今回の中身は故郷薩摩の芋焼酎である。
懐かしい味がした。
───末期の水が故郷の酒とは俺も果報もんよ
右近が最後の焼酎を飲み干そうとしたその時、いななきと共に馬が棹立ちに跳ねた。
たまらず落馬する右近。
その眼前にセルゲイの刃が迫る。
「な、何だと?!」
セルゲイは闇の男。影から影へその身を移すことが出来る。右近がもたらした光はまた濃い影をも産みだした。かつて自らの術を破った右近に復讐を遂げるためにセルゲイは単身右近を襲ったのだ。用兵巧みといえども彼はあくまでも暗殺者であった。
セルゲイの刃を間一髪避けた右近は目の端に第3列が崩壊しようとしているのを捉えていた。
───奴の狙いは俺のようだな、ならば!
「青竜隊、退却!白虎隊と合流せよ!」
青竜隊は発砲しながら後退する。
それと入れ替わりに右近は死鬼の群に突撃した。
斬って斬って斬りまくる。
斬って血路を開き敵前軍の中心部まで到達したときに力尽きた。
四方八方から襲いかかる死鬼の刃についに捉えられた。
肩を、脇腹を、腕を切り裂かれる。
右近は辛うじてまだ弊れない。
その時セルゲイの刃が背後から右近の首をかき切った。
右近の首筋から血液が噴き出す。
「ぐっ、ここら辺が潮時か!…忍法紅月雨!」
右近はそう叫びながら自らの剣で首を斬り飛ばす。
右近の首はくるくると回転しながら天に向かって上昇した。
その切り口からスプリンクラーのように血液がまき散らされる。
首から下は血液を失って白鑞のごとし。
いかなる術であろうか、右近はおのれの血液をすべて頭部に集中させ、それを死鬼軍の上に降らせているのだ。地表から天を見上げる者は首の円い切り口が紅い月のように見えたことだろう。その月から浴びる者を死へと誘う血の雨が降る。これぞ忍法紅月雨。
そのたっぷりアルコールを含んだ血液を浴びた死鬼共はたちまち死よりも深い眠りに誘われどろどろに溶けていく。まさに死人をも殺すうわばみ右近の最終奥義であった。
いかな闇のセルゲイといえどもこれをかわすことは出来ない。たっぷりと右近の血の雨を浴びやがてその意識は自らが作り出した闇よりも深い暗黒へと沈んでいく。
それと入れ替わるように戦場の暗闇は晴れ通常の光が戻り、闇のセルゲイ率いる前軍は壊滅した。
右近の首はやがて力を失い、己の身体の近くにポトリと落ちる。
その顔には不敵で、そして何よりも満足げな笑みが浮かんでいた。
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