明け方、あの頃の夢を見た。 枕元の懐中時計を手に取る。 午前四時。 カチカチという規則正しい音が手のひらに感じられた。 「ふふ、夢の続きでも見ましょうか」 帝国海軍士官大神一郎が帰国したのは巴里に渡って三年を数えてからだった。 帰国直前、大神は大尉に昇進、そして帰国と同時に更に少佐に昇進という破格の人事により、帝国華撃団司令兼花組隊長となった。米田の計らいである。大神はこれを固辞したが、米田の説得により、結局米田が顧問として帝撃に残るという条件で受けた。 様々な業務の引継ぎや海軍への報告等で一ヶ月という時間は瞬く間に過ぎる。 ある月の美しい夜。 いつものようにサロンのソファに腰掛け、お茶を飲む。 「俺にもごちそうしてくれるかな」 突然の声に振り返ると、見回り途中の大神が立っていた。 帝撃の司令となっても、夜の見回りはかかさず続けているのだ。 「あら、少佐。いえ、司令とお呼びした方がよろしいのでしょうか」 「いや、少佐でいいよ。司令というのは、まだ身体にあっていない気がする」 「そんなことはないでしょうけど・・・。でも少佐がそう仰るのならば少佐とお呼びしますわ」 すみれは手早く大神のカップを暖めると、お茶を注いだ。 「うん、うまいね。やっぱりすみれくんの入れてくれるお茶が一番うまいよ」 「まあ、巴里から帰られてずいぶんと口がお上手になられましたこと」 「そうかい?俺は正直な気持ちを言ってるだけなんだけどな」 「え、ま、まあこの神崎すみれの入れたお茶が美味しくないわけはございませんけど」 すみれの頬は薔薇色に紅潮し、それを隠すように茶器を片づけている。 すみれの耳にふと声を改めた大神の声が聞こえる。 「少し、その辺を歩かないかい」 一つ頷き、階下に降りる。 二人は月夜に照らし出された中庭をそぞろ歩いた。 そして。 「すみれくん、この時計を受け取って欲しい」 「あら、少佐。何ですの」 「俺も同じ時計を持っている。これからずっと俺と同じ時間を生きて欲しいんだ」 「それって」 頷く大神。 「俺と結婚して欲しい」 ずっと欲しかった言葉。 大神と出逢ってからずっと心の奥に秘めていた気持ち。 大神の不在にもその気持ちはいささかも衰えることはなかった。 ずっと夢見ていた瞬間が今この場にあった。 「・・・はい」 自分の今の気持ちを表すのには百万言を費やしても足りない。 むしろ、この短い一つの言葉こそが十分にすみれの心を語っていた。 自然に身体を寄せ合う二人。 それはやがて抱擁に変わる。 顔が近づく。 すみれの白い肌には月の華が咲いている。 さらに近づく二人の顔。 すみれの唇に大神の唇が重なる。 離れる。 見つめ合う。 すみれは目を閉じる。 もう一度重なる唇。 少し冷たいすみれの唇にぽっと火が灯った。 やがてその小さな火はたちまち炎と燃え上がり二人を包んでいく。 やわらかな空気を通して降り注ぐ月の光だけが視た、ある夏のはじまりの夜の出来事だった。 (了)
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