Boorin's All Works On Sacra-BBS

「時計」〜嵐・前編〜



鈍(にび)色の海。
灰色の空には、雲の固まりが走っている。
それは、まさに時代の様相を表すかのような空であった。



この年、帝国軍部は対米開戦を決定した。
海軍の一部には、対中戦線と対米戦線を二つながらに維持し、勝利を得ることなど
物理的に不可能であるという反対意見もあったが、対米強行派の陸軍が
それを押し切る形で開戦が決定されたのだ。

帝国海軍の大神一郎大佐のもとに新型潜水艦「咲耶(さくや)」艦長を命ずる辞令が届いたのはつい先日である。

対中開戦に強行に反対した大神は、軍上層部の反感を買い、
戦史編纂室という閑職に追いやられていた。
それが海軍兵学校を首席で卒業し、元帥の最年少記録を更新するとまで言われた大神が未だに大佐でいる理由であった。

大神はまた対米開戦にも強行に反対し続けた。一つには、国力不足。
アメリカ単独相手でも長期的な勝利は不可能であり、
ましてや二つの戦線を維持する国力は日本にはない。
もう一つ、魔の蔓延。
戦争という行為は政治の有効な一手段ではあるが、それによってもたらされる精神の荒廃は強大な「魔」を育む土壌となる。
それが帝国海軍士官として、また元帝国華撃団司令としての大神の意見書の骨子である。

この意見書を読んだ山口和豊の甥である現海軍大臣山口忠義はその才を惜しんだ。
対米開戦はもう既決事項である。それを覆すことは出来ない。
そしてそれは帝国が困難に直面することを意味する。
そのような事態に大神ほどの才能を埋もれさせておくのは
国家に対する犯罪であるに近いと山口は考えたのだ。
大神を呼びだした山口は一言問うた。

「君にアメリカと戦う意志はあるか」と。

大神の答えは簡潔であった。

「自分は帝国軍人です。対米開戦には今でも反対ですが、
命令があれば全力でそれを遂行するだけです」と。

それで大神の運命は決まった。



独り艦橋で物思いに耽っていた大神は懐中時計で時刻を確認した。
ハワイ諸島の真珠湾攻撃まであと24時間。
だが新型霊子エンジンがトラブルを起こし、咲耶は作戦海域から離れた海に足止めを食らっていた。
調整終了まであと10時間。それから真珠湾に向かっても作戦時刻には間に合わない。
司令部には現状を報告してある。
「可及的速やかに合流せよ」
が司令部の返事であった。

「気乗りのしない戦というのはこういうものなのかな」

端正な顔に苦笑いを浮かべて大神は発令所へ降りた。



この十年で大神家にはいくつかの変化があった。
結婚二年後に双子誕生。
長男、真一。長女、真矢(まや)。
それと同時にすみれは歌劇団を引退。
育児に専念する。
昔の自分のような寂しい思いを子供達にさせたくなかったのだ。

大神はそれから3年間、米国に大使館付き武官として家族と共に赴任、中佐に昇格。
更に帰国後、海軍兵学校教官を拝命するに当たって大佐に昇格し3年間教鞭を執った。

この間に世界には不穏な空気が漂いだす。
紐育の株式市場の暴落に始まる恐慌。
それに歩調を合わせて全世界的に進む軍部の台頭。
そして列強の中国大陸へのあからさまな侵略。

そういった世界の動きに帝撃も無縁ではいられなかった。
陸軍上層部からのドイツ、イタリア以外の外国籍の排除勧告である。
帝撃側は当然これを拒否した。
陸軍は予算の削除、劇場の接収を押し立てて選択をせまる。
苦悩する帝撃司令かえでを見かねたマリア、紅蘭、アイリスは自ら身を退く。

「霊的に帝都を守護する花組をなくすわけにはいきません。
ここは私たちが身を退くのが正解です」

この陸軍のやり方に激怒したカンナ、織姫はなぐり込みをかけようとするが、
マリアに制止される。いかな直情径行のカンナといえども、
今まで花組が築き上げてきたものを無にする気かと言われれば
引き下がらざるを得なかった。

マリアは横浜の知り合いの家に、紅蘭は神戸のホワード邸に、
アイリスは米田の家に落ち着くこととなり現在に至っている。

そして対米開戦。
さらに不吉な雲が花組の上に覆い被さろうとしていた。



「機関修理、調整完了」
「よし、目標海域に向けて微速前進。機関の調子を見ながら漸次速度を上げる」

艦はゆっくりと前進を始める。咲耶は帝国海軍の最新式潜水艦である。
6門の通常魚雷に加え、背面には10門の火箭発射装置(ミサイルポッド)を備えた
攻撃型霊子機関潜水艦。
だが最新式故に初期不良も多く今回の実戦もなかば試験に過ぎない側面もあった。

「機関長、調子はどうか?」
「異常なし。快調です」
「よろしい、では全速前進」



同じ頃真珠湾から一隻の潜水艦が帝国海軍の包囲網を破って脱出していた。
米軍の最新鋭潜水艦アレキサンダーである。
アレキサンダーは包囲網を抜けた後、護衛の駆逐艦2隻と合流した。

「艦長、ここまでは予定通りだな」
「はい、中将閣下。我が太平洋艦隊の待機ポイントまでは10時間ほどです」
「よろしく頼むよ」
「お任せ下さい」

アレキサンダー艦長、リチャード・ライアン大佐は米国潜水艦隊一の攻撃的な性格を持つ勇猛な艦長である。
しかし、攻撃的なだけでは艦長を任されるわけがない。
冷静な判断力と絶対的な統率力を併せ持っていた。
それゆえ、人は彼をかの英国の王になぞらえて「ライオン・ハート」と呼ぶ。

ジュリアン・フォード中将は、米国参謀本部の中でも随一の切れ者であり、
次期大統領と目されていた。今回、政治的、経済的に日本を追いつめ、
先に手を出させるというシナリオを作ったのもこの男であった。
自分の戦略の結果を自ら確認するためにハワイくんだりまで出かけてくるような
茶目っ気もあるため、謀将と呼ばれるタイプの人間でありながら士官達の人気も高い。

この英雄二人の運命が大神一郎のそれと交錯する時が近づいていた。



「む、機関減速」
「了解」

「何か異常でも?」

副長の速水少佐が尋ねる。

「いや、だが前方に何かがいるような気がする。ソナー、何か聞こえるか」
「いえ、特に。・・・ん、待って下さい。確かに前方に艦船がいるようです」
「機関停止、ソナー感度をあげて艦船を同定せよ」
「は!」

「どうやらアメリカさんのようです。駆逐艦2隻が潜水艦1隻を護衛するような形に挟み込んでいます」
「駆逐艦2隻に潜水艦だと?何か引っかかるな。潜水艦の艦名は分かるか?」
「やってみます。・・・これは新型のようですね。聞き覚えのない音です」
「新型の試験航海か、いやまてよ。確か加山が言っていたな。
米潜水艦隊のエース、ライアン大佐が極秘任務で出港したとか。
この時期エースを投入して新型の試験をするだろうか。
それに試験にしては護衛の駆逐艦が2隻と多すぎる。・・・となるとあの潜水艦には
何か重要な機密が積まれているに違いない。確かめてみよう。
・・・微速前進、変温層の上を進んで転進、敵艦の真後ろにつけろ」
「了解」



ライオン・ハート・ライアンが首を傾げて何かに聞き入っているような素振りをする。

「どうした艦長?」
「いえ、何か嫌な予感がするのです。こう得体の知れない何かが近づいているような」
「ふむ、百戦錬磨の君の勘に何かが障るか」
「ソナー、感あるか?」
「いえ、ありません」

それを聞いてもライアンの不安は晴れない。

「敵の通信傍受海域を抜けしだい、すぐに太平洋艦隊から迎えを寄越すように打電しろ」



「敵潜水艦よりの無線を傍受しました。暗号のようです」
「よし、最新式のコードで解読にかかってくれ」
「了解」

「出ました。読み上げます。
『予定変更、至急ターキーを迎えに来られたし。』
です」
「ふむ、やはり何か重要な機密が積まれているようだな。もう一つ確かめてみるか。
ソナーアクティブでピンを打て」



カン!

「何ぃ?バカな!・・・く、緊急浮上。ボートの用意を!中将、救命胴衣をお付け願います」

潜水艦乗りにとってピンを打たれるということは魚雷を喰らったのと同じ事である。
ライアンの頭に一瞬血が上ったが、すぐに落ち着きを取り戻し中将を脱出させることを最優先させる。



「む、浮上だと?
勇猛で名を馳せるライアンが敵に背を向けて浮上せねばならないほどの機密とはなんだ。
物ではないな。物なら射出すれば済むことだ。となると人か。
む・・・フォードだな!
加山の情報ではジュリアン・フォード中将の居場所も分からないということだった。
よしっ、魚雷全門発射!
一番から四番は敵潜水艦を、五番、六番は左右の駆逐艦スクリューを狙え!」



「敵魚雷口開きました。・・・撃ってきます」
「く、間に合ってくれ!今、我が国は中将を失うわけにはいかんのだ」

だが、咲耶は世界最新の霊子機関潜水艦である。
魚雷も当然最速で命中精度も高い。
アレキサンダーが安全深度まで浮上するより前に咲耶の魚雷が艦体を捉えた。

「艦尾、艦中央に被弾!魚雷庫に引火します!」
「く、無念。だが何故こんな所に敵艦がっ」

「策士、策に溺れるだな。私は少し調子に乗りすぎたようだ。次からは気を付けるとしよう」

ジュリアン・フォードはそう言ってニッと笑った。

「中将」

そして、アレキサンダーは魚雷庫の引火による大爆発により海底深く沈んでいった。

護衛の駆逐艦もスクリューに被弾。足が止まる。

咲耶は悠々と戦場を離脱した。



「何ぃ?中将閣下が?それは本当かっ!」
「は、間違いありません。護衛の駆逐艦からの報告です」
「なんということだ。これでは我が国百年の計はならんわ。・・・一体どこのどいつだ!閣下を沈めたのは!」
「分かりません。駆逐艦が敵艦の音紋を採っていますがどうも新型艦のようです」
「・・・まあいい。それは後で諜報部に調べさせれば分かることだ。よし本国に通信だ。記者を集めて大統領に演説させるんだ」
「は?」
「演説の眼目はこれだっ。
『我が国の英雄ジュリアン・フォード中将閣下は日本軍の卑劣な奇襲攻撃により、戦死した。全国民は奮い立てっ』
とな」
「はいっ!」
「・・・閣下。これでよいのですね」
太平洋艦隊司令ダグラス・マッケイン少将は部下が退出すると同時に男泣きに泣いた。



大神の真珠湾攻撃遅参の罪は、米国の柱石ジュリアン・フォードを沈めたことで帳消しにされた。
おおげさに大神を賞賛する軍上層部。今までの冷遇が嘘のようである。
だが、しかし凱旋帰国した大神を待っていたのは歓呼の声でなく凶報だった。

(了)


(次へ)


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