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「その名の下に」〜胎動〜その1
「山に籠もろうと思います」
あやめがそう言い出したのは、初めての戦いから一週間ほど経ったときのことだった。
あの後、あやめの持ち帰った白羽鳥に藤枝家は家中を上げて騒然となった。それも当然、白羽鳥が現れたと言うことは、それが必要となるということ、すなわち魔の跳梁を意味するわけである。
しかも、白羽鳥が持ち主に選んだのは現当主であるあやめの父ではなく、また藤堂の血に連なる母でもなくまだ幼いあやめだと言うのだ。元々藤枝家は女系で存続してきた家系であるから女が継承者となることには何ら問題はない。だが親の情はそう簡単に割り切れるものではない。親としては出来るならそんな危険な定めから幼い娘を遠ざけたかった。そういうわけで父や母が何度か白羽鳥を抜こうと試みたがいずれも果たせなかった。
こうなってはもうあやめが白羽鳥の継承者であることを認めぬ訳にはいかない。こうして一週間が過ぎた時あやめが山籠もりを口にしたのだ。
「山で気と技を練るというのか」
「はい、お父様」
「山は女人禁制であることが多い。どこへ籠もるつもりかね?」
「伊賀へ行こうと思います」
「藤堂のお膝元へ行くというわけか」
「はい、今のあたしではこの白羽鳥を使いこなすことはできません。
だからご先祖様の霊の導きを受けるためにも伊賀の山に籠もろうと思います」
「…よし分かった。そういうことなら平蔵をつけよう」
「いえ、それでは甘えが出ます。あたし一人で行こうと思います」
「しかしお前はまだ11才なんだ。何かあったらどうする?」
「私が真に白羽鳥の継承者なら、使命を果たすまでは死ぬはずがないわ。
だから心配しないで、お父様」
「………分かった。だが住むところもなくてはどうにもならんだろう。お山には藤堂家に代々仕える山守がいる。もう老人だがそれでも剣の腕は確かだと聞く。その老人に弟子入りして山小屋に住まわせてもらいなさい」
「はい…ありがとう、お父様」
あやめの決意の固さについに父親も折れた。
明日の出発に備えてあやめが席を立つと父は腕組みをしたまま目をぎゅっと瞑った。
───知らぬ間に私よりもしっかりとして…だがそれがゆえに不憫
そこには魔と戦う家としての藤枝家の当主の姿はなくただ娘の身を案じる父親がいるだけだった。
◆◇◆◇◆◇
「お姉ちゃん、本当に行っちゃうの?」
「ええ、後のことは頼んだわよ」
「あたしも一緒に行っちゃダメ?」
「ダメよかえで。それじゃどうしても甘えを捨てきれないもの」
「…なんか寂しいな」
「………」
荷造りをしながら姉妹の交わす会話も途切れがちになる。
「かえで。私がいなくても修行は怠けちゃダメよ。あたしにもしもの事があった時にはあんたしかいないんだから」
「お姉ちゃんに何かあるなんて…そんな怖いこと言っちゃヤダよ」
「…大丈夫よ。心配しないで。あくまでももしもの話だからさ」
「本当だよ、絶対帰ってきてね」
「うん、約束する。…あ、もうこんな時間。早く寝なくっちゃ」
姉妹は一つの布団に潜り込む。やがてかえでの規則正しい寝息が聞こえてきた。
あやめはまだ寝付けない。皆にはああ言ったが不安がないわけはなかった。しかしあえて自分を厳しく追い込まなければ使命を果たせるほど強くなれないような気がしたのだ。
寝返りを打とうとしたあやめは何かが身体を引っ張るのを感じた。かえでの小さな手があやめの寝間着の裾をつかんでいる。
よほど不安なのだろう。かえでは眠りについてもあやめの寝間着を離そうとしない。
そんなかえでを愛おしく思いながらその額を優しく撫でるうちあやめはいつしか眠りに落ちていった。
◆◇◆◇◆◇
冷気が肌を刺す。
朝靄のかかる通りからあやめは家を振り返った。
白羽鳥が再びこの世に現れ、それに応ずるように無形が現れた。つまり二剣二刀がことごとく揃ったということである。それが何を意味するか幼いながらも明敏なあやめには分かりすぎるほど分かっていた。二剣二刀を以てしか封ずることの出来ないほどの魔が近々世に現れるということ。そしてそれはそのまま命をかけた戦いになる。
自分はもうこの家に帰ってこれないかもしれない。そんな思いが胸を締め付ける。
だからこそ予定時刻よりもずっと早く誰にも言わずに家を出た。もう一度両親やかえでに会って決意が鈍るのを恐れたのだ。
「お世話になりました」
あやめは家の中で眠っているであろう両親に向かって頭を下げると振り向いて歩き出した。
寝床の中で父と母が寝た振りをしながら遠ざかるあやめの足音を聞いている。
彼らとて定めを待ち続けてきた者達である。あやめが理解したようなことは彼らにも当然分かっている。もう一度あやめの顔を見てしまうと引き止めてしまうだろう。だからあえて寝た振りをした。だがそれももう限界のようだ。
二人は布団をはね除けると寝間着のままつっかけをひっかけて通りに出た。
だが通りは靄に包まれてあやめの後ろ姿さえ見えなかった。
「祖霊よ、どうかあやめをお護り下さい」
二人にはあやめの消えていった方に向かって手を合わせることしかできなかった。
◆◇◆◇◆◇
火災によって焼亡した浅草寺の雷門はシルスウス鋼によって再建された。
目撃者の証言から魔物が関わっていたことを知った真宮寺一馬の調査により門の焼亡はやはり魔性の火によるものであることが明らかにされたからである。
と、同時に新たな謎が生まれた。参詣客の見たという炎の魔犬はどこに消えたのか。もし帝都のどこかに潜んでいるのならまた同じような火災が起きてもおかしくはないが、そういうった事件は起きていない。
その先行きの不透明さはちまたの人々の間に不安感を醸成していた。ここにいたって政府も再び真剣に魔の脅威に対する方策を検討せざるを得なかった。そしてそれは米田一基中将の対降魔部隊構想への追い風となったのである。
一年間と審議と予算折衝の結果、結局雷門焼亡から二年後、折しも先の主上が崩御され太正の御代が到来するのと時を同じくして帝国陸軍対降魔部隊が設置された。
それはまさしく帝都にとって新しい時代の幕開けであった。
◆◇◆◇◆◇
初めての戦いから三年。
その間に真之介は菊井に学び、霊子理論仮説を完全に自分の物としていた。二人はさらに検証を重ねるべく様々な実験を繰り返し、霊子エネルギーを取り出す機械の考案に取りかかりつつあった。
菊井は量子理論仮説を主張した論文を著したのだが、その難解さに思いの外反響は少なかった。そこで論より証拠、霊子の力を利用した機械を考案しデモンストレーションを行おうとしたのだ。
だがそのためには研究資金が必要である。理論だけなら頭脳さえあればなんとかなるが、霊子機関の開発ともなると桁違いの資金がいるのである。そこで菊井は昨年に設置された対降魔部隊におのれの理論を売り込むことにした。対降魔部隊の責任者であれば理論は理解できずとも、興味は示すはずだと考えたのだ。
「陸軍省へ出かけるぞい」
「はい。…うまく行くといいですね」
「うむ、とりあえずはこの霊力探知機でデモンストレーションを行うつもりじゃ。
対降魔部隊の人間なら恐らく霊力を持っておるじゃろうから効果的じゃろう」
そう言って菊井は、改良を重ね小型化した霊力探知機の入った鞄をぽんぽんと叩いた。
菊井と真之介が外に出た丁度その時、折悪しく天からは白い物が下りて来はじめた。
「雪か、急がんとな」
コートの襟を合わせ菊井は、側車に真之介を乗せた蒸気バイクに火を入れると陸軍省に向かって走り出した。
◆◇◆◇◆◇
「一馬よ、対降魔部隊を作ったはいいが残りの二振りはいつになったら揃うんだ?」
「まあそう焦ることはないですよ。時がまだ至っていないだけです」
対降魔部隊に与えられた粗末な部屋で、火鉢に当たりながら米田と一馬は茶碗酒を呑んでいた。朝からこの調子であるから、昼飯時の近いこの時間ですでに一升瓶が2〜3本は空いている。にも関わらず、男達の言葉にも姿勢にも全く乱れはない。
この一年、対降魔部隊の出動は霊力のない米田ですら滅却を用いれば一蹴できる程度の小物の退治だけに費やされた。したがって今年の予算配分は大幅に縮小されることとなり、居室もこの小汚い小部屋に移されたのである。
「こんな調子じゃ、残りの二人が見つかっても雇う金がねえってことにもなりかねないぜ」
「それは確かに問題ですね。でもまあ何とかなるでしょう」
「…おめえは、いつも楽観的でいいよなぁ」
「米田さんだって、そんなに気に病んでいるようには見えませんが」
「…あ〜あ、酒呑むのにも飽きちまったなぁ。いっちょやるか!」
「いいですね、酒抜きには丁度いいでしょう」
そう言うと二人は自分の得物を手に中庭に出る。
「今日こそは負けねえぜ」
「私も負けるつもりはありませんよ」
二人は白刃を抜くと丁々と剣を撃ち合わせる。
知らぬ者が見たら何事かと大騒ぎになるところであったが、彼らの奇行には慣れっこになった陸軍省の職員はまたいつものが始まったと肩をすくめるだけであった。
◆◇◆◇◆◇
菊井と真之介が陸軍省に着いたのは昼前のことだった。
受付で対降魔部隊の責任者、米田中将に面会を申し込む。
約束がないとのことであるので担当官は米田の部屋に内線をかけたが誰も出ない。
あとは午後に出直してくれの一点張りである。明らかに昼休み前に面倒な仕事を避けたい様子であった。
そののらりくらりとした様子にいらだちを抑えきれない真之介が口を挟もうとした丁度その時、一人の男が通りかかった。
切りそろえた髪が粋な美丈夫。
その眼はいかにも切れ者然とした油断のならない光を放っている。
「どうしました?」
「あ、京極少佐。実はこちらの方々が米田閣下に面会を求めてらっしゃるのですが、閣下は不在のようでして…」
「ほう?米田閣下に?…私でよろしければ話を伺わせていただきますが」
「貴官は?」
「失礼しました。私は京極慶吾少佐、ここの軍務官を勤めております」
「ふむ、それではまず貴官に見ていただくことにしますかな。私は菊井智胤と申す者です。元は帝大で物理学を教えておりました。」
「ほう?あなたがあの菊井教授ですか。それは是非お話を聞かせていただきたいものですな」
「私をご存じで?」
「色々と噂は伺っていますよ」
───ふん、どうせロクでもない噂じゃろうて
内心の不機嫌に菊井は無言で眉を上げる。
「こちらへ」
京極少佐は、意に介せぬ風に菊井を来客用の小部屋に案内した。
「真之介、お主は飯でも食っておれ。ここからは大人の話じゃ」
その言葉に明らかに不服顔の真之介であったが、他人の見ている前で師に噛みつくほど子供でもなかった。おとなしく、菊井の言葉に従って部屋を後にすると当て処もなく歩き出した。
(続く)
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