第42回定期
  J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲 全曲


2000/ 6/ 8  19:00  東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル 
 *同一プロダクション
   2000/ 5/27 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第137回松蔭チャペルコンサート)
   2000/ 6/ 3 16:00  彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホール(彩の国大バッハ・シリーズ)
   2000/ 6/ 4 17:00  彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホール(彩の国大バッハ・シリーズ)
   2000/ 6/ 9 19:00  宮城:仙台市青年文化センター・コンサートホール


J.S.バッハ/《ブランデンブルク協奏曲》全曲 BWV1046-51

 *埼玉公演(6/3,4)は以下のようなプログラム
     6/3・・・・ヘンデル/オルガン協奏曲 ヘ長調 作品4-4(オルガンのお披露目演奏)
          バッハ/管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV1066
          バッハ/ブランデンブルク協奏曲 第1,3,4番
     6/4・・・・バッハ/管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV1067
          バッハ/ブランデンブルク協奏曲 第2,6,5番


《出演メンバー》 
   ヴァイオリン:寺神戸亮、若松夏美、高田あずみ
   ヴィオラ:森田芳子、赤津眞言、竹嶋祐子
   チェロ:鈴木秀美、諸岡範澄、山廣美芽  コントラバス:桜井茂
   ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏、山廣美芽
   フラウト・トラヴェルソ:菅きよみ  リコーダー:ダン・ラウリン、山岡重治
   オーボエ:三宮正満、尾崎温子、前橋ゆかり  ファゴット:堂阪清高
   トランペット:島田俊雄  ホルン:テウニス・ファン・デル・ズヴァルト、塚田聡
   指揮&チェンバロ:鈴木雅明
  

 *こちらに出演メンバーの詳細情報があります!
 *BCJオフィシャルHPにUPされた以下の情報もご覧ください。
  ・ブランデンブルグ協奏曲第2番に関するトランペットの演奏アプローチ(島田俊雄)
  ・仙台・ブランデンブルク協奏曲・レクチャー(2000/04/08)
  ・「BCJ10周年記念神戸パーティ」(2000/5/27)


ああ、至福の時が待ち遠しい・・・

 バッハを知って以来何枚というレコードやCD、何回という演奏会で聴いてきたのに、《ブランデンブルグ》の新録音や演奏会があるとソワソワしてしまう。それは何度聴いても新しい喜びがあって深い満足感に浸れる魅惑の森。単に「知っています」なんて状態はとっくに超えて、どれだけの演奏をどこまで聴きこめるかというライフワーク的状況に突入している人も多いでしょう。そこへBCJによる全曲演奏会の知らせ・・・。僕なんかもう、ほっぺたをつねりながらうれしさをかみしめている。
 雄々しく響く第1番のホルンの迫力、四つのソロ楽器の掛け合いの楽しさが妙の第2番、弦の仲間同士が親密な雰囲気を漂わせる第3番。第4番ではリコーダーの軽やかな舞とヴァイオリンの名人芸に酔い、史上初のチェンバロ協奏曲と言ってもいい第5番はバッハの均整美の万華鏡、そして第6番の中世的な響きの中に身を置く時の深い落ち着きと安堵感。ア・ラ・カルトの一曲ずつもいいけれど1日にしてフルコースを生で味わえるとすれば、これに過ぎる贅沢はないだろう。
  オリジナル主義の演奏が百花繚乱の昨今、奇をてらわずに質の高さで人を引き付けるのはやさしい事じゃないと思うが、ここでもBCJの《ブランデンブルグ》への攻めのアプローチは光っている。「えっ、フレンチピッチの演奏!」「なにっ、島田俊雄さんがバッハ時代のクラリーノ・トランペットで第2番に挑戦!」「すごい!いつもながら国内外の名人達が大集合!」・・・。やたら「!」の連発で恐縮だが、本当のお楽しみは当日演奏が始まってから、いつ、どこで、どのように!が我々の心の中に浮かんでくるかである。このバッハ体験は演奏会に出かけた人だけに許される。蘇るケーテン宮廷の宴、ああ、至福の時が待ち遠しい・・・。

朝岡 聡 (フリーアナウンサー)
(チラシ掲載文:00/01/04)


バッハ《ブランデンブルク協奏曲》2000 巻頭言

 J.S.バッハの作品で、最も好きな曲は何ですか?と言う問いに、ブランデンブルク協奏曲と答える人は、決して少なくないでしょう。その快活さ、明るさ、変幻自在な音色などなど、魅力は尽きません。しかし、果たしてこれはまとまったコレクションなのでしょうか。6曲の無伴奏ヴァイオリンソナタと組曲、6曲のチェロ組曲、6曲のイギリス組曲にフランス組曲、そしてさらに6曲のパルティータなどなど、バッハの作品が6曲の曲集にまとめられることは決して少なくありません。ところが、どの曲集にも見られる共通の形式や楽器編成、また調性のまとまりが、このブランデンブルク協奏曲に限ってはことごとく裏切られるのです。いや、むしろこの6曲は、故意にできるだけ異なった、共通点のない作品を集めたかのようでさえあります。
 しかし、今ベルリンの図書館に残っている1721年3月24日という日付と丁重なフランス語の献辞をつけて清書された総譜が、これもまたバッハのお気に入りの6曲のコレクションであることを告げているとも言えます。今回各曲の解説記事を快く送ってくれたM.マリッセン氏は、『ブランデンブルク協奏曲の社会的宗教的構想』という著書の中で、これが単にできあいのコンチェルトを集めたアンソロジーではなく、社会の構造を暗示した意味深いセットである、という考えを述べています。
 確かに、第1番の冒頭でファンファーレを奏でる2本のホルンは、宮廷の示威行為であった狩猟を表していることはすぐに想像できますし、同時に6曲中唯一の宮廷風舞曲を取り入れた作品です。ここでバッハは宮廷への敬意を表するとともに、マリッセン氏の言うように、ホルンとオーボエや弦楽器で社会的階層が暗示されたのかもしれません。第2番では、トランペット、リコーダー、オーボエ、ヴァイオリンという全く異なった楽器がソロを受け持ちますが、これらは、いわゆる市の音楽家Stadtpfeiferがかならず学ばねばならない楽器群でもあり、器楽の各分野そろい踏みとでも言うべき編成です。そして、第3番では、いよいよ弦楽器が満を持して登場します。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが各3本づつという異様な編成が、3×3という聖なる数字の象徴であることは否めません。それだけに、第2楽章として、わずか2個の和音のみが書かれていることは、誠に不可思議であり、これはバッハのしかけた永遠の謎と言うほかはありません。
 さて、後半の4番から6番では、いずれも1種類の楽器が特別に大きな意味を持って、ソロを担当します。ヴァイオリン、チェンバロそしてヴィオラですが、これらは、考えてみると、いずれもバッハ自身が演奏することのできた楽器なので、やはりこれにはブランデンブルク辺境伯に対する就職活動の意が込められていた、ということにもうなずかされます。
 バッハがコンチェルト様式に出会ったのは、ワイマールのヨハン・エルンスト公がユトレヒト大学への2年間の留学を終えて持ちかえった膨大な楽譜によるのですが、当時この様式はすでにドイツに紹介されていました。というのは、ジュゼッペ・トレッリが、すでに17世紀の終わりにアンスバッハのゲオルグ・フリードリヒ侯の下で活躍してからです。このフリードリヒ侯は、バッハがブランデンブルク協奏曲を献呈したクリスティアン・ルードヴィヒ侯の親類でもあり、両者には少なからぬ交流がありました。そのことによって、ドイツの作曲家はイタリア風のコンチェルトを試みていたでしょう。
 しかし、バッハは単にイタリア風コンチェルトを模倣したのではありません。このブランデンブルク協奏曲に見られるソロとリトルネッロ(トゥッティ)の関係は、ヴィヴァルディなどに見られるものとは全く異なっています。つまり、両者が別の存在として常に対立するのではなく、本来ソロ群のためのエピソードがトゥッティに、またトゥッティのためのモティーフがソロへと自由自在に往来するので、そこに現れ出る響きは、その楽器編成とあいまって、もはやどの様式にも属していない、と言っても過言ではありません。
 要するに、バッハは1曲1曲に全く異なった編成、様式、構造を当てはめながら、全体としての見事に秩序だったバッハ独自の世界を構築していったのです。コンチェルト様式をいち早くバッハ自身のフレージングとして同化させ、過去には例がないほど変化に富んだ濃密な曲がここに集められました。ここに表されている音楽的な「秩序」という概念は、バッハが後に手にするカロフの注釈つき聖書の歴代史上第28章21節の欄外に自ら書き込んだ文言によって、十分に意識されていたことがわかります。すなわち、『他の礼拝と同じく、音楽もまた神によって、ダビデを通じて秩序だてられたものに他ならない。』
 つまりバッハの意識の中では、言葉を持たない器楽も、その美しい構造と全体の構成によって、神によって創造された秩序だった世界に奉仕し、その栄光を称える器となっていたに違いありません。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木 雅明


ブランデンブルク協奏曲全曲演奏会・制作ノート

 今回、BCJとして始めてブランデンブルク協奏曲を取り上げるにあたり、最も大きな問題は、ソロ・トランペットの活躍する第2番をどのような形で実現するか、ということであった。周知のように、この作品はF管のトランペットを要求する非常に例外的な作品であり、どのトランペット奏者も、ある種の特別な決意を持って臨まなければ克服できない高度な技術を要求されている。F管の楽器は、バッハの他の作品には一切登場しないばかりでなく、当時の他の作曲家も滅多に用いることはなかった。またその音域は、F管のレ(3点ト音(g'''))にまで上り、トランペットにおいてはまさに異様な高さといってもよい。多くの論考にもあるように、果たしてこの難曲を誰が演奏できたのか、いや、そもそもブランデンブルク協奏曲の献呈譜全体が、ベルリンであれケーテンであれ、果たしてどのような演奏の実態を想定しつつ書かれたものかは、不明な点が多い。この点については、もちろんクリスティアン・ルードヴィッヒのお抱えの音楽家やケーテン宮廷の音楽家を無視するわけにはいかないが、果たしてこれがケーテンにいたとされるヨハン・ルードヴィヒ・シュライバーなる人物のために書かれたのかどうかは、全く定かではない。
 さて、ここで用いられるべきトランペットがどのような形状であるかを論ずる前に、この異様な高さの音域について考えてみたい。音域の問題は、常にピッチと関連しているのだが、果たしてこの作品は、ライプツィヒ時代と同じ高さのピッチが想定されていたのだろうか。バッハには他にF管を要求する作品は1曲もなく、当時のトランペットの基本的な長さがD管であったことを思うと、ここにF管とD管の短3度の差が浮上する。これは、ワイマール時代のカンタータ(例えば161番など)に現れる木管楽器とオルガンの差に相当する。つまり、フランスからの影響の濃い木管楽器が低いカマートーン(=ca392)であったのに対し、オルガンやそれに合わせた弦楽器が高いコアトーン(=ca465)であったので、その差が短3度となり、バッハは木管楽器を移調楽器として扱っているが、金管楽器は、通常オルガンと共にコアトーンで演奏することが常識であったから、まさにこの短3度の差は、トランペットと木管楽器との差であった。
 ところで、ケーテン時代の声楽作品を見てみると、BWV173aやBWV134aなどが、非常に高い声域を要求していることがわかる。特にBWV173aのバスはg'に達しており、ライプツィヒ時代にはほとんど例がない。また、ケーテン時代に作曲され、後にシュテルムタルのオルガン奉献用カンタータとしてパロディされたBWV194も、特にバスやアルトが異様に高い音域が常に要求されている。これらのことから、ケーテン時代の演奏が、全体としてライプツィヒよりかなりピッチが低かったのではないか、という想像を容易にさせる。つまり、声楽パートと弦楽器は常に同じ調性で書かれているので、単に木管楽器だけではなく、弦楽器もかなり低いピッチが用いられていたのではないか、と思われる。このことは、ケーテンのレオポルド公がルター派ではなくカルヴァン派の信仰を持っていたことで、フランスのプロテスタントとの繋がりがより強く、従ってケーテンでは、フランスの音楽家の影響によって低いピッチの楽器が用いられていたのではないか、と言った想像をかきたてる。
 さてブランデンブルク協奏曲第2番に話題を戻し、ここでヘ長調のこの曲を、弦楽器とリコーダー、オーボエがすべてフランス風に低いカマートーンで演奏し、トランペットが高いコアトーンで演奏するならば、ピッチの差がちょうど短3度なので、トランペットは通常のD管を用いることが可能になる。このことで、この作品がトランペットに求める技術的困難はあるものの、音域がかなり自然なものとなる。そこで、私たちは、第2番をなるべく自然な形で実現するため、この協奏曲全6曲を低いフレンチピッチで演奏することとした。(当時フランスで使われていたピッチが具体的にどの程度のものであるかは、多いに議論があるが、我々としては、鍵盤楽器の制約上、a'=415の半音下であるa'=392とせざるを得なかった。)
 トランペットの楽器とその形状については、演奏者兼楽器製作者である島田俊雄の記事を見て頂くに如くはないが、一点だけ私の立場から言っておくならば、古楽器のムーヴメントに乗ってバロックトランペットという楽器が見なおされた時から今にいたるまで、東西のバロックトランペット奏者は一貫して、楽器に指穴をあけて、特定の倍音を回避して音の命中率を挙げようとしてきた。それはそれでやむを得ないことではあったが、博物館などに残るオリジナルのトランペットで穴のあいた楽器はなく、しかも指穴をあけることによって、当然、空気は洩れるので、音色にも影響があることはいうまでもないので、真正な楽器の奏法ではない、という思いが強かった。今回、島田が試みたことは、よりベンディング(唇による音程の調整)の容易な形状を模索し、一切指穴を用いない方法で演奏することである。その音楽的な成果については皆様に判断していただくしかないが、我々の観点からは、バロック音楽の受容史上、世界で始めての画期的なできごとと言わなければならない。彼の演奏方法によって、あのライヒャがハウスマンに描かせた誇り高い肖像画で、ホルン型の小型トランペットを、なぜ片手で楽器を持っていたかがはじめて理解可能となったのである。

鈴木 雅明


【コメント】

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