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「その名の下に」〜無形白羽鳥〜その3
ブロロロロロロォッ!
帝都に蒸気バイクの爆音が轟く。
浅草寺が近づくにつれ側車シートの真之介は高揚感と不安感がない交ぜになったような奇妙な感覚に襲われていた。これから何が起こるのかは分からないがひどく危険なことが起きるらしいことは教授の態度や顔の筋肉の緊張具合から分かる。そして何よりも心の奥底からわき上がってくるこの不吉とも言っても良いほどの不安感は何なのだ。予想される危険に対する不安にしては大きすぎる。
そしてその危険な絵の中で自分はどういった位置にはめ込まれるのかが分からない。守り刀を持って行けと行った菊井の言葉が妙に引っかかる。自分は剣など習ったこともない。そんな自分に剣を持って戦えと言うのだろうか。真之介は思わず身体が強張るのを抑えることが出来なかった。
菊井は真之介から放射される霊力の大きさが急上昇していることに気がついた。やはり真之介の潜在能力は普段の霊力値よりもかなり大きいことを改めて確信した。だが今度の魔物は今までの奴とは桁違いだ。真之介が支度をする内にも霊力測定装置に示される光点は大きさを増していき他の二つを圧倒するほどになっていた。明らかに妖物である。そしてそれは明らかに他の2つの光点を狙っていた。
自分や真之介の光点は小さい2つよりはやや大きいものの一番大きな光点には比すべくなく小さかった。だがそれでも2つの光点を見捨てるわけにはいかない。4つの力をなんとか合わせれば妖物を倒せるかもしれない。その鍵が真之介の守り刀である。あの刀からは不思議な力を感じる。そしてその力は真之介から感じる力と近しい波動を持っているのだ。
やがて浅草寺の雷門が見えてきた。魔の気配は一層濃い。
人々が争って門から逃げ出してくるのが見える。口々に化け物だと叫んでいる。
間違いない。妖魔が実体化しているのだ。
菊井はバイクを止めると真之介に向かって叫ぶ。
「ここからは走るぞぃ!この人混みではバイクは危なくてかなわん!」
「はいっ」
菊井と真之介は人の流れに逆らうように門に向かって駆けた。
真之介の中で奇妙な高揚感と不安感はさらなる高まりを見せた。手にした剣が心なしか光と熱を帯びているように感じる。
境内に入ると菊井は素早く気配を探り駆け出した。真之介が続く。
そして二人は見た。
はるか前方、炎に包まれた巨大な犬が今まさに2人の少女に襲いかかろうとしているのを。
「待て!」
菊井の叫びに魔犬がこちらを振り向いた。魔物は少し首を傾げる。値踏みをしているようだ。ゆっくりこちらに向かって歩いてくる。どうやらこちらの方が喰いでがあると見たらしい。やがて魔犬はその動きを疾走に変えた。
「来るぞい、わしが奴の動きを止めるからお主はその刀で首根っこを切り落とすんじゃ」
「で、できません。私は刀など握ったことはないのです」
「そんなこと言うとる場合か、わしの計算が正しければ首に向けて振り下ろすだけで十分なはずじゃ」
そんな会話を交わすうちにも魔犬はもう目の前まで迫ってきていた。
「はっ!」
菊井は半身で中腰の体勢になると右手を腰の辺りに構え、左手を魔獣に向けて突き出した。青色の霊気が左の掌に光り出す。魔犬はその霊気を貪るように喰いだした。菊井の霊性は五行で言う「木」、ゆえに「火」とは相性が良いため魔犬は好んでその霊気を喰らうのだ。藤枝姉妹もまた傍流ながら青竜家の裔であるから「木」の霊性を持つ。彼女らが狙われたのは必然であったのだ。
菊井はおのが霊力を餌に魔獣を足止めして、真之介の一振りに賭けたのだ。だが真之介はなかなか刀を抜くことができない。いくら知力に優れているといっても剣の修行などしたこともない13才の少年である。おそれを抱いて当然であった。
「真之介、早うせい!儂も長くは保たんぞい!」
「だ、だけど私は剣など使ったことが…」
「ごちゃごちゃ言っとらんでさっさとせい!師匠の命がきけんのか!」
そこに幼い声が割って入る。
「どいて!」
バケツを抱えたあやめが中の水を思いっきり魔犬に浴びせかけた。
ぎゃいえええええっ!
炎の魔犬は絶叫しながらのたうちまわった。その弾みで菊井たちははね飛ばされてしまう。魔犬は怒りに燃えていた。一度ならずか二度までも自分に苦痛を与えた少女を許すことは出来ない。その怒りがかえって魔犬の炎を大きくした。
魔犬があやめをはね飛ばす。
「きゃっ!」
気丈なあやめが発した初めての悲鳴である。
その悲鳴に初めて真之介が動いた。こんな幼い少女までが戦っているのに自分が何もしない、できないのが無性に腹立たしかった。言葉でそう思ったわけではないが、彼がこのとき感じた気持ちを言葉にすればそんなものであった。
「うわあああああああっ!」
叫びながら刀を抜くと思いっきり魔犬に向けて刀身をたたきつける。刀法も何もあったものではないただ力任せの一撃であった。
ぎゃんっ!
魔物は背後からの思わぬ一撃に悲鳴を上げて跳びすさる。だが大したダメージは負っていないようだ。
「し、師匠!全然効きません!」
「少しは効いとるわ!それが証拠に悲鳴を上げよったじゃろ!」
真之介の潜在能力はおそらく自分を凌駕する、だが真之介はその力を導き出す術を知らないのだ。霊刀がその手助けになることを期待していた菊井だったが、どうも当てが外れたようだ。せめて剣の素養なりともあれば傷の一つも付けることが出来たかもしれぬのだが、それは言っても詮無きことであった。
魔物の力が思ったより大きすぎた。万事窮したかと菊井は天を仰ぐ。
一方あやめは自分の力の足りなさに悔しさを感じていた。自分は魔物と戦い人々を守るために今まで修行してきたのではなかったか。それが手も足もでないとは。
───ああ、白羽鳥があれば!
唇をかみ天を仰ぐあやめ。
その時、幼く気高い心に動かされたのであろうか、天が千の太鼓を打つような重厚な音を鳴らした。
その音と共に炎の魔犬が現れた空間の裂け目から一つの剣が姿を現す。剣は曙光のようなきらめきを身に纏い一直線にあやめの元に飛んでくるとその手に身を委ねた。
「まさか、これが神剣白羽鳥?」
あやめの手に収まったスラリと形の良い剣はぼうっと神秘的な光を放っている。
そう、これぞまさしく神剣白羽鳥。
伝説の霊剣が今ふたたびこの世にその姿を現したのだ。
あやめは剣を抜き放ち魔犬に対峙する。幼いあやめには身長に余る剣であったがその構えは堂々としていた。刀身に藤色の霊光が発しはじめる。
それに呼応するように真之介の刀も白色の霊光を発しはじめた。それを見るあやめの顔に驚きが広がった。
───あれも霊剣?荒鷹は真宮寺、滅却は米田中将閣下が持っている。としたらもしかしてあれが光刀無形なの?…だったら二つの力を合わせれば勝てるかもしれない!
魔犬は光を放ちはじめた二振りの刀剣に警戒心を露わにして襲いかかってこない。
今がチャンスだ。
この少年の剣の腕がからきしなことが気がかりだが、それほど弱いにも関わらず自分を助けてくれた少年の勇気は信じられる気がした。
「お兄さん!わたしと向かい合って息を合わして!」
「は、はい!」
あやめの言葉に思わず真之介はそう応えた。
あやめの方を向き、その呼吸に自分の呼吸を重ねる。
やがて二人の呼吸が完全に重なったとき、二剣の間に不思議な共鳴が生まれた。
この共鳴により霊力エネルギーが循環しはじめる。
金克木、白羽鳥(木)から無形(金)にエネルギーが奪われる。その奪われたエネルギーを二人は呼吸を合わせることによって再び無形から白羽鳥に戻していた。
無形から白羽鳥にエネルギーを戻すためにはミッシングリンクである「水性」が必要である。すなわちエネルギーが循環しているということはこの二振りの間に水性の霊力が発生しているということなのだ。
金生水、水生木。五行相性の原理である。
木
/ \
水 火
\ /
金―土
二振りの剣の間に黒い霊光が発しはじめた。火性を持つ魔犬には自らの命を吸い取る暗黒の穴に見えたことであろう。魔獣はおそれをなし雷門めがけて逃げ出した。空間の裂け目から元いた世界に逃げ帰るつもりなのだ。
「逃がさない!行くよ!」
「ああ!」
「「たあーっ!」」
呼吸を合わせた二人は剣を水平に振り抜き水性の霊光を魔犬に向かって放つ。
ぎゃおおおおおえええんっ!
黒い霊光は瞬く間に魔犬に追いつきぶち当たった。断末魔の叫びと共に炎の魔犬の身体は四散する。
雷門上空で砕け散った魔犬の破片が火の雨を降らす。
「やった」
真之介は思わずへたりこむ。あやめも霊力を消耗して座り込んでしまう。今ので決まらなければ為す術もなくやられてしまったであろう。
ほっと一安心した一同の耳にパチパチと何かのはぜる音がした。
目をやると雷門から火の粉が上がっている。魔犬から飛び散った炎の破片が飛び火し門に火を付けたのだ。やがてその炎は勢いを増し門は紅蓮の業火に包まれた。
霊力を使い果たした以上、この魔性を帯びた火を消し止める術はない。
4人はただ雷門が炎に包まれるのを呆然と見守ることしかできなかった。
「おじいさん、助けてくれてありがとう。お兄ちゃんもね」
「いや、助けられたのは儂の方じゃて」
気を取り直したあやめの言葉に菊井が応える。
真之介はと言えばその炎に赤く照らし出された美少女の顔をただ惚けたように見つめるだけだった。初めての戦闘から解放された後の一時的な放心状態である。
「かえで、帰るわよ」
「うん、…じゃあね、おじいちゃん、おにいちゃん!」
「ああ気をつけてな」
その時ようやく真之介は我に返った。
「き、君!君の名前は?…あ、僕は山崎真之介」
「藤枝あやめ」
「かえでだよ」
「教えてくれよ、この力はなんなの?」
「おにい…、真之介さんの刀は多分『光刀無形』って言って魔物を倒すための刀よ。
それを持ってるって事はいつか魔物と戦わなくっちゃならなくなる。
そういう刀なの。
でも今のままじゃダメ。もっと強くならなくちゃきっと死んじゃうわ。
もちろん私もね」
そう言ってあやめはきびすを返した。その表情には何か荘厳な決意のようなものが浮かんでいる。その表情は少女のものから大人のそれに変わっていた。かえでも姉の表情に何かを感じたのだろう、黙って後をついて行く。
「ねえ!また会えるかな!」
真之介の声にくるりと振り返ってあやめが言う。
「会えるよ。きっといつかね」
最後にほんの少し笑みを浮かべてあやめは妹と共に姿を消した。
真之介は呆然と立ちつくしている。
「さあ儂らも行くとするか。こんな所を誰かに見られたらやっかいなことになるからの」
「あ、は、はい」
「…惚れたか?」
「な、何をいきなり!」
顔を赤くして抗議する真之介に手をひらひらと振って菊井は答える。
「じゃったら強くなることじゃ。惚れたおなごを守れるくらいにはな」
「………」
そう呟く菊井の表情にある真剣さに真之介は言葉を返せない。
言葉少なく立ち去る二人の背後で雷門が崩れ落ち火の粉が空に舞った。
(続く)
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