「その名の下に」〜無形〜その2





「真之介、茶をくれい」

 その声に少年は無言で手元のボタンを押した。
 すると天井からぶらさがった円盤に取り付けられたアームが茶葉の入った茶こしをつかんだまま平行移動、湯飲み茶碗の真上に来るとアームが再び下りて茶碗に茶こしをセットする。アームが上がり円盤がクルリと回転すると茶こしの上に今度は金属製のチューブのようなもの来てそこから湯が注がれた。再び円盤が回転してアームが下がり茶こしをつかむと微妙に上下動を繰り返し茶こしを揺すると静止する。この操作により茶葉が開き味が良く出るのである。一〜二分間の静止の後アームが茶こしを持ち去ると、ようやく真之介は茶碗を手に取り今度は傍らのお盆にこの茶碗を載せた。そのお盆を支えるのはいつぞやのからくり人形である。お盆に重みがかけられるとスイッチが入り人形はカタカタとお茶を教授の元に運んだ。

ズズッ

「うむ、なかなか美味じゃ。しかしかわいくないのう真之介よ。師匠の茶くらい手づから入れようという気にはならんのか?」
「何言ってるんですか。私は先生と違って色々と忙しいんですよ。今だって先生に頼まれた蒸気機関の効率改善のための計算をしてるんです」
「ふおっふおっふおっ、そりゃすまんかったのぉ。なんせ年を取ると計算が七面倒臭くなってのぉ」
「とかいいつつまた色んないたずらの計算ばかりしてるんでしょう?」
「…真之介よ、お主いつの間にそんなにスレちまったんじゃ?初めて出会ったころは初々しくて可愛かったのにのぉ」
「みんな先生の薫陶のおかげですよ。確かに物理学をはじめとして色んな学問を教えていただきましたが、まさか元帝大教授があんな下らないいたずらを毎日仕掛けてくるなんて思いもしませんでしたよ」

 そう、菊井は真之介を驚かせるべく様々ないたずらを仕掛けたのだ。例えば、真之介を連れ帰ったその翌朝のことである。菊井は疲れの為かぐっすりと眠る真之介を揺り起こした。目をこすりながら目を覚ました真之介が最初に見たものは鬼の顔であった。真之介は一瞬驚いたがよく見るとそれは単なる面であった。

「先生?」
「ちぇっ、なんで驚かないんじゃ」

 菊井は真之介を驚かすために鬼の面をかぶって起こしに来たのであった。

「頭かくしてしっぽ隠さずです。先生の福々しいお耳が面からはみ出してます」
「ぬあっ、…ふぉっふぉっふぉっ、それも計算通りじゃ。お前の観察力を試してみたのじゃよ」
「そうでしたか。それで私は合格ですか?」
「勿論じゃ。さて朝飯の支度をしてくれんかの。その後みっちりしごいてやろう」
「あ、ありがとうございます。ではただいま支度を」

 そう、この頃までは真之介もまだ菊井の言うことを額面通り信じていた。
 だが菊井の繰り広げるあまりに下らないいたずらはそれからも熄むことはなかった。そしてついに真之介も菊井の真意を疑うようになったのだ。

───もしかして先生、最初にあったときに驚かしたこと根に持ってるんじゃ?

 真之介の疑惑はまさしく正鵠を射ていた。およそ何事か一芸に秀でた者がそうであるように菊井智胤もまた異常な負けず嫌いであったのだ。自分の予想を越えられてしまったことに菊井のプライドが傷ついたのである。それで真之介を一度思いっきりびっくりさせないと気が済まなくなっていたのだ。
 だが真之介は決してわざと驚いてみせることはしなかった。なんとなれば真之介もまた一芸に秀でた者の常として負けず嫌いだったのである。真之介の態度がそんなものだから菊井のいたずらもますますエスカレートするのだ。

 もちろんこの二人は遊んでばかりいたわけではない。菊井は真之介に物理学の基礎から最新の研究動向までみっちり叩き込んだ。真之介もまたそれを驚くほどのスピードに自分のものにしていったのである。それは普通の者が一段ずつ上がる階段を十段飛ばしに上がるようなものであった。まさに一を聞いて十を知る。菊井ですらその才能に驚嘆しおそれを抱いた。

───大したもんじゃ。この調子ならぼちぼち儂の霊子仮説をも理解できるかもしれんな。
   だがその前に論より証拠。こやつに霊力現象を体験させねばならんの。

「真之介、出かけるぞ」
「ちょっと待って下さい。あと少しで計算が終わりますから」
「そんな計算なんぞいつでも出来るじゃろ?」
「………」
「真之介よぉ」
「………」
「寂しいのぉ」
「…はいはい、分かりました。ちょうど切りのいいところまで来ましたから中断しましょう。で、どちらまで出かけますか?」
「まだ決めとらん」
「?!」

 少し不審気な真之介の顔を見て菊井の心は少し明るくなった。

───やった。ちっとはこやつの意表を突くことができたようじゃ。

「それはこの装置で決めるのじゃよ」

 そう言って菊井が取り出したのは旅行鞄くらいの大きさの黒っぽい機械だった。菊井がボタンを押して機械を起動させると機械の中央に何かの地図が浮かび上がった。その地図の上にはいくつかの非常に大きくて明るい点が比較的規則正しく並び何かの図形を描いている。そしてそれよりは暗く小さい光点が芥子粒のように地図上に分布していた。

「これは帝都の地図ですか?」
「そう。だがそれだけじゃ半分じゃ」
「と言いますと?」
「これらの光は帝都の霊力分布を示しておるんじゃよ。土地と密接に関連しておる力もあれば、それとは無関係に移動する力もある。じゃから地図と言うよりはやはり霊力分布図と言うべきかもしれんの」
「霊力?」
「未だに現代物理学では捉え切れていない力じゃ。だが儂はそのしっぽをつかむことに成功したんじゃよ。その成果がこの霊力測定装置じゃ」
「それだけの説明ではよく分かりませんが」
「ふむ、まあ化け物とか神隠しとかそういう超常現象を起こす力が霊力とか魔力とか妖力とかいう力だと思えばよい。そしてこの装置は簡単に言えば霊力波を発してそれが他の霊力波と干渉を起こした時の変化の具合から他の霊力の大きさを測定するんじゃよ。だが今は論より証拠。その霊力が引き起こす現象をその目で確かめるのが先じゃ。………ふむ、この辺が良いかな」

 菊井の指し示した場所には比較的明るい3つの光点があった。
 そのうち一つだけがだんだんと明るさと大きさを増してきていた。

「浅草寺ですか」
「こりゃ、思いの外アブナイ代物じゃな。…急ぐぞ真之介。お主の守り刀を持ってゆく方がよいかもしれんの」
「………はい」

 真剣な表情の菊井に真之介は素直に頷く。師匠は真剣になるべき時には恐ろしく真剣になるということを真之介は知っていたからである。

───それにしても浅草寺に一体何が?

 コート姿の菊井と書生風の袴姿の真之介は側車付きの蒸気バイクに二人乗りすると猛スピードで帝都を駆けた。

(続く)



ご感想はこちらへ